取材ノート

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青葉通り「右折禁止」ー分かりにくい標識  

「右折禁止」ではなく「指定方向外進行禁止」標識  静岡市七間町、青葉交番前の交差点では時々、交通取り締まりを行っている。青葉通りから昭和通りにぶつかる信号のある交差点は右折禁止だから注意しなければならない。非常にわかりくにくい道路標識を見落として、「右折」するドライバーは数多い。当然、知らなかったではすまされない。反則金7千円の罰金、2点減点だ。  6日(土曜日)午後、その交差点で白い大型4WD車が右折すると、すぐに逆の一方通行の通りへ右折して行ってしまった。わたしはその一部始終を目撃していた。ちょうど目の前の青葉交番前横断歩道に、2人の警察官が立っていた。だから、当然、警察官は大型4WD車を停止させると思ったが、2人は全く反応しなかった。わたしは信号が青になるのを待って、横断歩道を渡ってきた警察官に「なぜ、右折禁止なのに検挙しないのか?」と問い掛けると、2人は「見ていなかった」と答えた。白の4WD車は最初は「右折禁止」を右折、その次に「赤信号」を無視した。少なくとも2つの交通違反に問われていいはずだ。  2人の警察官も何もなかったように白の4WD車が消えた方向へ歩いていった。青葉交番に入り、駐在する警察官にいまの経緯を話したが、それでどうなるわけでもない。警察官が交通違反を見逃しても罰金になるわけではない。「見ていなかった」で問題ない。  約30年前、静岡市に赴任した際、この標識(実際には「指定方向外進行禁止」と呼ばれる)を見落として、右折したため交通取り締まりに当たっていた警察官に検挙された。反則金を支払い、反則点数をつけられた苦い記憶を持つ経験者は数多いだろう。  右折違反が何らかの事故につながったわけではないし、その恐れも少ない。しかし、時々交通取り締まりを行っている。静岡県警交通指導課にその辺の事情を聞いた。 交通違反を摘発しない場合も多い  当然、横断歩道を渡ろうとしていた2人の警察官は交通取り締まりは任務ではなかった。「何か違反があれば検挙するのが基本だが、別の任務を優先して交通反則切符を所持していない場合もある」と説明した。当日は50万人(主催者発表)の人出でにぎわったしずおか祭りの警戒に当たるのが任務だったのかもしれない。  善意に考えれば、4WD車運転者は右折禁止の標識に気が付いていなかったのかもしれない。青葉交番前では時々、交通取り締まりを行っている。目の前の警察官2人も目に入っただろう。そんな状況下で平気で交通違反をするドライバーがいるとは思えない。  そのすぐ近く、青葉通りと両替町通りの信号のある交差点は一方通行のみで、やはり右折禁止だ。こちらの交差点でも、静岡市外の人は標識に気が付かないで、右折してしまい、時々検挙されるケースがある。右折することで何も問題がないと、ほとんどの人は思い込んでいるが、地元の人たちは右折禁止ルールを知っているから、遠回りする。 「軽車両」は「軽自動車」のことか?  ところで、「指定方向外進行禁止」の標識の下に「軽車両を除く」の文字標識。いろいろなところで見掛ける文字標識で、わたしは「軽車両」とは「軽自動車」だと思い込んでいた。今回、静岡中央署に聞くと、「軽車両」とは自転車、リヤカーのことで、「軽自動車」は含まれないという。最近市街地でリヤカーを見掛けないから、「軽車両」とは自転車を指す。これも混乱する標識だ。わたし同様に「軽車両」を「軽自動車」だと考えている人のほうが多いかもしれない。  右折禁止は左折と直進許可の標識ではなく、はっきりと右折禁止を示す標識にすべきだし、「軽車両を除く」ではなく、「自転車を除く」としなければ、時々「軽自動車」ドライバーは右折するかもしれない。 1933年のゴー・ストップ事件  1933年(昭和8年)6月大阪市の繁華街で「ゴー・ストップ事件」が起きた。陸軍1等兵が赤信号を無視して横断しようとしたのを交通係巡査が注意したが、その声を無視して横断したことで、巡査は一等兵を交番に連行してひと悶着が起きてしまう。一等兵のささいな交通違反事件は警察、陸軍のメンツを掛けた争いになり、軍部は「統帥権」を振り回して警察の取り締まりを批判、天皇陛下の裁断で決着する。軍部はこの事件をきっかけに公務外の「統帥権」を認められた。  ささいな交通違反事件を発端に軍部全体が「赤信号」を平気で無視し、日中戦争、太平洋戦争へと日本全体を巻き込んでいってしまったのだ。  当時は青信号をゴー、赤信号をストップと呼んだが、大都会・大阪でも信号が珍しく、通行人全員が信号標識を理解していなかった。「青は進め」「赤は止まれ」が道路交通取締法で正式に決まるのは戦後、1947年になってから。もしかしたら、最初に赤信号を無視した一等兵は「赤信号=ストップ」を理解していなかったかもしれない。  交通標識1つを知らないことで国全体を巻き込んだ大問題になる恐れがある。標識は分かりやすく理解できるようにしなければ、大事故につながる。交通取り締まり、交通違反摘発も必要だが、今後外国人旅行客などの増加を見込み、本当に「わかりやすい標識」をまずは優先すべきではないか。

