IWC脱退 「食と文化」の未来

イルカを食べる静岡人

 静岡駅構内の魚店に、この時季になると、たくさんの「イルカ」肉が店頭に並べられる。値段はクジラに比べると、非常に安く、赤身の部分は100g189円、脂肪と皮の部分は100g89円。しばらく見ていたが、赤黒いイルカ肉に手を出す若い人たちはだれもいなかった。

 ゴボウ、人参、生姜、ネギを入れて作るイルカの味噌煮込みや「タレ」と呼ばれる切り身のみりん干しを好む人が過去には数多くいた。イルカ肉を食べる習慣は伊豆半島から静岡市周辺であり、いまも続いている。しかし、飲食店などで提供するところはなく、すべて家庭料理であり、県外の人たちにはほとんど知られていない。

 伊豆半島で盛んだったイルカ追い込み漁は、公式には「鯨類追込網漁」(イルカは小型鯨類に分類される)。2004年を最後に、静岡ではイルカ追い込み漁は行われていない。店頭に並べられたイルカ肉は岩手県のものだった。 

 ところが、昨年9月伊東漁協は10月からのイルカ捕獲を申請、静岡県知事が許可。漁期は2月まで、漁獲枠は80頭。さあ、再び、静岡県でもイルカ捕獲を行うのか?

世界ジオパーク見送りの理由は?

 静岡県知事の許可は出されたが、伊東でイルカ漁を行う様子は見えない。

 県水産資源課に聞くと、伊東漁協の申請要件が整っていれば、許可を出すことになっているという。伊東漁協は伝統的なイルカ追い込み漁を次世代につないでいきたい意向を持っているようだが、それは簡単なことではない。

 イルカ追い込み漁を行うのは静岡県と和歌山県のみ。和歌山県太地町のイルカ追い込み漁は海外の環境団体からの厳しい批判を浴びてきた。2010年アカデミー賞映画「コーヴ(入り江)」は、入り江を真っ赤に染める残酷なイルカ漁をスパイ映画もどきで暴露し、イルカ漁批判は大きなうねりとなった。

 もし、伊東でイルカ漁が再開されれば、太地同様に世界中の環境保護団体が妨害のために伊東に集結するかもしれない。だから伊東漁協は申請はしているが、太地同様の軋轢を望んではいないのだろう。

るるぶ情報版で伊東を紹介

 2015年伊豆半島の世界ジオパークをユネスコに申請した際、イルカ漁を伊豆半島で行っていたことを理由に認可を見送られた。当時の伊東市長は2004年以来イルカ漁を行っていないし、ユネスコの意向に沿う発言をした。3年を経て、昨年4月ユネスコはようやく伊豆半島を世界ジオパークに認定。当然、ジオパークを売り込む最新の観光ガイドブックにイルカ料理は入っていない。

 そんなこともあって、ますますイルカ漁には手が出せなくなっている。10年ひと昔というが、15年を経過、さらにイルカ漁は遠い昔になっていくだろう。

「海豚」は本当の豚ほどおいしくない

 「鯨の竜田揚げ」。商業捕鯨が禁止される1987年以前に学校給食に登場した。わたしたちには貴重な肉だったが、いまの子どもたちは固くておいしくないと言うだろう。イルカのほうは「海豚」と漢字で書くが、給食で鯨のように使われたことはないし、鯨に比べて値段が非常に安いのは、くせのある臭いのせいなのだろう。海豚は本当の豚のようにおいしくはない。

太地町でもらったチラシ

 映画「コーヴ」を見たあと、太地を訪ねたところ、鯨の街として宣伝していたが、イルカ料理は見なかった。そのときもらった「くじらのお店」というチラシには「1位 くじらは刺身」「2位 ミンクくじらの鮮烈な赤色は食欲そそる」「3位 懐かしの味、竜田揚げ」となっていた。厳しい批判にさらされてもイルカ追い込み漁を続けているのだから、なぜ、イルカ料理専門店がないのか不思議に感じた。

 食文化というが、もしかしたら、イルカ料理は「和食」の一つではないのかもしれない。美食家だった北大路魯山人の全著作を読み返しても鯨、海豚料理はひとつとして出てこない。

