「文化」を廃れさせないために

「文化」とは何かを見つけるもの

 右指で調子を取りながら、気炎を上げる小説家埴谷雄高氏(75)。後ろの席でにこやかに笑う評論家久保田正文氏(73)、その隣の2人は評論家本多秋五氏(77)、小説家藤枝静男氏(78)。戦後文学の中心で活躍した錚々たる顔ぶれが浜名湖畔に集まった。カッコ内は当時の年齢だ。

 1985年6月24日夜。浜松市在住の藤枝氏の招きに応じて、雑誌「近代文学」創刊同人らが駆け参じた会合の1枚。10人が夜遅くまで酒を酌み交わしながら、それぞれの談論風発を楽しんだ。1966年以来、毎年夏、浜名湖弁天島で2泊3日の愉快なときを過ごすきまりになっていた。超難解な「死霊」という長大な作品を書き続けていた埴谷氏もこの日は酔っ払いの愉快な親父になって管をまいた。当時、「死霊」第8章の執筆中だった。

 「みんな元気であった。毎年かならず明けがたまで起きていてしゃべりつづけた。昼も寝転がってしゃべりつづけていた。ー時はどんどん過ぎて行く。池のなかでもその外でも。苛々(いらいら)して何かを見ようとしても、その術をみつける手掛かりはつかめない」。1976年に発表した短編小説「出てこい」に、藤枝氏が仲間の集まりを書いている。青春の悩みも60代熟年世代の悩みもその質に違いはあっても同じで、何かを見つけるために悪戦苦闘する。

「文化」を理解するには年齢も必要

 「死霊」の書き出しは以下の通りである。

 『最近の記録には嘗て存在しなかったといわれるほどの激しい、不気味な暑気がつづき、そのため、自然的にも社会的にも不吉な事件が相次いで起った或る夏も終りの或る曇った、蒸暑い日の午前』。主人公が精神病院の門をくぐる重たい場面で始まる。

 初対面の埴谷氏に、小説「死霊」を理解するのは非常に難しいと話すと、即座に「若いとき読んで分からなくても年を取れば分かる」と答えてくれた。「40歳を超えなければ理解できない文学は世界中にたくさんある。たとえばゲーテの『ファウスト』。書き終えたとき、ゲーテはすでに80歳を超えていた。ぼくが『ファウスト』を最後まで読むことができたのはずっと年を取ってからだ」と続けた。

 それから30年以上が過ぎたが、果たして、いまならば「死霊」を読み通すことができるだろうか?

 静岡市美術館で開催されている「起点としての80年代」展(3月24日まで)を見ていて、昔、埴谷氏の言ったことばが思い出された。30年前の「インスタレーション」や「メディア・アート」という作品はほとんどなじみがなく、そしてやはり難解だったからだ。どこかで見たことはあったのだろうが、強い印象を与えなかった。絵画や立体芸術は視覚を通して感じるかどうかだが、日本語をイメージとして理解するのは全く違う。

瞬間を切り取るのが「文化」

山口県の砂丘で発見された弥生人骨

 東京・上野の国立科学博物館「砂丘に眠る弥生人」展(3月24日まで)は1950年代に発見された多数の弥生人骨が展示されていた。物言わぬ2千年前の何十体もの白骨が語り掛けた。「いずれ死んで白骨になるぞ」。酔っ払った埴谷氏はその夜、大きな声で叫んでいた。目の前の白骨は具体的な「死霊」であり、生きている埴谷氏は「死霊」をイメージしただけにすぎなかった。

 30年以上を経て、その夜に参加していた者で生きているのはわたしだけになった。みな埴谷氏の言った通りに白骨に変わった。そういうことである。理解しようが、理解できないとしても、瞬間を止めることはできないが、「ファウスト」の「瞬間よ止まれ、おまえはいかにも美しい」を多くの人が記憶し、「苛々して何かを見ようとしても、その術をみつける手掛かりはつかめない」(「出てこい」)と嘆くのだ。

「文化」を支える仕組み

 「文化」は瞬間を止めることはできないが、その瞬間を切り取ることができる。切り取られた瞬間は未来につながり、大きな影響を街に与える。

 80年代静岡市でも多くの文化人の交流が盛んだった。作家小川国夫氏を中心に詩人大畑専氏、歌人高嶋健一氏、俳人野呂春眠氏らが静岡市立中央公民館(現在のアイセル21)で若い人たちを指導した。謡曲という未知の古典世界について、小川氏はわかりやすいことばで熱心に話してくれた。その講座に数多くの若者が詰め掛け、その講義録は82年に角川書店から「新天の花淵の声」として刊行された。

静岡市文化・クリエイティブ産業振興センターの展示

 先日、静岡市の文化・クリエイティブ産業振興センター1階ギャラリーを訪れた。残念ながら、人影はなく閑散としていた。多分、作品そのものが身近なものでなく、説明する人もいなかった。「文化・クリエイティブ産業」とは「デザイン、出版、アート等の分野における創造的活動から生ずる文化的影響により市の文化の向上に資する産業」と定義されている。産業として「文化」を育てなければ、「文化」そのものが廃れていくのだろう。

 ただ「文化」は簡単に理解できない。晩年の小川氏は小説の合間に、「小川漫画」という奇妙な漫画を描いていた。その漫画を手に、「富士山は富士山です。世界遺産なんて冠は富士山には似合わない」と話してから、山部赤人の長歌「天地のわかれし時ゆ 神さびて」を最後まで口ずさんだ。「世界遺産」というわかりやすい冠ではなく、日本人ならば、万葉の歌抜きに富士山は語ってはならないのだ。そのようなことをはっきりと言える文化人は少なくなった。小川氏も亡くなって10年が過ぎた。「文化」を廃れさせてはならない。

※タイトル写真は小川国夫氏の圧倒的な迫力を持つ「漫画」。その楽しい1枚の絵が語り掛けるものは非常に多い。

Leave a Reply

Your email address will not be published.