リニア騒動の真相60県民栄誉賞選考の不可解な謎?

県民だより10月号表紙の写真は異様だった

 県民だより10月号表紙を見て、驚いてしまった。ノーベル賞受賞者の吉野彰氏に県民栄誉賞を授与した川勝平太静岡県知事と吉野氏がまるで、文化勲章受章式のような雰囲気で撮影された写真が大々的に使われていたからだ(タイトル写真)。吉野氏が旭化成富士支社に勤務、富士市初の市民栄誉賞を受賞したことはニュースで承知していた。それで今度は県民栄誉賞である。ただ、表紙の写真は表彰等ではなく、どういうわけか、吉野氏よりも知事のほうが目立っていた。

 一体、県民栄誉賞とは何だろうか?

 そんな疑問を抱いていた折、7日の会見で川勝知事の菅義偉首相批判が飛び出した。日本学術会議について、調べてみようと考えたのも県民だより10月号表紙写真がきっかけだった。最近、リニア問題について、東洋経済オンラインで記事を書かせてもらっていた。今回はリニア問題と離れているが、知事の批判があまりに事実を踏まえていないので、特別に掲載してもらった。もし、こちらを読んでいない方は、ぜひ、ご覧ください。10月22日付東洋経済オンライン『川勝知事が追及しない「日本学術会議」選考の謎』(https://toyokeizai.net/articles/-/383107)。

 リニア問題関連で日本学術会議の会員任命について、知事は「菅義偉という人物の教養のレベルが図らずしも露見した。菅さんは秋田に生まれて小学校、中学校、高校を出られた。東京に行って働いたけれど、勉強せんといかんということで、夜学に通い、学位を取られ、その後政治の道に入った。言い換えると学問をされたわけではない、学位を取るために大学を出られたということだ」と痛烈な批判をした。

 なぜ、知事はこのような発言をしたのか?

同じ年齢だが、全く違う境遇の菅首相と川勝知事

 1948年生まれの菅首相と川勝知事は同じ時代を生きているのだが、それぞれの境遇は全く違う。

 菅首相は秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現湯沢市)出身。菅氏によれば、中学の同級生120人のうち、半分は中学卒業後東京に集団就職、残った60人のうち、30人が農家の後継ぎで、30人が高校に進学した、その中から大学に行ったのは、菅氏を含めてたった2人である。当時、地方の農村では珍しいことではなかった。

 菅氏は高校卒業後、東京・池袋から私鉄で5つ目の駅にある段ボール工場に就職、従業員10人ぐらいの町工場で、毎日段ボールを運ぶ仕事をした。「東京でいちばん思い出したくない青春だった」と語る。10カ月で段ボール工場を辞めて、アルバイトしながら入学金を貯めて、授業料の一番安い法政大学に入学した。大学に行ってからも、アルバイトを続けたが、途中でお金が苦しくなって、学生課で「夜間に移りたい」と相談する。担当者が「2部(夜間)に移らないほうがいい。2部は絶対、やめたほうがいい」と言われ、アルバイトに専念したのだという。ここで、夜間に移っていれば、川勝知事の言った通りになったが、知事の発言からは「夜学」をさげすんでいる印象がはっきりと伝わった。

 働くばかりで勉強はどうしていたのか?当時は大学紛争の真っ最中で学校はロックアウトされ、卒業までリポート提出のみだったという。

昨年8月、中国からの子ども訪問団を前にバイオリンを演奏した川勝知事(静岡県庁で)

 かたや、川勝知事は京都府で生まれ、京都市で育った。知事によると、祖父は造り酒屋だったという。京都御所近くで育ち、母親の勧めで幼稚園から中学校までバイオリンを習っている。公立中学から中高一貫教育のカトリック系ミッションスクール洛星高校へ編入している。中学校時代、近くの医者に京都大学に入った息子がいて、数学、物理などの家庭教師をしてもらったという。

 京都一の進学校、洛星高校から一浪して、早稲田大学政経学部へ進んでいる。早稲田も学園紛争の中にあり、授業は休講、知事はアルバイトではなく、大学図書館に籠って勉強、たくさんの本を読んだという。

 大学3年のとき、新聞記者を目指して、新聞社の岡山支局にいた先輩を訪ね、話を聞いたあと、急きょ、学者の道を志し、早稲田の大学院へ進学した。4年間オックスフォード大学へ留学後、早稲田大学で教え、その後、京都の国際日本文化研究センターへ移り、2007年4月静岡文化芸術大学の木村尚三郎学長の死去に伴い、理事長の石川嘉延知事からの要請を受けて、学長に就任、2009年7月の静岡県知事選で知事に就いている。学者として本当に恵まれたエリートコースを歩んだ。

 菅氏との一番の違いは、生きるために社会の泥に塗れ、生活のための苦労をしたことが川勝氏には一切ないようだ。1960~70年代の日本人ほとんどが菅氏のように大学へ通うためにアルバイトをするのが当たり前だった。川勝氏のように勉学だけに専念できる境遇は例外中の例外だった。

 県民から数多くの批判を受けたあと、発言訂正後の記者会見でも、知事は「私は、権限や権力を持った人が間違っているならはっきりと言う。そのスタンスは変わらない」と述べた。

 本当にそうなのか?

京大関係者の天下りポストばかり?

 そこで、最初の疑問に戻る。県民栄誉賞とは何だろうか?

