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そうだ京都、”名物”食べるなら、今だ!

「かば焼き」ではない料理。鰻鍋、鰻雑炊とは?  今回の旅行は京都の「名物」を食すことである。わらじやの鰻雑炊、平野家のいもぼう、いずうの鯖ずし、大市のすっぽんなど京都の伝統的な名物料理は数多く、さらに、新しくお目見えした料理店がどんどん「名物の卵」を誕生させている。  20代のとき、初めて「わらじや」(京都市東山区)ののれんをくぐり、「鰻鍋(うなべ)」と「鰻雑炊(うぞうすい)」を食べたときの感動を忘れられない。静岡人にはうなぎ料理と言えば、かば焼きと決まっていた。静岡人だけでなく、鰻と言って、かば焼き以外を想像できる日本人は少ないだろう。  これまでに 吾に食われし 鰻らは 仏となりて かがよふらむか  歌人の斎藤茂吉は「自分は鰻好きでこれまでずいぶん食べた。自分のは必ずしも高級上品を要求しない。鰻でさえあれば、どんなものでもよい」(「作歌四十年」筑摩叢書)と書き、鰻に関係した数多くの歌をつくった。紹介した歌では、これまでに食べた鰻たちは仏様になり自分を守ってくれていると(都合よく)感謝している。当然、茂吉の食べた鰻は活鰻のかば焼きである。ぷーんと香るあの匂い、何と言っても、鰻はかば焼きに限るのだ。  ぐつぐつと煮えた円い土鍋のスープに春雨、ネギ、フ、そこに筒切りのこんがり焼かれた鰻が入る「鰻鍋」。昆布とカツオによるだしがよく効いている。「鰻雑炊」は短冊切りの鰻の白焼き、ささがきゴボウ、ニンジン、シイタケをだしでよく煮て、焼き餅と米飯を入れ、卵でとじ、三つ葉が添えられる。かば焼きとはひと味もふた味も違う、おいしい世界がそこにあった。  わらじやは江戸初期、1624年創業の老舗だが、名物の「鰻雑炊」は、戦後間もない1950年頃に誕生した新しい料理。と言っても、すでに70年がたつ。高級料亭風のしつらえだが、値段も良心的で気楽な雰囲気とあって行列ができる。わらじやで、鰻料理がかば焼きだけではないことを教えてもらった。茂吉にも食べてもらいたかったが、鰻鍋と鰻雑炊が誕生したのは、茂吉の亡くなった年である。 京都「名物」を支える静岡「特産品」  40代に入って、京都市上京区にあるすっぽんの「大市(だいいち)」へ。元禄時代から3百年以上続く老舗。こちらは一人前2万4500円の高級料理店だが、それには理由がある。信楽焼の丸鍋にすっぽんの切り身、水、酒、しょうゆ、しょうがだけで味付けるが、丸鍋を炊くコークスの火力が半端ではない。1600度もの高温になるから、いくら特製の丸鍋でも何度か使えば、割れてしまう。もうひとつ、すっぽんはすべて浜名湖畔の服部中村養鼈場から送られる3年から4年物。服部中村のすっぽんは露地物で、配合飼料など一切使わず、白身魚の生き餌である。味はすっぽんの素材で決まるのだ。大市では滋養に満ちたすっぽん鍋が二度供され、わらじやと同じように雑炊でしめる。  フランス料理ではウミガメを食べるが、臭みを嫌い、すっぽんは使わない。大市のすっぽんに臭みはなく、おいしさだけが口の中ではじける。日本酒との相性もいいから、ついつい飲み過ぎてしまう。  平野家のいもぼう、いずうの鯖ずしも本当においしい。まてよ、浜名湖畔の中村服部養鼈場だけでなく、京都の名物はすべて静岡県と関係が深いのでは?調べていくと、いもぼうのいも(海老芋)は福田、鯖ずしの鯖は焼津から送られる。わらじやも浜名湖の鰻を使っていたはずだ。静岡の特産品が京都名物を支えている。美食家の北大路魯山人は素材8割、料理2割と言っていたから、静岡の特産品が果たす役割が大きいことを料理人ならば十分に承知しているだろう。  新型コロナウイルスの影響で、京都では中国人らの姿が消え、閑散としているという。そうなれば、名物を売り物にする老舗も客入りはさっぱりだろう。その影響は静岡の特産品に及んでくる。静岡県のリニア問題では「水循環」がテーマとなっているが、経済とはまさしくおカネの循環である。  ここは経済の循環をよくするためにも、一度京都に出掛けなければならない。おいしい京都の名物を食べることで、少しでも経済の活性化に協力できるだろう。引いては静岡特産品消費にも寄与できる。  JR東海の旅キャンペーン、1993年から「そうだ京都、行こう。」2016年から「そうだ京都は、今だ。」にならって、「そうだ京都、”名物”を食べるならば、今だ!」。さあ、京都へ。 「たん熊」名物のすっぽん一人鍋  まず、京都駅前近くにあるラーメン店「新福菜館本店」へ。お隣の有名な「本家第一旭たかばし」とともに、京都ラーメンの”代名詞”である。チャーシュー、ネギ、シナチクたっぷりのラーメン並750円、焼き飯5百円、それぞれ1人前ずつで2人ともお腹いっぱいだ。午前11時とはいえ、ふだんならばここも行列だが、新型コロナの影響か、そのまま座れた。すぐ昼時になり、次から次へと若い男女が気軽に入ってきて繁盛していた。  そして、今回の京都名物は「たん熊本店」(東山区)の「丸鍋」である。「たん熊」で修業した弟子らが静岡などで日本料理店を開いているが、どうしても丸鍋と言えば、大市となってしまう。たん熊は初代が一人用の土鍋をつくり、大市に負けないすっぽん料理を創作したことで有名。大市は1600度の炎に耐える信楽の丸鍋と服部中村のすっぽんでつくられる。たん熊名物は、赤楽の丸鍋に骨付きの身がぐつぐつと煮えているのだという。皮と身、骨と身の間にあるうまみをぞんぶんに生かす一人用の丸鍋。お昼にうかがえば、大市のほぼ半額で味わうことができるから、すっぽん初心者にもちょうどよいだろう。  40代で大市のすっぽんを食べたあと、他の店ですっぽんを食べても臭みやスープなど、大市ほどのおいしさの感動を味わえなくなってしまった。大市の12代目が「地球上で最もおいしい料理」と豪語、まんざら嘘ではないと言えるくらいおいしい記憶が残る。かたや、名人とうたわれた初代、栗栖熊三郎(出身地の丹波と名前を合わせて「たん熊」である)が試行錯誤の末、大切な客のために生み出した一人用のすっぽん鍋。いまや京都を代表する名物になった。書もよくする二代目が60代となり、初代を超えているはずだ。20年を経て、わたしも60代、再び、京都ですっぽんを食す機会を得た。初めてのたん熊名物への期待は高まる。 京都は空いてますキャンペーン  3月2日から2泊3日で京都を旅した。世の中は新型コロナウイルスの影響ばかり喧伝され、旅行業界は青息吐息の状態だ。その上、政府による「外出禁止令」宣言が13日に通知されるという。そんなときに、旅行をするとはもってのほかかもしれないが、逆に言えば、空いている京都で名物を食べる絶好の機会である。  恐る恐る京都を歩いてみたが、昔訪れたときと全く変わらない。静岡同様にいつも通りのふつうの生活があった。多分、中国人らの団体で大にぎわいの京都を知らないからだろう。嵯峨野にできた福田美術館(京都のサラ金会社創業者が設立した)がどんなものか訪ねたが、残念ながら訪問日から休業に入っていた。それでも、嵯峨野は新型コロナなどどこ吹く風、若い人たちが散策を楽しんでいた。  初日の午後4時に行った河原町にある洋風立ち飲み店。若者を中心に立錐の余地もなく、外で待つしかなかった。のぞいてみたが、誰もマスクなどしていない、元気いっぱいみな陽気に騒いでいた。15分ほど待って、誰も出てこないのであきらめた。  案の定、たん熊は空いていたが、その2軒先の並びにある、和栗を専門にするスイーツ店は違った。昨年できたばかりだが、若い女性やカップルでごった返していた。ここでもマスクをしている人はいなかった。たん熊での昼食前に整理券をもらったが、4時間以上の待ちになると聞いて驚いた。京都が「自粛」「自粛」で縮こまっているわけではない。ふつうに混んでいるところもあり、一方、閑散としているところもある。ふだんと同じである。ただ、中国人の団体はすっかりと見えなくなっただけだ。日本だけでなく、世界中を席巻していた中国人の団体がしばらくの間、消えてしまったのである。 人生は死ぬまでの「暇つぶし」か?  リニアに伴う水環境問題で国交省の有識者会議メンバーが静岡県に提示された。その中に、国の水循環基本法フォローアップ委員会座長の沖大幹東大教授の名前があった。著書の「東大教授」(新潮新書)に、「人生にいろいろな意味があるでしょう。しかし、結局のところ、人生は死ぬまでの暇つぶしです」「人生の結果は誰にとっても『死』であり、僕たち自身にとって大事なのは結果ではなく過程です」という一節があり、その覚悟に驚いてしまった。これは、ガンジーのことば「明日死ぬと思って生きよ」「不老不死だと思って学べ」に依拠、武士道のような日本人向きの思想である。  沖教授は東大という場で学問する日々の暮らしが充実、あっという間に終わってしまう「暇つぶしとしての人生」を知的な楽しみで満ちあふれるよう頑張るというのだ。勉強とは東大生に限らず、どこでもできるおカネの掛からない楽しみである。それぞれが日々、何を学ぶかである。  だから、政府が新型コロナの不安を煽るのは間違っていないが、それだけにとらわれていると何もできずに、縮こまってしまう。それは避けるべきだ。あちらこちらすべての場所が危険ではない。ちゃんと考えて行動すればいいだけである。食べる楽しみ、新しい知識への楽しみなど「暇つぶし」をしないでいると、せっかくの人生の時間は無駄に失われてしまう。  20代のときに食べたわらじやの「鰻雑炊」、40代のときの大市の丸鍋の感動を、いま同じに味わうことはできない。貧しく、若い時代は恥をかくことばかりだが、何とか、ひとつでもおいしいものを食べてみたいというささやかな贅沢はちゃんと記憶に残る。  医者の仕事は、けがを治し、薬を処方、包帯をすることだから、「マスク」「手洗い」「うがい」などが新型コロナに有効と薦める。もっと重要なのは「十分な睡眠」「バランスのよい食事」「適度な運動」。個々の自然治癒力や免疫力を高めておくことで、新型コロナを含めて「病の原因」に立ち向かえる心身をつくることである。  だからと言って、「人生の結果は『死』」(沖教授)から逃れられない。日々を楽しく生き抜くために何をすべきか?おいしい名物を食べることを考えるのは免疫力を高めるはず。出発はいまでなくてもいいから旅の計画を立てよう。JR東海「そうだ京都、行こう。」は最高傑作だ。 ※タイトル写真は、たん熊の一人鍋のすっぽん。味がどうだったのかは、ご自分で確かめてください。

ニュースの真相

川勝知事、「文化力の拠点」どうしますか?