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新聞記者という職業2「市長の首を取って来い」

なぜ、静岡市長を辞めたの?   25年も前の事件となると、記憶は定かではない。幼かったり、静岡市に住んでいなかった者も多いだろう。とりあえず、当時の新聞記事を探した。静岡市長の不祥事を追及する記事が次から次と見つかった。1年間の世相を振り返った1994年12月23日静岡新聞朝刊の記事に「静岡市長辞職 なお残る政治倫理確立」という見出しで事件の概要をまとめてあった。  静岡市長辞職 静岡市の天野進吾前市長は平成4年(1992)の市議会以来、市内に採石用地を持つ業者との海外旅行など親しい交際を追及された末、「これ以上、関係者に迷惑を掛けたくない」と任期途中の6年(1994)7月いっぱいで辞職した。市議会に招致されたが”疑惑”の一切を否定した。県警もゴルフ場問題を含め天野氏から事情を聴いたものの立件を断念し真相ははっきりしないままに終わった。  「真相ははっきりしないままに終わった」。事件は藪の中で終えたから、より分かりにくくなっているのだろう。その事件を追及するための静岡市調査特別委員会(1994年10月6日付静岡新聞朝刊)の記事は非常に長く詳しい。「市議会に招致されたが、”疑惑”の一切を否定した」と12月23日記事にあったが、その記事で「疑惑の一切を否定」は間違いであることがわかった。  「採石業者との海外旅行など一連の不祥事の真相解明に取り組む静岡市議会調査特別委員会に、参考人として出席した天野氏は旅行費用の負担を採石業者から受けるなど金銭の便宜を受けたことを初めて認めた」。何と、市長当時、採石業者からの金銭の便宜供与を天野氏は認めているのだ。  しかし、採石業者との交際は「友人としての付き合い。相談や依頼を受けたことはない」と、採石業者に行政上の便宜を図ったことを否定して、特別調査委員会を乗り切った。このあと、多数会派の自民党が同委員会を廃止を決めたことで紛糾した様子も伝えている。  旅行費用を業者が負担したが、友人の立場であり業者としてではないという主張は、あまりに都合よく聞こえる。「業者として交際したことはない」「(バンコク旅行の招待を受けたことに対して)海外旅行は個人の立場で出掛けている」と答え、さらに採石業者から1400万円を受け取ったという報道に対して、「友人としての付き合いの中で金の貸し借りはあった」「税務に関係するものではなく、プライベートなものだ。具体的に申し上げる必要はない」と退けている。これでは市長として好ましくないと一般市民は考えるだろう。結局、旅行接待だけでなく、金銭の貸借も認めたが、市長としての行政上の便宜供与はないから、問題なしとの見解が通ってしまった。「本当にそれでいいのか」という疑問を多くの市民が抱いたのではないか。  記事の最後。「天野前市長は、前市長の不祥事を議会で最初に取り上げた議員に向かって、「前議長に『市長の首を取って来い』と言ったそうですね」と詰め寄った。閉会後、記者団に囲まれた前市長は、この発言が権謀術数の説明といい「きょう最も言いたかったこと」と声を荒げた」。内容はわかりにくいが、田舎芝居”市長の首を取って来い”といった一場面をほうふつさせた。  静岡市長選候補、天野氏の市長辞職理由を知りたいと考えて、当時の新聞記事を探した。お金にまつわる問題だったことだけをうろ覚えしていた。今回、メディアの選挙報道は過去の事件に全く触れていない。当時の事情をよく知る記者はだれもいなくなり、忘れてしまったのか? 「昔の静岡」を取り戻すとは?  ことし2月24日、天野氏が静岡市長選出馬を宣言した際、「昔の静岡を取り戻してほしい」との多くの市民の声にこたえ決断したと報道。川勝平太静岡県知事は天野氏の出馬報告を受けて「よく決断された」と称賛している。92年からの約2年間、お金にまつわることで市政のゴタゴタを招いているが、その時代にもう、一度戻してほしい、ということか。  「周辺に迫る捜査の手を何とか逃れようとする市長の決断が辞意表明を予想以上に早めたといえそうだ」(94年7月10日付静岡新聞)。こちらの「決断」は出馬ではなく、辞職だが、25年前の「決断」は逃げ腰だ。  そのほぼ1カ月後の「静岡市議会の鈴木和彦議長が辞職へ 天野前市長の辞任でけじめ」(94年8月5日付静岡新聞)の記事を読んで飛び上がるほどびっくりした。わたしも「昔の静岡」事件に巻き込まれていたのだ。  記事の中で、「鈴木氏の辞意を、6月議会で表面化した『老人病院準備資金保管問題』と関連づける推測も出ている。鈴木氏は『(資金保管問題について)一切、やましいことはない。迷惑な推測だ』と、同問題との関連を否定した」とあった。  「鈴木氏は昭和62年11月、当時、市西北部に民間老人病院の開設を準備中の知り合いから現金7百万円を受け取った。知り合いへの出資者が計画の資金繰りに不審を抱き鈴木氏に返還を要求し鈴木氏は全額を返還した。  