リニア騒動の真相97”事実”歪めた担当者の思惑

「丹那トンネル」踏まえた「リニア」の懸念?

 川勝平太知事は10月26日の会見でリニア問題に触れ、「重要な情報がある。丹那トンネル工事で実際に起こった地下水等への影響について資料を篠原(清志・県知事戦略監)君が中心になって見つけてくれた。丹那トンネルの実例を踏まえた南アルプス工事への懸念について文献調査を行った」などと述べた後、各記者に配布された資料を基に、実際に調査に当たった県くらし・環境部の渡邉光喜参事(南アルプス担当)が説明した。(タイトル写真は、知事会見。隣が篠原知事戦略監)

熱海側の丹那トンネル(丹那神社奉賛会提供)

 雑誌静岡人vol4「JR東海リニア南アルプストンネル計画 なぜ、川勝知事は闘うのか?」の特集「7つの謎を巡る旅」の中で、『丹那盆地の謎忘れられた「渇水の記憶」』を取り上げた。その取材で現地を訪れ、さまざまな資料にも当たった。今回、文献調査したとされる『鉄道省熱海建設事務所編「丹那隧道工事誌渇水編」も参考にしたが、最後に、渡邉参事が参考として挙げた丹那トンネル開通・函南駅開業50周年記念「丹那トンネルー偉業と歴史ー」は全く知らなかった。

 丹那トンネルの湧水枯渇、地下水位の低下、突発湧水の発生などから、教訓の「失われた水は戻らない」として、『南アルプストンネル工事で「湧水の全量戻し」は当然。代償、モニタリングではなく、まずは影響回避・低減が必要』という結論を導きだしている。

 さらに、参考資料から、渡邉参事は『昭和59年10月に函南町長が丹那トンネルの開通50周年記念誌で「多くの人は水は再び復すると期待していた。失った水は戻らない。お金で解決せず、(トンネル)湧水をポンプアップして丹那に戻す方法を講ずべきだったと思います」と述べております。50年後の県民が後悔しないようJR東海としっかりと対話を尽くしてまいりたいと考えております』など、丹那盆地と丹那トンネルの西口、東海道線函南駅を行政範囲とする函南町長のことばを取り上げた。

 まるで、その町長の言葉は、現在のリニア問題への懸念をそのまま表現したようである。ただ、記念誌のタイトルが「丹那トンネルー偉業と歴史ー」となっているのに、50年後の函南町長が「トンネル工事中の湧水流出」で、それほど後悔の念が強かったのか疑問を抱いた。当時、熱海市立図書館などを回ったが、函南町の記念誌は収蔵されていなかった。

 県立中央図書館がこの記念誌を収蔵していることが分かった。そして、読んでみると、函南町長の言葉は、渡邉参事が使ったのとは、全く、違う意味で使われていることも明らかになった。当時の函南町長及び企画課の職員らがどのような思いで、この冊子を作成したのかを紹介することで、”事実”をねじ曲げた渡邉参事の思惑が何なのか明らかにしたい。

 川勝知事は、函南町長らの伝えようとした本当の思いをちゃんと理解しているのだろうか?

「失った水」とは、熱海側へ流れ出ている水?

 記念誌の「はじめに」で、当時の中村博夫町長が「多くの方々の熱意と努力、そして犠牲によって丹那トンネルが開通して今年50年を迎えた。丹那トンネルは当初、工期7年間、工費770万円の予定で開始した。トンネル掘削技術も幼稚であった当時としては当然のことながら、丹那盆地の土質調査もせず大正7年に着工された。しかし、着工後、全く予想していなかった丹那大断層、湧水による事故、更に北伊豆地震などに遭遇してしまった。この対策として高圧によるセメント注入、水抜きトンネルの掘削など苦心の末、16年の歳月をかけて完成した」と始まり、丹那トンネルの開通によって、東海道線沼津ー国府津間が開通し、同時に昭和9年12月1日函南駅も開業され、函南町の発展に貢献したなどと述べている。

 渡邉参事が会見で述べた「多くの人は水は再び復すると期待していた。失った水は戻らない。お金で解決せず、(トンネル)湧水をポンプアップして丹那に戻す方法を講ずべきだったと思います」は、中村町長名のある「はじめに」のどこにもない。

 ひと言、「このトンネル工事によって、丹那盆地はその豊富な水を永久に失うことになってしまった」とあるだけである。

 渡辺参事はどの部分を引用したのだろうか?

 探していくと、「丹那トンネルと渇水問題」という章に「ー永久に水を失った丹那ー」という小見出しがあった。

 ここに「お金で解決せず、西口からの湧水をポンプアップして丹那に戻すという方法を講ずべきだったと思います。」と書いてあった。この引用しか他には見当たらない。

 原文とどこが違うかと言えば、原文には「西口からの」が入っていることだった。どうもおかしい。

 「お金で解決せず~講ずべきだったと思います」の前をちゃんと読めば、中村町長の本当の思いが伝わる。ちょっと長いが紹介する。

現在では水田の広がる丹那盆地

 『トンネル工事前は豊かな水に恵まれていた丹那盆地は渇水してしまったが、多くの人はトンネルをコンクリートでまけば、水は再び旧に復するのではないかと期待した。50年を経過した今でも依然として、毎日熱海へ4万トン、西口へ6万トンの水が出ている。この水は本来なら豊かな丹那盆地の水でもあったはずだ。「覆水盆に返らず」というように失った水は永久にもどらないだろう。しかも工事前は地表に湧き出た水は柿沢川を通って田方平野に流れていたものが、トンネルの開設により、その40%、約4万トンが熱海側に流れていってしまっている。

 117万円という、当時として巨額の補償金で処理されたが、お金で解決せず、西口からの湧水をポンプアップして丹那にもどすという方法を講ずべきだったと思う』(※「ですます調」を「である調」に変えてあります)

 「西口」とは、丹那トンネルの西側の出入口の地域であり、冷川の下流にある田方平野、特に水不足で悩んだ八ツ溝堰の辺りだという。この工事で、水不足が解消され、いままで絶えずあった水争いも解消したのだという。

 それでは、中村町長の「永久に水を失った」後悔の念とは一体、何だったのか?

