そうだ京都、”名物”食べるなら、今だ!

「かば焼き」ではない料理。鰻鍋、鰻雑炊とは?

 今回の旅行は京都の「名物」を食すことである。わらじやの鰻雑炊、平野家のいもぼう、いずうの鯖ずし、大市のすっぽんなど京都の伝統的な名物料理は数多く、さらに、新しくお目見えした料理店がどんどん「名物の卵」を誕生させている。

 20代のとき、初めて「わらじや」(京都市東山区)ののれんをくぐり、「鰻鍋(うなべ)」と「鰻雑炊(うぞうすい)」を食べたときの感動を忘れられない。静岡人にはうなぎ料理と言えば、かば焼きと決まっていた。静岡人だけでなく、鰻と言って、かば焼き以外を想像できる日本人は少ないだろう。

 これまでに 吾に食われし 鰻らは 仏となりて かがよふらむか

 歌人の斎藤茂吉は「自分は鰻好きでこれまでずいぶん食べた。自分のは必ずしも高級上品を要求しない。鰻でさえあれば、どんなものでもよい」(「作歌四十年」筑摩叢書)と書き、鰻に関係した数多くの歌をつくった。紹介した歌では、これまでに食べた鰻たちは仏様になり自分を守ってくれていると(都合よく)感謝している。当然、茂吉の食べた鰻は活鰻のかば焼きである。ぷーんと香るあの匂い、何と言っても、鰻はかば焼きに限るのだ。

わらじやの名物「鰻雑炊」

 ぐつぐつと煮えた円い土鍋のスープに春雨、ネギ、フ、そこに筒切りのこんがり焼かれた鰻が入る「鰻鍋」。昆布とカツオによるだしがよく効いている。「鰻雑炊」は短冊切りの鰻の白焼き、ささがきゴボウ、ニンジン、シイタケをだしでよく煮て、焼き餅と米飯を入れ、卵でとじ、三つ葉が添えられる。かば焼きとはひと味もふた味も違う、おいしい世界がそこにあった。

 わらじやは江戸初期、1624年創業の老舗だが、名物の「鰻雑炊」は、戦後間もない1950年頃に誕生した新しい料理。と言っても、すでに70年がたつ。高級料亭風のしつらえだが、値段も良心的で気楽な雰囲気とあって行列ができる。わらじやで、鰻料理がかば焼きだけではないことを教えてもらった。茂吉にも食べてもらいたかったが、鰻鍋と鰻雑炊が誕生したのは、茂吉の亡くなった年である。

京都「名物」を支える静岡「特産品」

2人鍋での大市のすっぽん

 40代に入って、京都市上京区にあるすっぽんの「大市(だいいち)」へ。元禄時代から3百年以上続く老舗。こちらは一人前2万4500円の高級料理店だが、それには理由がある。信楽焼の丸鍋にすっぽんの切り身、水、酒、しょうゆ、しょうがだけで味付けるが、丸鍋を炊くコークスの火力が半端ではない。1600度もの高温になるから、いくら特製の丸鍋でも何度か使えば、割れてしまう。もうひとつ、すっぽんはすべて浜名湖畔の服部中村養鼈場から送られる3年から4年物。服部中村のすっぽんは露地物で、配合飼料など一切使わず、白身魚の生き餌である。味はすっぽんの素材で決まるのだ。大市では滋養に満ちたすっぽん鍋が二度供され、わらじやと同じように雑炊でしめる。

 フランス料理ではウミガメを食べるが、臭みを嫌い、すっぽんは使わない。大市のすっぽんに臭みはなく、おいしさだけが口の中ではじける。日本酒との相性もいいから、ついつい飲み過ぎてしまう。

