静岡県「社会健康医学系大学院大学」のなぞ1

「健康寿命の延伸」が目的?

 静岡県が計画を進める「社会健康医学系大学院大学(仮称)」設置について県の説明を聞いたが、信じられないほど不可解だった。「社会健康医学系」と言えば、京都大学大学院にある同じ名前の専攻を想定し、その責任者をはじめとする京大関係者が静岡県の基本計画策定委員に委嘱されている。京大の同専攻は遺伝子カウンセラー、臨床統計家、ゲノム情報処理者をはじめ最先端の専門家養成が目的である。

 静岡県の「社会健康医学系」は名前だけは同じだが、そのような専門家を養成するのか全く未定であり、目的も違う。そのまま、数十億円もの費用を掛けて「大学院大学」を設置すれば、県民の混乱を招くだけでなく、厳しい批判を呼ぶだろう。

 静岡県は、同大学院大学設置を「県民の健康寿命のさらなる延伸を図る」のが目的と説明。「健康寿命を延伸」とは、静岡県の男性72・15歳、女性75・43歳の健康寿命について、さらに約10年長い平均寿命の差を縮めたいのだ、という。担当者は、県民の「健康寿命」を延ばすことだから、静岡県が率先して取り組むべきテーマにふさわしいと胸を張った。

 「健康寿命」と言えば、静岡県立大学が古くから、健康長寿社会の実現に向けた最先端研究と人材育成に取り組んでいる。同大学院HPに「疾病があったとしてもその進行を食い止め、寿命に至るまで生活の質を維持する『健康寿命』をいかに実現するかが重要課題」とある。まさに、静岡県が胸を張った目的「健康寿命の延伸」について長年、研究を行い、論文発表等の蓄積がある。県立大学だけでなく、県内の各自治体もさまざまな取り組みを行っている。

 県の目的が「健康寿命の延伸」ならば静岡県立大学などに任せればいいのではないか。多額の費用を掛けて「大学院大学」設置の必要はない。

京大の目的には「健康寿命の延伸」はない

 「健康寿命」の定義も難しい。歯科分野では古くから、「8020」運動を唱え、80歳で20本の丈夫な歯を持つことが「健康寿命」につながると訴えてきた。その他、脳科学者、大腸カテーテルの第一人者、運動療法士らが「健康寿命」延伸についてさまざまな知見を発表している。

 不思議なのは、京大HPを調べても「社会健康医学」研究に「健康寿命の延伸」は登場しないことだ。

 2000年「社会健康医学」専攻は京都大学に誕生した。米国ジョンホプキンス大学などで古くからある「Public Health」(日本語では当然、「公衆衛生」と訳す)講座だが、アジア地域では欧米流の学問領域が遅れていた。臨床や基礎研究に「疫学」「臨床統計」「遺伝子」「ゲノム」などの研究成果を踏まえて、論文発表をすることで内容の幅を広げるなど価値を高めるのが狙い。静岡県の目的「健康増進」との関係は非常に薄い。

 また、京大では遺伝子治療診療科、ゲノム医学センターなどとの連携が密接だ。学生の発表はすべて英語論文を想定している(入試試験もTOEFL、TOEIC得点が必要)。ビッグデータを駆使した臨床統計家、疫学研究者養成などを目指している。静岡県の言う「健康寿命」延伸はどこを探しても見つからない。大学院卒業者の就職先が厚労省や東大、京大などの大学教員が多いことを見れば、県の説明にある現在の職場で働きながら取得できるほどそれぞれが簡単な資格ではない。

緑茶パウダー疫学調査への疑問

 「社会健康医学」研究として、2月から島田俊夫県立総合病院臨床研究部長が5年間にわたって川根本町で緑茶パウダーを使った健康効果の疫学調査を行う。同様の調査はすでに県立大学が何度も行い、川根本町だけでなく全県にわたって調査、緑茶の効能についての成果を発表している。

