リニア騒動の真相5 「富士山」情報戦スタート

製紙工場の煙突が世界遺産を妨害?

 熾烈な企業買収の世界を描き、NHKドラマ化され人気を呼ぶ、経済小説の第一人者、真山仁著「ハゲタカ」シリーズ。最新作「シンドローム」(講談社、2018年8月)は、東日本大震災後の東京電力(小説では「首都電力」)買収をテーマに政府、電力会社、投資会社の抗争を描いている。その中で、主人公鷲津政彦が保守党最高顧問の政治家、東海林莞爾に策を弄して近づく場面が登場する。

 山梨選出の東海林の悲願は富士山の世界遺産登録だった。「富士山こそ日本の魂と主張する東海林はあらゆる手を尽くして、世界遺産登録を画策していたが、静岡側の麓にある大量の製紙工場の存在が禍して、成果を出せずにいた」。その情報を得た鷲津はユネスコの承認を得るためにコネを使った。

 ”富士山の世界遺産登録に静岡側の製紙工場が禍(わざわい)?”

 その印象的な一節が頭の片隅に残ってしまった。小説とは言え、なぜ、真山氏はそんなありもしない事実を持ってきたのか?

真山仁氏の「誤解」と「事実」の境

 その直後、真山氏の最新作「アディオス!ジャパン」(毎日新聞出版、2018年10月)を読んで、はっきりとした。こちらは小説ではなく、「外からの視点でニッポンを見つめる」をテーマにしたノンフィクション。エピソード4「ビバ!富士山」で初の富士登山体験を記し、世界遺産登録の意義などを語っている。

 『地元はもともと世界自然遺産での登録を狙っていた。日本の象徴的な山である。ある意味当然の申請だったが、自然遺産登録では「絶対に無理だろう」というのが、世界遺産の詳しい人たちの共通意見だった。

 絶対と断言するのは、パルプ工場が静岡側の裾野に広がっているからだ。製紙業は、「公害型産業」などと言われる悪名高き産業である。1970年代には、富士山のお膝元の景勝地である田子の浦で、ヘドロ公害が問題になった。(略)東海道新幹線の車窓から富士山を眺める時に、無数の製紙工場が建ち並んでいて興ざめするのはまぎれもない事実だ』

 多くのビジネスマンらが手にする週刊ダイヤモンドで「ハゲタカ」シリーズ、「アディオス!ジャパン」は週刊エコノミスト連載だった。今回のカルロス・ゴーン逮捕のあと、真山氏はNHKスペシャルをはじめ、数多くのテレビ、新聞に登場したオピニオン・リーダーでもある。「真山組」と呼ばれるスタッフを抱えて、小説でも東日本大震災など事実に基づいた情報を集め、分析している。当然、富士山の世界遺産登録でもしっかりと情報を集めさせたはずである。

 ところが、真山氏は富士山世界遺産登録を書いた短い文章で少なくとも3つの誤解をしている。危険なのは、真山氏の「誤解」がいつの間にか「事実」として喧伝されていくことだ。もしかしたら、そうなることを意図して書いたのか?

 ”東海道新幹線の車窓から富士山を眺める時に、無数の製紙工場が建ち並んでいて興ざめするのはまぎれもない事実だ”。この事実を伝えるために、富士山の世界遺産登録を持ってきたのかもしれない。

 そうか、すでに「富士山」とリニア中央新幹線をめぐる情報戦がスタートしていたのだ。

富士山と新幹線は切り離せなかった

タイモン・スクリーチ氏の富士山

 2015年9月、静岡県主催の富士山と世界遺産のシンポジウムが開かれた。日本美術史を専門にするロンドン大学のタイモン・スクリーチ教授が「富士山について、どんなイメージを持つのか」という問いに、即興的に簡単な絵を描いた。それは「新幹線と富士山」だった。タイモン教授は「日本を紹介するとき、富士山を写したあと、その手前をあっという間に新幹線が通り過ぎる映像をよく見る。ほとんどの外国人は富士山と言えば、新幹線と一緒の映像を頭に浮かべる」と説明した。

 大阪万博を記念した切手をはじめ、さまざまな映画、テレビなどでおなじみの場面だ。いままでは、富士山と言えば、東海道新幹線が欠かせなかった。

 しかし、リニア新幹線の登場によって、それががらりと変わるのだ。静岡駅構内にJR東海によるリニア説明パネルには、2027年からおなじみになるだろう、印象的なリニアと富士山の写真を展示してある。(タイトル画像)。いずれ、このような写真が世界中で使われるだろう。

 リニアと富士山は切っても切り離せない存在となる?

真山仁氏の3つの誤解

 真山氏の3つの誤解を説明する。1つ目は「世界遺産登録が絶対無理だったのは、静岡側の大量の製紙工場群」。2つ目は「地元はもともと自然遺産での登録を狙っていた」。2つは密接に関係している。

 2013年、文化庁の本中真・主任調査官が月刊文化財「特集 世界遺産富士山」で「20年に及ぶ世界遺産登録記載への道のり」を書いている。

 ちょうどその20年前だ、1993年から3年間余、わたしは富士山を世界遺産に登録する最初の運動に取り組んだ。そのきっかけは、過剰利用からIUCN(国際自然保護連合)総会で最も危機に瀕する国立公園と指摘されたからだ。大挙して訪れる観光客によるごみ、し尿問題、富士スバルライン、富士山スカイラインと直結した観光施設群、手入れされない森林の崩壊、オフロード車の横行などさまざまな問題に直面していた。世界遺産と富士山を結びつけることで環境問題解決の糸口を見つけようとした。

