北海道で伊豆の”依田勉三”に出会う

「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」とは?

 12月5日から9日まで4泊5日で北海道を旅した。2004年6月、作家立松和平(2010年、62歳没)が総代を務めた知床毘沙門堂(斜里町)の建立10周年を祝う法要に訪れて以来、2度目の北海道訪問である。きっかけはフジドリームエアラインズ(FDA)が、静岡ー新千歳間の片道5千円の格安チケットを売り出したニュースだった。ウエブ検索すると、行き5千円、帰り6500円のチケットを入手できた。空港使用料等を合計しても1万3240円で、静岡ー京都間の新幹線チケットよりも安いのだから驚きである。

道路向こうが有料駐車場だが、がらがらである

 FDAの新千歳路線は毎日1便のみで、11時10分出発に合わせて静岡空港に到着した。ターミナルビル近くの駐車場は有料(1日5百円)となったため、一番遠い無料駐車場に車を止めた。無料駐車場はほぼ満杯の状態なのに、ターミナルビル前の有料駐車場はがらがらだった。当初、約2千台の駐車場のすべてを無料とうたっていたが、赤字続きでそうもいかなくなったようだ。ただ、こんなにがらがらでは見込み外れである。

 静岡県は遅れていた静岡空港建設をほぼ終え、2009年3月開港を最後の「公約」として示した。ところが、航空法違反の立ち木問題を解決できず、開港の約束は反故となる。このため、2008年12月6日号週刊ダイヤモンドに、当時の知事の責任を追及する特集記事を寄稿した。立ち木の地主は知事の辞職を譲らず、5期目を目指していた知事は責任を取って突然、辞職する。出直し知事選は、民主党への風が吹く中で川勝平太氏が初当選した。その後、川勝氏はしばしば、立き木問題について自らが地主と面会して解決したなどと述べている。

 静岡空港計画時の最大の売りは、空港直下に新幹線駅を開設することであり、静岡県は地域の自治体らと期成同盟会を設置、空港地下駅建設の働き掛けを行ってきた。川勝知事は親しいJR幹部との面会を求めたが、JR東海は空港地下駅に「聞く耳」を持たず、知事面会も拒否した。もともと計画に無理があった静岡空港は赤字が膨らんだ。2019年4月、空港運営権を民間にたった10億円で売却、駐車場の有料化を含めて民間ならではのさまざまな経営改善に乗り出している。FDA機のタラップを踏みながら、開港前、滑走路の向こうに立ち木が見えたことも思い出した。

 12時55分新千歳空港着。空港ターミナル内で味噌ラーメンを食べた後、14時半発の高速バス・ミルキーライナーで帯広市に向かった。トマム付近でスキーリゾートの高層ホテルを見た以外は、ほぼ人家などはなかった。16時にほぼ暗くなり、16時半には真っ暗闇の夜となった。北海道の冬の第一印象は、こんなに夜が早いのか、と驚いたことである。周囲に明かりが全くないので、車窓には広大な真の闇の世界が広がっていた。

 17時過ぎに、帯広駅に到着。駅ビル内のぶたはげで夕飯に豚丼の持ち帰りを購入した。豚2枚入り、4枚入り、6枚入りで値段が上がり、4枚入りは1060円だった。店の看板に「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」と大書されていた。

 「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」?豚と一緒に食事をした?十勝名物の豚丼の由来なのだろうが、意味は分からなかった。

サウナで「ととのう」とは?