函南町長は工事後に流出する水を問題にした

 中村町長が、丹那盆地の「永久に失った水」として問題にしたのは、トンネル工事後のことである。50年後の当時でも、トンネル内に出ていた湧水10万トンのことを「永久に失った水」と表現したのである。渡邉参事が説明したような、トンネル工事中の話ではない。

 読めば分かる通り、中村町長は、当時でも、熱海側へ流れ出ていた4万トンの水を大きな問題にしている。しかし、行政範囲が違い、熱海側へ流れ出ている水をポンプアップで戻すことはできないことを町長は承知していた。

 このため、函南町内の丹那トンネル「西口」の田方平野へ流れ出ている6万トンをポンプアップして、丹那盆地の枯渇した「奥の沢」「大久保沢」「いの木沢」へと戻すという方策もあった、と考えたようだ。

 渡邉参事が教訓として挙げた『「トンネル湧水の全量戻し」は当然』は、中村町長の言葉の意味とは全く違う。静岡県が問題にしているのは、工事期間中、県境付近の掘削で山梨県側へ流出する3百万トンから5百万トンを想定している。だから、渡邉参事は、工事中に想定外の最大毎秒2㎥の突発湧水があり、トンネルから流れ出た水の総量は約6億㎥、芦ノ湖の3杯分などを問題にした。

 中村町長が問題にしたのは、工事中の水のことではなく、工事後のトンネル内の湧水である。それでは、リニア南アルプストンネルの場合はどうか?

 JR東海は、トンネル工事後、トンネル内のすべての湧水をポンプアップして、導水路トンネルを使って大井川に戻すという方策を示している。この方策で、中下流域の表流水にはほぼ影響はない、と国の有識者会議は結論づけている。つまり、中村町長が後悔したようなことが起こらないよう、JR東海は対応すると言っているのだ。

 ところが、川勝知事は、工事期間中であれ、湧水の全量戻しが約束だと譲らない。渡邉参事は、知事の方針に沿って、丹那トンネルの文献を調査して、函南町長の言葉を、工事中の湧水流出に対応するような結論として使ってしまった。だから、「50年後の県民が後悔しないようJR東海としっかりと対話を尽くしてまいりたい」などと述べたのである。

 静岡県は希望する団体や学校を対象に、大井川の水問題とともに丹那トンネル工事の渇水状況を題材として活用していくという。

 JR東海は工事完了後、すべての湧水を戻すと言っているのだ。静岡県はトンネル工事後の渇水状況を正確に説明するつもりはあるのだろうか?

特殊な地質が湧水大量流出の原因

当時の工事は、手作業、経験と勘、そして神頼みだった(丹那神社)

 函南町の記念誌には、当時の地質調査、地質学の現状も記されている。工事着工当時(大正7年)の土木技術者は地質に関心を持っていなかったが、当時の東京帝大の横山又二郎博士に地質調査を依頼したとある。横山博士は「丹那盆地は火山爆裂口の跡であるとして、盆地の下部は安山岩のような硬い岩で満たされていて工事に気に掛けることはない。普通、地下の温度は約30mにつき1度ぐらい上昇するのでトンネルの一番深いところは60度近く、最低35度位になるであろう」と予測した。

 さらに、三菱の鈴木敏博士は浸食作用と、横山博士の爆裂口説を唱えたとともに、盆地下に岩脈の存在を予想し「地質構造上危険な恐れなし」と断じた、などとある。

 芦ノ湖3杯分の水が流出した主な原因は、温泉と粘土の混じった温泉余土を取り除いたことである。温泉余土は、粘土の一種なので水を通さない。盆地東側の滝知山(649m)周辺に温泉余土が広がり、山の西側が豊富な湧水に恵まれた丹那盆地だった。

国鉄作成「鉄道の歩み80」掲載の写真

 温泉余土がその地下水を遮る役割をしていたが、熱海側からトンネルを掘り抜くことで、巨大な貯水池に横穴を開けてしまい、大量の湧水が流れ出た。当時の地質調査では、活断層も温泉余土という特殊な地質についても明らかにできなかった。最先端のトンネル工法は、ほとんど手作業で、経験と勘だけが頼りだったのだ。当時の地質学は何も教えることができなかった。

 丹那トンネル工事では3度の大事故が起きて、67人が犠牲者になっている。人命の安全確保を優先して、工事期間中の山梨県への水流出をやむを得ないとするJR東海に対して、山梨県側からの工法を容認しないのが静岡県である。一人でも犠牲者が出る場合があるのに、静岡県は山梨県側からの掘削をあくまでも認めないのが正しいのか。

 会見で、川勝知事は「丹那トンネルから流出した水は永久に戻ってこない。水田やわさび田はもう戻ってこない」などと述べた。現在の丹那盆地を見ないで、勘違いしていることがわかる。丹那盆地へ行けば、見事な水田が広がっているのだ。

 少なくとも、川勝知事は、工事後の現状からの函南町長の言葉を正確に理解した上で、リニア工事と丹那トンネル工事を比較すべきである。

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