現金の趣旨を問題にされたのに対して鈴木氏は『理事の一人として将来、理事会を組織する中心になってほしいと持ってきたので準備資金として預かったが一切、手をつかないまま返した』と反論した。  鈴木氏は前市長の辞意表明後、一時、ポスト天野の有力候補の一人に浮上しかかったが、同問題が響き擁立の動きが消えた経過がある。」  そうか同じ頃だったのか。この記事に本当に驚いたのは、わたしが記事にある出資者のごく近い身内だったからだ。深い事情を知らないまま、わたしは静岡市議会議長室へ出向き、初対面の鈴木氏を訪ねた。その席で身内から頼まれ、病院の準備資金として提供した2千万円を返してもらうようお願いした。この問題を厳しく追及していた服部寛一郎市議(故人)に面会して、話を聴いた記憶もある。当然、老人病院は設立されず、中心となった発起人は莫大な借金を抱えたまま失踪した、と聞いた。  こんな「昔の静岡」に戻してほしい、と考えている市民はどんな人たちなのだろうか。25年前の一連の事件をすべての市民が忘れているわけではないだろう。わたし同様にうろ覚えなだけだ。 だれの「選挙ポスター」を破ったのか?  30日静岡南警察署は静岡市長選の特定候補ポスターを破ったとして80歳男性を逮捕した。周辺では同様の事件が10件弱起きていて、警察は警戒に当たっていた。現行犯逮捕された恩田原地区は静岡南警察署のすぐ東隣の地域である。  罪名が公職選挙法違反(自由妨害罪)となっていたので、警察に「なぜ、器物損壊の現行犯ではないのか」と聞いた。それに対して、特定候補ばかりを狙ったポスター破りだったので、公選法違反を当てたのだという。自由妨害罪のほうが器物損壊罪よりも少し罪は重くなる。  80歳男性は特定候補へ恨みか何かを持っていたようだ。28日までは警察署周辺で破られたポスター掲示はそのままだったと聞いた。と言うことは、すでに破られたポスターを再掲示してあるのかもしれない。  警察では「特定候補」の名前を発表していない。早速、恩田原地区へ向かった。いくつかの選挙ポスター掲示板を見つけた。遠くから見れば、わたしの近所にある選挙ポスター(タイトル写真)と全く同じだ。ところが、近づいていくと、天野氏のポスターのみ画鋲でしっかりと固定されていた。別のポスターも同じで、天野氏のみ接着剤で張り付けたあと、画鋲でもしっかりと固定されていた。他の候補との違いがそこにあった。多分、この地域だけだろう。 新聞は過去の報道を忘れてはならない  週刊現代4月6日号の記事「間違えたのは検察や裁判所だけですか?冤罪だった『滋賀・呼吸器外し』事件 じゃあ、新聞はあの時、どう報じていたか」。この記事を読んでいて、新聞報道は過去の事件記事から全く無縁ではないことを実感した。  取材者は変わっているのだろうが、同じ媒体なのだから、過去にどのように報道したのか、それを踏まえることは重要なのだろう。昭和41年(1966)に起きた袴田巌さんの事件、わたしの入社当初には事件取材をした数多くの記者がいた。元共同通信記者から話を聞き、さらに、当時この事件でスクープ記事を連発した毎日新聞エース記者にも会って話を聞く機会があった。当然、袴田さんを有罪だとみな思い込んでいた。  当時の新聞が、袴田さんの事件をどのように報道したのかを踏まえた上で、現在、冤罪事件として取材する新聞社記者は袴田さんに向き合うべきなのだろう。わたしの場合、袴田事件を取材する機会に恵まれなかったが、袴田事件を追った三一書房新書「地獄のゴングが鳴った」(高杉晋吾著、1981)を読んだあと、じゃあ、清水市で起きた一家4人殺しの真犯人はどこにいるのかという疑問が強く残ってしまった。  静岡県内には冤罪事件が多く、清瀬一郎弁護士が中心となった幸浦、小島、二俣の3大無罪事件。沼津市で起きた正木ひろし弁護士らが中心となった丸正事件。過去の事件といまの事件はつながっているのかもしれない。  選挙民に数多くの判断材料を与える選挙報道でも、過去の事件と無関係ではいられないだろう。  1992年10月、第1回大道芸ワールドカップが開催され、大きな感動を呼んだ。同じ年に青葉シンボルロードができたという。いずれも天野市政の業績と訴えている。それはその通りなのだろうが、その同じ年に天野氏は”友人”との交際疑惑を市議会で追及され、2年後の辞職につながっていくのだ。  今回の静岡市長選は当然、なぜ、25年前市長は辞職したのかと切り離せない。静岡新聞の見出し「なお残る政治倫理の確立」を検証してもいい。  天野氏が今回の市長選で、当時の疑惑に対してどのように答えているのか不明だ。マスメディアは臆せず、過去の事件に対して目を向けた上で、市長選を報道すれば、市民はもっと関心を持つだろう。  80歳男性は破ったポスター候補に何か腹立たしい思いがあったのだろう。警察署は選挙戦に配慮して、投票前には何も公表しないのだろう。各候補に対する市民の不満は大きいようだが、静岡市長選があまり盛り上がっていないことだけは確かだ。