 世界遺産は国内法での保全措置が求められる。富士山の場合、文化庁の文化財保護法、環境庁(当時)の自然公園法によって保護されているはずだった。ところが、どちらの法律も「ザル法」で、富士山の保全には全く機能していなかった。

 「100万人」署名運動をスタート、全国から246万人もの署名が集まり、いくつもの段ボール箱に入った署名を国会に持ち込み、世界遺産登録に向けて国会請願を行った。大量の署名にびっくりした環境庁、文化庁とも「本当に富士山を世界遺産にしたいならば、『文化的景観』という新たなジャンルで文化遺産登録を目指すように」と親切に指導してくれた。

「文化的景観」とは何か 

トンガリロ山は富士山に似たコニーデ型火山

 自然遺産の場合、世界で一番高い、広い、大きいとか、その地域に唯一の貴重な動植物とか他との比較が重要だった。保全管理でも文化遺産に比べて、厳しい規制が求められた。富士山のようなコニーデ型火山は世界中に数多くあり、また動植物の存在を含めて、自然遺産にふさわしい特別の存在ではなかった。

 世界自然遺産と富士市の製紙工場群は全く無関係であり、また、地元のわたしたちは最初から、文化遺産を念頭に世界遺産登録へアプローチした。 

アボリジニの聖地ウルルの夜明け

 「文化的景観」という新しい基準の取材のために、ニュージーランドのトンガリロ、オーストラリアのウルル(日本では「エアーズロック」と呼んでいた)を訪れた。トンガリロは先住民族マオリ族の神が住む山々、ウルルはオーストラリアの原住民族アボリジニの聖地だった。すでに自然遺産だったが、新たに「文化的景観」として文化遺産にも指定されたのだ。

アボリジニの壁画。ほとんどが立入禁止の信仰の聖地

 「文化的景観」とは、自然景観がそこに住む人々の信仰、文化と強い結びつきを持つことが重要だった。「文化的景観」だけで文化遺産に指定された例はなかった。マオリ、アボリジニとも入植したヨーロッパ人たちから長い間、過酷な扱いを受けてきた。「文化的景観」という考えに先住民族の信仰、文化を尊重することで、彼らとの関係を改善しようという意図がはっきりしていた。世界遺産が西洋のヒューマニズムという価値観で生まれたものであることを再認識した。「日本の象徴」「日本の魂」とは違っていた。

富士山・世界遺産と観光振興

 約20年前、世界遺産運動に取り組んだ最大の成果は、富士山地域では「ザル法」だった規制を大きく変え、保護・保全地区と利用地区を区別して、特に保護すべき地域には厳しい規制を敷くことができたことだ。それによって、富士山の保護・保全は大きく前進した。

 3つめの真山氏の勘違いは「日本は権威に弱い。逆に言えば、世界遺産という金看板があれば、観光客はわんさかやってくると信じている」と書いたことである。本中調査官は「いまでも過剰利用の富士山だが、世界遺産登録をきっかけに、しっかりとした規制が始まるから期待してほしい」と登録の意義を話した。過剰利用で傷つく富士山の環境を守ることが世界遺産登録の最大の目的だった。

 それでも、世界遺産登録によって、山梨側が観光産業振興に大きな期待を寄せたことを否定しない。

山梨側からの富士山

 戦後になって交通の便がよくなるまで、山梨の人々は富士山を「疫病神」「貧乏山」と呼んでいた。南側の静岡は太陽をいっぱい浴びて、海では魚がとれ、作物も樹木も豊かだ。それに比べて北側は土地はやせ、水も不便で、日陰で寒くてかなわない。貧乏なのはあの山のせいだなどと山梨の人々がぼやいていたことをよく知っている。だから、観光地・山梨県の富士山への依存度が静岡県に比べて非常に大きいのは当然だ。

 タイモン教授が言うように、富士山と言えば、新幹線がイメージされてきた。そのために、山梨側には、富士山は静岡のものという強い危機意識があった。リニアの登場によって、そのイメージが変わる。山梨側にとっては絶好のチャンス到来だ。

「情報戦」とは何か?

 山梨側に残念なことは、リニア車窓から富士山を眺望することはできそうにないことだ。騒音対策のために地上走行区間をコンクリート製防音フードですっぱりと覆うからだ。車窓から富士山を見ることはできないが、それに代わる映像が流されるだろう。ただし、リニア利用による山梨側を入口とした富士山観光客は大幅に増えるだろう。

 ところで、正確な情報の価値、事実を重んじる真山氏がなぜ、3つもの「誤解」をしてしまったのか?

 「富士山の世界遺産登録」から「東海道新幹線の車窓から無数の製紙工場が建ち並んでいて興ざめする」と結論づけられれば、なるほどと誰もが思うだろう。「真山組」に、間違った情報を吹き込んだ者がいるはずだ。そして間違った情報は次々と拡散していく。それを食い止めなければ、”富士山の世界遺産登録に静岡側の製紙工場が禍(わざわい)していた”が事実としてまかり通ってしまう。

 リニア南アルプストンネルをめぐる問題について、静岡県とJR東海はようやく、議論の緒についたばかりだ。議論を聞いていて、間違った情報と客観的な事実を混在させることで、正確な真相を見抜くことを難しくさせる危険な場面に出会う。

 リニア南アルプストンネル問題でも「情報戦」が仕掛けられていると見たほうがいい。「情報戦」とは単純な勘違いや偽装(思い込み)と正確な事実を混ざ合わせ、自分たちにとって都合のよい結論を導き出すことだ。

 「富士山」情報戦では過去の経験を踏まえ、正確な事実を伝えることができた。「リニア南アルプス」情報戦はさらに複雑怪奇なものになるだろう。「情報戦」が始まっていることを肝に銘じなければならない。

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