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「文化力の拠点」は”スタンフォード式”で

「文化力の拠点」施設とは何か?  川勝平太・静岡県知事は記者会見で、計画策定中の「文化力の拠点」施設についていまのところ、県立中央図書館移転以外の具体的な中身が決まっていないことを明らかにした。  静岡県の資料によると、JR東静岡駅南口県有地約2・43ヘクタールに静岡県の高い文化力を発信する施設を整備、全館移転の県立中央図書館を中心に、民間活力を最大限に生かしたにぎわいや交流の場所にするとある。図書館以外には、多目的情報発信スペース、大学コンソーシアムの拠点、駐車場、食・茶・花の魅力発信施設。そして「拠点の価値向上に資する民間提案機能」と書かれている。  「静岡県の高い文化力を国内外に発信し人々を引き付ける拠点」。キャッチフレーズからは、はっきりとしたイメージは浮かばない。早速、現地に行ってみた。当然、何もない。駅前からよく見えてくる大きな建物は宇宙船をイメージした建物だ。何も言わなければ、外国人観光客もその不思議な建物に入っていくだろう。これが「日本の文化」パチンコだと、店内に入って驚くだろう。  そこに「文化力の拠点」を持ってくるのだ。「国内外に発信する」にはよほどの「文化力」を持たなければならない。「文化力」とは何か? 県立美術館「ロダン館」はがらがらだ  先日、無料情報誌の広告を見て、静岡県立美術館の「ロダンウィーク2018」に出掛けた。ロダン館は4日間のみ入場無料だ。久しぶりにロダン館へ入ってみた。午後1時ころだったが、監視員の女性が椅子に座っているだけで入館者は1人もいなかった。  正面にある「地獄の門」をたっぷりと堪能した。しかし、心の片隅で入場無料なのに、なぜ、だれも鑑賞にこないのか、そればかり気になった。  ロダンウィークにちなんだ特別音楽が流れていた。わたし以外に誰もいないのだから、ちょっと音楽はやめてもらえるよう監視員に話した。監視員が学芸員に連絡する。答えは30分過ぎれば、音楽は止まるので我慢してほしい、という。配布パンフレットには「オマージュ・ア・ロダン」という創作音楽とある。ただ、その音楽の流れている30分間わたし以外だれもいないかった。  ロダンを「オマージュ(讃える)」?ばかにもったいぶった名前はついていたが、わたしにはとても気に障る雑音だった。こんな音楽を好む人たちのために流すならば、なぜ、多くの音楽ファンが訪れないのか不思議だった。 アメリカの美術館との違い  ことしアメリカにある2つの美術館で、ロダン彫刻を数多く見る機会があった。ニューヨークのブルックリン美術館とシリコンバレーのスタンフォード大学。  ブルックリンでは、知り合いになったブラジルの陽気な女性とグアテマラの若い男性と一緒だった。ロダン彫刻の横でポーズを取ったり、顔の表情をまねたり、すぐ横で大笑いをしながらそれぞれの個性的な彫刻と一緒に写真を撮りながら、所狭しと並べられた彫刻を楽しんだ。固い音楽ではなく、笑い声によるセッションがさまざまな表情のロダン彫刻に似合う。日本のように監視員が「静かにするよう」注意することもなかった。  スタンフォード大学は特別の場所だ。さまざまな国の人たちが訪れていた。特に中国人が目立った。「カレーの市民」は中庭にあり、建物とマッチしていた。県立美術館ロダン館とほぼ同じ規模のコレクションを誇っている。美術館内にある「考える人」は上から鑑賞するという趣向で、初めて「考える人」の頭頂部(脳の部分)を見ることができた。「考える人」の周囲に長椅子が置かれ、そこで「考える」ことを勧めているようだった。  ロダン彫刻は世界中の人たちに愛されている。ロダンと言って、知らない人はだれもない。静岡県が標榜する「高い文化力」とはまさに、ロダン彫刻を指すのかもしれない。  それなのに、県立美術館ロダン館はひっそりとして、だれもいなかった。