小國教授らの公開講座を収録した「LIFE いのちを脅かすもの」(静岡新聞社)

 2002年7月の県民公開講座で小國伊太郎教授(当時)は「がんやピロリ菌に対する緑茶効果」について、静岡県のがん死亡分布図を作成、緑茶生産地区と非生産地区を調査、緑茶生産地区の男女の胃がん発生率が著しく低いことを突き止め、川根三町の疫学調査を実施した成果などを説明した。

 三井農林食品総合研究所(藤枝市)は茶カテキンの生理活性機能を研究、茶カテキンから抽出したポリフェノンEを発見、主成分として開発した新薬が米国FDAで認可された。さらに、肺や前立腺がんなどの予防薬・治療薬開発を米国がん研究所(NCI)と共同で臨床研究を行っている。当然、使用されるカテキン(渋味成分)はアミノ酸が多く渋味の少ない静岡茶ではなく、アフリカやベトナムなどの緑茶抽出物を使用しているようだ。

 島田部長の調査は、どこの緑茶を使うのかなど不明であり、その他の嗜好品、運動やストレスなどの要因を考慮に入れるかなど研究内容が見えていないが、過去の知見を超えるものが期待できるのか疑問は多い

先端医療棟に「大学院大学」設置の意向

 「大学院大学」とは、学部を伴わない大学院。医療系の大学院大学は滋慶医療科学大学院大学が大阪市にあり、そこは看護師、理学療法士など全国的な医療・福祉系専門学校が基盤。静岡県が計画する大学院大学の中核組織は何か。浜松医科大学の公衆衛生学講座をランクアップするならば、大学院専攻科をつくるだけだが、そうではないらしい。

 静岡県は県立総合病院先端医療棟5階の「リサーチサポーセンター」に大学院大学を設置する意向だ。同センターは2017年9月に開設されたばかりで実績はほとんどない。「社会健康医学」の指導組織としての実態もない。宮地良樹センター長は「京大の大学院レベルをつくるのではない、あくまでも、静岡県の健康寿命延伸が目的だ。臨床医の研究をバックアップするためのもの」と話した。

 基本構想委員会の委員長、本庶佑氏は「県内の中核病院で研修したいという若い医師が増え、中長期的に長年の課題である医師不足解消につながる」と述べた。なぜ、そうなるのか不思議だったが、宮地センター長の話で納得した。

 県立総合病院は主に京大医局からの派遣病院であり、もし、そのような研究施設があれば、若手医師らがぜひ、県立総合へ赴任したいというインセンティブにはなるのだろう。しかし、若手医師らは2、3年で変わり、研究成果が蓄積されるのかどうか疑問は多い。

 医師不足の根本的な理由は医科大学が県内に一つしかないことだ。隣接の愛知、神奈川県とも4医科大学、人口規模が5分の1に満たない山梨県と医大の数は同じであり、本当に大学院大学設置が医師不足につながるのか疑問は大きい。

 1、目的が「健康寿命」延伸であるならば、静岡県立大学の研究成果を生かすことで十分。本来の「社会健康医学」研究の目的は地域の「健康寿命」延伸にはない。

 2、京都大学「社会健康医学」専攻のような先進的な研究環境を静岡県立総合病院は持っていない。

 3、喫緊かつ、長年の課題は医師確保であり、社会健康医学大学院大学はその使命を果たすのか疑問が大きい。

 以上の3点から、県立総合病院に「社会健康医学」大学院大学ありきではなく、もう一度、目的を含めて県民に説明できるようにしたほうがいいだろう。「健康寿命の延伸」ではなく、目的が「医師確保」であれば、川勝知事の公約だった「医科大学」設立をもう一度正々堂々と取り組むべきだ。リニア環境問題で県民の生命を問題にした気概と覚悟があれば、国の方針を変えることもできるのではないか。

※タイトル写真は静岡県立総合病院先端医療棟。県は5階に「社会健康医学」大学院大学を設置する方針だ

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