宮沢賢治と清水三保海岸の関係は?  2月27日の静岡県議会代表質問では、自民党県議団の野崎正蔵氏が「文化力の拠点」事業を巡り、他会派の予算要望で川勝平太知事が「ごろつき」「やくざ」「反対する人がいたら県議の資格はない」などと発言したことを看過できないとして追及した。  野崎氏は冒頭、『「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。「馬鹿」っていうと 「馬鹿」っていう。(略)「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。 こだまでしょうか いいえ、誰でも』など感情を込めて、金子みすゞの詩「こだまでしょうか?」を朗読した。  三重県の鈴木英敬知事へ、川勝知事の「嘘つきは泥棒の始まり」発言があったことを踏まえ、「ごろつき」「やくざ」発言が川勝知事への”ブーメラン”となり、こだましたのか?野崎県議はその詩を読んだあと、約10分間にわたり舌鋒鋭く批判を続け、最後に「自らの言動をどのように総括して、身を処するのか、見解を示せ」などと締めくくった。  川勝知事は金子みすゞとともに、なぜか宮沢賢治にも触れたあと、自身の発言を深く反省、心からお詫びするとしてひと言「ごめんなさい」と述べた。  その謝罪発言を聞いていて、ああ、そうか、川勝知事は「文化力の拠点」を忘れていないのだ。頭の片隅のどこかにちゃんと残っているのかと驚いた。  金子みすゞは26歳で自死した。宮沢賢治は37歳のとき、肋膜炎が原因で亡くなっている。二人とも若くして亡くなったとともに、生きている間に作品の評価は受けず、無名のまま亡くなっている。「私と小鳥と鈴と」「大漁」など金子みすゞの詩は35年ほど前、ある児童文学者の再評価によって瞬く間に多くの人たちの心をつかみ、いまも愛され続けている。  宮沢賢治も生前、詩集「春の修羅」、童話集「注文の多い料理店」のみが自費出版された。亡くなったあと、弟の宮沢清六らが「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ…」などが記された手帳を発見、その精神性の高さを哲学者、谷川徹三(詩人谷川俊太郎の父親)らが高く評価、すべての日本人が一度は口ずさむであろう最も有名な詩となった。だから、賢治存命中には、その詩の存在を誰も知らなかった。  賢治が静岡県を訪れたことも知られていない。26歳のとき、清水の三保海岸を訪れたのである。 「はごろも海岸」という美しい名前  賢治は、宗教家、田中智学の興した法華宗を信仰する在野の仏教団体、国柱会に入会した。大正時代、国柱会の本部・最勝閣は清水にあり、国柱会HPには、「大正11年(1922)11月に亡くなった妹トシの遺骨は三保最勝閣へ賢治が持参した」と簡単に記されている。  調べていくと、岩手・花巻で行われたトシ(享年24歳)の葬儀には宗旨(実家は浄土真宗)が違うため出席しなかった賢治が火葬場に現れ、遺体が焼かれている間、法華経を読み続けたという。分骨された遺骨を、丸い小さな缶に大切に入れて、翌年、御殿場回りの東海道線を利用、納骨のために清水を訪れた。ただ一度の静岡への旅行である。  その年、賢治は北海道・青森を旅行、トシの早逝を深く悼み、長編詩「オホーツク挽歌」「青森挽歌」を書いている。三保海岸を訪れた際の詩や随筆、手紙は散逸し、未発見のままである。賢治は常に鉛筆と手帳を携えており、行く先々でメモを書いた。鉄道の便が悪い当時、清水までの長い時間、多くのことを記したはずである。賢治自身で手帳の多くが破棄されてしまった。  26歳の賢治が目にした美しい三保海岸はその後変わっていく。田中智学は清水地域の工業化を嫌い、国柱会本部を東京へ移転した。最勝閣などの建物の痕跡は一つも残っておらず、トシの埋葬場所など賢治が訪れたことを示す記憶は清水には何もない。  そしてもう一つ。賢治が訪れた当時、清水三保海岸は「はごろも海岸」と呼ばれていた。いまや、だれもその記憶はない。 文化力とは地域の発する地域のイメージ  「はごろも」は、2014年9月8日に開かれた第1回静岡東駅地区の整備に関する有識者会議で話題の一つになった。当時、静岡県立美術館館長を務めていた芳賀徹先生がさまざまな議論のあと、あえて「はごろも」を使った。  『三保松原のはごろもの伝説、美しいですね。富士山のいろいろな信仰の対象、芸術の対象、聖徳太子あるいは日本武尊を中心とした一種の神話の力がどこかで宿されている。それをまとめて「はごろも地域」ですか?』。2007年から県立美術館長を務め、この地域を愛した芳賀先生らしい意見を述べた。  東静岡駅周辺から日本平を経て、清水三保海岸を結ぶ広い地域をどのように整備していくのかが議題だった。そもそも、そこで初めて「文化力」について議論されたのだ。芳賀先生が『「文化力」とは何ですか?「文化の拠点」と違うのですか?文化と文化力の違いがわかりません』と尋ねると、川勝知事は「軍事と軍事力、経済と経済力と言った意味です」と答え、芳賀先生が「学問と学力が違うのと同じですね」と確認した。  会議に出席した田辺信宏静岡市長が、JR東静岡駅の名前を「日本平久能山東照宮駅」に変更したいという提案に対して、川勝知事は「日本で一番長い駅名だけでも、そのイメージに発信力があります」などと述べ、「文化力」とはその地域が発する場の力やイメージ力であり、三保海岸の別名「はごろも海岸」はまさに、「文化力」を表していたのだろう。議論では、静岡が東京、京都、大阪などの地域に埋没して、個性を発揮できていない背景があると指摘していた。  遠山敦子トヨタ財団理事長(当時)は『「文化力」という形で、(この地域の)明確な特色を出すべき』と進言した。6年以上も前のことである。  東静岡駅地域の「文化力の拠点」事業は、今回の”川勝知事発言”を機に、一気に中止に追い込まれた。また、「文化力の拠点」にさまざまな意見を述べていた芳賀先生が2月20日、88歳で亡くなられた。そのまま、「文化力の拠点」事業も消えてなくなってしまうのか? 家康の眠る久能山東照宮も「文化力の拠点」  芳賀先生は県立美術館長を辞したあと、2017年9月、「文明としての徳川日本」(筑摩書房)を出版されている。「春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな」「菜の花や月は東に日は西に」などで知られる与謝蕪村について詳しく書いている。「この海は昨日も一昨日も、そして今日一日もこうだった。おそらく明日も明後日もさらには来年も再来年もこうなのだろう」と「平和の退屈」さを「春の海」の句で説明している。徳川250年の平和な時代は終わり、幕末、動乱の予感が押し寄せていた。  パックストクガワーナ(Pax Tokugawana 徳川の平和)は、芳賀先生による造語であり、2015年6月、家康没後4百年を記念するシンポジウムでは基調講演を行った。  家康は1613年、駿府で幕府直轄地のキリスト教禁令を行った。翌年には全国に発布する。『当時カトリック勢力のポルトガル、スペインは中南米で残酷な略奪、殺人を平気で行い、伝統的な文化を破壊してしまう。カトリック勢力の真の狙いを知らずに、九州の大名らはキリシタンにどんどん改宗していく、当時のカトリック勢力は非常に危険だった。  家康のキリスト教禁令はまさにふさわしい賢明な対応だった。家康が外交顧問に重用したウイリアム・アダムスのもたらした情報が重要だったのだろうが、アダムスが経験豊富で実践的な航海士であったことが幸いした。また、大胆で勇敢なサムライだったからこそ、家康と信頼関係を築くことができた。家康外交によって、平和な徳川時代を築くことができた』。古文書を中心に読みこなす歴史学者では海外との交渉を行った家康外交の真実には言及できず、まさに芳賀先生の独壇場だった。  家康の眠る久能山東照宮も「はごろも地域」の一角。「はごろも」はまさに、平和をイメージできる。 「おとなしい」静岡人は場のイメージでもある  JR東海との「対話」が続くリニア問題で明らかになったのは静岡人の県民性であろう。「おとなしい」静岡人というイメージはそのまま、平和な静岡という土地のイメージそのものである。JR東海はまさか、静岡県で「反対」運動にも似た「闘い」に巻き込まれるなどとは思ってもみなかったのだろう。  JR東海は「おとなしい」静岡人を見込んで、計画の当初から大井川中下流域の8市2町への説明等はなおざりにした。川勝知事は「おとなしい」静岡人の代弁者となり、「静岡県の6人に1人が塗炭の苦しみを味わうことになる。それを黙って見過ごすわけにはいかない」などと決然と立ち上がった。  静岡県は恵まれすぎている。富士山、駿河湾、浜名湖、お茶、みかん、鰻、山葵、まぐろなど日本一がいくらでもある。宮崎県出身の久能山東照宮の落合偉洲宮司は「宮崎県人ならば久能山東照宮をもっともっと自慢している」と言った。家康没後4百年記念事業を機会に、久能山東照宮を日光東照宮に肩を並べるくらいの魅力を発信したい、とさまざまな事業に取り組んだ。静岡人は人は良いが、自慢嫌いの恥ずかしがり屋なのだ。川勝知事のような「おとなしくない」静岡人だからこそ、リニア問題では「闘える」のである。  「ごろつき」「やくざ」発言はあったが、「文化力の拠点」事業について予算規模や中身がわからないという疑問を投げ掛けていた県議たちが事業そのものに反対というわけではない。金子みすゞを引用した野崎県議の質問も「文化力」にあふれていたのだ。だからこそ、川勝知事は誠意を持って「ごめんなさい」と謝罪したのである。  芳賀先生の提唱したパックストクガワーナが始まった場所が駿府である。「トポス(ギリシア語の場所、そこから特定の連想を喚起する)の探求」を続けることを芳賀先生は願っていた。  ことしはウイリアム・アダムスが亡くなって、ちょうど4百年。静岡にはあまりに、多くの「文化力」があるため、どこから発信していいのか分からない。ただ、せっかくの「文化力の拠点」をそのままやめてしまうのは残念でならない。  川勝知事、「文化力の拠点」をどうしますか? ※亡くなる2年前、東京から帰郷する列車の中で書き綴った「雨ニモマケズ」を記した手帳は、復刻版として1300部限定で作成された。亡くなったあと、賢治のトランク蓋裏から、清六が発見していなかったならば、「雨ニモマケズ」の詩は世に出なかった。 ※タイトル写真は、「はごろも海岸」越しの富士山を眺める