静岡県を訪れる外国人観光客には見向きもされない。だれも聞かない音楽をなぜ、流しているのか?スタンフォードでも「考える」場所に音楽はなかった。そこにアメリカの美術館との違いが見えてくる。 25周年「ロダン館」の使命とは?  1991年県立美術館は開館3周年を記念して、「カレーの市民」6体を初めて購入した。そして、スタンフォード大学に続き、世界で6番目の鋳造となる「地獄の門」を目玉にロダン館が94年4月にオープンした。来年は開館25周年を迎える。  約30年前、東京・上野の国立西洋美術館前庭に置かれたロダン彫刻が酸性雨の影響で緑青汚染が大きな問題になっていた。そのため、県立美術館ロダン館は風雨の影響を受けることがないように、ラグビーボール状半楕円形屋根の建物内に展示された。開館あいさつで当時の知事は「国際的なロダン研究の拠点となる」と胸を張った。新聞等は「東洋一のロダン館」の賛辞を寄せた。  そして、25年間が経過した。ロダン研究の使命は果たされてきたのか?「東洋一のロダン館」の賛辞を受けたあと、アジアからの観光客は訪れたのか?今回のロダンウィーク企画を見れば、そんなことを考えた学芸員はいないのだろう。 「ロダン館」を一新すべきだ  スタンフォード大学では「地獄の門」も「カレーの市民」も屋外に展示されている。環境への意識の高いカリフォルニアでは、酸性雨の影響を受けることなく、鋳造された当時のブロンズの輝きを保ち、多くの観光客に親しまれていた。  それに比べて、県立美術館「ロダン館」彫刻はあまりにももったいない。「考える人」は隅に置かれてスタンフォードのような”主役”を張っていない。単に置いてあるにすぎない。  そもそも25年前、ロダン研究を託されたオープン時の学芸員は県立美術館には一人もいない。川勝知事が就任して、最初の「事業仕分け」で県立美術館も仕分けの対象となった。その仕分けを傍聴したが、その当時の学芸部長、学芸員さえいない。過去のコンセプトを覚えている人はだれもいなくなった。だからこそ、そろそろ「ロダン館」をもっと魅力あるものに変えていいはずだ。  開館25年を契機に、「ロダン館」を一新すべきだ。 スタンフォード式授業の場所に  「文化力の拠点」機能に「大学コンソーシアムの拠点」とある。それならば、スタンフォード大学との連携を図ればいい。日本だけでなく、中国、韓国をはじめアジアの学生たちもスタンフォードへの留学は大きな希望だ。東静岡駅にスタンフォードと連携した「大学コンソーシアム」が開設されれば、県内の学生だけでなく、多くの留学生はここを訪れるはずだ。  昨年9月に出版された「ライフデザイン スタンフォード式最高の人生設計」(ビル・バーネット&デイブ・エヴァンス著、早川書房)では、2人の教授による、デザイン思考で人生を変える画期的な方法を学ぶ人気授業を紹介している。スタンフォードと同様に「自分の好きな仕事、愛せる仕事を見つけたい」「豊かな暮らしを送るキャリアを築きたい」高校生、大学生、社会人らに、「文化力の拠点」施設でスタンフォード式授業を受けてもらおう。  そして、デザイン思考の孤高の天才、「考える人」はスタンフォード同様に「文化力の拠点」にふさわしいシンボルになるだろう。スタンフォード式授業のために、「考える人」は何よりも必要だ。いくつかのユニークなロダン作品も一緒に展示していい。そうすれば、「東洋一のロダン館」へも行き、「地獄の門」を見る人ばかりになる。当然、無料だ。  芳賀徹・前県立美術館館長は「文化の拠点」施設と県立美術館をロープウエーで結ぶ構想を提案した。これこそ「デザイン思考」の提案だが、まずはあまりお金を掛けないようスタンフォード式授業と結びつく「考える人」などの展示を行うくらいでどうか。「考える人」の展示で「文化力の拠点」施設が、スタンフォード式授業を実践する場所になる。これならば、国内外に発信できる施設になるはずだ。  「拠点の価値向上に資する提案」にぜひ、採用してもらいたい。