 平野家のいもぼう、いずうの鯖ずしも本当においしい。まてよ、浜名湖畔の中村服部養鼈場だけでなく、京都の名物はすべて静岡県と関係が深いのでは?調べていくと、いもぼうのいも(海老芋)は福田、鯖ずしの鯖は焼津から送られる。わらじやも浜名湖の鰻を使っていたはずだ。静岡の特産品が京都名物を支えている。美食家の北大路魯山人は素材8割、料理2割と言っていたから、静岡の特産品が果たす役割が大きいことを料理人ならば十分に承知しているだろう。

 新型コロナウイルスの影響で、京都では中国人らの姿が消え、閑散としているという。そうなれば、名物を売り物にする老舗も客入りはさっぱりだろう。その影響は静岡の特産品に及んでくる。静岡県のリニア問題では「水循環」がテーマとなっているが、経済とはまさしくおカネの循環である。

 ここは経済の循環をよくするためにも、一度京都に出掛けなければならない。おいしい京都の名物を食べることで、少しでも経済の活性化に協力できるだろう。引いては静岡特産品消費にも寄与できる。

 JR東海の旅キャンペーン、1993年から「そうだ京都、行こう。」2016年から「そうだ京都は、今だ。」にならって、「そうだ京都、”名物”を食べるならば、今だ!」。さあ、京都へ。

「たん熊」名物のすっぽん一人鍋

 まず、京都駅前近くにあるラーメン店「新福菜館本店」へ。お隣の有名な「本家第一旭たかばし」とともに、京都ラーメンの”代名詞”である。チャーシュー、ネギ、シナチクたっぷりのラーメン並750円、焼き飯5百円、それぞれ1人前ずつで2人ともお腹いっぱいだ。午前11時とはいえ、ふだんならばここも行列だが、新型コロナの影響か、そのまま座れた。すぐ昼時になり、次から次へと若い男女が気軽に入ってきて繁盛していた。

高瀬川沿いにあるたん熊本店

 そして、今回の京都名物は「たん熊本店」(東山区)の「丸鍋」である。「たん熊」で修業した弟子らが静岡などで日本料理店を開いているが、どうしても丸鍋と言えば、大市となってしまう。たん熊は初代が一人用の土鍋をつくり、大市に負けないすっぽん料理を創作したことで有名。大市は1600度の炎に耐える信楽の丸鍋と服部中村のすっぽんでつくられる。たん熊名物は、赤楽の丸鍋に骨付きの身がぐつぐつと煮えているのだという。皮と身、骨と身の間にあるうまみをぞんぶんに生かす一人用の丸鍋。お昼にうかがえば、大市のほぼ半額で味わうことができるから、すっぽん初心者にもちょうどよいだろう。

 40代で大市のすっぽんを食べたあと、他の店ですっぽんを食べても臭みやスープなど、大市ほどのおいしさの感動を味わえなくなってしまった。大市の12代目が「地球上で最もおいしい料理」と豪語、まんざら嘘ではないと言えるくらいおいしい記憶が残る。かたや、名人とうたわれた初代、栗栖熊三郎(出身地の丹波と名前を合わせて「たん熊」である)が試行錯誤の末、大切な客のために生み出した一人用のすっぽん鍋。いまや京都を代表する名物になった。書もよくする二代目が60代となり、初代を超えているはずだ。20年を経て、わたしも60代、再び、京都ですっぽんを食す機会を得た。初めてのたん熊名物への期待は高まる。

京都は空いてますキャンペーン

 3月2日から2泊3日で京都を旅した。世の中は新型コロナウイルスの影響ばかり喧伝され、旅行業界は青息吐息の状態だ。その上、政府による「外出禁止令」宣言が13日に通知されるという。そんなときに、旅行をするとはもってのほかかもしれないが、逆に言えば、空いている京都で名物を食べる絶好の機会である。

嵯峨野竹林の小径のにぎわい

 恐る恐る京都を歩いてみたが、昔訪れたときと全く変わらない。静岡同様にいつも通りのふつうの生活があった。多分、中国人らの団体で大にぎわいの京都を知らないからだろう。嵯峨野にできた福田美術館(京都のサラ金会社創業者が設立した)がどんなものか訪ねたが、残念ながら訪問日から休業に入っていた。それでも、嵯峨野は新型コロナなどどこ吹く風、若い人たちが散策を楽しんでいた。

