「桶狭間」今川義元のイメージ変える2

2020年5月静岡駅に今川義元像設置へ

海道一の弓取り「今川義元」像

 タイトル写真は名古屋市緑区桶狭間北3丁目の桶狭間古戦場公園に設置されている「織田信長と今川義元」像。2010年5月、桶狭間の戦いから450年を記念して、名古屋市在住の彫刻家が1年半掛けて制作した。武器の中では槍を一番信頼したとされる信長に対して、「海道一の弓取り」と称された義元の特徴をとらえている。愛知、岐阜県内で信長人気は圧倒的だが、「桶狭間の戦いで大軍を率いながら、少数の織田信長に討たれた公家風の大名」(静岡市の今川義元生誕五百年祭チラシ)などと言った義元を貶めるようなイメージはこの像には微塵もない。

 静岡市は2020年5月、JR静岡駅北口広場の竹千代像隣に今川義元像を設置することを決めたらしい。今川義元生誕五百年祭推進委員会(事務局・静岡商工会議所内)の取り組みで、静岡市に聞くと「予算を含めて商工会議所が主体的にやっていることで詳細はわからない」と言う。「予算はいくら、大きさ、デザインは?」と聞いても、「把握していない」という回答。これで本当に大丈夫か?

評判の悪い家康像の二の舞に?

駿府城公園の家康像

 駿府城公園に設置されている鷹狩りを楽しむ家康像は多くの市民、観光客らに親しまれている。ところが、専門家らは家康はこのような姿で鷹狩りをした事実はないと厳しい指摘をする。作者(故人)と静岡市の担当者に何度も鷹狩りの際の装束を説明をしたのに、当時作者らは聞く耳を全く持たなかったというのだ。

 先日江戸東京博物館へ行った折、地下鉄大江戸線両国駅からの道すがら、大きな家康像に出くわした。こちらも鷹狩りを楽しむ家康である。ところが、駿府城公園の家康像と趣きが違っていた。

両国駅近くの家康像

 駿府城公園の家康像はまるで戦場に向かうように鎧の上に陣羽織の姿だが、墨田区に設置された像は鷹狩りにふさわしい動きやすい姿で日よけの笠もしている。鷹狩りは体を鍛える意味もあったが、趣味の世界であり、”健康オタク”の家康にとってはオフのひとときだった。家康は身長159センチとされ、駿府城公園の虚構の像とは違い、墨田区の家康像のほうが当時の家康に近いようだ。

 2009年3月静岡駅北口に没後4百年を記念して設置された家康像は実際とは違い、あまりに太っているためか評判は芳しくない。

60歳頃の家康像

 関ヶ原の戦い後に、徳川家臣団に正式に迎えられた小笠原秀政氏は60歳当時の家康像を作成、家宝とした。その後、小笠原家は久能山東照宮に家康像を寄進している。その家康を見れば、背筋がしっかりとのび、非常にスマートである。亡くなったあと、神格化され東照神君、でっぷりとした家康像がおなじみであるが、これはわざわざ大人風に余裕のあるような描き方をしたにすぎない。

 仙台市を訪れたとき、駅前や街中、そして青葉城周辺に数多くの伊達政宗像が設置されていた。そのどれもが非常にかっこういいのである。政宗は、家康と同じ身長約159センチであり、どちらかと言えば、男前ではなかったとされる。政宗像は仙台市民の誇りであり、さまざまな商品に政宗✖✖とつけられるほどの人気ぶりだ。イメージづくりがいかに大切であるか、今回の今川義元像設置では十分考慮すべきである。

市民に親しまれる像にしてほしい

静岡駅南口の女性像

 JR静岡駅南口には印象派の画家ルノアールだったかの制作になる女性像がある。豊満な裸の像であるが、これは芸術である。とにかく、ルノアールというだれもが知っている名前が重要だ。だから、その女性がいくら街中で裸だからと言って、それがけしからんとか、フランス人かロシア人の女性かなどと考える必要はない。言うなれば、女性像を見て「美しい」と感じるのが芸術であって、その女性がどのような人物だったかなど考えることは全くない。

 一方、静岡駅南口ではなく、静岡駅北口には家康像がある。これは没後4百年を記念して設置されたから、当然芸術作品ではない。芸術性はなくても、歴史上どのように魅力的な人物だったか、訪れる人たちがなるほどと納得できることが重要だ。残念ながら、わたしの知る限りでは、2009年設置の家康像の評判はよくない。

静岡駅北口の家康像

 家康像の制作者がだれかなど訪れる人にとっては関係ない。家康は、天下を統一後、晩年10年間を駿府城で外交、財政金融に当たり、オランダ、イギリス、スペイン、朝鮮、琉球などと実りある関係を結ぶなど、江戸270年の平和を築いた初代将軍である。江戸転封前、駿府城主だった50歳前の家康像をイメージしたならば、久能山東照宮の肖像画同様に背筋が伸び、スマートであってほしかった。ところが、神格化された東照神君像を参考にしたのか、ほうれい線はくっきり、年取った姿でどうも肉の弛緩ぶりなどを強調してしまった。今川義元は「海道一の弓取り」が1つのイメージのようだが、家康も同じく「海道一の弓取り」と呼ばれていた。

 広島市は「公共の場での彫像記念碑等の設置許可基準要綱」を定めている。人物像については「相当程度の芸術的価値があり、広く市民にとって美的価値を有するもの」としている。静岡市に聞いたが、そのような要綱を持っておらず、今回の場合、ほぼ静岡商工会議所にお任せであり、行政としての責任は感じられない。商工会議所の役割は、地域の企業や商店街などの振興であり、半永久的に残る人物像の知見が十分にあるとは思えない。少なくとも、桶狭間古戦場公園に設置された「信長、義元」像以上の義元像を望みたいが、本当に大丈夫なのか。

 「桶狭間」で敗れた義元のイメージアップを目的に設置するのであれば、市民の意見をよく聞いた上で、県都の玄関口・静岡駅前にふさわしいものにすることが静岡市の責任である。

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