ニュースの真相

リニア騒動の真相33リニア「空気感」が冷たい理由

「無期限に補償」表明は水泡に帰す  街を歩いていて、突然、リニアに対する「空気感」がこれほどまでに冷えている理由が分かった。  2月7日、JR東海の宇野護副社長が静岡県議会の最大会派、自民改革会議の県議団に地下水への影響について「無期限に補償する」と表明した。大井川流域市町の不安解消に一歩踏み込んだJR東海の”譲歩”策だったが、「補償より影響回避」と流域の市町は強く反発している。「無期限の補償」表明は、リニア南アルプストンネル建設の早期着工に向けた打開策にならないことがはっきりとした。  「無期限に補償」表明をした宇野副社長は、その趣旨を「(下流域の地下水に)影響が出ることはまずないが、(地元の)懸念が強いということだったのではっきりと申し上げた」と述べたが、あいまいな物言いだったために、「1年を超える補償申請期限」なのか「30年間を超える補償期間」なのかを巡り、国交省へ呼ばれた。  そもそもは静岡県が「中間意見書」で、JR東海に「地下水の影響」について補償等の見解を求めた。「地下水への影響はない」とするJR東海が補償等に言及すること自体変な話である。それでも、「中間意見書」にこたえ、「無期限に補償」を表明するほうが、地元の理解が得られると方針転換したのだろう。  20日の記者会見で、金子慎社長が30年間を超える補償期間の可能性に言及したが、時すでに遅しだ。何だかわからない物言いだけが地元に伝わり、公共工事の基準を超えて30年を超える補償は文書にまとめられるだけになり、流域市町への説明はなくなった。地元は補償の話など聞きたくないと避けたからだ。  なぜ、リニアに対する「空気感」はこれほどまでに冷え切っているのか?きょう、静岡人になじみ深い歴史の場所に立った。「ああ、そうだ、そういうことだったのだ」と気づいた。 「交渉」とは何かー駿府の山岡、西郷会談  静岡市の江川町交差点近く、伝馬町に1つの大きな石碑が建立されている。いまから152年前、1868年3月9日、東征軍参謀の西郷隆盛と幕府方の山岡鉄太郎との会談が行われた松崎屋伝兵衛宅跡である。  幕末、駿府(静岡市)は歴史の舞台となった。3月6日大総督有栖川宮の東征軍がここに駐留して軍議を開き、3月15日をもって江戸城総攻撃を行う、と決定した。当時、江戸では東征軍の進撃を抑えられず、徳川慶喜から、身辺警護を務める山岡は「朝敵の命が下り、もはやとても生命をまっとうできまい。いかなることも朝命に背かない。二つとない赤心。伝えてくれ」と”(慶喜)助命”の使者役を任された。  それを聞いた勝海舟は、いくら山岡が剣術の達人とはいえ、たった一人で官軍の真っただ中に乗り込めば、即座に殺されるか、捕らえられるに違いない、駿府にたどりつけず、死地に向かうのが関の山だろうと思案していると、そこに山岡とは旧知の薩摩藩士、益満休之助が顔を出した。山岡、益満ともに尊王攘夷の集団「虎尾の会」で、横浜外国人居留地の焼き討ちなどに生命を賭け、「休之助」「鉄太郎さん」と呼び合う同志だった。  益満は難解な薩摩弁を駆使できるから、西郷に会うためにはなくてはならない役回りと勝は判断、益満もそれを受け入れ、山岡に同行することを承知した。不思議な巡り合わせが歴史を変えたのだ。  勝は「無偏無党、王道堂々たり」で始まる有名な書簡を山岡に託した。東征軍が江戸城総攻撃を決めた6日、山岡らは江戸を出発、勝の予想通り、官軍だらけの東海道で鉄砲隊などと遭遇した。身長188㌢という山岡の偉丈夫ぶりと益満の「薩州藩、使いである」の名乗りで死地をくぐり抜けた。  9日駿府に到着するやいなや、山岡は西郷に面会、勝の書簡を渡し、「慶喜恭順」の意が伝えられた。西郷は有栖川宮らに諮り、翌日(10日)江戸城明け渡しなどの「降伏7条件」を山岡に示した。これに従えば、慶喜の命を救い、家名存続を許すというのだ。官軍から7条件を引き出した山岡は大手柄だが、交渉役ではなく、単に勝の使いだった。7条件をそのまま持ち帰るべきところが、山岡は「1つの条件だけは承服できない」と突っぱねた。  それが「慶喜の備前藩お預け」だった。山岡はもし、慶喜ひとりを備前に謹慎させることになれば、徳川恩顧の者たちは江戸城とともに討ち死にする、絶対に承服できないと食い下がった。西郷は「朝命に背く」と大きく首を横に振った。山岡は主君を差し出して、そのままでは済まされないと見えを切った。益満の口添えとともに、西郷は山岡の潔い男ぶりに惚れた。このとき、西郷40歳、山岡33歳、益満28歳である。  「虎穴に入りて虎児を得る」。山岡は降伏7条件を胸に、急ぎ江戸にたどり着く。東征軍も江戸に入り、13日勝、西郷の江戸城無血開城の会談が薩摩藩下屋敷で行われた。山岡、西郷の談判がなかったならば、東征軍はそのまま江戸城へ総攻撃を掛けていたはずだ。慶喜の命も保証されなかっただろう。そのくらい緊迫した中で山岡の「交渉」が行われた。幕末、駿府はそんな歴史の舞台だった。  現在、その同じ舞台に立って、静岡県、JR東海の歴史的な「対話」が行われている。2027年品川ー名古屋間リニア開業が至上命題と言っている割には、JR東海側に「覚悟」や「熱気」が欠けている。歴史をつくる気概がない。  だから、リニアに対する「空気感」に地元は冷たくなっている。 3度の失敗をどう生かすか?  「無期限の補償」表明で、JR東海の地元対策への失敗は3度目となった。  1度目の失敗はJR東海の静岡市との交渉だった。JR東海は「市道閑蔵線」トンネル建設は工事用ルートに必要と説明、トンネル新設費用百億円の半分「50億円」を負担するので、残りの「50億円」は静岡市が負担するよう要請した。地元の厳しい反対を受けて、結局、県道トンネル「140億円」建設で決着する。(※詳しいは経緯は、雑誌静岡人vol4に掲載)  最初から、100億円負担するので「市道閑蔵線」トンネル建設を申し出れば、地元は歓迎しただろう。リニア南アルプストンネル建設には、県道トンネルよりも「市道閑蔵線」トンネルのほうが大きな効果があることくらい誰にでもわかる。「リニアを一日でも早く開業させたい」意気込みに欠けていたとしか思えない。  2度目の失敗は、「湧水の全量戻し」表明だった。2018年10月、JR東海は「原則的に県外に流出する湧水全量を戻す」と表明したから、大井川の水環境問題は一気に解決の方向に向かうと見られた。ところが、1年近くたってから、「工事中は作業員の安全確保などで湧水は他県に流出する」と明らかにした。金子社長は問題を解決させたいための「方策」とまで述べたから、地元は強く反発した。その後、「湧水全量戻し」は議論の中心テーマとなった。  そして、3度目が「無期限の補償」表明。そもそも、初めから30年間を超える「無期限の補償」と分かりやすく表明していれば、地元の好感度は上がっただろう。とにかく、あいまいな説明が続いた。JR東海の”譲歩”は単に、社内手続きであり、地元には何ら関係ない。何か勘違いしているようだ。  リニア中央新幹線が日本の明るい未来を切り開くものだと地元にダイレクトにわかれば、「空気感」は変わる。しかし、それもできないでいる。 「空気感」を変えるために何をすべきか?  なぜ、「空気感」が変わらないのか?2020東京オリンピックと1964東京オリンピックを比較すれば、明らかだろう。約50年前の貧しい日本人すべてがオリンピックの成功に大きな期待を寄せた。  3兆円を使う大イベント、2020オリンピックだが、1964オリンピックのような躍動感もワクワク感も起きていない。新国立競技場の設計変更、マラソン会場の変更、そして新型コロナウイルスだ。是が非でも成功をという意識に欠ける。1964オリンピックのように全国民の悲願とは言えないからか。  リニアも同じだ。9兆円のうち、3兆円もの財政投融資を使う国家的事業なのに、静岡県の「反対」ばかりが目立つ。県民のほとんどは川勝知事の「闘い」を支持する。リニア開業後の未来に明るさは何も見えてこないからだ。  JR東海は対話も情報公開も苦手である。県民にわかりやすく理解してもらう「戦略」に欠けるからだ。3度の失敗を経て、何をすべきかわからなければ、次の失敗は致命的なものになる。 来年度は28回の「対話」を予定?  20日静岡県議会2月定例会が開会した。27日の代表質問から、一般質問と続き、3月18日の閉会日まで予算審議が続く。  リニア関連予算案を調べると、一般会計1兆2792億円の中で、たった2千万円弱と非常に少ない。それでも、本年度に比べて、約2倍の予算を計上した。内訳は、毎回、新聞、テレビが大きく報道する県環境保全連絡会議(全体会)、生物多様性専門部会、地質構造・水源専門部会の開催・運営と現地調査費など。来年度は28回の会議、現地調査40回を想定した。  議会冒頭、川勝平太知事は来年度予算案に関する説明を行った。リニア建設に伴う大井川水系の水資源及び南アルプスの自然環境の保全について、直近の今月10日開催された県地質構造・水資源専門部会を踏まえ「JR東海の見解は本質的に従来と変わっておらず、新たな提案等もなかった。今後も対話を継続して、県民の不安払しょくに全力で取り組む」と述べている。(※タイトル写真)  川勝知事は「対話の継続」を見込み、28回ものリニア会議予算を立てた。4月から毎月2~3回も、JR東海との「対話」会議が開催されることになる。このままでは簡単に着工への道は開けないことをJR東海は理解しなければならない。さて、どうするか? 3月の1か月間で何をすべきか?   県議会2月定例会は3月18日の閉会まで、2月25、26日、3月6、13、16、17日が休会日となる。ここにJR東海表明の「補償」議論、「新有識者会議」設置に向けて国との「事前協議」が入るのだろう。事実上、リニア問題についての「対話」は3月18日まで完全に休止状態であり、3月いっぱい休みの可能性は高い。  新型コロナウイルスでさまざまなイベント中止の動きが続いているが、リニア問題の「対話」も3月中は休止で、4月の新年度から仕切り直しに入る。3月の1カ月間で何をすべきか?  152年前の3月9、10の両日、駿府で行われた山岡鉄舟の「交渉術」を学ぶよい機会だ。久能山東照宮には勝海舟が西郷隆盛との会談に臨んだ際、帯刀したとされる赤鞘の短刀も現存する。2014年正月、新潟市で家康4百年事業記念の久能山東照宮展を開催した折、勝の短刀も出品して、大きな話題を呼んだ。ぜひ東照宮に足を運んでほしい。  3月20日からは静岡東宝会館で、映画「三島由紀夫vs東大全共闘」が封切られる。50年前の伝説的な討論会が「対話」のヒントになる。身一つで敵地に乗り込んだ「気魄」を三島由紀夫に学ぶべきである。  2月16日付『リニア騒動32川勝知事「戦略」の”源”は?』をきっちりと読んだほうがいい。いずれにしても歴史に学ぶことは多い。JR東海は対話「戦略」をちゃんと構築しなければ、来年度1年間も無駄にするだろう。まずは、リニア議論の「空気感」を変えることができるかだ。川勝知事への「闘い」に向かうにはそれしかない。

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リニア騒動の真相32川勝知事「戦略」の”源”は?

今度は「水循環」という難題を突き付けた  今度は「水循環」である。12日の定例記者会見、翌日13日の来年度予算案記者会見でも「水循環」が川勝平太静岡県知事の重要なキーワードとなった。特に、定例会見で川勝知事は「国の新有識者会議」の座長は、水循環基本法に携わった専門家であることが望ましい、と述べた。水循環基本法?記者たちの何人が「水循環基本法」について理解していたのだろうか。  翌日の13日、国交省鉄道局との「事前協議」で、川勝知事発言を踏まえ、難波喬司副知事は新有識者会議の委員構成に「中立性に疑義がある」と表明した上で、「水循環」の専門的な知識を持つ委員を要請、さらに、環境省の専門家を委員に加えるよう求めた。これで「水循環」は避けて通れなくなった。  「水循環基本法」は2014年3月、水行政の縦割りを排除、健全な水循環を保つことで持続可能な社会を築くのが目的。リニア南アルプストンネル工事による下流域の地下水影響については、「地下水は国民共有の財産であり、公共性の高いもの」(同法3条の2)であり、最も重要な位置づけにある。下流域の地下水枯渇に不安を抱く流域市町を念頭に、川勝知事は「水循環」が議論の最大のテーマと述べた。  日本では、上水道は厚労省、農業用水は農水省、工業用水、水力発電や水ビジネスは経産省、河川や水資源、下水道は国交省水管理・国土保全局、地下水や湖沼の水質管理は環境省、雨水は気象庁(国交省外局)、大規模水害対策は内閣府中央防災会議、自治体の水道事業の民間委託は総務省、海外の水問題解決は外務省などが窓口。水循環基本法は水行政を一本化、統合的な水資源管理を目指すものである。  地下水の価値は法律の理念で示されたが、地下水の保全に関わる法律は存在しない。公的管理を担っているのは国ではなく、静岡県などの自治体である。大井川地域も「地下水の採取に関する県条例」で管理される。担当するのは、リニア南アルプストンネル建設での静岡県側窓口となる環境局水利用課。  一方、リニア南アルプストンネル建設を推進するJR東海を指導する立場の国交省鉄道局は「水循環」に何らの関わりを持たない。いくら「水循環」を求められても、所管から大きく外れ、どのように対応するのか、簡単ではないだろう。  昨年11月11日『リニア騒動の真相21正々堂々の「ちゃぶ台返し」』で紹介した通り、川勝知事は「鉄道局だけでは仕事の整理ができない。環境省、農水省などが加わった上で国が関与すべき」と、「3者協議」に国の新たな体制を求めた。その無理な要請をかわすためか、国交省は「新有識者会議」設置を提案した。その提案に、待ってましたとばかり、静岡県は5条件を求めた。  5条件を受け入れるとした国交省の「新有識者会議」設置は遅れに遅れている。そこに新たに「水循環」を持ち出されては、さらなる遅れも生じるはずだ。 川勝戦略は”河勝”にさかのぼる  静岡工区の着工が見通せず、鉄道局は「新有識者会議」設置を事態打開の切り札としたかった。10月に当時の”打開策”だった「3者協議」を提案したが、それも空振りに終わり、すでに3カ月以上が過ぎてしまった。  責任者の水嶋智鉄道局長は、1月23日静岡来訪で川勝知事に面会、さらに今月12日、急きょ静岡を訪れ、川勝知事と面会した。何とかしたい鉄道局の焦りがはっきりと見える。この意見交換の席で、水嶋局長は環境省官房長に働き掛け、オブザーバーで参加するのは問題ないとの回答を得て川勝知事に了解を求めた。  ところが、「事前協議」の難波副知事はオブザーバー参加ではなく、意見を発言できる正式な委員として環境省専門家の参加を要請した。それに加えて「水循環」専門家である。これでは、「事前協議」のままいつまでも終わらないかもしれない。  次から次へと川勝知事は新たな「難題」を国交省に突き付ける。国交省の提案した「3者協議」は宙に浮いたままであり、新たな「有識者会議」設置も「事前協議」段階で難航する。関係者以外で「3者協議」「有識者会議」「事前協議」が実際には何なのか説明できる者はいないだろう。  そこに、宇野護JR東海副社長が静岡県の自民県議団で表明した「無期限の補償」問題も登場した。鉄道局は、宇野副社長を呼び、その内容を確認する。これも簡単な話ではない。  補償申請に期限を設けないとしたが、補償を受けられる期間を30年以上とするのかどうかが焦点となる。もし、JR東海が補償期間を30年以上とした場合、既に枯渇が問題となっている山梨県リニア実験線沿線の河川の補償に影響する。単に、静岡県のトンネル区間だけの問題ではない。  「水循環」が混乱に拍車を掛けるのは間違いない。川勝知事はすべてを了解して、新たな戦略を打ち出しているかのようだ。なぜ、次から次へとリニアに関わる水環境戦略が生まれてくるのか?  もしかしたら、川勝知事のルーツに関係しているのかもしれない。その答えを「秦河勝」に見つけたのだ。 「伏見の闘い」は「リニアの闘い」である  川勝知事の出身は、京都府亀岡市であり、祖父の代には醸造業を営んでいたという。渡来人の秦河勝は酒の醸造を日本へもたらした。河勝一族は酒造の名手で「秦大酒君(はたのおおさけのきみ)」と呼ばれた。当然、川勝知事の一族はその流れをくんでいる。  家康没後4百年事業に向けて、久能山東照宮の落合偉洲宮司とともに川勝知事をインタビューした際、「東照宮の前身となる久能寺を創建したのが、秦一族であり、深い縁を感じる」と話していた。(タイトル写真は、2009年雑誌静岡人vol2に登場してもらった川勝知事)  聖徳太子のブレーンとなった秦河勝は太子の死後、播磨(兵庫県)に流され、その地域で繁栄する。酒造業の富をもとに上水道の敷設などに尽くしたとされる。  今回のリニア南アルプストンネル工事について、大井川の地下水を使う焼津の磯自慢、藤枝の喜久酔など酒造メーカーから訴えられた南アルプスの大切さを川勝知事は、国交省の藤田耕三事務次官らに紹介している。醸造業にとっていかに水が大切かを誰よりも知るからであろう。  そして、京都の酒造家が忘れてはならないことは、酒どころ伏見の「鉄道の地下化反対運動」である。「伏見酒造組合125年史」によると、昭和3年(1928)昭和天皇の即位礼が京都で行われることになり、京都、奈良間に新しい鉄道敷設計画が浮上した。計画では伏見桃山の陸軍練兵場を通過することになったが、陸軍が強硬に反対、鉄道側はその地域を地下鉄にすることにした。  この計画を聞いた伏見酒造組合は「地下鉄による地下水の影響調査」を京都大学に依頼、地下水掘削業者を指揮して、260カ所も試掘して、地下水の流動方向と水質を調査した。その結果、伏見には北東から南西に掛けて伏流水の大水脈があり、地下鉄の敷設工事で、水脈はずたずたになり、酒の醸造用水に深刻な影響が出ると報告された。  伏見酒造組合は当時の京都府知事を先頭に「計画変更」を求めた。生命の水を守る運動は府民全体の運動となり、鉄道の地下鉄計画は阻止される。鉄道は陸軍練兵場を高架式で通過する案に変更された。  伏見酒造組合の勝利は、1、綿密な調査を行ったこと。2、関係機関と根気強い交渉を続けたこと。3、京都府民の世論を味方につけたことなどが挙げられている。  伏見酒造組合の「闘い」はまるで、現在のリニア南アルプストンネル工事計画での川勝知事の「闘い」につながっているように見える。川勝知事は、文句を言わない県民性が挙げられる「おとなしい静岡人」の先頭に立ち、流域の市町を巻き込み、生命の水道水を守るための政治責任を果たそうとしている。川勝知事の戦略を支えるのは、日本に醸造をもたらした祖先の秦河勝であり、歴史事実として伝えられる伏見酒造組合の地下鉄反対運動ではないのか。  川勝知事は一筋縄ではいかないことを鉄道局はそろそろ理解すべきだ。このまま行けば、新たな「水環境戦略」を突き付けるだろう。 「水循環」専門家でも地下水への影響はわからない  7日の自民県議団の勉強会で宇野副社長が「中下流域の地下水は掘削される南アルプストンネルから約百㌔離れており、影響は生じない」と述べた通り、JR東海は一貫して中下流域の地下水への影響は生じない、としてきた。  大井川地域など県中部地域の地中に蓄えられている地下水賦存(ふぞん)量は58・4億㎥、そのうち地下水障害を発生・拡大させることなく利用できる地下水量は3・4億㎥。1960年代後半から焼津、吉田などで盛んに行われた養鰻業によって地下水の減量が顕著になったことから、71年に地下水採取に関する県条例を制定、77年に改正、さらに2018年にも改正されている。  15本程度の井戸によって、地下水の経年変化を調べているが、条例制定後、現在まで大井川地域の地下水に大きな異常は見られない。地下水量に大きな影響を及ぼすのは、雨量や地域の取水量であり、約百㌔離れた河川上流部の水の変化が地下水にどのような影響を及ぼすのかという研究は行われたことはない。  2014年の水循環基本法成立後、フォローアップ委員会が設置され、その座長を務めたのは、静岡市出身の高橋裕東京大学名誉教授(河川工学)。ことし93歳になられるが、高橋先生が「新有識者会議」座長を務められるならば、大井川の「個性」までご存知なだけにふさわしい人選と言えるだろう。ただし、2016年にフォローアップ委員会座長は沖大幹東大教授(水文学、水資源学)に引き継がれている。   中下流域の地下水の影響について、静岡県は何かあったときの不安を強調し、JR東海は全く影響はないと断言する。両者の主張は真っ向から食い違う。しかし、誰もどちらが正しいという結論を下すことはできないでいる。「水循環」を専門にする水文学、水資源学の専門家らに聞いても、リニアトンネルが地下水にどれだけの影響をもたらすのか正確に把握するのは困難ではないかという説明を受けた。  静岡県の有識者会議の議論は「当事者」であり、鉄道局は「新有識者会議」でたたくとした。ところが、逆に新有識者会議の人選で「中立性に疑義」と言われてしまう。鉄道局にトンネルや土木工学の専門家はいても、河川、地下水の「水循環」専門家はいないのは当たり前である。  10日に静岡県とJR東海との議論が再開されたが、JR東海の回答は静岡県の専門家には満足のいくものではなかった。議論すればするほど新たな疑問が生じてくる。これでは、新たな有識者会議を設けても、静岡県が納得することはないだろう。  鉄道局は「新有識者会議」設置よりも、まずは、静岡県が求めているこれまでの議論をちゃんと評価できる専門家を見つけてくるほうが早いのではないか。  大きなお世話かもしれないが、鉄道局は「川勝戦略」の”源”をちゃんと押さえた上で、対抗できる「戦略」を考えたほうがいい。いまのままでは、川勝知事の術中にはまり込んだまま身動きできなくなるだろう。