 今回の旅の目的は2つあった。1つ目は、北海道のサウナを楽しむことである。静岡市には、全国から若者らが訪れる人気のサウナしきじ(駿河区敷地)をはじめ、松乃湯、柚木の郷、おふろカフェ美肌湯などがあり、週に2、3度、朝サウナ(6時~9時)を楽しんでいる。静岡市の自慢は、安倍川の伏流水がそのまま水道水となっていることだ。硬度80程度で南アルプスの湧水とほぼ同じ成分であり、塩素さえ抜けば、市販のナチュラルミネラルウオーターと変わらない。

 30年以上前からサウナ、水ぶろに交互に入ることの爽快感を知り、ほぼ習慣となった。日本全国、他の地域を訪れれば、必ずサウナのあるホテルを選んで泊っている。宮崎市のサウナで鹿児島大学医学部発祥による「和温療法」を初めて知った。心不全の患者に室温60度程度のサウナ療法で血流促進を図り、心不全の改善の効果を実証、現在、全国で行われている。(※残念ながら、静岡県内には和温療法を行う病院はない)

 当然、激しい運動で汗をかくこととサウナで手軽に汗をかくことは違っている。ただ、熱さを我慢して、我慢して、1分でも長くサウナに入り、水ぶろに浸かったときの爽快感を知れば、サウナのとりこになるだろう。サウナしきじに行くと、若者たちがグループでサウナ、水ぶろに交互に入り、「ととのう」を味わっている。日本の風呂文化の新たな魅力とトレンドである。(※従来の親父サウナとの違いである)

北海道ホテルのサウナPR看板

 北大医学部出身の加藤容崇著『医者が教えるサウナの教科書』(ダイヤモンド社)で、何人かが帯広市にある北海道ホテルのサウナを推薦していた。加藤氏はサウナ初心者であり、朝サウナはサウナ5分→水ぶろ10秒→水よりぬるいシャワーを浴びて終了、夜サウナはサウナ7分→水ぶろ1分→外気浴5~10分を2~3回とある。わたしのお薦めは、朝サウナ12分~15分→水ぶろ5分→休憩(15分~20分)を3回程度である。これで、夜のお酒がおいしく飲める。加藤氏の教科書にはいろいろな医学的なうんちくが書かれているが、エビデンスを疑う記述もある。

 十勝・帯広は工夫を凝らしたサウナがあり、日本一水道水がおいしいとうたい、十勝「サ国(サウナ共和国)」プロジェクトを行っている。その代表である北海道ホテルに2泊する。エレベーター前に2019年6月に十勝初のセルフロウリュ可能なサウナを宣伝する看板が設置されていた。期待が高まった。まず第1回目のサウナに入り、その後、名物の豚丼を食べた。おいしかった。

帯広市街には多くの彫刻が飾られていた

 翌朝2度目のサウナを楽しんだ。温泉は素晴らしいが、サウナそのものは期待外れだった。加藤氏のサウナの教科書で、林克彦社長が自ら北海道ホテルのサウナを自慢していた。北海道ホテルは露天風呂をはじめ温泉としての施設が最初からあり、最近、人気のサウナを充実させたのかもしれないが、欠点はまず、狭すぎるのである。定員7人となっていたが、4人入れば、一杯であり、写真では大きさがわからない。室内が狭いとサウナの熱が回り切らず、息苦しささえ感じさせる。

 北海道ホテルは、赤ちゃん、小さな子供を含めた家族連れが数多く訪れ、家族で温泉を楽しむ施設である。サウナ施設としての救いは、大きな露天風呂。朝サウナ、水ぶろを経た後、露天に出て冬の外気に触れた。帯広のどこまでも青い空と冷気で体がひきしまっていく。「ととのう」というサウナ用語で言えば、水ぶろの水滴をちゃんと拭いて、冷えた外気に触れれば、室内とは全く違う「ととのう」を味わえる。(※雪はまだ降っておらず、1月半ば頃から本格的な冬が到来すると聞いた。その頃の外気浴はフィンランド同様に格別かもしれない)

依田勉三を通じ、帯広、松崎は姉妹都市を結ぶ

 ホテルから10時半発の帯広駅行きバスに乗る。図書館が休館のため、市役所に出向いた。玄関に友好都市、松崎町から贈られた依田勉三像のエスキス(実物制作のための小さな像)が展示してあった。観光課に聞いたが、ここには開拓の歴史などの資料はないのだという。依田勉三像のある中島公園までの道のりを記した地図をもらい、帯広神社隣の中島公園を目指した。(※中島公園は、岐阜出身で北海道に渡り、帯広商工会議所会頭、帯広市会議員などを務めた中島武市にちなんでいる。武市は依田勉三像建立の発起人代表。ちなみに武市の長男の第一子がシンガーソングライターの中島みゆきである。つまり、武市は中島みゆきの祖父)

 さて、伊豆・松崎町出身で、十勝開拓の英雄と呼ばれる依田勉三はどんな人物だったのか?

