さくらももこと徳川家康 タバコ好きは?

悲しいニュース 

 漫画、テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」の作者さくらももこさんが8月15日に亡くなったニュースが全国に流れた。

さくらももこさんの特別コーナー=静岡市の戸田書店

  さくらさんの大ファンだったから、亡くなったと知ってから、アニメを借りてきたり、エッセイや対談 なども片端から読んだ。特集付録「ありがとう」(永久保存版)の付いたりぼん11月号も購入した。 まる子のおじいちゃん友蔵が漫画と違い、いばりん坊で、家族の嫌われ者だったこと、友蔵の亡くなったとき、みんなで大笑いした話など昔、読んでいたが、もう一 度読み返しても腹を抱え大笑いできた。チベットやバリ島などの旅行話を満載した雑誌「富士山」5号(新潮社)も大事に取ってある。

健康よりもタバコ?

 今回初めて、お茶の水女子大学の哲学教授、土屋賢二先生との対談「ツチケンモモコラーゲン」(集英社) を読んで、さくらさんが健康オタクだったことを知った。

  土屋先生が「運動はしない。タバコは吸う、昼夜逆転した生活―これだけ不健康なことをしていて健康を目指しているのはおかしい」と茶化しているが、さくらさんは「タバコが吸えなくなってストレスがたまるぐらいだったら、そのほうが健康に悪い」と返し、 さらに、土屋先生が「健康よりもタバコのほうが大切ですか?」と突っ込まれると、「ええ。 このタバコを吸うために健康を研究している」と答えている。 さくらさんがいかにタバコ好きだったかがわかる。

 わたしがタバコを嫌いなのは、健康のためではなく、おいしい食べ物が味わえなくなると信じていたからだ。わたしの父親は84歳で亡くなるまでタバコを吸っていた。子供のとき、父親からの タバコの煙を吸って「こんなまずいものを体に入れたら、味が分からなくなってしまう。だから、おやじはあまり食べ物に手をつけないんだ」と頭から思い込み、タバコには手を 出さない決意した。それがきょうまで続いている。

駿府で世界初の喫煙禁止令

 

雑誌「静岡人」第2号、久能山東照宮特集号

 静岡旅行記者協会発行の雑誌「静岡人」第2号「久能山東照宮」特集号をつくったとき、徳川家康が慶長14 年(1609年)駿府で世界初の禁煙禁止令を出したことを取り上げた。

  江戸時代初め、スペインの宣教師がタバコとその種を日本に持ち帰って、あっという間 に日本中にタバコが広まった。寝タバコによる火事が多く、多分、家康はタバコ嫌いで喫煙禁止令を発布した が、あまり効果がないと知ると、タバコの耕作売買禁止令まで出した。罪を犯した者は家財 没収という厳しい罰を課した。ところが、江戸時代もさくらさん同様にタバコ好きが多すぎて、いくら禁止令でストップを掛けても、タバコ喫煙者は増え続け、家康が亡くなると同時にこの禁止令も忘れられてしまった。

  だから、江戸時代のキリシタン弾圧の背後には、家康の徹底的なタバコ嫌いを尊重し、タバコを日本に持ち込んだ宣教師たちを罰したに違い ないとわたしは信じている。

実効性の薄い喫煙禁止令 

 静岡市は駅前、呉服町通り、七間町、地下道などを路上喫煙禁止地区にしている。 違反すると2千円の過料という罰則もあるが、ほとんど守られていないようだ。ときどき青い帽 子をかぶった監視員2人組が歩いているが、ほとんどの人は喫煙禁止の監視員とは知らない。監視員の存在は全く効果はないようだ。道路の貼ってあるワッペンも「喫煙禁止」を知らない人のほうが多い。

  それに比べて、路上駐車禁止の監視員は駐車禁止切符を窓に貼っていて、ちゃんとわかる。こちらは罰金1万円で、強制力は抜群である。

 さくらさんはファンの前に出ることを嫌った。作家と作品は違い、作品のイメージを壊し たくない気持ちが強かったから、という。 さくらさんが静岡市の繁華街でタバコを吸っていて、監視員に叱られていても平気の顔 だっただろうか。きっと、エッセイに書いて、 「もし、本当にタバコを禁止したいなら、過料2千円ではなく、20万円くらいの罰金にしろ」と言ったかもしれない。 それでも、さくらさんはきっちりと20万円支払って、タバコをやめなかったに違いない-。

 とにかく、静岡市の路上喫煙禁止地区は、江戸時代の駿府で発布された家康の禁煙令同様にあまり効果はないことは確かだ。

 「静岡の未来」、「取材ノート」とも過去に出版した雑誌を写真に出して、わたしたちが いままで何をやってきたのか、さりげなく紹介させてもらった。

  これから、しずおかのニュースサイトとして、新たな問題にチャレンジしていきます。それでは、よろしくお願いします!

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