お金と仕事と健康とー作家橋本治さん

棺の仏様を見ると「羨ましい」

 『他人の葬式に行って、棺の中に横たわっている仏様を見ていつも思う。「ああ、もう頑張らなくていいんだなァ」と。「死ぬとゆっくりと出来る」と私は思っているから、安らかに眠っている仏様を見ると「羨ましいな」と思う。』(橋本治著「いつまでも若いと思うなよ」新潮新書、2015年10月)

 橋本治さんは1月29日71歳になる2カ月前、「羨ましい」と思っていた仏様になり、天国に旅立った。2017年の日本人平均寿命は男性約81・1歳、女性約87・3歳。平均から比べれば、71歳は死ぬには早すぎる。新聞等には「肺炎」のために亡くなったとある。

 橋本さんはアルコールを口にしない。大量の喫煙、長時間の机仕事、運動不足だったが、長い間、病院と無縁の生活を送っていた。62歳のとき、脚が赤い斑点だらけになり、ふくら脛の付け根が締め付けられるように痛くなり、大学病院を受診。そこから、いままでのツケを支払わされる。

 さまざまな検査が行われ、肺がスカスカの状態で慢性閉塞性肺疾患を疑われたが、肺がんの兆候はなかった。心臓の動悸が異様に速く、動脈硬化が進んでいた。痛みの原因となった赤い斑点症状は、毛細血管が炎症を起こしてただれる「顕微鏡的多発血管炎」という難病だとわかる。自己免疫異常が背景にあるが、原因不明。

 入院中に微熱が続いたことで「カリニ肺炎」(本人の申告だが、以前はカリニ肺炎と呼ばれていたニューシモチス肺炎のことで免疫低下時に起こる日和見感染症でエイズの末期症状。実際は他の肺炎ではないか?)と診断され、肺炎は約3週間で収まった。当初から心臓の状態が悪いことがわかっていて、検査で冠動脈2本が詰まっている心筋梗塞と判明。心臓カテーテル手術を受け、血管炎、肺炎、心臓病で約4カ月間の入院生活を送ることになった。体重は約20キロ減り、別人のように痩せてしまう。長年の不摂生で体はボロボロの状態だとはっきりした。

退院後、65歳のときに都立西高校での講演会「役に立たないことの大切さ」。当日も体調はすぐれなかった

 退院したあと、「大腿骨の先が折れてギザギザになったのが、虫歯みたいになった股関節にグサッと突き刺さるみたいな痛み」(橋本さん)で脊柱管狭窄症と診断され、歩行困難となり、杖なしで歩けない状態にもなる。当然、病院通いが続き、医者から処方された薬を毎日20錠以上服用。脊柱管狭窄症の激しい痛みは収まったが、しびれは続き、脚の筋肉と末梢神経に受けたダメージに苦しみ、慢性貧血状態が続いていた。

 ところが、足がしびれて歩行困難で貧血状態であろうとも仕事はどんどん引き受けていた。否、仕事をせざるを得なかったのだ。

借金5億円のための作家生活

著者とおぼしき杖をついた老人が描かれた表紙

 『平成30年の間に、俺は5億円以上の金を銀行に払ったぞ。70までローン返すのに躍起になっていた人間だ』(「九十八歳になった私」講談社、2018年1月)

 68歳のときに書いた、30年後も作家を続けている自分をモデルにした小説。70歳まで30年間、借金を支払っていたのは事実のようだ。だから、どんなに体がボロボロでも、机仕事に向かわなければならなかった。

 「本を書く、原稿を書くのは今時儲かる職業ではない。そういうところに属していながら、私は結構な借金を背負っています。その返済をしながら、生活を成り立たせるのは楽じゃありません」(「乱世を生きる市場原理は嘘かもしれない」2005年11月、集英社新書)。

 本書のまえがきには「この本のテーマがなんなのかは、今のところよく分からない。この三部作(『「わからない」という方法』『上司は思いつきでものを言う』)のテーマも分からない」。これでは読者も著者が何を言おうとしているのかはっきりと分からなくなってしまう。当時の橋本さんの仕事を見れば、さまざまな出版社から発行された大量の著作物が並んでいる。

 なぜ、そんな借金生活を送らなければならなかったのか? 