六花亭のマルセイバターサンドと依田勉三

日高山脈を望む依田勉三像

 依田勉三は、ペリーの黒船が来航した嘉永6年(1853年)伊豆国大沢村(現在の松崎町)の依田家に生まれた。幕末の伊豆は、二宮尊徳の農本思想と開拓精神の影響が色濃かったのだという。21歳のとき、慶応義塾に入り、北海道開拓使が招いた米国人の報告書を読んだことで、北海道開拓に目覚めたという。

 28歳の時、単身で人跡未踏の十勝平野を探査、翌年十勝開拓のための晩成社(大器晩成にちなんだ)を結成、1883年1月、晩成社開拓団27名が伊豆から出発、十勝川上流で開拓事業をスタートさせた。開拓事業は困難を極め、穀物、イグサ、リンゴの栽培、製綿、でんぷん、缶詰、植林、牛馬の牧場などさまざまな事業に乗り出したが、軌道に乗るものはなかった。40年にも及ぶ依田勉三の事業は成功を果たせず、1925年72歳で没したが、帯広の発展の礎につながった。

依田勉三の後ろ姿を望む石碑に「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」が刻まれる

 開拓初期は生活が極端に苦しく、傍から見れば、豚の餌と勘違いされるほど粗末な食事しかありつけなかった。晩成社の1人が、「おちぶれた極度か豚とひとつ鍋」(豚と同じ鍋の食事をする)とうたったのに対して、勉三が「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」と詠んだのだという。晩成社が豚4頭を連れて入植したのが、帯広での養豚の始まりなのだという。現在のおいしい豚丼は勉三らの努力の上にあり、豚丼を食べながら、当時の苦労を思い出すことができる。(※「豚とひとつ鍋」とは、豚と同じものを食べていたという意味らしい)

 北海道銘菓として物産展などで欠かせない六花亭製菓のマルセイバターサンド。マルセイ(マルの中に成がある)とは、晩成社(依田牧場)が1905年北海道で初めて商品化したバターのラベルであり、お菓子はそのデザインを復刻した、包装を使っている。当然、帯広市の六花亭本店に寄って、マルセイバターサンドを購入した。

 帯広市役所から中島公園まで約30分ほど掛かったが、当時の依田勉三らの苦労をしのぶには大した距離ではない。帯広を訪れた際、広々とした道路を楽しみながら、中島公園まで散策したい。ぜひ、帯広市は中島みゆきに祖父ゆかりの中島公園の歌をつくってもらえるよう頼んでほしい。多分、その日、訪れたのはわたし一人だったかもしれないが、中島みゆきの歌で観光の名所になれば、多くの人が依田勉三の像に出会うだろう。

依田勉三を祀る開拓神社(札幌市)

 翌日、札幌に移り、8日に北海道神宮を訪れた。地下鉄丸山公園駅を出て、今回の旅行で一番の寒さを感じながら、北海道神宮の敷地に入り、ほんのしばらく行くと目的の開拓神社に到着した。1954年、間宮林蔵、伊能忠敬、松浦武四郎らとともに開拓の祖として依田勉三が祭神となっている。北海道神宮そのものも立派だが、開拓神社も非常に大きな社であり、多くの若い人たちが訪れていた。(※依田勉三についての紹介は、松崎町HPを参照した)

 今回、帰途で昼食があまりおいしくて、FDAの飛行機に乗り遅れることになってしまった。格安チケットのはずだったが、うっかりとしたことで逆に高いものについてしまった。ただ、FDAを初めて使い、びっくりするような経験をした。いずれ機会があれば、こちらも書いてみたい。

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