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「大御所石垣公開プロジェクト」を目指せ!

駿府城再建運動盛り上がる  1991年駿府城再建を求める市民運動がスタートした。94年には小島善吉元県議が静岡市長選挙で「駿府城天守閣の早期建設」を公約にして、当選した。家康の死後に描かれた駿府城絵図を基に駿府城天守閣再建を求める運動は大いに盛り上がったが、肝心の設計図が発見されないことなどから、2010年「駿府城天守閣建設可能性検討委員会」(会長・志田直正静岡英和学院大副学長、副会長・小和田哲男静岡大名誉教授、委員・徳川恒孝徳川宗家18代ほか)は「現時点では再建すべきではない」との答申を市に提出した。  さて、今回の駿府城跡天守台発掘で「日本一の規模である天守台」が発見された。家康時代を語る証拠の石垣によって、駿府城再建運動の風向きは変わるのだろうか。(詳しい記事は「現場へ行く 駿府城天守台は”日本一” なぜ、国の史跡ではないのか?」) 大阪の「豊臣石垣公開プロジェクト」  大阪市の進める「豊臣石垣公開プロジェクト」をご存じだろうか?左の写真はプロジェクト推進パンフレットである。  豊臣秀吉が築いた大坂城は大坂夏の陣(1615年)で落城後、徳川幕府によって“豊臣大坂城”を覆い隠すように“徳川大坂城”が築かれた。  1959年秀吉の築いた大坂城が現在の大阪城(1931年再建)の地下に眠っていることが明らかになった。地下約9㍍に秀吉時代の野面積みの石垣が発見されたのだ。太閤贔屓の関西人は大喜び。しかし、“世紀の大発見”と呼ばれた石垣は調査が終わると、保存のために埋め戻されてしまった。 “世紀の大発見”を見たい!  太閤さんによる“ほんまもんの大坂城”を見学できる施設をという熱い願いを関西人は持ち続けていた。その願いに押され、「豊臣石垣公開プロジェクト」が2013年大きな期待を集めてスタートした。埋め戻された石垣をもう一度、発掘調査して、“世紀の大発見”にふさわしい展示施設建設を決めた。地上階をガイダンスルーム、地下に石垣展示ホールをつくる計画だ。  2015年「大阪夏の陣4百年天下一祭」開催に合わせて大阪城をおとずれたときには、予備的な発掘調査が行われていた。「太閤なにわの夢募金」が「ふるさと寄付金制度」の適用を受け、5億円を目標に始まっていた。2018年7月時点で約2億3千万円の募金が集まり、いよいよ、地下約9㍍への本格的な発掘調査も本年度末までに始まり、2021年3月をめどに施設完成を目指していく。 駿府城をよみがえらせたい  大坂城の”20世紀の大発見”と同様に、“21世紀の大発見”駿府城の「日本一の天守台石垣」は、現在のところ風雨などの影響を受けないよう埋め戻される可能性が高い。ことしは野面積みの中村一氏の天守台、金箔屋根瓦など多数の新発見があり、来年度の発掘調査でも、さらなる貴重な資料が見つかる可能性も高い。  それを見越して、大御所ゆかりの静岡市は太閤さんに負けないよう、「大御所石垣公開プロジェクト」をスタートすべきではないか。こちらは何しろ、「日本一」であるから、大坂城石垣展示ホールなど比べものにならない規模になる。設計図のない駿府城天守閣再建と違い、文化庁は支援するだろうし、天守台石垣は国特別史跡指定も確実だ。  1996年再建運動を進めるメンバーが作成した「駿府城物語」編集後記に、世話人代表が「いくらどんな絵図があっても、それが文書のなかに留まっているかぎり、人々は時間の経過とともに駿府城の存在を忘れてしまう。静岡に住む者として、かつて確かにあったように駿府城をよみがえらせなければならない」と書いていた。  今回の発掘によって、まさに、いま”かつて確かにあった駿府城”がよみがえったのではないか。わたしは現代版天守閣再建を目指すための「天守台」復元よりも、発見された4百年前の天守台石垣こそが貴重だと考える。  観光客は家康時代の“本物”を見るために訪れるはずだ。ぜひ、発掘調査での新発見を基に、「大御所石垣公開プロジェクト」議論がスタートすることを大いに期待したい。

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日本平夢テラス 「稼ぐ」ことを意識せよ!