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リニア騒動の真相31 「無期限に補償」も”方策”?

水枯れ「無期限に補償」とJR東海が明言?  『「水枯れ発生なら補償」 JR副社長「期限設けず」』(中日)、『リニア工事で水枯れ JR「無期限に補償」』(朝日)、『JR東海「期限設けず補償」リニア工事水資源問題』(日経)と2月8日付朝刊各紙に大きな見出しが並んだ。  JR東海の宇野護副社長がリニア南アルプストンネル工事による大井川の流量減少について水枯れなどが発生した場合、「工事完了から期限を設けずに補償する」と初めて明言したのが各紙の記事内容。「無期限に補償」というJR東海の”大英断”に地元関係者らはびっくりしただろう。  2月7日、宇野副社長は静岡県議会の最大会派、自民改革会議の県議約30人との「非公開」勉強会のあと、記者らに「無期限に補償」表明の趣旨を「(下流域の地下水に)影響が出ることはまずないが、(地元の)懸念が強いということだったのではっきりと申し上げた」と述べた。「初めての表明」を強調したから、川勝平太知事、難波喬司副知事らは全く知らされていなかったはずだ。  中日は「県とJRの協議が前進する可能性がある」と評価したが、果たしてそうなるのかどうか。  それどころか、2018年10月、JR東海の「湧水全量戻し」表明が真っ先に頭に浮かんだ。「湧水全量戻し」表明から1年もたたない2019年8月、『「湧水全量戻し」は工事中はできない』と述べ、利水者らの強い反発を呼び、いまだに、その問題は解決されていない。  今回も同じことの繰り返しになるのではないか? 「期限設けず補償」とは言っていない  中日、朝日、日経以外の他紙はどのように報道したのか?  『リニア工区「補償申請 期限設けず』(毎日)、『水補償 請求期限設けず リニア工事影響でJR』(静岡)、『リニア問題 水量減少補償 JR表明』(読売)。各紙見出しを見ただけでも、記事内容は全く違っているのが分かるはず。中日、朝日、日経が「誤報」とまでは言わないが、他紙を読めば、少なくとも言葉足らずは一目瞭然である。  『補償申請 期限設けず』(毎日)と『期限設けず補償』(日経)の意味は全く違う。JR東海は、流域の地元が「期限を設けない補償申請」を認めたに過ぎない。  それも『従来は「費用請求は工事の完了から1年を経過する日までとした国交省の基準に基づき対応する立場」から、1年以上過ぎたあとにも「補償請求は可能」』と毎日が説明した通りであり、朝日は勉強会で県議が『中下流域の利水者の「数年後に影響が出たらどう補償されるのか」という不安を解消するよう求めた』と書いているから、「1年以上」は単に「数年後」程度を意味しているようだ。  それで、静岡の『補償を受けられる期間は公共事業の基準に沿って30年間に限定するとしていたが、宇野副社長は「今後の話だ」と述べた』を読むと首をかしげるだろう。「数年後」ではなく、「30年間の補償期間」後を担保しなければ、「無期限の補償」とは言えないのに、『リニア工事で水枯れ JR「無期限に補償」』(朝日)は正しいとは言えない。  国交省の「公共事業の水枯渇等損害要領」は30年間を損害補償期間に限定、JR東海も「要領」に従い、31年目からは自治体で水対策を行ってほしいという姿勢だったはず。「申請」期限を「1年以上」にしても、損害補償期間を「無期限」にはしていないようだ。  少なくとも、中日、朝日、日経が書いたように、JR東海は「(水枯れなどの)無期限の補償」を表明をしたわけではない。「期限設けず補償」するならば、30年後に地下水の影響が明らかになっても「申請」可能で、かつ「補償」するはず。宇野副社長は、「1年以上過ぎたあとの申請は可能」としただけで、31年目からの「補償」については「今後の話」という。それでもJR東海にとっては大きな”譲歩”らしい。  流域市町は「遠い将来」(30年後以降)の水枯れを懸念する。宇野副社長表明ではその不安を払拭できない。今後、静岡県の専門家会議で議論のテーマになり、「湧水全量戻し」同様にあいまいな物言いに厳しい注文が入るはずだ。 「3者協議」から「新有識者会議」へ  宇野副社長の「無期限の補償」表明は、「湧水の全量戻し」で、金子慎JR東海社長が「利水者の理解を得たいための方策」と述べたのと変わりないかもしれない。「リニア工事で約百㌔離れた下流域の地下水への影響はない」と断言するJR東海だが、30年後以降の「遠い将来」の補償まで約束したくないのだろう。  議論が停滞して、国交省が本格的に乗り出すきっかけとなった10月4日の静岡県有識者会議に戻ってみよう。あの日から、すでに4カ月以上が過ぎている。「早期着工」を望むJR東海だが、まるで自分で自分の首を締めているようにさえ見える。  10月4日の会議で、JR東海は「工事中にトンネル湧水の一部が流出しても大井川の流量は減らない」と発言した。県側委員が「水が減らないとはどういうことか」と問いただすと、「県境付近の地下水はどちらに流れているのかわからない」と答えた。難波副知事は「リニア工事で大井川水系に影響は絶対に出る。分からないなら調査してください」と厳しく注文を付けた。  この会議の様子を聞いた国交省の藤田耕三事務次官らが静岡県庁を訪問、国主導で、静岡県、JR東海との会議を調整する「3者協議」設置が決まった。  その後、いろいろあって、国交省は今年になって「新有識者会議」を提案した。その提案に対して、静岡県は「新有識者会議」受け入れの前提として、5条件(①会議の全面公開②議題は県の求める47項目③会議の目的はJR東海への指導④委員は中立公正を旨として、県の専門家部会長も参加すること⑤会議の長は中立性を確認できる者)を求めた。 「新有識者会議」から「事前協議」へ  「新有識者会議」について、静岡県が5項目の条件を付けたことに対する「事前協議」が6日、水嶋智鉄道局長と難波副知事らによって「非公開」で行われた。終了後、記者会見が行われ、7日付中日新聞は「事前協議」の長期化の可能性を指摘した。いつになったら「新有識者会議」が発足するか見通せない状況なのである。  7日付中日は、分かりやすいように「リニア着工までの流れ」を図解した。この図によると、「事前協議」が終わると、JR東海と県の専門家による「有識者会議」で最も議論の的になっている「トンネル湧水の全量戻し」「大井川下流域の地下水への影響」を評価する「国交省の新有識者会議」が方向性を見つける。  その後、国、県、JR東海の「3者協議」で着地点を見つける取り組みを行うことで、静岡県の「有識者会議」が納得するような結論が得られるようだ。静岡県は大井川中下流域の市町長らに諮り、合意が得られれば、JR東海と「基本協定」を締結、川勝知事はJR東海から提出される大井川地下約4百㍍のトンネル設置について河川法に基づいた許可を出す段取りだ。これでようやく、JR東海はリニア南アルプストンネル静岡工区の建設に「着工」できる。  「3者協議」がとん挫したままであり、「新有識者会議」は「事前協議」の段階である。  中日は「事前協議も長期化する可能性がある」と書いた。県は14日までに国交省の提案を受け入れるのかどうか回答するが、難波副知事は環境省など他省庁の参加、47項目すべてを議論対象に求め、「ゼロ回答ではない。全然ダメな内容でもなかった」などと述べたから、中日の予測通り「長期化」も考えられる。  「事前協議」が長期化すれば、何のための「新有識者会議」なのか、やはり、屋上屋という批判が出てきそうだ。 「シンプルに問題を考えてほしい」  県、鉄道局の「事前協議」が行われた6日、静岡新聞朝刊は昨年10月の「3者協議枠組み案」での国交省”地元軽視”を取り上げた。「地元の理解を得るのが条件」という文言を「地元の理解を得るのに努める」に変えたことで紛糾した経緯を蒸し返している。  よりよって、「事前協議」の日に国交省が”公平公正”ではない疑問を抱かれることになった「3者協議枠組み案」を話題にしたのである。  「新有識者会議」設置のための「事前協議」もいいが、国交省が設置を求めた「3者協議枠組み」の合意書はどうなってしまったのか?県は「地元の理解を得るのが条件」を決して譲ることはないだろう。合意書案のまま宙に浮いている。国交省はJR東海側で早期のリニア着工へ向けてさまざまな打開策を講じたいのだが、その思惑通りに行っていない。  そんな中で、1月20日、リニア問題に関して川勝知事と10市町長の意見交換会が静岡県庁で開かれた。冒頭のみ「公開」で、川勝知事は①(大井川の)水一滴も失われてはならない、②47項目の論点について公開の場で納得いくまで議論していく、③国交省から提案のあった新有識者会議についてどのように返事をするのか意見を聞きたいなどと話した。その後は「非公開」だったため、各首長のどんな意見が出されたのか知らされていない。  1月28日の知事会見で、川勝知事は牧之原市の杉本基久雄市長、吉田町の田村典彦町長の印象的な話を紹介した。吉田町は地下水にすべて依存しているので、もし、地下水に何かあれば吉田町は全滅するという意見だった。田村町長から直接、聞いた話では、地下水に影響が出てくるのは30年後の可能性もあるという。遠い将来、孫子の世代に笑われないような政治家でありたい、と田村町長は述べていた。地下水の影響は30年後を想定しているのだから、JR東海とはかみ合わないのだろう。  たった2週間のリニア問題を巡る動きを見ても、何が何だか分からない方向で議論が進んでいる。「事前協議」「3者協議」「県の有識者会議」「国の新有識者会議」を追うだけでも大変だ。田村町長は知事との意見交換会で「シンプルに問題を考えてほしい」と注文したという。「もし、水を全量戻すことができないならば、トンネル工事はやるべきではない。う回すればよい」。そう考えれば、何だか分からない「無期限に補償」が出てくる余地はなくなる。 ※タイトル写真は、静岡新聞2月8日付「水補償請求期限設けず」の写真