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「文化」を廃れさせないために

「文化」とは何かを見つけるもの  右指で調子を取りながら、気炎を上げる小説家埴谷雄高氏(75)。後ろの席でにこやかに笑う評論家久保田正文氏(73)、その隣の2人は評論家本多秋五氏(77)、小説家藤枝静男氏(78)。戦後文学の中心で活躍した錚々たる顔ぶれが浜名湖畔に集まった。カッコ内は当時の年齢だ。  1985年6月24日夜。浜松市在住の藤枝氏の招きに応じて、雑誌「近代文学」創刊同人らが駆け参じた会合の1枚。10人が夜遅くまで酒を酌み交わしながら、それぞれの談論風発を楽しんだ。1966年以来、毎年夏、浜名湖弁天島で2泊3日の愉快なときを過ごすきまりになっていた。超難解な「死霊」という長大な作品を書き続けていた埴谷氏もこの日は酔っ払いの愉快な親父になって管をまいた。当時、「死霊」第8章の執筆中だった。  「みんな元気であった。毎年かならず明けがたまで起きていてしゃべりつづけた。昼も寝転がってしゃべりつづけていた。ー時はどんどん過ぎて行く。池のなかでもその外でも。苛々(いらいら)して何かを見ようとしても、その術をみつける手掛かりはつかめない」。1976年に発表した短編小説「出てこい」に、藤枝氏が仲間の集まりを書いている。青春の悩みも60代熟年世代の悩みもその質に違いはあっても同じで、何かを見つけるために悪戦苦闘する。 「文化」を理解するには年齢も必要  「死霊」の書き出しは以下の通りである。  『最近の記録には嘗て存在しなかったといわれるほどの激しい、不気味な暑気がつづき、そのため、自然的にも社会的にも不吉な事件が相次いで起った或る夏も終りの或る曇った、蒸暑い日の午前』。主人公が精神病院の門をくぐる重たい場面で始まる。  初対面の埴谷氏に、小説「死霊」を理解するのは非常に難しいと話すと、即座に「若いとき読んで分からなくても年を取れば分かる」と答えてくれた。「40歳を超えなければ理解できない文学は世界中にたくさんある。たとえばゲーテの『ファウスト』。書き終えたとき、ゲーテはすでに80歳を超えていた。ぼくが『ファウスト』を最後まで読むことができたのはずっと年を取ってからだ」と続けた。  それから30年以上が過ぎたが、果たして、いまならば「死霊」を読み通すことができるだろうか?  静岡市美術館で開催されている「起点としての80年代」展(3月24日まで)を見ていて、昔、埴谷氏の言ったことばが思い出された。30年前の「インスタレーション」や「メディア・アート」という作品はほとんどなじみがなく、そしてやはり難解だったからだ。どこかで見たことはあったのだろうが、強い印象を与えなかった。絵画や立体芸術は視覚を通して感じるかどうかだが、日本語をイメージとして理解するのは全く違う。 瞬間を切り取るのが「文化」  東京・上野の国立科学博物館「砂丘に眠る弥生人」展(3月24日まで)は1950年代に発見された多数の弥生人骨が展示されていた。物言わぬ2千年前の何十体もの白骨が語り掛けた。「いずれ死んで白骨になるぞ」。酔っ払った埴谷氏はその夜、大きな声で叫んでいた。目の前の白骨は具体的な「死霊」であり、生きている埴谷氏は「死霊」をイメージしただけにすぎなかった。  30年以上を経て、その夜に参加していた者で生きているのはわたしだけになった。みな埴谷氏の言った通りに白骨に変わった。そういうことである。理解しようが、理解できないとしても、瞬間を止めることはできないが、「ファウスト」の「瞬間よ止まれ、おまえはいかにも美しい」を多くの人が記憶し、「苛々して何かを見ようとしても、その術をみつける手掛かりはつかめない」(「出てこい」)と嘆くのだ。 「文化」を支える仕組み  「文化」は瞬間を止めることはできないが、その瞬間を切り取ることができる。切り取られた瞬間は未来につながり、大きな影響を街に与える。  80年代静岡市でも多くの文化人の交流が盛んだった。作家小川国夫氏を中心に詩人大畑専氏、歌人高嶋健一氏、俳人野呂春眠氏らが静岡市立中央公民館(現在のアイセル21)で若い人たちを指導した。謡曲という未知の古典世界について、小川氏はわかりやすいことばで熱心に話してくれた。その講座に数多くの若者が詰め掛け、その講義録は82年に角川書店から「新天の花淵の声」として刊行された。  先日、静岡市の文化・クリエイティブ産業振興センター1階ギャラリーを訪れた。残念ながら、人影はなく閑散としていた。多分、作品そのものが身近なものでなく、説明する人もいなかった。「文化・クリエイティブ産業」とは「デザイン、出版、アート等の分野における創造的活動から生ずる文化的影響により市の文化の向上に資する産業」と定義されている。産業として「文化」を育てなければ、「文化」そのものが廃れていくのだろう。  ただ「文化」は簡単に理解できない。晩年の小川氏は小説の合間に、「小川漫画」という奇妙な漫画を描いていた。その漫画を手に、「富士山は富士山です。世界遺産なんて冠は富士山には似合わない」と話してから、山部赤人の長歌「天地のわかれし時ゆ 神さびて」を最後まで口ずさんだ。「世界遺産」というわかりやすい冠ではなく、日本人ならば、万葉の歌抜きに富士山は語ってはならないのだ。そのようなことをはっきりと言える文化人は少なくなった。小川氏も亡くなって10年が過ぎた。「文化」を廃れさせてはならない。 ※タイトル写真は小川国夫氏の圧倒的な迫力を持つ「漫画」。その楽しい1枚の絵が語り掛けるものは非常に多い。

