2019年「平野富山×平櫛田中」展開催を!

国立劇場ロビーの「鏡獅子」彩色作者は?

 先日、東京国立劇場で歌舞伎を見る機会があった。客席入場口前のロビーに2メートルもある大迫力の「鏡獅子」が展示され、外国人はじめ多くの人が足を止めて見入っていた。木彫家、平櫛田中(ひらぐしでんちゅう、1872~1979)と解説版にある。当時の大俳優6代目尾上菊五郎をモデルに戦中、20年間のブランクを経て1958年完成させた。80年以上のキャリアを誇り、さまざまな作品を残した田中が「他のすべての作品が滅してもこの作品だけは残る」と言った傑作中の傑作である。

 この傑作には、ほとんどの人が知らない事実がある。

 それは、「鏡獅子」の彩色を手掛けたのが、彩色木彫家、平野富山(ひらのふざん、1911~89)だったことだ。その事実を思い出すとともに、15年も間、胸の奥底にわだかまっていた苦い記憶がよみがえった。富山が亡くなって、来年6月でまる30年を迎える。

 富山コレクションはどうなってしまったのか?

富山美術館を約束した旧清水市長

平野富山を紹介したパンフレット

 富山は旧清水市生まれ。15歳で地元の指物師に弟子入り、17歳で上京、池野哲仙に師事して彩色木彫を習った。田中が60歳ころから107歳で亡くなるまでの40年以上の間、富山が田中作品の彩色を手掛けている。田中作品に富山はなくてはならない存在だった。

 15年前、東京・荒川区で富山の跡を継いだ長男、千里(せんり)氏(70)を取材した。千里氏によると、故郷を愛した富山の遺志に従い、自身の作品70点と生涯かけて収集したコレクション450点を旧清水市に寄贈した。当時の市長は「羽衣の松の近くに美術館を建設する」と約束した、という。しかし、いつになってもその約束は守られず、千里氏は何度も清水市へ足を運んだ。市長は変わり、清水市そのものが合併してなくなり、静岡市になってしまった。作品調査もしないまま、富山コレクションは旧清水市文化会館に収蔵されたまま、日の目を見ない状態が続いていた。

マリナートに展示コーナー開設

 15年ぶりに千里氏に電話した。JR清水駅東口すぐ近くにできた新しい文化会館マリナートに富山作品の展示コーナーが開設され、現在、静岡市が新たに収蔵した富山若き日の作品、稚児雛人形が展示されているのだという。早速、清水のマリナートに足を運んだ。

清水マリナートに展示の稚児雛人形

 「平野富山常設展示コーナー」として1階通路に開設されていた。雛人形のほか、寄贈された富山の作品2点(彩色木彫「神猿」、FRP「おもがえり」)が大きな陳列ガラスケースに並べられていた。小さな稚児雛は、ガラスのケース越しで何だか遠い存在のように感じた。雛人形は手に取ってみるくらいの距離がちょうどいいのだ。そんな違和感もあって、田中の作品はどうなっているのかを調べた。

田中に2つの美術館、富山コレクションは死蔵

 何と、田中美術館は2つもあった。東京都小平市平櫛田中美術館、岡山県井原市田中美術館。小平市は田中が亡くなった場所、井原市は故郷である。さらに、10歳で養子に入った広島県福山市でも名誉市民、JR福山駅前には田中が製作したブロンズの大きな「五浦(いずら)釣人」像が建立されている。井原市の美術館にはガラスケースはなく、その代わりに「手を触れないでください」という注意書きがある、という。人形は触れることができなくても、すぐそばの距離で見るのがちょうどいいのだ。

 2つも美術館が建設された田中、日本画軸物などの貴重なコレクションを始め、自身の作品も死蔵されたままの富山。2人の違いはどこにあるのか?

百歳時代を先取りした田中

 「60、70はなたれ小僧、男盛りは百から百から」、「いまやらねばだれがやる わしがやらねばだれがやる」など、田中の名言録が知られている。田中の書も人気だ。特に、百歳を超える長命の田中だったからこそ「60、70はなたれ小僧、男盛りは百から百から」は説得力があった。いまや、「70、80はなたれ小僧」と呼んでもいいくらい、百歳が活躍する時代となった。「男盛り(女盛り?)……」の名言は百歳時代の象徴だ。

 田中、富山とも刀剣、甲冑、陶芸などと同じ日本の伝統的な職人技に優れ、職人世界の「名人」と呼ばれた。しかし、田中の場合、伝統的、写実的な作風を重んじながら、岡倉天心に師事、横山大観らと同様に革新的な芸術精神を学んでいる。そこに違いがあるのだろうか。

富山没後30周年企画展を

清水マリナートに展示の「神猿」

 そうか。たった2つの陳列ガラスケースコーナーで、お茶を濁してしまったのが間違っている。富山作品の全貌を見ていないから正確なことは言えないのだ。もっとたくさんの富山作品を見なければならない。ちょうど、来年は没後30年だ。富山の全貌を見せる没後30年記念展を静岡市美術館は企画すべきだ。どうせなら、東京国立博物館から「鏡獅子」を借りてきたほうがいい。小平市、井原市にある「鏡獅子」も並べ、富山独自の「鏡獅子」と競演させれば大迫力だ。「富山×田中」展に大きな期待が高まることは間違いない。

 千里氏に話すと、大乗り気で、もし実現するならば「全面的に協力したい」と話してくれた。静岡市は「世界に存在感を示す」など大きな構想を口にしているのだから、「富山×田中」展くらいやらなければ、静岡市美術館の存在感はない。「いまやらねば だれがやる」。

 「百歳時代」のいまこそ、絶好の企画だ。

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