 初日の午後4時に行った河原町にある洋風立ち飲み店。若者を中心に立錐の余地もなく、外で待つしかなかった。のぞいてみたが、誰もマスクなどしていない、元気いっぱいみな陽気に騒いでいた。15分ほど待って、誰も出てこないのであきらめた。

持ち帰りの和栗のアイスクリームであれば、待ち時間は短い

 案の定、たん熊は空いていたが、その2軒先の並びにある、和栗を専門にするスイーツ店は違った。昨年できたばかりだが、若い女性やカップルでごった返していた。ここでもマスクをしている人はいなかった。たん熊での昼食前に整理券をもらったが、4時間以上の待ちになると聞いて驚いた。京都が「自粛」「自粛」で縮こまっているわけではない。ふつうに混んでいるところもあり、一方、閑散としているところもある。ふだんと同じである。ただ、中国人の団体はすっかりと見えなくなっただけだ。日本だけでなく、世界中を席巻していた中国人の団体がしばらくの間、消えてしまったのである。

人生は死ぬまでの「暇つぶし」か?

本阿弥光悦のお墓。京都鷹峯にある

 リニアに伴う水環境問題で国交省の有識者会議メンバーが静岡県に提示された。その中に、国の水循環基本法フォローアップ委員会座長の沖大幹東大教授の名前があった。著書の「東大教授」(新潮新書)に、「人生にいろいろな意味があるでしょう。しかし、結局のところ、人生は死ぬまでの暇つぶしです」「人生の結果は誰にとっても『死』であり、僕たち自身にとって大事なのは結果ではなく過程です」という一節があり、その覚悟に驚いてしまった。これは、ガンジーのことば「明日死ぬと思って生きよ」「不老不死だと思って学べ」に依拠、武士道のような日本人向きの思想である。

 沖教授は東大という場で学問する日々の暮らしが充実、あっという間に終わってしまう「暇つぶしとしての人生」を知的な楽しみで満ちあふれるよう頑張るというのだ。勉強とは東大生に限らず、どこでもできるおカネの掛からない楽しみである。それぞれが日々、何を学ぶかである。

 だから、政府が新型コロナの不安を煽るのは間違っていないが、それだけにとらわれていると何もできずに、縮こまってしまう。それは避けるべきだ。あちらこちらすべての場所が危険ではない。ちゃんと考えて行動すればいいだけである。食べる楽しみ、新しい知識への楽しみなど「暇つぶし」をしないでいると、せっかくの人生の時間は無駄に失われてしまう。

 20代のときに食べたわらじやの「鰻雑炊」、40代のときの大市の丸鍋の感動を、いま同じに味わうことはできない。貧しく、若い時代は恥をかくことばかりだが、何とか、ひとつでもおいしいものを食べてみたいというささやかな贅沢はちゃんと記憶に残る。

 医者の仕事は、けがを治し、薬を処方、包帯をすることだから、「マスク」「手洗い」「うがい」などが新型コロナに有効と薦める。もっと重要なのは「十分な睡眠」「バランスのよい食事」「適度な運動」。個々の自然治癒力や免疫力を高めておくことで、新型コロナを含めて「病の原因」に立ち向かえる心身をつくることである。

 だからと言って、「人生の結果は『死』」(沖教授)から逃れられない。日々を楽しく生き抜くために何をすべきか?おいしい名物を食べることを考えるのは免疫力を高めるはず。出発はいまでなくてもいいから旅の計画を立てよう。JR東海「そうだ京都、行こう。」は最高傑作だ。

※タイトル写真は、たん熊の一人鍋のすっぽん。味がどうだったのかは、ご自分で確かめてください。

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