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川勝知事「謝罪」ー「文化力の拠点」断念を決める

川勝知事「謝罪」に自民反発?  「不適切な発言のあったことを認め、すべて撤回します。不信を抱かれた方々にお詫びします」。静岡県の川勝平太知事は1月30日、静岡県議会自民改革会議・竹内良訓代表からの公開質問状に回答した。個別の質問への回答に先立って、まず「不適切な発言」があったことを認め、すべて撤回した上で総括的に謝罪表明したのだ。  ところが、個別の質問に対する回答について、竹内代表は満足できず、記者から「点数は?」と問われると、「赤点」と答えた。個別の回答は、それほどに不満足な回答だったのか?以下に、個別の回答(抜粋)を紹介する。 質問1「反対する人は県議の資格はない」との発言は、民主主義に背くものだが、これについての見解を求める。 回答 当該「発言」は、県立図書館にのみかかわるものです。共産党県議の予算要望の席で出ました。県立図書館が話題になり、共産党県議は「賛成です」と明言された。それを受けての発言です。「当然ですね」というのを反語的に述べたもので、共産党県議もそう受け止められ、最後まで和気あいあいの意見交換でした。  議会の軽視とか議員の権利の否定などでは毛頭ありません。当該「発言」部分を図書館の話題と切り離し、民主主義の否定とか、二元代表制の否定とか、拡大解釈する向きがあり、それが喧伝され、いたく当惑しております。 質問2 令和元年12月20日、自民改革会議総会並びに会派代表者会議において、「発言していない」と虚偽の説明をしたのは何故か。 回答 どちらの会でも、イエスともノーとも明答を差し上げていない。会派代表者会議において、出席者の一部から、「ごろつき」の語にこだわり、「言ったのか」、「言わなかったのか」、「言わなかったのだな」と繰り返し難詰されましたが、明言しませんでした。  この小生の態度が、質問2になったことを残念に思い、深く自省しています。 「やくざの集団」「ごろつき」は知事の独り言 質問3 「やくざの集団」「ごろつき」はどこの集団、誰を指しているのか。 回答 だれも指していません。公明党県議の予算要望の席での意見交換のときと記憶しています。  流域8市町の議会から出された意見書を踏まえ、「流域住民の命の水と環境を守ることを決議する」という決議案を「危機管理くらし環境委員会」が否決しました。「住民の命の水を間持つ決議をしない!」というのは、まことに意外で、そのことに対する義憤から出た不適切な発言でした。 質問4 「やくざの集団」「ごろつき」発言を未だ撤回しないのは何故か。 回答 黒を白にすることを「撤回」だと思い込んでいた。つまり、撤回は正直ではない、と思い込んでいたからです。当該発言のあったことを認めます。  当該発言は過ちです。過ちを改めるために、当該発言を取り消し、撤回します。   質問1は「共産」、質問3,4は「公明」県議団の予算折衝の場での発言であり(「共産」県議の席でも「ごろつき」「やくざ」の発言があったと関係者は話している)、そもそも「自民」が問題にすること自体、不思議な話である。前回の記事(1月26日付『「誤解」自民が川勝知事の”進退”問う』を参照)で書いたが、「自民」と川勝発言を結び付けた12月20日付静岡新聞記事『知事「ごろつき」自民念頭に』に引きずられてしまったことは、自民県議団も了解しているようだ。  竹内代表が満足できないのは、質問2についての回答。川勝知事は「やくざの集団」「ごろつき」発言をしていたのに、自民県議団の前でその発言を認めなかったことが「不誠実」と取った。  川勝知事は「小生の態度が、質問2になったことを残念に思い、深く自省しています」と記したのだから、実際には十分なはずである。ただし、ここは政治の場である。知事野党の「自民」は「謝罪」問題を棚上げとは言いながら、十分ちらつかせた上で、知事との予算折衝に臨むのが「政治」である。その結果、県内各地の河川や道路の「県土強靭化対策」約30億円の単独公共事業を分捕った。「自民」は政治的な”勝利”を得たのである。  それだけでなく、川勝知事はことばによる「謝罪」とともに、一大決心をして、来年度予算で思い切りよく鉈を振るった。 多くの意見聴いて「文化力の拠点」断念へ  川勝知事との予算復活折衝に臨み、「謝罪」の回答文書について棚上げした冒頭のみ取材を許可されたが、自民県議団とのやり取りについてマスメディアの記者全員が退去させられた。その後の取材で、来年度予算案について、翌日(2月1日)付新聞で紹介したのは、静岡、読売、毎日のみである。  『県、災害対策費計上へ 「文化力拠点」見送り受け』と書いた読売が最も詳しい。「文化力の拠点」整備費用を見送るが、『床にひびが入るなど老朽化で移転が求められていた県立中央図書館の工事に向けた土地の地質調査費数千万円のみが盛り込まれる見通しだ』『当初、県立中央図書館を中心に飲食店などが入った複合施設を計画していたが、費用が高額で自民などから批判が続出。その後、川勝知事が自民改革会議を念頭に「ごろつき」などと発言したため、県と自民で対立が深まっていた』  もう一度、川勝知事が「反対する人は県議の資格はない」「やくざの集団」「ごろつき」発言をした場面を思い出してほしい。  『川勝平太知事は19日、来年度の予算要望に訪れた公明党県議団と共産党県議との面談で、県がJR東静岡駅南口の県有地に整備する「文化力の拠点」を巡り、県議会最大会派自民改革会議が計画見直しを求めていることについて「反対する理由は川勝が嫌いだというだけ」と述べ、強く批判した。  知事は「やくざの集団、ごろつき」などと自民を念頭に強い言葉で非難し、公明に「(自民と)一線を画してやってほしい」と求めた。「(県立中央図書館に)いろいろ(機能を)付けて財政が膨らむのは再考すべき」と求めた共産の鈴木節子氏(静岡市葵区)には「県議会はなぜ足を引っ張るのか。反対する人は県議の資格はない」と述べた。  文化力の拠点を巡っては、第2会派のふじのくに県民クラブも中央図書館以外の機能が「不明確」だとして導入機能の見直しに取り組む方針を示している。』(静岡新聞12月20日付朝刊)  川勝知事の回答では、「やくざの集団」「ごろつき」は『「流域住民の命の水と環境を守る決議案」を「危機管理くらし環境委員会」が否決したことに対する義憤から出た不適切な発言』と、「水を守る」意見書否決が原因となっているが、実際は「文化力の拠点」に県議会全会派の反対に遭い、不満が募っていたことは否めない。  読売記事にある「文化力の拠点」予算を見送り、県立図書館調査費のみを付けるというのは不思議な話である。なぜなら、県立図書館は「文化力の拠点」の中心施設だったはずである。県立図書館建設予算をつけておいて、「文化力の拠点」予算見送りでは矛盾してしまう。  つまり、川勝知事は多くの意見を聞いた上で、「文化力の拠点」断念を決めたのである。県立図書館建設工事は、知事部局の文化力の拠点推進課から、県教委社会教育課に担当替えになる。だから、県立図書館予算のみが付いたのである。予算のない文化力の拠点推進課の存在意義は失われ、来年度にポストとともに「文化力の拠点」事業そのものが消えるはずだ。  川勝知事は「文化力の拠点」に強い思い入れがあった。しかし、「県議の資格はない」「ごろつき」「やくざ」という不適切な発言を反省した上で、評判が芳しくなかった「文化力の拠点」を取りやめることで心からの「謝罪」を表したのである。 「新有識者会議」長は矢野弘典氏がふさわしい?  「狸おやじ」と呼ばれた徳川家康は非常に「狡猾」だった。  家康は1605年に秀忠に将軍職を譲り、天守台発掘で話題を呼ぶ駿府城に移る。外交、通貨の統制、鉱山経営などを駿府で行った。1609年オランダ、1613年イギリスとの通商条約を結び、1614年全国にキリスト教禁令を発布している。友好国としてオランダ、イギリスを選び、世界中を植民地化していた「カトリック国」ポルトガル、スペインとの関係を断絶、のちに「鎖国」と呼ばれた。  家康が愛読したのは、唐の太宗を主人公にした『貞観政要』。太宗を美化したり、賛美したりせず、欠点も非常に多く、また多くの過ちをおかしたふつうの人として描いた。その欠点を補うために、太宗は自分自身に直言させる「諫議太夫(かんぎたいふ)」という役職を創設した。太宗の欠点を補佐するための役割は、敵でもあった太宗の兄に仕えた魏徴を抜擢した。  太宗は魏徴の言葉をよく聞いて、改めるべきことは速やかに改めることを優先した。家康はこれをまねたのである。  敵対した武田方の残党(大久保長安、穴山梅雪、向井正綱ら)を側近として迎え、豊臣方の残党を駿府城の守りとして安倍川の西側に住まわせ、安西衆とした。特に、青い目のサムライとなる英国人ウイリアム・アダムスは家康に直言したことで知られる。もし、アダムスがいなかったならば、日本はカトリック勢力の思いのままにされ、植民地に近い状態になっていたのかもしれない。家康の時代、世界情勢を見据えるのは非常に困難だった。いかに多くの諫議大夫を置くかにかかっていた。  川勝知事は知事室から駿府城跡を眺め、家康同様に「諫議大夫」を周辺に置き、今回の「文化力の拠点」問題のような反対意見に真摯に耳を傾けたのだろう。  それでなくては、リニア問題で国土交通省が提案した「新有識者会議」へ、あれほど「狡猾」な5条件を出すことはできないだろう。  1月23日、静岡市を訪れた水嶋智鉄道局長と2時間半にも及んだ対話の内容は外に漏れていない。同席した矢野弘典・ふじのくにづくり支援センター理事長がどのように両者の対話を裁いたのか。『「新有識者会議」の長は、横綱審議委員会委員長を務める矢野さんが最もふさわしい』と川勝知事は提案したのかもしれない。それに対して、水野局長はどう答えたのだろうか?  明君とは率直な意見に耳を傾け、その意見を吟味して判断することだと『貞観政要』は教える。今回の川勝知事の判断も明君に値する。さて、家康同様に川勝知事に「狸おやじ」の称号を与えてはどうか。 ※タイトル写真は2月1日付静岡新聞「知事と自民県議団の予算折衝」。予算折衝が始まると同時に、メディアはすべて退去させられた