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静岡県立病院へ「患者」として批判

県立病院から「410円」請求の督促状  静岡県立総合病院機構からの請求「410円」が3月末に時効になる。5年前、突然「督促状」をもらい、期日までに指定銀行に振り込めという内容。この「督促状」をもらうまでの経緯を記して、田中一成院長宛に質問状を送付した。督促状を送ってきた東京の弁護士事務所へも連絡した。「期日までに支払わなければ、法的手段をとることがある」と記されていたが、その後「410円」について何も言ってきていない。病院ではどのように処理したのだろうか?  先日、コンビニで100円のコーヒーカップで150円のカフェオレを飲んだ62歳の男が窃盗の疑いで逮捕された。「50円」をごまかしただけだから、「一罰百戒」の見せしめの要素が強いのだろうが、「50円」でも逮捕されるならば、「410円」不払いは金額的に問題は大きい。病院からの督促状を受け取ったときの驚きが大きいから、現在まで、その書面をちゃんと保存している。ぜひ、病院には「法的手段をとる」ことを奨める。そうすれば、「410円」問題が明らかになるだろう。 検査ミスで田中院長が頭を下げる  2月8日に田中院長が県庁で記者会見、「糖尿病検査判定にミスがあった」と謝罪した。報道によると、調査中だが、実質的な影響はほぼなかったらしい。ただ、6年間にわたり人数が多かったとして検査部長を戒告、田中院長らを訓告処分したという。田中院長をはじめとした病院幹部らが頭を下げているニュースにやはり驚いた。実質的な影響がない病院内のミスを「ヒヤリハット」と呼ぶが、こんなことで病院のトップが頭を下げるのならば、毎日謝罪を繰り返さなければならないかもしれない。  10年ほど前、大阪で開かれた「日本臨床麻酔科学会」シンポジウムにパネラーとして出席、「これからは医療過誤が増えるのではなく、医療過誤訴訟が増えていく。麻酔科医の役割はますます重要になる」と発言をした。当時、司法制度改革で約2万人の弁護士を大幅に増やし、米国並みに弁護士の活躍する社会を目指そうとしていた。弁護士が増えれば、医療過誤訴訟が増えるのは、米国の訴訟事情を見ればわかるからだ。  2006年5月、浜松医大病院で手術を受けた88歳の女性が病院と医者を相手取って「7100万円」の損害賠償を請求する裁判があり、地裁浜松支部は医者の「説明義務違反」を認め、「110万円を支払え」という判決を出した。インフォームドコンセント(医者の十分な説明と患者の同意)についても、医療過誤訴訟が成り立つ。病院内で、患者が滑って転んでけがするなど、どんなことでも訴訟になる可能性が高い。  病院のトップが本当に頭を下げるのはどんなときだろうか? 県立病院による入院拒否の理由  2013年11月19日、母(88歳)の肺に水がたまっているので、県立総合病院呼吸器内科で診てもらった。母を連れて行った施設職員から「呼吸器内科では肺炎などの症状はなく、循環器科へ回された。診察結果は家族にしか話ができない」と連絡を受けた。「考えられる最善の治療をしてもらうよう医師に話してほしい」と求めたが、医師は母への治療、処方は全くせずに施設へ戻された。  翌日午後病院に出向き、M循環器内科医から「心臓が弱っていて、このまま行けばいずれ心臓は停止する。その場合、救命措置をとるかどうか」と聞かれた。「看取りに対して、心臓マッサージなどの救命措置は望まない」と答えたが、朝面会した母の調子はそれほど悪くは見えなかったので、M医師に処方を求めた。不在の母は再診となり、処方箋が出され、近くの薬局で利尿剤を購入した。  2日たっても利尿剤の効果がないので、看護師から点滴での薬剤投与ができる病院へ搬送すべきではないか、と提案された。わたしは即座に同意、県立総合病院へ連絡してもらった。M医師は「家族は救命措置を取らない」とのことで受け入れを拒否した。このため、22日夕方、静岡済生会病院へ救急搬送してもらい、点滴投与を受けると、母は回復、両側下肢の浮腫はなくなり、胸水も引き、30日に退院した。その後、母は老衰で90歳で亡くなるまで、心不全の症状を訴えることはなかった。 診療部と検査部の連絡体制に疑問  田中院長への質問は以下の通りである。  1、患者は症状の改善を求めて病院を受診したのに、治療を全く行なわないのは患者の良質の医療を受ける権利を損なう。治療を行わなかった理由は?  2、入院を求めたが、医師は家族に話したからと言って入院を拒否した。病院、医師はすべての患者を受け入れる義務がある。良質の医療を受ける権利が損なわれた理由は?  3、今回の督促状の内容(細菌培養同定検査)は呼吸器内科医から送られた診療情報提供書に記載はなく、わたしが循環器内科医に病状を聞いたときにも説明を受けていない。医師からの納得のいく説明と情報提供を受ける権利が損なわれた理由は?  母の症状はみるみる回復したため、入院拒否された県立総合病院に不満を持ったが、その時点で質問をする気はなかった。ところが、突然「督促状」を受け取った。それ以前に請求書を受け取ってもいない。どういうわけか、督促状だけが届いたのである。いくら「410円」でもびっくりする。それとともに、医師は即座に「心不全」と診断したのに、細菌培養同定検査をストップしないのはなぜか?診療部門の連絡が悪いのか?検査部へ連絡が届かないのか?多分、このような問題は日常茶飯に起きているのだろう。  院長は同じように頭を下げるのか? 院長ではなく医事課補佐の回答  田中院長宛に送った質問状は、院長ではなく、医事課長補佐(氏のみで名前はない)から回答が送られてきた。回答書には、19日は軽度だったので治療は行わなかった。20日にわたしの来訪に合わせて、利尿剤を処方したから、治療は行った。また入院拒否ではなく、施設の主治医(脳神経外科医)に任せたのだとある。  なぜ、この話を蒸し返しているのか?  「県民の健康寿命延伸」を目的に県立病院に社会健康医学大学院大学を設置するのが、静岡県の優先施策なのか疑問だからだ。静岡県に必要なのは、基礎医学に取り組む研究者ではなく、優秀な臨床医である。特に、県中部の医師不足は大きな問題である。臨床研究部長(循環器内科医)が川根本町で緑茶調査するほどに、県立病院では若手医師の多くに任せて大丈夫なのか。  当時の医事課補佐に取材したところ、「わたしは医師の言われた通りに書いたのであって、中身は関知していない。職務として問題はない」と言っていた。多分、このような回答では、臨床部門と検査部の連絡体制などこれからも大きな問題となるだろう。  県立病院では年間5百万円超の未払いがあるそうだ。わたしの「410円」は氷山の一角であり、本当に医師の資質を疑うような不満、医療コンフリクト(対立)の問題、医療過誤を招くヒヤリハットは起きていないのかチェックすべきではないか。そのような調査を行ったとき、最優先する施策が何かはっきりするはずだ。