富士山の眺望が売り物  静岡県と静岡市が整備した日本平山頂シンボル施設「日本平夢テラス」(静岡市清水区草薙)に出掛けた。法隆寺夢殿を模した八角形3階建て展望施設は1階展示エリア、2階喫茶ラウンジ、3階展望フロア、大型モニターによる富士山映像、約2百㍍の展望回廊デッキがあり、入場は無料だ。    整備費用は約17億円で年間約30万人の入場客を見込んでいる。芝生庭園の東側に建立されている梅原猛氏「国土は富士なり」、中曽根康弘氏「富士山」の2つの石碑が展望施設のコンセプトを語っている。「富士山の眺望を世界にアピールしたい」。川勝平太知事の思いが詰まった施設である。日本平夢テラスからの富士山眺望は絶景であるが、年間を通して富士山を眺望できるのは150日程度である。せっかく富士山の眺望を期待して、日本平夢テラスを訪れてもがっかりする場合も多いだろう。 「まずすべきことが山ほどある」  小西美術工芸社のデービッド・アトキンソン社長はビジネス書のベストセラー「新・観光立国論」(東洋経済新報社)の中で「静岡県は2015年になってから、日本平に記念碑を建てるなどして眺望のよさを世界中にアピールしていますが、それよりもまずすべきことが山ほどあるのではないでしょうか」と厳しい意見を述べていた。  せっかくの観光資源を持ちながら「多様性」という発想がないばかりに、その魅力を引き出すことができず、外国人観光客も多く訪れていない。そんな観光資源の代表が「富士山」だ、とアトキンソン社長は指摘する。「多様性」という視点で、観光コンテンツを一つひとつ考え、戦略的に「観光立国」にしていくための整備をすべきだというのだ。  外国人観光客の関心が高い「日本文化の体験」や「神社仏閣という歴史的資産」をしっかりと整備、日本人が守ってきた「文化財」を整備することが重要だというのが、アトキンソン社長の持論だった。 説明にある「本物」を見たいが?  翻って、日本平夢テラスを見てみよう。1階は「日本平」の歴史などを紹介するコーナーだ。日本平の地形の成り立ちをプロジェクションマッピング(立体物をスクリーンとして映像で見せる技法)で紹介、日本語のナレーションの他に英語、韓国語、中国語の表示があったので押してみると、音声が替わるのではなく、映画のサブタイトルのようにそれぞれの言語の翻訳が表示されるだけだった。外国人観光客には期待外れだろう。  厳島神社の平家納経とともに平安後期を代表する装飾経・国宝久能寺経(清水区の鉄舟寺蔵)のていねいな紹介があり、その美しい画像と素晴らしい説明を読めば、多くの観光客はぜひ、本物を見たいと考えるだろう。ところが、久能寺経は現在、東京国立博物館に預託され、鉄舟寺に展示されていない。 既存施設への影響は?  2015年12月、日本平までのアクセス等の社会資本整備が遅れているため、日本平展望施設の完成によってこれまで久能山東照宮、日本平ホテル等へ訪れていた観光客が、新施設等を巡回することで時間的制約から既存観光施設への訪問客の大幅な減少が予想され、危機的な状況に陥る可能性を指摘、既存施設への影響等ないことを要望した。静岡県担当課は、既存観光施設への影響はほとんどないと断言していた。当然、当時の担当者はすべて入れ替わっている。  このため中途半端な施設になってしまったのか?施設そのものは民間の指定管理者に委託する。つまり、税金で運営されていく。アトキンソン社長は日本の観光地(文化財)はもっと「稼ぐ」ことを意識せよ、と言っていた。富士山の眺望にお金を支払うことはないのだろうが、日本平は「名勝」というれっきとした指定文化財である。「多様性」を持たせて整備していき、ぜひ、多くの外国人観光客に訪れてもらうとともに、「稼ぐ」ことのできる観光地にすべきだ。  2015年6月に開かれた「日本平山頂シンボル施設基本構想策定委員会」で、委員の一人が「日本のシンボル富士山にふさわしい日本一の施設にすべきだ」と発言していた。その議論を聞きながら、芭蕉の俳句「霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き」が頭に浮かんだ。富士山の眺望がなかったとしても、日本平夢テラスは「面白き」時間を過ごせる「日本一」の展望台になったのだろうか?

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駿府城天守台は”日本一” なぜ、国の史跡ではないの?

