「金のなる木」はどこにある?

「金のなる木」のご利益は

二股の楠が2代目「金のなる木」

 「『金のなる木』」はどこにあるのか?」そう電話が掛かってきた。2010年に出版した雑誌「静岡人 久能山東照宮」を最近、読んだ男性から静岡旅行記者協会事務所へ問い合わせがあった。雑誌では、家康の大きなお墓のすぐ近くにある「大杉」を「金のなる木」として紹介した。ああ、そうか3年前の10月に伐採されたため、雑誌の大杉を探したが、見つけられなかったようだ。現在は、斜め後ろの大楠を「金のなる木」2代目としているが、初代の大杉に比べて地味な存在でわからなかったのかもしれない。

 さて、家康の「金のなる木」にご利益があるのだろうか?

時価1兆円の遺産を残した家康

 家康は「お金の神様」だった。「金・銀・銅の日本史」(岩波新書)の著者村上隆氏は、家康の遺産を94万両(金換算で2百万両)とし、「まさに人類史上、まれに見る資産家だった」と驚嘆した。40年前、歴史家樋口清之氏は2百万両を時価5千億円と推定。いまならば時価1兆円になっているだろう。そんな莫大なお金をどのように貯め、家康は何に使ったのか?

実用一点張りの大黒頭巾形兜

 家康の「歯朶具足」(重要文化財)のレプリカについて取り上げ、このレプリカが”目玉”では観光客の誘致は期待できないと指摘した。さらに「『甲冑の値段』から考える幸せ」(「お金の学校」)で本物とレプリカの価値について取り上げた。本当はレプリカでも構わない。レプリカでも価値の高いものは多い。しかし、歯朶具足は大黒頭巾形の兜に、黒漆塗の地、黒糸威の胴丸、全身が真っ黒で、あまりに地味なイメージで、家康の質素、倹約、吝嗇の象徴とも言える。前立の金の大きな弦月がトレードマークの伊達政宗、大河ドラマで一躍有名となった「愛」の字を模した直江兼続ら戦場に向かう武将たちの派手で個性的な甲冑に比べ、歯朶具足は実用一点張りで、あまりに地味だ。

 さらに、悪いことに、歯朶具足を「腹黒具足」と呼んだのは、アンチ家康、太閤秀吉贔屓や淀君、秀頼母子を守る真田幸村、猿飛佐助、霧隠才蔵ファンである。大坂の陣で、豊臣一族を滅ぼしたことを「家康の人生最大の失敗」と評価する歴史学者が多く、大坂の陣に着用したとされる歯朶具足は家康の「腹黒」の象徴であり、「狸おやじ」などと家康が呼ばれる、大きな理由になっているようだ。そんなレプリカが本当に”目玉”になるのか。

「億男」と「1億円のさようなら」

 幕末の尊王討幕家、尾高藍香は「家康は金1両とする定位貨幣をつくり、貨幣制度を確立したことが最大の功績だ」と高く評価した。幕府が通貨の一元的な発行権を握り、財政の安定を図るために家康には莫大な金銀が必要だった。家康の遺産によって260年の平和は続いたが、幕末の動乱で開国したあと、金が大量に国外に流出したことで貨幣制度そのものが崩壊、狂乱物価を招く原因となり、大パニックに陥り、江戸幕府は破滅した。

文春文庫の「億男」表紙

 最近、お金と幸せを考える2つの小説が発刊された。「億男」(川村元気)は映画化に伴って、文庫化された。もう1冊は「1億円のさようなら」(白石一文)。3億円の宝くじで当たった男、もう一方は妻に34億円の遺産があることを長年知らされなかった男がそれぞれ主人公で、多額のお金で人生の幸せが得られるのか、回答を探し求めていくストーリー。お金に悩んでいる万人に推薦できる2冊だ。

 「1億円以上の宝くじの当せん者は年間5百人、この10年間で5千人以上だから、特別なことではない」(「億男」)。宝くじの当せん確率1千万分の1の世界は、特別な世界だから、宝くじを買い続けている、ほとんどの人が一生の間に当せんする確率はない。34億円の遺産を妻がもらう確率はさらに低い。遺産1兆円の世界となれば、全くありえない話だ。しかし、面白いことに、家康は駿府城で75歳で亡くなり、遺産1兆円を残してしまった。これは紛れもない事実だ。

ビスカイノの真の目的は金銀発見

安倍金山のあった安倍川上流部

 家康の時代、日本ではゴールドラッシュが続いていた。伊豆金山、安倍金山が発見され、佐渡金山、岩見銀山、黒川金山など各地で金銀の産出量が急激に伸びていた。金山奉行大久保長安が豪勢な屋敷を駿府に構え、日本中すべての金銀山を支配下に置き、駿府城金庫へ金銀を運んだのだ。

 ちょうど、その頃駿府にやって来たのはスペイン初の大使セバスチャン・ビスカイノ。ビスカイノは駿府城で家康に面会、偉大な国王フェリペ2世の愛用した西洋時計を海難救助のお礼として家康に贈った。この時計が久能山東照宮に現存しているが、表向きの答礼使ではなく、秘密の勅命をビスカイノは帯びていた。

 その密命が日本の島にある莫大な金銀発見だった。スペイン宮廷は日本近海の北緯29度に金富島、35度に銀富島が実在するという極秘情報と探検命令をビスカイノに与えた。西洋世界は日本こそジパング(黄金の島)であると固く信じていた。そのように信じられるくらい金銀が豊富だったのだ。

駿府城跡発掘で金銀発見の夢

駿府城天守台跡から金銀発見は?

 伏見城から運んだ金銀で駿府城の床が落ちたという記録が残っている。1608年駿府城焼失後に焼け焦がれた金銀を一度、久能城に運んだ記録や亡くなった後の「久能御蔵金銀受取帳」には家康の遺産2百万両が記される。駿府城は金銀の宝庫だったから、現在行われている駿府城の天守台跡発掘で金銀が発見される可能性をまったくゼロとは言いきれない。

 なぜ、そんな観点から歴史博物館を考えられないのだろうか?

 みんな自分自身が大金持ちになる夢を見る。家康はそんな夢をみんなに見せてくれる存在だ。多額のお金があれば幸せになれるかどうかは小説の世界に回答を求め、お金の夢を見ることの幸せは現実の世界であり、とても楽しい時間となる。そんな夢を見せてくれる歴史博物館は素晴らしいのではないか。

 「金のなる木」のご利益は、みなに夢を見せることだ。家康の縁起のいい初夢「一富士、二鷹、三茄子」にならって、駿府城跡地から金銀が発掘される夢を見て、それが博物館の”目玉”になる可能性を期待してはいかがか。

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