ニュースの真相

「誤解」自民が川勝知事の”進退”問う

「やくざ」「ごろつき」発言が問題に   21日、県議会最大会派の自民党県議団は「文化力の拠点」施設整備を巡り、約1カ月前に共産党県議が面会した際の川勝平太知事発言を問題にして、4項目の質問状を提出した。川勝知事は期限の30日までに文書で回答する意向を示している。質問状の4項目は以下の通り。  1、「反対する人は県議の資格はない」との発言は民主主義に背くが、これについての見解  2、2019年12月20日の自民改革会議総会と会派代表者会議の場で「発言していない」と虚偽の説明をしたのはなぜか  3、「やくざの集団」「ごろつき」はどこの集団、誰を指しているのか  4、「やくざの集団」「ごろつき」発言をいまだ撤回しないのはなぜか  12月20日静岡新聞朝刊が報じた1段見出しの小さな記事が川勝知事の進退を問う事態にまで発展した。川勝知事は自民県議団の質問にどのように回答するのか?  自民県議団は、川勝知事への問責、辞職勧告、不信任決議案を視野に入れるほど激怒しているようだ。川勝知事発言は、それほど大きな騒ぎを呼び起こす内容だったのか?  もう一度、発端となった12月19日の川勝知事発言を調べてみると、鈴木英敬・三重県知事に、川勝知事が「嘘つきは泥棒の始まり」と述べた状況と非常に似ていることが分かった。つまり、新聞記事が「誤解」をつくりだし、記事を読んだ当事者たちは「事実」と思い込み、騒ぎを大きくしてしまうのだ。  「嘘つきは泥棒の始まり」発言の「誤解」から振り返る。 「嘘つきは泥棒」発言も「誤解」で生まれた  10月31日天皇即位を祝う饗宴の儀で、鈴木知事から「(三重県内のリニア設置予定駅は)90%亀山市に決まった」と直接、聞いたとして、川勝知事は11月6日の定例記者会見で明らかにした。  各社とも記事にはしなかったが、読売は三重県に川勝知事発言を確認した。スペイン出張中の鈴木知事は、担当部長から川勝知事発言を聞いた上で、「事実無根だから、断固抗議すべき」と指示した。担当部長は「鈴木知事は亀山とは言っていない」などと静岡県担当者に電話連絡、静岡県担当者は事実の正否ではなく、お騒がせしたことを謝罪した。読売三重支局は「事実無根」「断固抗議」「謝罪」をキーワードに記事にし、数社が同じ記事を追い掛けた。  スペインから帰国した鈴木知事は「事実無根」は「亀山」の地名ではなく、「90%(の比率)」であり、「断固抗議」は「極めてセンシティブな話を何らプロセスを経ず軽々しく言われた」「饗宴の儀で歩きながらのことなので、了解なく、立ち話の場でのことを定例会見でおっしゃるのはどうか」だったことを明らかにした。  三重県側の事情を知らない川勝知事は11月11日の全国知事会議で、鈴木知事の「事実無根」発言を問題にした。「静岡県の公務員心得8カ条の『心は素直に嘘・偽りを言わない』」を示した上で、「わたしはあなたがおっしゃた通りに言った」と問いただした。  鈴木知事は「事実とは違う。交通結節性の高い場所での設置を求めていること、亀山の商工会議所が誘致活動に力を入れていることは伝えた。『90%』という根拠のない数字を使って話すことはあり得ない」などと反論した。「90%の比率」が「事実無根」という鈴木知事の説明でさらなる混乱を招き、川勝知事の「誤解」は続いた。  19日の定例記者会見で、鈴木知事を念頭に川勝知事は「嘘つきは泥棒の始まり」発言をする。共同通信『三重県知事をうそつきと非難 静岡知事、リニア駅発言で』の全国配信をはじめ、各社とも「嘘つきは泥棒の始まり」発言のみが目立つ記事となってしまった。  「自民」の2文字は川勝知事発言と無関係   さて、12月20日静岡新聞朝刊を見てみよう。『「文化力の拠点」巡り 知事「ごろつき」自民念頭に批判』の1段見出しの小さな記事である。記事全文は以下の通り。  『川勝平太知事は19日、来年度の予算要望に訪れた公明党県議団と共産党県議との面談で、県がJR東静岡駅南口の県有地に整備する「文化力の拠点」を巡り、県議会最大会派自民改革会議が計画見直しを求めていることについて「反対する理由は川勝が嫌いだというだけ」と述べ、強く批した。  知事は「やくざの集団、ごろつき」などと自民を念頭に強い言葉で非難し、公明に「(自民と)一線を画してやってほしい」と求めた。「(県立中央図書館に)いろいろ(機能を)付けて財政が膨らむのは再考すべき」と求めた共産の鈴木節子氏(静岡市葵区)には「県議会はなぜ足を引っ張るのか。反対する人は県議の資格はない」と述べた。  文化力の拠点を巡っては、第2会派のふじのくに県民クラブも中央図書館以外の機能が「不明確」だとして導入機能の見直しに取り組む方針を示している。』  この記事では、公明党県議団、共産党県議が同じ席につき、「ごろつき」発言などをしたと勘違いされてしまう。それぞれ別の予算折衝であり、川勝知事の「県議の資格はない」「ごろつき」「やくざ」発言は共産県議の席では述べた。  公明、共産の県議に確認して分かったのは、川勝知事は「自民」という固有名詞を口に出していないことである。それなのに、記事では川勝知事発言にない「自民」が3カ所登場、「自民」は「見出し」にも採られた。  『県議会最大会派自民改革会議が計画見直しを求めていることについて「反対する理由は川勝が嫌いだというだけ」と述べ、強く批判した』。  鈴木県議は、大学コンソーシアム、AI、ICT(情報通信技術)などの付随機能が不明であり、規模が膨らむことについて反対意見を述べた。記事にも、『「(県立中央図書館に)いろいろ(機能を)付けて財政が膨らむのは再考すべき」と求めた共産の鈴木節子氏』とちゃんと書かれている。川勝知事との面談で、「文化力の拠点」計画見直しを求めたのは「県議会最大会派自民改革会議」ではなく、「共産党」である。その流れの中で川勝知事は「反対する理由は川勝が嫌いだというだけ」と述べている。この面談では「自民」は無関係なのは明らかである。  それなのにどうして、静岡新聞は「県議会最大会派自民改革会議」を記事に持ってきたのか? 「自民念頭に批判」は記者の思い込み?  そして、何よりも誤解を誘うのは見出しである。『知事「ごろつき」 自民念頭に批判』。鈴木県議は、予算折衝の最中には「ごろつき」「やくざ」という発言はなかった、約10分間の予算折衝が終えたあと、「文化力の拠点」計画への不満を持つ”誰か”に対して、川勝知事は「ごろつき」「やくざ」と言ったと話す。知事の「ごろつき」「やくざ」発言は予算折衝中の正式な発言ではなく、”オフレコ”発言に近いものだった。静岡新聞記者は「音声媒体」で、「ごろつき」「やくざ」発言を確認できた。それがどうして、記事の見出し『知事「ごろつき」 自民念頭に批判』となったかだ。公明県議団の席で、「(自民と)一線を画してやってほしい」発言をしたのは事実だが、なぜ、記事で「自民」と断定しているのか公明党県議には分からないという。  予算折衝をする共産、公明県議の前で、無関係の自民を念頭に知事が話をすることなどありえない。鈴木県議、公明県議団とも自分たちの予算折衝記事に「自民」が出てくる理由が分からないと首をかしげる。  鈴木県議は「川勝知事が図書館はひびが入り、5年も持たない。これ(図書館建設)に反対するのは県議の資格はないなどと述べた」と聞いた。『「文化力の拠点」=図書館など』であり、川勝知事は「文化力の拠点」に反対することが、誰も反対することのない「図書館反対」と結び付け、各会派の折衝でも文化力の拠点に反対意見を言われ、頭に来たのかもしれない。しかし、だからと言って、鈴木県議に向かって「県議の資格はない」発言はあまりに大人げない。  川勝知事が「ごろつき」「やくざ」「県議の資格はない」発言をしたのは事実である。静岡新聞記者の「音声媒体」を他社の記者や議会関係者らは確認した。しかし、なぜ、知事発言が「自民」と結び付けられたのかは、誰も確認していない。ひとつ言えるのは「自民」と静岡新聞が見出し、記事で結び付けたことで、知事発言の騒ぎは大きくなった。  静岡新聞記事は、川勝知事のすべての批判を「自民」と結び付けたから、自民県議団は侮辱、挑発されたと思い込み、怒り心頭となった。  20日付静岡新聞朝刊を読んだ自民県議団は、同日午後県議会終了後、川勝知事を呼び、発言の真偽を問いただした。自民県議らの前で川勝知事は「良識の府を預かっている方に対して、ここでも口に言うのがはばかられるような言葉を言うのをあえて言うことはありません」と難しい言い方をした。  知事の真意は、「ごろつき」「やくざ」とは言ったが、自民県議らに言ったものではないと言いたかったのかもしれないが、静岡新聞記事が頭にある自民県議は川勝知事発言を「嘘」と受け止めた。竹内良訓自民県議団代表は「その場限りのごまかしや虚偽の発言が見受けられる」と知事の過去の発言を問題視していたから、バイアスが掛かっていたのだろう。 「破邪の剣」抜き持つ政治家であってほしい  結局、自民県議団による公開質問状提出にまで発展してしまった。自民県議団からの質問1は、誠意を持って謝罪すべきだが、実際は鈴木県議に向けたことばである。質問2は、前回同様の回答でもいいのだが、このような混乱を招いたのだから、丁寧に説明しなければならない。質問3、4は、知事の「独り言」を静岡新聞記者が聞きつけて、「針小棒大」にしてしまった例であり、自民県議団が怒るべき話ではない。  今回の問題は、知事部局が「事実」を踏まえ、すぐに収拾に当たれば、自民が公開質問状を提出する事態にまで発展しなかったはずだ。静岡新聞記事によって、周囲は知事の不適切な発言と「自民」との関係を「誤解」、他のマスコミもその「誤解」を拡散、ほとんどの人は「事実」が何か見えなくなってしまった。  改めて、2014年「文化力の拠点」計画立ち上げに際して、基本構想委員会の議事録を読んでみた。「文化力」について、川勝知事は「静岡県に必要な価値の体系」と説明している。知事の理想に追い付くのは並大抵ではない。「図書館」という名称にとどめておいたほうがいい。  川勝知事は理想に燃えて政治に取り組んでいる。時々、強烈なことばによる応酬はあるが、政治は人々の生活を守るためにある。  『破邪の剣を抜き持ちて 舳(へさき)に立ちて我呼べば 魑魅魍魎(ちみもうりょう)も影ひそめ 金波銀波の海静か』(旧制一高寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」)が頭に浮かんだ。「破邪」とは邪説、邪道を打ち破ること。雑誌静岡人vol4「なぜ、川勝知事は闘うのか?」を読まれ、川勝知事の理想とその求めるものを理解してほしい。 ※タイトル写真は1月22日付静岡新聞「知事に公開質問状」の写真です。

ニュースの真相

リニア騒動の真相30「北風」作戦は失敗?