2019年3月号県民だより表紙

 昨年の県民栄誉賞をノーベル賞受賞者の本庶佑氏に贈ったというニュースを聞いて、びっくりした。京都大学の本庶氏と静岡県の関係を全く知らなかったからだ。調べてみると、本庶氏は2012年4月から2017年4月まで県公立大学法人理事長に就いていたのだという。選考委員会などはなく、川勝知事の任命である。報酬は週2回、静岡市にある県立大学で職務をするということで月額104万6千円を支払っていた。2014年から、本庶氏から週1回に減らすことで52万3千円としてほしいという提案があったという。週1回と言っても、京都から1泊2日で2回通い、月4回の報酬として52万円余は非常に高い。現在の理事長も京都大学の元学長である。以前は県幹部の天下りポストだったが、いまは京大関係者の天下りポストになったようだ。

 その後、本庶氏はふじのくに地域医療支援センター理事長、静岡県「社会健康医学」推進委員会委員長にも就いている。静岡県の医師不足は深刻であり、川勝知事が最初に知事選に出馬したときの公約は「県東部地域への医科大学誘致」だった。京大医学部との関係が深い本庶氏が医師不足に対応する地域医療支援センター理事長に就いて、医師不足が解消されたという話は聞かないし、来年度に設立される大学院大学でも医師不足解消にはつながらない。公約の「医科大学誘致」はどうなったのか?

 もうひとつ、多額の報酬等を支払って、県が雇った人に対して、県民栄誉賞を与えるのはなぜ、なのだろうか?

 県民栄誉賞を決める選考委員会はなく、単に知事の「権限」で決めるのだという。ノーベル賞を受賞して、文化勲章をはじめさまざまな賞を受けた本庶氏にとって、静岡県民栄誉賞は特別な賞ではないだろう。それほどのありがたみもないかもしれない。そもそも県民のほとんどが本庶氏が県民栄誉賞を受けるほど静岡県と関係が深いなど全く知らない。一体、何をしてくれたのか、さっぱりわからない。

 天野浩氏、吉野氏を含めて、知事はノーベル賞受賞者に県民栄誉賞を授与しているが、一番違うのは、本庶氏の場合、県の仕事を知事が頼んで、その上で県民栄誉賞を与えているのである。県公立大学法人理事長に任命したのも、県民栄誉賞を決めたのも川勝知事である。知事の権限がいかに大きいものか、知事は気がついているのだろうか?

 菅氏批判と同様に、知事は市井で本当に頑張っている人たちを知らない。静岡県には菅氏同様に非常に苦労しながら、圧倒的なすばらしい仕事をしている人たちが多い。そのような人たちに光を当てるのが政治ではないのか?

 学問しかなかった知事にとっては、学問だけをやってきた人以外は評価できないのかもしれない。

小野二郎さんこそ県民栄誉賞にふさわしい

 新居町(現湖西市)の山口幸洋氏は浜松商業を卒業すると、実家の燃料店を継ぐために進学をあきらめたが、独学で方言の研究に一生を費やした。リニア問題で揺れる大井川上流部に何度も足を運び、「日本語方言一型アクセントの研究」をまとめている。40年間の研究の末、大井川上流部、北関東、八丈島周辺、沖縄などで使われていた方言が縄文時代の日本で使われていたアクセントであることを突き止めた。文化勲章の服部四郎や金田一春彦らの、弥生時代に中国の複雑なアクセントが到来して京都、奈良アクセントに発展したのが日本語アクセントの始まりという説を覆す研究成果だった。日本語アクセントの発祥が縄文時代であることを証明したのだ。

 燃料店の仕事をしながら、全国各地を足で調べた結果であり、新村出賞を受け、学歴も資格もなかったが、静岡大学教授に就任、大阪大学から博士号を贈られている。山口氏は学界の人ではないから、絶対に日本学術会議会員に選ばれなかっただろう。晩年はパーキンソン病や脳梗塞に苦しみ、車いす生活を余儀なくされた。2014年に83歳で亡くなったが、静岡県からの評価は何もなかった。

 小野二郎さんは龍山村(現浜松市)出身で、8歳で天竜の旅館に住み込みで奉公に入り、10歳から包丁を握り、16歳で横浜の軍需工場に徴用され、戦後、浜松、東京、大阪で修業を重ね、1965年に40歳で独立、銀座・数寄屋橋交差点のビル地下1階に「すきやばし次郎」を構え、以来、毎日カウンターに立ってきた。

 2005年厚労省の「現代の名工」、2007年からはミュシュランガイドの三ツ星を獲得、2014年米国のオバマ大統領は来日した際に、安倍首相とともに二郎さんの寿司を味わった。2019年3月、ミシュラン三ツ星レストランの最高齢料理長としてギネス世界記録に認定されている。94歳である。

2007年当時に取材した小野二郎さん

 二郎さんの築地への買い出しや利き手の左で握る姿を取材させてもらい、静岡県からの客には人一倍のサービスをするという話に耳を傾けた。二郎さんは江戸っ子を気取らず、ふるさとを本当に大切にする人である。最初の頃の弟子は静岡県出身ばかりだった。二郎さんは8歳から拭き掃除を仕込まれた。毎朝早くから夜まで働くのがふつうだった。二郎さんが特別ではなく、貧しい子どもたちは一人前の労働力として扱われたのだ。

 「掃除だけは自信がありますよ」と笑って言っていた。教養とはそういうことだろう。

 本庶氏のような学歴はないかもしれないが、世の中の荒波にもまれ、現在の地位に就いた、二郎さんのような素晴らしい静岡人を探せばいるのだ。県民栄誉賞とはそのような人たちがふさわしいのではないか?素晴らしい静岡人がいることを全く知らない、知事の独断専行で決めるのでははなく、選考委員会をつくり、公開の上で決めるべきだ。

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