1億8千万円の買い物をする

 『新潮社の駆け出し編集者として初めてお目にかかって以来、事務所のテーブルをはさんで話をうかがうことが、原稿をいただくに等しい喜びだった』(朝日新聞2月1日朝刊、「橋本治さんを悼む」松家仁之氏)

1990年頃の副都心(新宿観光振興協会提供)

 そのころ、橋本さんは新宿の都庁近くにあったマンションの一部屋を賃貸していた。松家氏はそこで橋本さんの原稿をもらい、おしゃべりを楽しんだようだ。その事務所が借金の原因になるとは思いもしなかっただろうが。

 バブル経済に浮かれていた時代、家主から事務所の部屋(30坪)を坪単価6百万円、計1億8千万円で「買わないか」と持ち掛けられた。銀行に相談すると、1億6千万円分を70歳までの30年間、毎月約百万円ずつ、残りの2千万円を毎月50万円4年間で返済するプランを提示され、その計画を受け入れたのだという。1988年40歳のとき、借金生活がスタートした。

 いま考えるとあまりに無謀な話だが、橋本さんによると、その前に1億円以上の額を稼いでいたから、そのくらいの返済ならば大丈夫だと考えたのだろう。多額の借金と連動した団体信用生命保険に強制加入させられ、こちらは毎月20万円の支払いがあった、という。

 銀行の返済プラン百万円に生命保険20万円が含まれていたのかどうかわからないが、毎月百万円を30年間払い続けると、3億6千万円。62歳で”病気のデパート状態”となった頃には、百万円から『半額近い60万円超の支払い』と書いているから、小説「九十八歳になった私」の『5億円以上支払った』はちょっと大げさなのかもしれない。

 ただ、マンションを購入すれば、区分所有者として管理組合に加入、管理費、修繕積立金を毎月支払わなければならない。それがいくらだったのか分からないが、そのようなマンション支出を含めれば、30年間で5億円も満更大げさではないかもしれない。

 いくら仕事をしても、稼ぎは借金でなくなってしまう。こんな自転車操業の状態が続けば、健康に悪影響が及ぶのは間違いない。

原因不明の上顎洞がん

 亡くなる7カ月前、昨年6月26日ころ、上顎洞がんステージⅣと診断される。鼻の横のへっ込んだ部分の上顎洞にできる原因不明の癌。慢性腎不全で抗がん剤は使えず、外科手術を受けている。『左の髪の生え際から横に一直線、眼の下を切って、そこから鼻に沿って切り下げます。その直角部分をベロンと開いて中の肉を取り出します』。約16時間もの手術だった。

 『「闘病」とは、医者が病に対してするもので、患者はおとなしく言うことを聞いていればいいのです。「気を失う」は究極の言いなりで、だから私はその通りになっていましたが、面倒なのはその後です。十六時間かけて切り刻まれたものを前のように復旧させるのが私の仕事』(いずれも「遠い地平、低い視点」筑摩書房ウェブページから)。「前のように復旧させる」のは簡単な仕事ではなかった。12月26日退院したが、再び入院、1月29日に「肺炎」で亡くなった。喪主は母親だった。

 『七十歳と言えば「古稀」の年で、「人生七十、古来稀れ」なんだから、人間の寿命が七十であってもいいんじゃないかという気がする』(「いつまでも若いと思うなよ」)。40歳から多額の借金に追われ、自己破産を選択せず、昨年30年間を無事に迎えたから、すべて返し終えたはずだ。そのことをちゃんと書いてほしかった。

 『「この人生は仕事だけということにして、死んで生まれ変わったら遊んでいるということにしよう」と思った』(「いつまでも若いと思うなよ」)。多分、仕事がいちばん好きだったのだろう。

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