屋上屋の「新たな有識者会議」提案  1月17日、国交省の江口秀二審議官が静岡県庁を訪れ、静岡県提出の「2つの要請」に対する回答書を難波喬司副知事に手渡した。川勝平太知事からの「2つの要請」を拒否する代わりに、国交省は「新たな有識者会議」提案という”奇策”に出た。  18日付新聞各紙を読んでみても、「新有識者会議」の目的は何か、記者たちは表面的な事実しか書いていないから、読者にはさっぱり理解できないだろう。「トンネル工学や水文学の専門家で構成する会議で、これまでの県有識者会議の議論を検証する」役割とは、つまり、静岡県の有識者会議メンバーにいちゃもんを付けることのできる専門家(御用学者?)を招集するということになる。  川勝平太知事がただ黙って、それを受け入れるはずもないだろうが、たとえ、「新有識者会議」が設立されたとしても、屋上屋を重ねるムダな時間をさらに費やし、国交省が望む「解決策」に至るのにほど遠いことははっきりとしている。なぜ、国交省がそんな”奇策”(愚策?)に出たのか分からない。  静岡県の有識者会議に出席してきたJR東海の技術者たちは、「新有識者会議」が解決策にほど遠いことを予測できるだろう。南アルプスの現状をちゃんと把握する静岡県の手強い有識者メンバーと議論してきたからである。新たな専門家(学界の権威)を招集して静岡県の有識者会議の議論を評価しても、それぞれの意見、思惑がぶつかり合い、さらなる調査の必要性だけが出てくるだけである。「会議は踊る」のたとえ通り、早期着工に向かって進むことは期待できない。  静岡県とJR東海との協議を主導する国交省の手綱さばきに官邸は疑問を抱くだろう。官邸の意向は「川勝を何とかしろ」だった。これでは、川勝知事の術策にはまって、土壺にはまった現実に変わりない。”奇策”は打開策にはならない。  ここまでは川勝知事の作戦勝ちといったところか。 ”3者協議会”設立で3カ月以上の空白  昨年10月4日の静岡県の専門家会議で、難波副知事の会議運営に危機感を抱いたJR東海は官邸に”ご注進”した。その結果、国が積極的に関与する新たな枠組み三者協議会(連絡調整会議)をつくることになる。  10月11日、国交省で開かれた協議では、枠組みをつくるための協議案を国交省が作成することになり、24日には藤田耕三事務次官、水嶋智鉄道局長らが静岡県庁の川勝知事を訪ね、国が主導して静岡県、JR東海の議論を整理、なるべく早期に静岡工区の着工に持っていきたい意向を示した。「新しく立ち上げる調整会議は時間を限った形で開催したい」(藤田次官)。その発言を読み解けば、早急に静岡工区の着工を実現させたいJR東海に側面から強力に支援する役割を国が果たすことである。  国の筋書きはちゃんと見えるが、表面上は「交通整理役」という国の提案を川勝知事は受け入れる姿勢だった。ところが、このあとすぐに迷走する。  10月31日国交省で開かれた第2回の協議が静岡県側による”リーク(情報漏れ)”を問題視され、水嶋局長は難波副知事らを厳しく叱責した。国交省から送られた「調整会議の進め方案」が静岡第一テレビによって前日(30日)夜、スクープされた。31日の協議は、リーク問題に絞られ、公文書管理などで水嶋局長は難波副知事らの責任を追及した。  これに反発して、11月6日定例記者会見で川勝知事はこれまでの姿勢を一変、「鉄道局だけでは仕事の整理ができない。(国交省)河川局、環境省、農水省が加わった上で国が関与すべき」と国の新たな体制を求めた。そして、12月25日、「環境省や農林水産省など、水資源、自然環境に関連するすべての省庁の参画」、「国交省による、これまでの静岡県とJR東海との対話内容の評価」という「2つの要請」を水嶋局長宛に文書で提出した。川勝知事の「2つの要請」に答えなければ、協議が進まないことを国交省は十分承知していた。  その結果、国は苦肉の策として「新有識者会議」設立という”奇策”に打って出た。藤田次官まで出張って事の解決に当たろうとしたが、時間の掛かる面倒な”宿題”を増やしただけである。  10月4日以来、静岡県の専門家会議はストップしたままである。3カ月以上の空白が生まれ、さらに今後、「新有識者会議」人選をはじめ検討事項は山積する。そもそも国が提案した「調整会議」も頓挫したままだ。 産経社説「JR東海に一定の合理的負担」求める  「トンネル湧水の全量戻す」と「下流域の地下水への影響」の2つの問題点ははっきりとしている。JR東海は「湧水全量戻す約束を果たせ」という静岡県の主張に対して、「安全を期すために工事中の湧水流出はやむを得ない」と説明する。トンネル工法上、どちらの主張が正しいのか現時点で判断できない。多分、時間が掛かるだろう。  「下流域の地下水への影響」についても、「工事中にトンネル湧水の一部が流出しても大井川の流量は減らない」というJR東海の説明に「表流水ではなく、地下水の問題であり、もし、遠い将来に影響が出たときには責任を果たせ」が静岡県は主張。これも議論はかみ合わない。  これから何度話し合っても、お互いが納得できる結論を得ることはできない。17日、江口審議官は「科学的、工学的に検証する第三者的な専門家会議を設ける」と説明したが、科学者は、それぞれの知見に基づいた学識の範囲でしか意見を言うことができない。南アルプスというフィールドを長年研究してきた者とそうでない者が意見を闘わせれば、「新有識者会議」を評価する別の諮問機関さえ必要になる。  国交省はどうすればいいのか?  昨年12月3日付産経新聞主張「リニア新幹線 国が地元協議を主導せよ」。多分、官邸の意向に沿った主張なのだろう。将来の日本を支えるリニアの必要性を説いた上で、「政府を交えた協議自体に注文を付ける川勝氏の姿勢には首をかしげる。関係者は冷静な話し合いを進めるべきだ」と書いた。その通りである。国交省鉄道局は冷静に本来の役割を果たすべきである。主張では以下のように国交省の役割を示していた。  『リニア新幹線は静岡県内に駅がなく、その経済的なメリットは小さいとされる。川勝氏は今年(2019年)6月にJR東海による経済的な代償を求める考えを示唆した。同社による一定の合理的な負担を含め、国交省が主導して環境対策などでも真摯な協議を進めるべきだ』  国交省鉄道局はJR東海に対して、『(静岡県へ)一定の合理的な負担する』よう指導すべきと産経は書いた。国交省はこれまで「新しい枠組み(調整会議)」設立、「新有識者会議」設立と国主導のかたちで議論を進める体制をつくり、静岡県の主張を何とか封じ込め、無理にでも国の意向に従わせる「北風作戦」を取った。JR東海に「一定の合理的な負担」は言ってこなかった。  官邸に近い産経新聞でさえ、ちゃんと「北風」と「太陽」の両面作戦を薦めているのだ。「北風」作戦では川勝知事が屈しないことは、この3カ月間で国交省は理解しただろう。JR東海を国交省に呼んで、成田空港の土地収用対策を学ばせた。その意図も静岡県には分からなかった。リニアの反対運動ではないのだ。川勝知事のほうから、何らかの条件を出すことはない。  川勝知事は「(JR東海は)誠意を示せ」と何度も繰り返して述べている。だから、国交省は「誠意」の示し方を指導すればいいのだ。 「リニア反対派」抑え込みに本腰か?   ZAITEN2月号(財界展望新社)が『JR東海・葛西敬之名誉会長 国民に禍為す「リニア」の暴走』大特集を組んでいる。「過激にして愛嬌あり」のキャッチフレーズ通り、同書は歯に衣着せぬ記事のオンパレードである。  『「川勝の本心はカネ目」「東海道新幹線の新駅づくりなどで21年の知事4選に向けた実績づくりを画策している」などとマスコミにネガティブ情報を流させた』のはJR東海らしい。  『JR東海では沿線住民はおろか、地元首長に対しても「上から目線の葛西流」がまかり通る。実際、金子(慎JR東海社長)は記者会見でも川勝に対して「条件があれば、はっきり提示して欲しい」など繰り返し訴え、カネで片を付けたい本音を丸出しにして来た』  『2年にわたる静岡県との協議が平行線のままであることに業を煮やしたJR東海は国土交通省を巻き込んで、19年10月、国も含む3者協議の場を設けさせた。しかし、仲介役のはずの国の担当者を国交省鉄道局長が務めるなど「静岡県を押し倒す意図が丸見え」(霞ケ関筋)だったため、まったくワークしていない。金子は県の頭越しに大井川流域10市町の首長に面会して同意を取り付ける奇策も探ったが、10市町側にすげなく断られている』  同書によると、川勝知事を始めとする「リニア反対派」の抑え込みに官邸が本腰を入れ始め、「反対派」の情報をもらして叩きつぶすことを画策しているようである。  さてさて物騒なことである。20日に静岡県庁で開かれる川勝知事と大井川流域10市町長との意見交換会は途中から「非公開」となった。リニア問題はすべて「公開」でという川勝知事の要請だが、そうもいかないらしい。昨年10、11月に難波副知事宛に脅迫状が計3通届いた。静岡県のリニア対応に不満を持つ”不審者”が送ったようだ。議論はいいが、脅しや暴力では解決しない。  ただ、非公開の「県知事との意見交換会」だけを見ても一般市民は本当のところが理解できないから、何をやっているのか不満は募る。専門家や行政担当者だけの会議だけでなく、一般市民がわかり、さらに自由な意見交換の場を設けたほうがいい。 ※タイトル写真は1月18日付静岡新聞写真

ニュースの真相

リニア騒動の真相29田辺市長が「闘えない」理由

リニア問題で「批判の嵐」受ける  昨年12月20日、静岡市の田辺信宏市長をインタビューした。雑誌静岡人vol4「JR東海リニア南アルプストンネル計画 なぜ、川勝知事は闘うのか?」特集号の発刊にともない、市長インタビューを申し込んだところ、なかなか日程調整が進まず、再三再四、当局へ要請した。担当者から「リニア問題」絡みではなく、もう一つの特集「川勝vs田辺 静岡市歴史文化施設」に限った質問にしてもらえないかという打診があり、了承した。  特集「川勝vs田辺 静岡市歴史文化施設」。旧青葉小学校跡地に約60億円の事業費で建設される「静岡市歴史文化施設」について、川勝平太知事は「駿府城跡地の遺構が博物館機能を有し、旧青葉小学校跡地に歴史文化施設を建設すれば二重投資になる」として「いったん棚上げすべき」と記者会見で述べるとともに、2度にわたる意見文書を送り、中止を求めたが、田辺市長は建設計画をそのまま進める意向をはっきりと示している。   雑誌静岡人vol4では、新施設の目玉展示が久能山東照宮所蔵の重要文化財「家康所用の歯朶具足」などのレプリカばかりであり、当初の「歴史博物館」構想としてスタートした施設内容と大幅に違っていることを指摘した。さらに、駿府城天守台の発掘による跡地保存、活用などもはっきりとしない現状を踏まえ、川勝知事の意見に従い、いったん中止すべき決断を求めた。今川氏遺構を含めた駿府城跡地整備には多額の費用も掛かるのだから、川勝知事へ費用負担を要請して、静岡県と連携して整備を進めるべきとした。(詳しい内容は雑誌をご覧ください)  一方、「リニア問題」について言えば、川勝知事と同一歩調を取る、大井川流域の8市2町長は、田辺市長の姿勢に厳しい意見を持つ。井川地区と静岡市中心部を結ぶ「140億円」県道トンネル建設を条件に、許可権限を持つ東俣林道使用などの便宜を図るとした静岡市は2018年6月、JR東海と合意書を結んだ。この合意書締結を全く知らされていなかった静岡県、流域市町は、静岡市長の”抜け駆け”に反発、各首長からは県全体の将来を考えていないと批判の嵐が巻き起こった。「政治家の魂を売り、後世まで恥をさらした」という意見まであった。  こんな状況の中で「リニア問題」質問を控えてくれ、という事務方の意向も理解できる。「静岡市歴史文化施設」についても批判的な論調だが、田辺市長がインタビューに応じたのは、政治家の「議」を重んじる姿勢を持つからなのだろう。 「リニア問題」で1つの要望をした  「リニア問題」質問を控えた。その代わりに、田辺市長に「リニア問題」に関して1点だけ要望した。  静岡県とJR東海との議論は、主に南アルプストンネル掘削による下流域の水環境への影響について。破砕帯を有する特殊な山岳トンネルでは、川勝知事も認識するように掘削して初めて分かることが多い。  昨年10月24日、国交省の藤田耕三事務次官、水嶋智鉄道局長が静岡県庁を訪れた際、水嶋局長は「静岡県の対応は、理学的対応に偏っていて問題。工学的対応で、掘削しながら問題が出たら対応するやり方にすべきだ」と注文をつけた。掘削する前にあれこれ議論するよりも、掘削して何か問題が発生したならば、そこで立ち止まって対応すべきというのだ。  この注文に対して、川勝知事は「問題はそういうことではない。安全、安心をどのように確保するのかということ」と回答した。つまり、下流域の水枯れ問題は、もしかしたら、30年以上経過後、遠い将来に起こりうる可能性もある、だから、安全、安心を工事着工前に担保すべき、と知事はいうのだ。両者の議論は全くかみ合わっていない。  国交省の意向は、なるべく早い段階で静岡工区着工こぎつけたい、早期着工を静岡県に要請することであり、一方、静岡県は水環境を「遠い将来」においても担保するようJR東海に求めていく姿勢だ。「遠い将来」に下流域で水枯れが起きたとしても、リニアトンネルによるものか、他に原因があるのか、100キロ以上も離れた下流域の水枯れ発生について、因果関係を明らかにするのは非常に難しい。「遠い将来」の水枯れまでJR東海は担保するわけにはいかない。  そんな状況の中で、将来にわたる水環境の重要性を示すものとして、川勝知事は「南アルプスエコパーク」保全は「リニア南アルプストンネル」着工よりも優先すると、さまざまなメディアインタビューに答えてきた。「南アルプスエコパーク」は水源地の役割を有する自然環境として重要であり、エコパークはリニアにも勝ると知事は考えているのだ。  本当にそうなのか? 世界遺産として水源地の森を守るを提案  リニア南アルプストンネルが建設される地域(エコパーク)を有するのは静岡市、当然、その地域の保全の役割を担う。エコパーク地域を含めて大井川の水源地である森林等を有するのは静岡市、川根本町、100キロ以上離れた下流域の市町は表流水、湧水などでその恩恵を受けている。リニア南アルプストンネルのあるなしに関わらず、水源地をどのように保全するのかは大井川流域全体の重要な問題である。  田辺市長に要望したのは、水源地としての南アルプス保全を静岡市がアピールすることの大切さだった。「エコパーク」とは日本のみの呼称、実際は「ユネスコBR(生物圏保存)地域」。同地域は、地元の経済的利益を図る広大な「移行地域」を抱える。当然、リニアトンネル工事も経済的利益をもたらすのだから、ユネスコはリニア工事を否定しない。リニア工事によるユネスコBR地域の取り消しなど決してあり得ない。「エコパーク」と「リニアトンネル工事」は対立するものではないのだ。  本当に水の大切さを求めた自然環境保全を訴えるならば、BR地域ではなく、世界自然遺産を目指すべきである。雑誌静岡人vol4でも紹介した通り、光岳周辺を中心とした南アルプスの南限地域は、その可能性が高いのだ。流域市町が連携して、特徴的な光岳周辺の原生自然環境保全地域を全面に出して、「水源地」としての森林保全を推進する姿勢こそ重要である。  「水源地」森林を保全する役割を持つことのできる静岡市が、世界遺産運動の旗頭になり、大井川の水を利用する下流域の市町と協力すべきと、田辺市長に要望した。「遠い将来」にわたって水環境の保全を訴え、「水源地」森林を守る静岡市の姿勢をアピールすることで、下流域の市町長から感謝されこそ、批判を受ける筋合いはなくなる。リニア議論の中心「水環境を守る」田辺市長の姿勢に期待したい。 ぜひ、「川勝vs田辺」公開討論会の場を  「静岡市歴史文化施設」についても質問ではなく、1つの要望をしただけである。「ぜひ、川勝知事と公開で討論してほしい」。それだけである。  1982年12月、静岡県が県立美術館建設に際して、発掘調査を行っていた最中、小和田哲男静岡大学助教授(当時)が「駿府城跡地発掘で今川館跡と見られる遺構が見つかった」と独自の記者会見を行った。県立美術館建設は中止され、県立美術館は谷田丘陵に変更された。  当時の発掘を行ったのは静岡県教委であり、発掘よる文化財資料はすべて県埋蔵文化財センターに保管されている。駿府城跡地発掘では、静岡県との関係は深く、ぜひ、静岡市は連携して整備を進めるべきだという主張を雑誌静岡人vol4に掲載した。  「駿府城跡地を巡る公開討論会を行ってほしい」。その要望に対して、田辺市長は「静岡県の発掘のあとに静岡市が独自で発掘を行って、多くのことがわかっている」と説明した。本当なのか?その後の静岡市発掘については、全く知らなかったから、驚いてしまった。  約40年前、小和田氏の発言後に専門家による特別委員会が設けられ、県立美術館建設中止とともに、「さらに精密に調べれば、今川氏との関係がはっきりとする」と意見が付けられた。田辺市長によれば、その後に静岡市が発掘調査を行ったというのだ。  本当にびっくりした。駿府城跡地周辺ではさまざまな発掘調査が行われていることは承知していたが、静岡市が「今川館跡」関連で再び、発掘調査を行ったという事実を知らなかった。それであれば、さらに多くのことが分かっているはずである。  「全く知りませんでした。あとで、担当課に聞いてみます」。「公開討論会」云々以前に静岡市の発掘調査について認識していなかったから、そう答えるしかなかった。 本当に、市長の「勘違い」なのか?  「県教委の発掘調査後に静岡市が独自で発掘調査などしていません」。駿府城跡地の発掘調査担当の歴史文化課長はそう言った。田辺市長は「嘘」をついたのだろうか?  そのあと、田辺市長インタビューに立ち会った秘書課担当者に連絡して、田辺市長が、静岡市による今川氏関連遺構の調査をしたと言ったことは間違いないと確認した。それで、歴史文化課長に問いただすと、「市長の勘違いではないか」と答えた。一体、どうなっているのか?  正月明けに、歴史文化課は「豊臣方の小天守台」発見の記者発表を行った。2018年10月、豊臣秀吉配下の武将中村一氏の天守台石垣が発掘されたという報道があり、話題になった。「家康の駿府城の内側から、豊臣秀吉が築かせた城を発見!」。静岡市の発表は3年前の報道発表に沿って、「秀吉の技術」がなければできない城だった、としている。そのときも違和感を覚えた。  中村一氏は家康が天正時代に築いた最初の駿府城に、家康が江戸へ移った翌年に入城した。一氏は関ヶ原の戦いでは東軍の家康方に加わり、戦場で病死した。駿府在城は11年、翌年息子の一忠は米子城に国替えされ、後任に内藤信成が入っている。5年後に家康は江戸から移り、駿府城を改修、その天守閣は五層七階の大天守閣がそびえ、大天守閣の周囲に櫓や小天守閣を巡らせた環立式とされていた。今回の発掘では、おかしなことに慶長時代の小天守台石垣について発表されていないのだ。  そもそも城郭構造は最高機密の一つであり、秀吉が家康に築城技術を伝授したなどの「事実」があったとは知らなかった。「なぜ、秀吉なのか」という問いに、担当課長は「石垣によってその事実がわかった」という。  12月31日に静岡新聞に、『「秀吉の城」小天守か』という発表前の独自ネタが掲載された。担当課長の話を聞いていて、何よりもマスコミに大きく取り上げられることが至上命題のようで、今回の発表でも「江戸時代より前の城跡で天守が2基並ぶ遺構が発見されたのは全国初」が大きなポイントだった。「秀吉の城」という表現は非常にあいまいでわかりにくい。しかし、発表には必ず「秀吉」がついている。  科学では確率統計論などに基づいて「蓋然性が高い」という判断をする。考古学の世界では(行政の意向に沿った)一部の専門家による意見がまかり通り、検証作業はなおざりだ。雑誌静岡人vol4で紹介した静岡市歴史文化施設建設予定地発掘で「道」発見の報道発表でも同じだった。  科学的な証拠のある「事実」を重んじるのが行政だが、歴史文化課は違うようである。マスコミ受けを狙った底の浅い報道発表を見ていると、田辺市長はいつも「勘違い」ばかりしてしまうだろう。「市長の勘違い」で済ませられる世界は、本当に恐ろしい。田辺市長が「闘う」ことなど到底できるはずもない。  田辺市長は「闘う」ために、雑誌静岡人vol4をじっくりと読んでほしい。担当の歴史文化課長は、駿府城跡地整備で静岡県との連携を望んでいると言っていたのだから。

