新聞記者という職業2「市長の首を取って来い」

なぜ、静岡市長を辞めたの?

  25年も前の事件となると、記憶は定かではない。幼かったり、静岡市に住んでいなかった者も多いだろう。とりあえず、当時の新聞記事を探した。静岡市長の不祥事を追及する記事が次から次と見つかった。1年間の世相を振り返った1994年12月23日静岡新聞朝刊の記事に「静岡市長辞職 なお残る政治倫理確立」という見出しで事件の概要をまとめてあった。

 静岡市長辞職 静岡市の天野進吾前市長は平成4年(1992)の市議会以来、市内に採石用地を持つ業者との海外旅行など親しい交際を追及された末、「これ以上、関係者に迷惑を掛けたくない」と任期途中の6年(1994)7月いっぱいで辞職した。市議会に招致されたが”疑惑”の一切を否定した。県警もゴルフ場問題を含め天野氏から事情を聴いたものの立件を断念し真相ははっきりしないままに終わった。

 「真相ははっきりしないままに終わった」。事件は藪の中で終えたから、より分かりにくくなっているのだろう。その事件を追及するための静岡市調査特別委員会(1994年10月6日付静岡新聞朝刊)の記事は非常に長く詳しい。「市議会に招致されたが、”疑惑”の一切を否定した」と12月23日記事にあったが、その記事で「疑惑の一切を否定」は間違いであることがわかった。

 「採石業者との海外旅行など一連の不祥事の真相解明に取り組む静岡市議会調査特別委員会に、参考人として出席した天野氏は旅行費用の負担を採石業者から受けるなど金銭の便宜を受けたことを初めて認めた」。何と、市長当時、採石業者からの金銭の便宜供与を天野氏は認めているのだ。

 しかし、採石業者との交際は「友人としての付き合い。相談や依頼を受けたことはない」と、採石業者に行政上の便宜を図ったことを否定して、特別調査委員会を乗り切った。このあと、多数会派の自民党が同委員会を廃止を決めたことで紛糾した様子も伝えている。

 旅行費用を業者が負担したが、友人の立場であり業者としてではないという主張は、あまりに都合よく聞こえる。「業者として交際したことはない」「(バンコク旅行の招待を受けたことに対して)海外旅行は個人の立場で出掛けている」と答え、さらに採石業者から1400万円を受け取ったという報道に対して、「友人としての付き合いの中で金の貸し借りはあった」「税務に関係するものではなく、プライベートなものだ。具体的に申し上げる必要はない」と退けている。これでは市長として好ましくないと一般市民は考えるだろう。結局、旅行接待だけでなく、金銭の貸借も認めたが、市長としての行政上の便宜供与はないから、問題なしとの見解が通ってしまった。「本当にそれでいいのか」という疑問を多くの市民が抱いたのではないか。

 記事の最後。「天野前市長は、前市長の不祥事を議会で最初に取り上げた議員に向かって、「前議長に『市長の首を取って来い』と言ったそうですね」と詰め寄った。閉会後、記者団に囲まれた前市長は、この発言が権謀術数の説明といい「きょう最も言いたかったこと」と声を荒げた」。内容はわかりにくいが、田舎芝居”市長の首を取って来い”といった一場面をほうふつさせた。

 静岡市長選候補、天野氏の市長辞職理由を知りたいと考えて、当時の新聞記事を探した。お金にまつわる問題だったことだけをうろ覚えしていた。今回、メディアの選挙報道は過去の事件に全く触れていない。当時の事情をよく知る記者はだれもいなくなり、忘れてしまったのか?

「昔の静岡」を取り戻すとは?

 ことし2月24日、天野氏が静岡市長選出馬を宣言した際、「昔の静岡を取り戻してほしい」との多くの市民の声にこたえ決断したと報道。川勝平太静岡県知事は天野氏の出馬報告を受けて「よく決断された」と称賛している。92年からの約2年間、お金にまつわることで市政のゴタゴタを招いているが、その時代にもう、一度戻してほしい、ということか。

 「周辺に迫る捜査の手を何とか逃れようとする市長の決断が辞意表明を予想以上に早めたといえそうだ」(94年7月10日付静岡新聞)。こちらの「決断」は出馬ではなく、辞職だが、25年前の「決断」は逃げ腰だ。

 そのほぼ1カ月後の「静岡市議会の鈴木和彦議長が辞職へ 天野前市長の辞任でけじめ」(94年8月5日付静岡新聞)の記事を読んで飛び上がるほどびっくりした。わたしも「昔の静岡」事件に巻き込まれていたのだ。

 記事の中で、「鈴木氏の辞意を、6月議会で表面化した『老人病院準備資金保管問題』と関連づける推測も出ている。鈴木氏は『(資金保管問題について)一切、やましいことはない。迷惑な推測だ』と、同問題との関連を否定した」とあった。

 「鈴木氏は昭和62年11月、当時、市西北部に民間老人病院の開設を準備中の知り合いから現金7百万円を受け取った。知り合いへの出資者が計画の資金繰りに不審を抱き鈴木氏に返還を要求し鈴木氏は全額を返還した。

 現金の趣旨を問題にされたのに対して鈴木氏は『理事の一人として将来、理事会を組織する中心になってほしいと持ってきたので準備資金として預かったが一切、手をつかないまま返した』と反論した。