取材ノート

「タトゥー」と「ワイン」と静岡市

日本文化の特異性を問うゴーン事件  「日産に来てから、平時は一度もありませんでした。危機を乗り切り、胸をなで下ろそうとするたびに、まるで隕石のように新たな危機が発生する。その繰り返しです。計画通りにいくことなど、ありません。人生と同じですね。だからこそリーダーが必要なのです。」(2013年11月出版「カルロス・ゴーン リーダーシップ論」日経BP社)  2兆5千億円以上の連結有利子負債を削減させ、奇跡的に業績をV字回復させ、英雄ともてはやされた外国人が一夜にして、メディア報道では強欲な犯罪人に落とされてしまった。ゴーン氏の犯罪への関与とともに、海外から日本という国への関心が高まっている。ゴーン氏が「いまそこにある危機」を乗り越えるために全力で戦う過程を通して、司法手続きを含めてすべてが違う欧米と日本文化の違いを認識させられるはずである。  特異な日本文化の真価が問われる事件なのだろう。 「タトゥー」禁止で判断分かれる  週2度ほど近くにある「ラペック」(静岡市北部勤労者福祉センター)のフィットネスジムを利用、そこには大きな浴槽、小さなサウナ室、個別のシャワー室を備えている。「タトゥー(入れ墨、刺青)の利用者を容認しているのか?」という利用者からの問いに、施設は「明らかに暴力団構成員と認められる場合を除き、禁止措置を講じていない」と回答していた。  ところが、静岡市内にある民間施設は、すべて「タトゥー禁止」だ。  静岡市総務課に問い合わせたところ、市の統一見解はなく、担当課の判断に任せている、と回答。担当する商業労政課は「公平公正の観点から利用を断ることはできない」と答えた。  民間施設の「タトゥー」禁止判断は間違っているのか? 入れ墨とタトゥーの違い  日本では1890年から戦後の1948年まで「入れ墨」は警察処分令(軽犯罪法の前身)で処罰されていた。入れ墨を背にして威嚇、周囲に恐怖を与えていたことが理由だった。  静岡市公衆浴場法施行条例ではタトゥーへの規定はないが、民間施設が「タトゥー禁止」なのは、やはり周囲に与える威嚇、恐怖感などだろう。入れ墨に対する恐怖は日本人に植え付けられてきたものだ。  静岡県は観光庁からの通知を基に、増加するインバウンド(訪日観光客)への配慮から、手のひらサイズならば威圧感はなく問題はない、また、大きなものならばシールで隠すなどして対応してもらえるよう施設にお願いしている。  欧米での流行を受けて、日本でも若い人たちの間でタトゥーに抵抗感を持つ人は少なくなっているのかもしれない。  ことし5月アメリカ・シアトルの家族を訪問した。その家族の26歳長女が腕から肩に掛けて、映画のシーンを再現した見事なタトゥーをしていた。後で両親に聞くと、若いときはファッションとして良くても年取って深刻な問題になることを心配していた。大人の人格が備わってからの判断であり、両親にひと言の相談もなかったそうだ。  日本の場合、入れ墨をすれば親不孝だと考えた。 日本固有のお風呂の”裸文化”  日本と西洋の違いではっきりとしているのは、温泉や銭湯などで大勢の人たちが裸で付き合うことだ。お風呂の裸文化は日本固有のものではないか。  日本人はお風呂が大好きだ。お風呂にのんびりとつかる。大きな浴場で水着などはつけず、何も隠さないで平気で歩き回り、体を洗い、さまざまな種類の浴槽を楽しむ。そして、裸のつきあいをする。ところが、西洋人たちはお風呂につかわず、ほとんどシャワーで済ませている。みんな裸でお風呂を楽しむ習慣は西洋文化にはない。だからこそ、みんな素っ裸になってお風呂を楽しむ日本文化では、入れ墨のような怖い人がいないことを求める。  ラペックの表示にある「明らかに暴力団構成員」とは、入れ墨を施している者を指すのか?どのように見分けるのか、教えてほしい。もし、体中に入れ墨をしていたら、「あなたは暴力団構成員ですか?」と誰が聞くのか? 公共施設主催のワイン講座  ラペックでは11月30日に「ワイン基礎講座 秋の夜長を楽しむワイン」を開催する。会費は2時間3千円。街中の飲食店では飲み放題3千円コースがあるくらいだから、安くておいしくてワインがたくさん提供されるのだろう。  公共施設主催の酒(アルコール)を楽しむ会というのは初めて聞くので、担当課になぜ、このようなイベントを開催するのか聞いた。「勤労者に楽しんでもらう」という回答だった。  30年前ならばいざ知らず、いまやワインは簡単に手に入るアルコールであり、当然飲みすぎれば体に良いはずはない。3年前からは自転車の飲酒運転も禁止されている。「ワインの魅力を学ぶ」とチラシにあったが、ワインの次はウイスキー、次は日本酒、焼酎の魅力を学ぶ講座をラペックで開催するのか聞いたが、回答はなかった。ワインだけが別格のようだ。 なぜ、ワインだけが別格なのか  アルコール依存症は約4百万人とも言われ、ギャンブル依存症との相関関係が深いことがわかっている。飲酒による交通事故も後を絶たない。飲酒運転者に民間の飲食店がアルコールを提供した場合、厳しく責任を問われる。  なぜ、ワインだけは別格なのか。フランスやイタリア、アメリカのワインを飲めば、お気軽に西洋文化に触れられるつもりでいるのかもしれない。  「タトゥー」と「ワイン」。似て非なるものだが、静岡市の対応はどこか共通点がある。  「タトゥー」は「入れ墨」であり、「ワイン」は単に「酒」であるが、静岡市では違うらしい。タトゥーであれ入れ墨であれ、場合によっては大いに恐怖を感じるし、どんなワインでも飲めば酔うだろう。  日本文化の特異性は、明らかに「西洋文化(圧力)に弱い」ことだ。カタカナ英語ではなく、日本語で考えて判断した場合、答えは違うかもしれない。

