「大御所石垣公開プロジェクト」を目指せ!

駿府城再建運動盛り上がる

 1991年駿府城再建を求める市民運動がスタートした。94年には小島善吉元県議が静岡市長選挙で「駿府城天守閣の早期建設」を公約にして、当選した。家康の死後に描かれた駿府城絵図を基に駿府城天守閣再建を求める運動は大いに盛り上がったが、肝心の設計図が発見されないことなどから、2010年「駿府城天守閣建設可能性検討委員会」(会長・志田直正静岡英和学院大副学長、副会長・小和田哲男静岡大名誉教授、委員・徳川恒孝徳川宗家18代ほか)は「現時点では再建すべきではない」との答申を市に提出した。

 さて、今回の駿府城跡天守台発掘で「日本一の規模である天守台」が発見された。家康時代を語る証拠の石垣によって、駿府城再建運動の風向きは変わるのだろうか。(詳しい記事は「現場へ行く 駿府城天守台は”日本一” なぜ、国の史跡ではないのか?」)

大阪の「豊臣石垣公開プロジェクト」

豊臣石垣公開プロジェクトのパンフレット

 大阪市の進める「豊臣石垣公開プロジェクト」をご存じだろうか?左の写真はプロジェクト推進パンフレットである。

 豊臣秀吉が築いた大坂城は大坂夏の陣(1615年)で落城後、徳川幕府によって“豊臣大坂城”を覆い隠すように“徳川大坂城”が築かれた。

 1959年秀吉の築いた大坂城が現在の大阪城(1931年再建)の地下に眠っていることが明らかになった。地下約9㍍に秀吉時代の野面積みの石垣が発見されたのだ。太閤贔屓の関西人は大喜び。しかし、“世紀の大発見”と呼ばれた石垣は調査が終わると、保存のために埋め戻されてしまった。

“世紀の大発見”を見たい!

 太閤さんによる“ほんまもんの大坂城”を見学できる施設をという熱い願いを関西人は持ち続けていた。その願いに押され、「豊臣石垣公開プロジェクト」が2013年大きな期待を集めてスタートした。埋め戻された石垣をもう一度、発掘調査して、“世紀の大発見”にふさわしい展示施設建設を決めた。地上階をガイダンスルーム、地下に石垣展示ホールをつくる計画だ。

大阪城金蔵横での発掘調査

 2015年「大阪夏の陣4百年天下一祭」開催に合わせて大阪城をおとずれたときには、予備的な発掘調査が行われていた。「太閤なにわの夢募金」が「ふるさと寄付金制度」の適用を受け、5億円を目標に始まっていた。2018年7月時点で約2億3千万円の募金が集まり、いよいよ、地下約9㍍への本格的な発掘調査も本年度末までに始まり、2021年3月をめどに施設完成を目指していく。

駿府城をよみがえらせたい

中村一氏の天守台跡

 大坂城の”20世紀の大発見”と同様に、“21世紀の大発見”駿府城の「日本一の天守台石垣」は、現在のところ風雨などの影響を受けないよう埋め戻される可能性が高い。ことしは野面積みの中村一氏の天守台、金箔屋根瓦など多数の新発見があり、来年度の発掘調査でも、さらなる貴重な資料が見つかる可能性も高い。

 それを見越して、大御所ゆかりの静岡市は太閤さんに負けないよう、「大御所石垣公開プロジェクト」をスタートすべきではないか。こちらは何しろ、「日本一」であるから、大坂城石垣展示ホールなど比べものにならない規模になる。設計図のない駿府城天守閣再建と違い、文化庁は支援するだろうし、天守台石垣は国特別史跡指定も確実だ。

 1996年再建運動を進めるメンバーが作成した「駿府城物語」編集後記に、世話人代表が「いくらどんな絵図があっても、それが文書のなかに留まっているかぎり、人々は時間の経過とともに駿府城の存在を忘れてしまう。静岡に住む者として、かつて確かにあったように駿府城をよみがえらせなければならない」と書いていた。

 今回の発掘によって、まさに、いま”かつて確かにあった駿府城”がよみがえったのではないか。わたしは現代版天守閣再建を目指すための「天守台」復元よりも、発見された4百年前の天守台石垣こそが貴重だと考える。

 観光客は家康時代の“本物”を見るために訪れるはずだ。ぜひ、発掘調査での新発見を基に、「大御所石垣公開プロジェクト」議論がスタートすることを大いに期待したい。

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