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リニア騒動の真相28 「宿題」が2つ残っている

「宿題」の1つー川勝知事「2つの要請」  暮れも押し詰まった2019年12月25日、静岡県の難波喬司副知事は東京・霞が関の国交省を訪れ、江口秀二審議官に面会した。難波副知事の目的は江口審議官に、水嶋智鉄道局長宛の文書を手渡すことだけだった。国交省の提案した新たな会議体設立について、「リニア中央新幹線静岡工区の進め方について」という標題で静岡県の求める条件が記された文書である。求める条件とは、川勝平太知事の「2つの要請」である。  1つ目の要請は、「国交省のほか、環境省や農林水産省など、水資源、自然環境に関連するすべての省庁の参画をすること」。  2つ目が、「国交省として、これまでの静岡県とJR東海との対話の内容について評価すること」。  10月24日、国交省の藤田耕三事務次官が静岡県庁を訪れた際、川勝知事は口頭で「国は、自ら現場を調査して考えをまとめることが必要、静岡県の中間意見書、JR東海からの回答に対する見解を文書で示してほしい」と要請した。これが、「対話の評価」である。  11月6日の定例記者会見で、川勝知事は突如として「鉄道局だけでは仕事の整理ができない。(国交省)河川局、環境省、農水省が加わった上で国が関与すべき」と「他省庁の参画」を断固として求めた。難波副知事の持参した文書は、知事の「2つの要請」を正式なかたちにして、国交省へ提出したのである。  だから、「2つの要請」を国交省はすでに十分すぎるほど承知している。国交省が何らかの回答をするものと静岡県は待っていたが、1カ月以上過ぎても返事はなかった。  そんな中、水嶋局長は静岡新聞インタビュー(12月15日付)で、1つ目の要請「他省庁の関与」は「交通整理の場に、制度上接点がないメンバーを入れる意味は理解しかねる」と否定、2つ目の要請「対話の評価」は「国は環境アセスメントや着工認可で政策判断を終えている。判断するのは県」などと拒否、「2つの要請」に応じかねることをはっきりと表明している。多分、事務レベルでは鉄道局の意向は静岡県に伝えられていたはずである。  それがなぜ、暮れも押し詰まった時期になって、静岡県は「2つの要請」を再度、持ち出したのか?そもそも「行政の常識」から見れば、水嶋局長の主張の通りであり、旧運輸官僚の難波副知事は頭では理解していたのだろう。しかし、川勝知事の要請は、流域市町村長の賛同を得ているから、静岡県のメンツが掛かっている。静岡県のメンツを立てるため、難波副知事はわざわざ東京まで出向き、要請文書を手渡すだけという単なる「お使い」の役割を果たした。つまり、静岡県の要請に答えなければ、協議が進まないことを国交省に伝えたのである。  2019年からの「宿題」である「2つの要請」に国交省はこたえなければならないのか? 2つ目の「宿題」は「リーク」の説明  2019年からの「宿題」はこれだけではない。  2つ目の「宿題」のほうを国交省は忘れてはいないだろう。新たな「会議体」の枠組みを話し合う国交省、静岡県、JR東海との三者による協議が10月31日に国交省で予定されていたが、枠組み合意の話し合いは全く行われなかった。静岡県の「リーク」(情報漏れ)が原因だった。  31日に行われた話し合いの記録が公文書の情報開示手続きによって明らかになった。一体、どのような話し合いだったのか?(※この議事録は静岡県側が作成したものであり、録音などの記録媒体をすべて詳らかにしたものではない)  (水嶋鉄道局長) 本日(31日)は、2回目の合意文書を作成する場であったが、非常に心外であったのは昨日(30日)の静岡第一テレビの報道。  誰がしゃべったんだ。これをやったのは。副知事なのか。局長なのか。合意文書案は、事務的調整段階であり、次官も局長も案を見ていない段階のものである。何でこんなことになるのか。こんな文言案は、自分は見ていない。  声を荒げて申し訳なかった、こういう話は信頼関係がないと、成り立たない。国が調整役として前へ進めようとしているときに、国が地元を軽視しているみたいな世論操作をなぜするんだ。この第2ステージをぶち壊そうとしているのか。  この内容は県がリークしたものとしか考えられない。何の意図があって県はこれをリークしたのか。リークした人物は誰か。知事が国の調整を期待すると言っているのに、リークは調整を壊したくてやっているのか。調整は、相互信頼関係が大事だ。なぜ、その信頼関係を損なうリークを県は行うのか。  誰がリークを行ったのか特定してもらいたい。それを踏まえて、今後、県はどういう情報管理を行うつもりか明確にしてもらいたい。  (難波副知事) しっかりと調査する。  静岡第一テレビの「スクープ」がなぜ、国交省へ深刻な影響を与えたのか、水嶋局長がなぜ、激怒したのか理由は以下の通りである。  (江口技術審議官) 静岡第一テレビの報道を見ると、次官の知事訪問の映像の後に、事実に反する内容で調整過程が示されているが、これでは「次官が地元を軽視した内容で、調整を行っている」ようにとられてしまう。  つまり、藤田事務次官が地元軽視を指示したような印象を与え、静岡第一テレビの報道は国交省全体の姿勢にとられてしまうことが逆鱗に触れたのだ。「事務的調整段階」であり「事実に反する調整段階」案だったから、水嶋局長、江口審議官が大問題とし、難波副知事は「(リークを)しっかりと調査する」と明言、静岡県側の議事録に記された。  しかし、2カ月以上たっても、静岡県は「しっかりとした調査」の結果を回答していない。もし、10月30日の「リーク」がなかったならば、3者による新たな会議体の話し合いは進み、会議体は11月中に立ち上がっていたはず。静岡県の「リーク」で水嶋局長は難波副知事らを激怒、その報告を受けた川勝知事は水嶋局長の対応に一気に硬化した姿勢を見せた。「鉄道局だけでは仕事の整理ができない。環境省、農水省、河川局などの関与を求める」という「他省庁の参画」発言につながった。  川勝知事が「他省庁の参画」を求めるもともとの原因は、静岡県側の「リーク」にあった。とすると、静岡県からの要請文書はブーメランのように静岡県に戻ってきてもおかしくない。  「2つの要請」文書を受け取った水嶋局長は、逆に「10月30日のリークについて静岡県はしっかりとした調査の経緯を含めて、リークした人物名を明らかにして、その理由等を説明してもらいたい」などの要請文書を難波副知事宛に提出することができる。本当に「調整案」だったかは別にして、「しっかりと調査する」と述べたことは非常に重い。 「他省庁の参画」「対話の評価」は必要か?  そもそも静岡県の求める「他省庁の参画」と「対話の評価」は本当に必要かは大いに疑問だ。  難波副知事が水嶋局長に提出した要請文書では、「他省庁の参画」は「複数の市町長が環境省、農水省が新たな枠組みに加わってほしいという要望があった」、「対話の評価」は「地質構造・水資源専門部会長から国交省の評価をもらいたいという意見があった」などを理由に挙げているが、十分な説得力に欠ける。  環境省は環境影響評価書提出前であれば、当然、自ら積極的に会議体に参画することを求めるだろう。すでに環境省の意見を踏まえた上で、国は事業認可をしているのである。今更、環境省が何らかの意見を言える立場ではなく、南アルプス国立公園を保全する役割から単にオブザーバーとして席を温めるにすぎない。農水省の参画はもっと理解し難い。水源地の森林を保全する役割を林野庁は持つが、森林整備は林野庁と連携、静岡県が主体となって取り組むことのほうが多い。言うならば、静岡県自身の問題である。  何らかの権限を持たずに議論に参画しても、各省庁が本来の役割を果たすことができないことを難波副知事は承知しているはずである。川勝知事は県民向けに環境省や農水省などの名前を出し、小泉進次郎環境大臣らに面会、参画を要請することもできるだろうが、一体、環境省、農水省にどんな実務的な役割、機能を求めるのか、はっきりとしない。  国交省内部はどうか。鉄道局の問題であり、河川局は積極的に参画していない。大井川の管理等で言えば、他省庁よりも河川局のほうがさまざまな権限、予算を有している。それでも河川局は鉄道局の問題だとして口を差しはさむことはしない。 静岡県は「リーク」問題を説明すべきだが  今回、面談記録の公文書を情報開示して、川勝知事への私信(焼津市の酒造会社社長=名前等は伏せられていた)、「リニア中央新幹線には避難機能が欠けている」と題した静岡県立大学特任助教の小論文(いずれも写し)が、10月24日の藤田事務次官との面談記録の参考文書として添付されていた。  特にびっくりしたのは、台風19号による東俣林道で沼平ゲートから4・2キロ地点の約150㍍の崩落現場写真だった。静岡市が提供したのは3・8キロ地点の路肩決壊個所だけで、4・2キロ地点の崩落現場写真で台風被害がいかにひどい状況だったか、初めて分かった。  なぜ、静岡市は最もひどい崩落現場写真を提供しなかったのか?(※タイトル写真と左の写真が情報公開で提供。すっぽりと道が消えてしまった崩壊現場で、完全復旧が2021年3月頃の理由がよく分かる。河川内の仮道路の様子は不明、現地への立ち入りが禁止されて新聞、テレビの報道はされない)  2019年からの「宿題」に、行政が情報をちゃんと出さないことがある。行政は多くのことを隠したがるから仕方ないかもしれない。しかし、「リニア問題」に限って言えば、川勝知事はすべてを公開した上で議論すると言っている。そうであるならば、まずは、10月30日の静岡第一テレビへの「リーク」は静岡県側が行ったものかどうかの調査結果、そして、もし、静岡県の「リーク」であれば、「リーク」した人物は誰か、その経緯、理由を含めて正々堂々と公表すべきである。そうでなければ、川勝知事のすべてを公開して議論する「発言」の信ぴょう性に疑問符が付くことになる。  2019年からの「宿題」が2つ残っている。2つの「宿題」の答えを出すには、「無理」を通さなければならない。「無理」を通せば、「本音」がはっきりと見える。ぜひ、2つの「宿題」をテーマに公開討論会を行うべきである。それで、鉄道局のスタンスもはっきりとするだろう。そして、解決の糸口が見えてくるはずである。