 鈴木氏は前市長の辞意表明後、一時、ポスト天野の有力候補の一人に浮上しかかったが、同問題が響き擁立の動きが消えた経過がある。」

 そうか同じ頃だったのか。この記事に本当に驚いたのは、わたしが記事にある出資者のごく近い身内だったからだ。深い事情を知らないまま、わたしは静岡市議会議長室へ出向き、初対面の鈴木氏を訪ねた。その席で身内から頼まれ、病院の準備資金として提供した2千万円を返してもらうようお願いした。この問題を厳しく追及していた服部寛一郎市議(故人)に面会して、話を聴いた記憶もある。当然、老人病院は設立されず、中心となった発起人は莫大な借金を抱えたまま失踪した、と聞いた。

 こんな「昔の静岡」に戻してほしい、と考えている市民はどんな人たちなのだろうか。25年前の一連の事件をすべての市民が忘れているわけではないだろう。わたし同様にうろ覚えなだけだ。

だれの「選挙ポスター」を破ったのか?

 30日静岡南警察署は静岡市長選の特定候補ポスターを破ったとして80歳男性を逮捕した。周辺では同様の事件が10件弱起きていて、警察は警戒に当たっていた。現行犯逮捕された恩田原地区は静岡南警察署のすぐ東隣の地域である。

 罪名が公職選挙法違反(自由妨害罪)となっていたので、警察に「なぜ、器物損壊の現行犯ではないのか」と聞いた。それに対して、特定候補ばかりを狙ったポスター破りだったので、公選法違反を当てたのだという。自由妨害罪のほうが器物損壊罪よりも少し罪は重くなる。

 80歳男性は特定候補へ恨みか何かを持っていたようだ。28日までは警察署周辺で破られたポスター掲示はそのままだったと聞いた。と言うことは、すでに破られたポスターを再掲示してあるのかもしれない。

天野氏のみ接着剤と画鋲で固定されていた

 警察では「特定候補」の名前を発表していない。早速、恩田原地区へ向かった。いくつかの選挙ポスター掲示板を見つけた。遠くから見れば、わたしの近所にある選挙ポスター(タイトル写真)と全く同じだ。ところが、近づいていくと、天野氏のポスターのみ画鋲でしっかりと固定されていた。別のポスターも同じで、天野氏のみ接着剤で張り付けたあと、画鋲でもしっかりと固定されていた。他の候補との違いがそこにあった。多分、この地域だけだろう。

新聞は過去の報道を忘れてはならない

週刊現代4月6日号記事より

 週刊現代4月6日号の記事「間違えたのは検察や裁判所だけですか?冤罪だった『滋賀・呼吸器外し』事件 じゃあ、新聞はあの時、どう報じていたか」。この記事を読んでいて、新聞報道は過去の事件記事から全く無縁ではないことを実感した。

 取材者は変わっているのだろうが、同じ媒体なのだから、過去にどのように報道したのか、それを踏まえることは重要なのだろう。昭和41年(1966)に起きた袴田巌さんの事件、わたしの入社当初には事件取材をした数多くの記者がいた。元共同通信記者から話を聞き、さらに、当時この事件でスクープ記事を連発した毎日新聞エース記者にも会って話を聞く機会があった。当然、袴田さんを有罪だとみな思い込んでいた。

 当時の新聞が、袴田さんの事件をどのように報道したのかを踏まえた上で、現在、冤罪事件として取材する新聞社記者は袴田さんに向き合うべきなのだろう。わたしの場合、袴田事件を取材する機会に恵まれなかったが、袴田事件を追った三一書房新書「地獄のゴングが鳴った」(高杉晋吾著、1981)を読んだあと、じゃあ、清水市で起きた一家4人殺しの真犯人はどこにいるのかという疑問が強く残ってしまった。

 静岡県内には冤罪事件が多く、清瀬一郎弁護士が中心となった幸浦、小島、二俣の3大無罪事件。沼津市で起きた正木ひろし弁護士らが中心となった丸正事件。過去の事件といまの事件はつながっているのかもしれない。

 選挙民に数多くの判断材料を与える選挙報道でも、過去の事件と無関係ではいられないだろう。

 1992年10月、第1回大道芸ワールドカップが開催され、大きな感動を呼んだ。同じ年に青葉シンボルロードができたという。いずれも天野市政の業績と訴えている。それはその通りなのだろうが、その同じ年に天野氏は”友人”との交際疑惑を市議会で追及され、2年後の辞職につながっていくのだ。

 今回の静岡市長選は当然、なぜ、25年前市長は辞職したのかと切り離せない。静岡新聞の見出し「なお残る政治倫理の確立」を検証してもいい。

 天野氏が今回の市長選で、当時の疑惑に対してどのように答えているのか不明だ。マスメディアは臆せず、過去の事件に対して目を向けた上で、市長選を報道すれば、市民はもっと関心を持つだろう。

 80歳男性は破ったポスター候補に何か腹立たしい思いがあったのだろう。警察署は選挙戦に配慮して、投票前には何も公表しないのだろう。各候補に対する市民の不満は大きいようだが、静岡市長選があまり盛り上がっていないことだけは確かだ。

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