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幻の駿府城 絵図はあくまでも絵図

浮世絵で知る新事実  3年前、浮世絵「東海道名所之内 久能山」(一蘭斎国綱画、大錦判)を購入した。文久3年(1863)14代将軍家茂の東海道上洛の様子を伝える全162景のうちの1枚である。明治維新まで25年を残し、この上洛は150万両(現在の約1500億円以上に相当)の経費を掛けた徳川幕府最後の国家的行事だった。  なぜ、久能山東照宮に家茂ゆかりの甲冑、陣羽織、胴着などが数多く残っているのか。そんな疑問を長い間、抱いていた。この浮世絵を手にして、初めてその理由がわかった。  江戸を出発後、22日間掛けて京都まで到着するのだが、三代将軍家光以来の229年ぶりの上洛であり、当然、久能山東照宮頂上付近にある家康の墓に詣で、自身に関わるさまざまな武具類を奉納したのだろう。久能山東照宮に残る金色に輝くユニークな「馬面」は、午年生まれ、馬顔、その上、乗馬が大好きだった馬公方とも呼ばれる家茂にふさわしいゆかりの品であり、ぜひ、久能山を訪れた際にはご覧になってほしい。 駿府の街並みには天守閣が似合う  浮世絵「久能山」とともに、同じ東海道上洛図の浮世絵、駿河の府中、駿府の街並みを描いた「東海道府中」(一光斎芳盛画、大錦判)を同時に購入した。長い行列の向こうに富士山が大きく描かれ、その左隅に2つの城があったのに興味を引かれた。駿府城の天守閣であろうか。東海道上洛図は、二代豊国(歌川国貞)を総帥として16人の絵師が将軍家茂一行に随行して描いているから、浮世絵らしいデフォルメ(誇張表現)はあったとしても当時の様子をほぼ正確に伝えているのだろう。  しかし、1635年に駿府城天守閣は焼失して以来、再建されていないから、その浮世絵に描かれた城郭は天守閣ではないのか。あるいは、絵師の創造力がいまはなき、天守閣を再現したのか。絵図は写真ではないのだから、本当に難しい。 駿府城外観に有力証拠?  さまざまな駿府城が描かれてきた。2011年10月30日付静岡新聞に「駿府城外観に有力証拠」という大きな記事が掲載された。日光東照宮所蔵、紀州東照宮所蔵の東照宮縁起絵巻に2人の絵師が描いた駿府城の構造、装飾が酷似しているというものだった。1640年ころの御用絵師による2つの絵図は、やはり、天守閣焼失以後の作品であり、どこまで史実に即しているのか難しい。  1707年ころに土佐光起によって描かれたとされる「駿府城下鳥瞰図」(駿府博物館蔵)に天守閣は存在しない。これは間違いなく正しい。 日本一の天守台を生かすには  極めつけは市民ら有志による駿府城天守閣再建を求める看板に描かれた駿府城は堂々たる構えで非常に美しい。水彩画の原画も見たことがあるが、画家の創造力と想像力のたまものである。  静岡市の田辺信宏市長は4年前、「正確な史料なしに天守閣は再建すべきではないという公式見解があったが、リセットする」と明言して、発掘調査を指示した。そして、「日本一規模の天守台」をはじめ、さまざまな新発見があり、どのように保存、利用するかの議論がスタートする。発掘によって得られた事実を基に、どのように対応するかを話し合うべきであり、絵図は絵図でしかない、絵師のたくましい想像力によって出来上がったものかもしれないのだ。そのことを肝に銘じて、議論にのぞんでほしい。

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エリザベス・ホームズの正体を暴いたのは?

資産45憶ドル、最年少で成功した女性起業家   ことし4月から7月まで3か月間、アメリカに滞在した。6月半ばシリコンバレーに行った際、たまたま手にしたWSJ(ウォール・ストリート・ジャーナル)でエリザベス・ホームズと彼女が創業した、わずか一滴の血液で200種類以上の病気の診断が受けられるベンチャー企業「セラノス」を初めて知り、びっくりさせられた。ネットで調べるとさまざまな情報を得ることができた。  弱冠31歳で資産45憶ドル、スタンフォード大学化学工学部に進学したが、19歳で中退。2003年にセラノスを設立、彼女の発明した「痛くない血液キット」はアメリカの大手薬局チェーンと業務提携したことで急速に普及、10年間で医療費が約2千億ドル節約できると予想され、世界中から注目されていた。2014年度フォーブス誌の米国億万長者番付に「最年少で成功した女性起業家」に選ばれた。ホワイトハウス、米商務省などが協力して国際的起業を支援する機構メンバーにも選ばれていた。  しかし、日本ではほとんど知られていない。 FBIが詐欺容疑で起訴  その理由は、わたしが手にしたWSJはエリザベスを詐欺容疑で起訴する記事だったからだ。WSJのジョン・カレイロウ記者は2015年初めにセラノスを調べはじめ、さまざまな妨害を受けながらも、10月にエリザベスの”嘘”を告発、その後も報道し続け、とうとうことし3月証券取引委員会が50万ドルの罰金と経営権のはく奪、さらに6月にFBIが詐欺容疑で起訴した。9月にはセラノスが近く解散するという記事まで報道されている。血液検査での被害者はいないようだが、10億ドルもの損失を被った投資家が続出している。  先週、静岡市文化・クリエイティブ産業振興センターを訪れた。そのパンフレットで「文化・クリエイティブ産業」について、英国文化・メディア・スポーツ省が定義した創造産業13分野を指しているのだ、と説明してあった。ただ、それを調べていくと、同センターのパンフレットは20年も前の英国政府の定義が使われていた。当然、20年間もあれば、この分野の発展は著しく、英国だけでなく、日本の経産省でも「クリエイティブ産業を定義していない」として、知的財産権、著作権を有する産業を指し、多くのものがクリエイティブ産業になりうる可能性が高い、としている。 編集・批評・報道の役割  エリザベスはフォトジェニックな容貌を生かし、セラノスを投資家やマスコミに売り込んでいった。必要性もあったのだろうが、秘密主義をモットーに、アップルのスティーブ・ジョブスをまねてすべて黒の衣装に身を包み、カリスマ性を演出した。オバマ、クリントン政権の高官らはエリザベスのために名前を貸した。元国務長官らがセラノスの役員に名を連ねたが、セラノスの実態を知る者はいなかった。エリザベスの起業したセラノスは「研究・開発」分野で創造産業だが、彼女の場合、セラノスと彼女自身をどのように売りこんだのかというテクニックは、「広告」分野における抜群の創造産業にあてはめたほうがいいのかもしれない。ただし、その中身は虚飾にまみれていた。  WSJの経営者ルパート・マードックらもセラノスに個人的に投資していたから、ジョン記者への圧力は並大抵のものではなかっただろう。しかし、ジョン記者の鋭い批評精神に基づく徹底的な調査報道でエリザベスの正体が暴かれた。  ウイキペディアによれば、いまや、英国政府の定義した創造産業のひとつに「編集・批評・報道」が入っている。シリコンバレーで有名なことば「Fake it til you make it(できるまではでっちあげておけ)」の通り、エリザベスもだまそうとしたのではなく、実現するまでの時間稼ぎをしていたのかもしれない。シリコンバレーにはスタートアップ文化(はったり文化)がまん延している。偽物が多いが、それを見極めるのは大変だ。文化・クリエイティブ産業が振興していくためには、その正当な評価とともに、偽物を排除してふるいに掛ける「編集・批評・報道」が重要であることは間違いない。できることならば、このニュースサイトもそのひとつとしての役割を果たしていきたい。 ※エリザベス・ホームズの写真は「CNNenglish express2015年8月号」(朝日出版社)の記事で紹介されたものを使わせてもらいました。当時はタイム誌の「2015年最も影響力のある100人」選出など女性ヒーローだった。詐欺容疑での起訴にもへこたれず、最近でも彼女は新たな会社を立ち上げようとしているという報道もあるくらいで、相変わらず「最も影響力のある100人」なのかもしれない。  WSJのジョン・カレイロウ記者はことし5月「Bad Blood」(未翻訳)を出版、既に映画化の話も出ている。