 イルカは日本人の「食文化」ではないのかもしれない。

食料危機時代のたんぱく源だった

 クジラの持続的利用を訴えていた政府の漁業交渉官だった小松正之氏の「クジラは食べていい!」(宝島新書、2000年4月)をもう一度読み返した。序章「日本の市場から魚が消えてしまう!」(クジラ過剰保護が生んだ漁業者の嘆き)、第1章「食料危機を救えるのはクジラだ」(このままでは魚がいなくなる!、「捕鯨禁止」が生態系を破壊する!)。読んでいてわかったのはクジラ、イルカをおいしいとは書いていない。戦後の飢えた子供たちに鯨は必要であり、縄文時代から伊豆半島のたんぱく源だったイルカ、それぞれは「食料危機の時代」に活躍する食料であり、飽食の現代では不要になっている。

 映画「コーヴ」では、魚が市場からいなくなった原因は「日本人が捕り過ぎであり、クジラの責任ではない」と批判した。和食ブームで寿司や刺身を好む西洋人が多くなっているから、ますます漁業資源は少なくなっているのだろう。また、海豚が本当においしいならば、グルメな西洋人たちはマグロ同様に食べるに決まっている。

IWC脱退は国際協調の表れ

 日本はことし6月までにIWC(国際捕鯨委員会)を脱退、商業捕鯨を再開する。新聞各紙の論調は国際協調を重視しない日本の姿勢を厳しく批判し、共同通信社は「得るものは少なく、失うものが多い拙速な決定」として「今回の決定は、ガダルカナル島の戦闘で大敗し、余儀なくされた撤退を『転進』と呼んだ旧日本軍を思い起こさせる」と論評した。

(日本鯨類研究所提供)

 ところが、調査捕鯨に対して調査船に対して、体当たりなどさまざまな攻撃を加えてきたシーシェパードなど国際的な環境団体は南極海の捕鯨が禁止され「大歓迎」と絶賛。今後はシーシェパードの危険な攻撃に日本の調査船がさらされないという1点を取っても、IWC脱退を評価したほうがいい。国際協調と言うならば、欧米人主体の環境団体による「大歓迎」の賛辞を素直に受け取るべきだ。

 今回の商業捕鯨再開は、97年の「アイルランド提案」と内容は同じだ。「捕鯨推進国の200カイリ内での捕鯨を認め、南氷洋を含む公海での捕鯨を認めない」。当時、日本は反対していたが、20年を経て、反捕鯨国の1つ、アイルランド提案を受け入れることになった。それだけ追い詰められ、国際協調に転じたという見方をしたほうがいいのだろう。

海亀、鶴、雷鳥も食べていた

 調査捕鯨で南氷洋のミンククジラなどを太地などの旧捕鯨地に送っていた。商業捕鯨再開で太地、宮城県鮎川などでは沿岸漁業としてミンククジラを捕獲することになる。それであれば、「鯨の街」として太地を売るのには絶好の機会であり、過去にあった新鮮でおいしい鯨の尾の身が飲食店で提供されるかもしれない。

 ただ、捕鯨の歴史のない静岡では関係のない話である。

 静岡ではつい最近までアカウミガメ(肉と卵)を食べてきたが、いまでは食べる対象として考えていない。駿府の徳川家康は正月の食卓に鶴を出して、客人に振舞っていた。沼津で亡くなった若山牧水は雷鳥を食べたと書いている。日本人はいまや鶴も雷鳥も海亀も食べることはない。

 縄文時代から静岡人は海豚としてイルカを食べてきたが、近い将来、イルカ食も歴史の中でしか語られないものになるだろう。

 映画「コーヴ」への反論映画を制作したニューヨーク在住の佐々木芽生さんの著作「おクジラさま ふたつの正義の物語」(集英社)で、給食当番が「いただきます」と元気よく言うと、子供たち全員で手を合わせて「いただきます」と唱和、食べ物への感謝の気持ちは日本人の自然観の表れだと書いた。日本では当たり前の食文化の風景を欧米人に理解してもらうことが、さらなる日本の魅力につながり、訪日外国人観光客が増えることにつながるのだろう。

 

※タイトル写真は小笠原諸島近海のザトウクジラウオッチングでの写真です。商業捕鯨再開でもザトウクジラの捕獲はできない。

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