「秀吉の天守台」発見の意味は?  静岡市の駿府城公園で調査が進む家康大御所時代の駿府城天守台発掘現場へ行った。そこで配布された資料に『秀吉の天守台』と書かれていた。秀吉が駿府城を築城した事実はない。この意味は、中井均・滋賀県立大学教授コメントの「天正18年(1590)に豊臣秀吉によって駿府に入れおかれた中村一氏(かずうじ)が秀吉の支援を受けて築いたものであることは間違いない」によっているらしい。どう考えても、『秀吉の天守台』という表現は正確ではない。  1590年秀吉は小田原の北条を攻めて滅亡させ、家康は関東8カ国、近江・伊勢などの支配に配置替えにされる。8月家康は江戸城に入る。それに伴い、秀吉の重臣中村一氏が駿府17万5千石の大名となる。その後、1600年一氏の子、中村忠一(ただかず)は駿府より伯耆米子17万5千石に移る。1601年駿府城に内藤信成が入り、4万石大名となった。  秀吉に比べて、中村一氏の知名度が低いとはいえ、17万5千石の立派な大名であり、静岡市が作成した資料の『(秀吉の)子飼いの部下』や『秀吉の天守台』という表現は、中村一氏に少し失礼ではないか。  今回発掘の新発見は、中村一氏時代の駿府城天守台跡、そこに使われた「大量の金箔瓦」(約330点)だそうだが、金箔瓦の展示はなかった。ことし2月に報道された「日本一の大きさ」の天守台が気になっていて、今回はまず、家康時代の天守台跡を確認して紹介したい。 国指定の史跡として活用を  駿府城天守台発掘調査寄付金募集のパンフレットに「江戸城よりデカいかも?」というキャッチコピーが踊っていた。駿府城天守台は約68㍍×約61㍍あることが発掘調査でわかり、約45㍍×約41㍍の江戸城天守台より「デカい」ことがわかり、静岡市では「日本一」とPRしている。  駿府城再建を求める市民運動の声に押され、3年前、田辺信宏市長は天守台発掘調査事業をスタートさせた。発掘現場見学会で、テレビインタビューに男子小学生が「こんなすごいものがすぐ近くにあってびっくりした」と自慢げに答えていた。さまざまな新発見が続き、市民の関心は高くなり、駿府城史跡の歴史的意義は大きくなっている。  「日本一」について、「昭和6年(1931)大阪市民らによって建設された大阪城の下に埋まっている秀吉、秀頼時代の大坂城はもっと大きかった可能性もあるのでは?」と市担当者に質問した。担当者は「日本一」の定義を、「現在わかっている範囲で”日本一”」と訂正してくれた。  すばらしい発掘の成果にけちをつけるようで申し訳ないが、歴史事実は非常に難しい。ノーベル賞を受賞した本庶佑氏も「教科書にあることを頭から信じない」と述べた。教科書だからと言って鵜呑みにすることの危険性を述べたのだろう。ものごととは多角的な方向から検証すると、一つの事実だけでなく、さまざまな方向から違う“事実”が見えてくる。ときには、正反対の事実もある。  静岡市民にはいろいろな意見を持つ人がいる。駿府城天守台跡発掘によって、駿府城公園をどのように活用していくのか課題になるが、市民の誇れる場所として全国へ発信してほしい。現在の都市公園ではなく、”国宝”と同じ意味を持つ国史跡文化財とすべきではないか。一長一短があり、まさに議論がわかれるところだが、”日本一”の天守台を見るために全国から多くの観光客らが詰め掛ける場所にしてほしい。  

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震度6強で倒壊 静岡街中の「危ないビル」とは?

いつ起きてもおかしくない東海地震  ことしは大地震や台風の当たり年だ。静岡県は昔から「東海地震」がいつ起きてもおか しくない、と言われてきた。東海地震説から40年以上もたっているから、本当にいつ起 きても不思議ではないかもしれない。  そんな不気味な雰囲気の中で、静岡市は「要緊急安全確認大規模建築物の耐震診断結果」 による「倒壊する危険性の高い(Ⅰ)」建物を発表した。言うなれば、「危ないビル」とい うわけだ。静岡の街中にあるリスクの高いビルとは? 震度6強程度の地震が起きたとき、倒れてしまう恐れのあるのは「静活ボウリングビル」 (静岡市葵区七間町4-3)だと発表した。 来年から解体工事がスタート  久しぶりに静活ボウルにちょっと、見にいってみた。七間町通りの入り口は自転車がびっしり。3階 に名前の由来となっているボウリングセンターがあった。高校生グループ、家族連れなど でにぎわい、ボウリングを楽しんでいた。2階のゲームセンターにも子供たちや親子づれ が目立った。1階の表通りにはゲームセンターで子どもたちがバーチャル運転を楽しむ、 奥に入ると、1玉1円のパチンコとこちらは高齢者から若い人まで大勢が真剣な表情で楽 しんでいた。  この耐震診断は、1981年以前の旧耐震基準に適合しない3階建て以上の施設が対象。 「静活ボウリングビル」は1970年に建設されたから、2年後に創業50年を迎える。  静岡市の発表では、 2019年8月頃、解体して建て替え工事に入る予定と言うことだが、さて、次はどんな施設になるのか?ただし、それまでは十分注意してほしい!