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さくらももこと徳川家康 タバコ好きは?

悲しいニュース   漫画、テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」の作者さくらももこさんが8月15日に亡くなったニュースが全国に流れた。   さくらさんの大ファンだったから、亡くなったと知ってから、アニメを借りてきたり、エッセイや対談 なども片端から読んだ。特集付録「ありがとう」(永久保存版)の付いたりぼん11月号も購入した。 まる子のおじいちゃん友蔵が漫画と違い、いばりん坊で、家族の嫌われ者だったこと、友蔵の亡くなったとき、みんなで大笑いした話など昔、読んでいたが、もう一 度読み返しても腹を抱え大笑いできた。チベットやバリ島などの旅行話を満載した雑誌「富士山」5号(新潮社)も大事に取ってある。 健康よりもタバコ?  今回初めて、お茶の水女子大学の哲学教授、土屋賢二先生との対談「ツチケンモモコラーゲン」(集英社) を読んで、さくらさんが健康オタクだったことを知った。   土屋先生が「運動はしない。タバコは吸う、昼夜逆転した生活―これだけ不健康なことをしていて健康を目指しているのはおかしい」と茶化しているが、さくらさんは「タバコが吸えなくなってストレスがたまるぐらいだったら、そのほうが健康に悪い」と返し、 さらに、土屋先生が「健康よりもタバコのほうが大切ですか?」と突っ込まれると、「ええ。 このタバコを吸うために健康を研究している」と答えている。 さくらさんがいかにタバコ好きだったかがわかる。  わたしがタバコを嫌いなのは、健康のためではなく、おいしい食べ物が味わえなくなると信じていたからだ。わたしの父親は84歳で亡くなるまでタバコを吸っていた。子供のとき、父親からの タバコの煙を吸って「こんなまずいものを体に入れたら、味が分からなくなってしまう。だから、おやじはあまり食べ物に手をつけないんだ」と頭から思い込み、タバコには手を 出さない決意した。それがきょうまで続いている。 駿府で世界初の喫煙禁止令    静岡旅行記者協会発行の雑誌「静岡人」第2号「久能山東照宮」特集号をつくったとき、徳川家康が慶長14 年(1609年)駿府で世界初の禁煙禁止令を出したことを取り上げた。   江戸時代初め、スペインの宣教師がタバコとその種を日本に持ち帰って、あっという間 に日本中にタバコが広まった。寝タバコによる火事が多く、多分、家康はタバコ嫌いで喫煙禁止令を発布した が、あまり効果がないと知ると、タバコの耕作売買禁止令まで出した。罪を犯した者は家財 没収という厳しい罰を課した。ところが、江戸時代もさくらさん同様にタバコ好きが多すぎて、いくら禁止令でストップを掛けても、タバコ喫煙者は増え続け、家康が亡くなると同時にこの禁止令も忘れられてしまった。   だから、江戸時代のキリシタン弾圧の背後には、家康の徹底的なタバコ嫌いを尊重し、タバコを日本に持ち込んだ宣教師たちを罰したに違い ないとわたしは信じている。 実効性の薄い喫煙禁止令   静岡市は駅前、呉服町通り、七間町、地下道などを路上喫煙禁止地区にしている。 違反すると2千円の過料という罰則もあるが、ほとんど守られていないようだ。ときどき青い帽 子をかぶった監視員2人組が歩いているが、ほとんどの人は喫煙禁止の監視員とは知らない。監視員の存在は全く効果はないようだ。道路の貼ってあるワッペンも「喫煙禁止」を知らない人のほうが多い。   それに比べて、路上駐車禁止の監視員は駐車禁止切符を窓に貼っていて、ちゃんとわかる。こちらは罰金1万円で、強制力は抜群である。  さくらさんはファンの前に出ることを嫌った。作家と作品は違い、作品のイメージを壊し たくない気持ちが強かったから、という。 さくらさんが静岡市の繁華街でタバコを吸っていて、監視員に叱られていても平気の顔 だっただろうか。きっと、エッセイに書いて、 「もし、本当にタバコを禁止したいなら、過料2千円ではなく、20万円くらいの罰金にしろ」と言ったかもしれない。 それでも、さくらさんはきっちりと20万円支払って、タバコをやめなかったに違いない-。  とにかく、静岡市の路上喫煙禁止地区は、江戸時代の駿府で発布された家康の禁煙令同様にあまり効果はないことは確かだ。  「静岡の未来」、「取材ノート」とも過去に出版した雑誌を写真に出して、わたしたちが いままで何をやってきたのか、さりげなく紹介させてもらった。   これから、しずおかのニュースサイトとして、新たな問題にチャレンジしていきます。それでは、よろしくお願いします!