「浜名湖うなぎ」ブランドが消える日

うなぎはどんなに高くても食べる?

 先日近くの鰻店「池作」店頭の貼り紙「値上げのお知らせ」を見て、「ああそうか」という深い感動を覚えた。シラスウナギ不漁の影響で、6月からうな丼もうな重も2百円値上がりする。年に数回、この店を利用するのは近くにある他店よりも値段が安いからだ。この店が6月に値上げすると、うな丼2200円、上3000円、特上3700円、うな重3000円、特上3700円。

 10月から消費税8%が10%に上げられるから、便乗値上げがなければ2%分の物価上昇だ。うなぎ価格の2百円アップは、6%から10%もの値上げになる。だから、いまのうちに一度食べておこうという気持ちにさせられた。

「池作」持ち帰りコーナー

 すぐ近くにある老舗鰻店がこの近辺では値段が一番高い。「ブランドうな重7千円、国産うな重4500円」。この値段だから、わたしはこの店に一度も入ったことがないが、多くの客でにぎわっている。駒形通りにある刺身、天ぷらなども提供する鰻店は「うな丼2300円、うな重3300円、特うな重4000円、棚うな重(2串)5100円」。ちょうど中間くらいの値段で、こちらも決して安くはないが、客入りはまずまずだ。

 20年前浅草の老舗高級鰻店で、うな重特2200円~2300円、お安い店では1500円~1700円で食べることができた。浜松の老舗で棚うな重(2串)が2900円だった。デフレが定着した平成時代、すべての商品が安くなった。ところが、うなぎだけは別格である。うなぎは約70%も値上がりしたことになる。うなぎと同じように物価が値上がりすれば、インフレターゲット2%を大幅に超えるから、日本のデフレ脱却も可能だ。もしかしたら、うなぎは日銀政策に大きなヒントを与えるかもしれない。

 鰻店の客入りが悪くてつぶれたという話を聞かないから、どんなに高くなっても日本人はうなぎを食べたいのだろう。

シラスウナギの謎は解明できない

 20年前に浜名湖うなぎを取材したとき、養鰻業組合の代表が「日本人は年間に1人当たり5匹のウナギを食べている」と教えてくれた。いまも変わりないだろう。

 これまでに 吾(われ)に食われし鰻らは仏となりて かがよふらむか

 歌人の斎藤茂吉は鰻が好きで好きで仕方がなかった。この歌について「これまでずいぶん鰻を食べた。自分は必ずしも高級上品を要求しない。鰻であればどんなものでもよかった。自分の食べた鰻のことごとくが成仏して天国で輝いている」と説明。茂吉の日記を調べると、年5匹どころではなく、年50回以上も鰻を食べていた。「鰻のおかげで仕事がはかどった」と書いているから、茂吉の業績を鰻が支えたのだろう。そんな茂吉のように1週間に一度、鰻を食べるうなぎ好きも結構多い。

 ウナギは初夏に外洋で誕生し、約半年間掛けて体長5、6センチに成長、シラスウナギと呼ばれる稚魚に育つ(タイトル写真が”白いダイヤ”と呼ばれるシラスウナギ)。冬になると、シラスウナギは浜名湖、天竜川、大井川などの沿岸にたどりつく。シラスウナギを網で捕るのだが、「池作」の貼り紙にあったように不漁が続いている。特に今シーズンは大不漁で値段が上がり、その影響で養鰻業者は高い値段でシラスウナギを買わざるを得ないのだろう。

 いまから約120年前、浜名湖で養鰻業は始まった。近くでシラスウナギがたくさん捕れたことも理由の1つだった。静岡県水産試験場浜名湖分場が戦前の1934年、ウナギ研究を最大テーマに設立された。シラスウナギの好漁、不漁に左右されることから、浜名湖分場では人工ふ化研究を62年にスタートした。

 30年以上を経て、96年浜名湖分場で2万匹以上、大量の人工ふ化成功のニュースが流れた。しかし、ふ化した幼生はすぐに全滅した。浜名湖分場だけでなく、国の研究機関や大学など日本中でこぞってウナギ完全養殖を目指して、大量の人工ふ化技術を競った。しかし、幼生からシラスウナギに成長させることがいまもできない。結局、明治の昔と同じで天然のシラスウナギが頼りで、ことしのような大不漁が続くと、シラスウナギ価格は上がり、うな丼、うな重に大きな影響を与える。

 京都市東山区に全国で唯一、ウナギ(水蛇=みずち)を信仰する三島神社がある。平安時代創建の神社の言い伝えでは、神の使者であるウナギが付近の魚をすべて食べてしまい、三島の大神が激怒、ウナギの子縁を召し上げてしまった。このために、ウナギは、子縁が少なく、どこで産卵するのかも不明なのだという。

 1200年前から続く謎は、どんなに科学が進歩しても解明できない。

愛知、鹿児島、宮崎産が”浜名湖”に化けた時代

 フランス料理には70種類以上のうなぎ料理があるが、日本でうなぎ料理と言えば、鰻を焼いた蒲焼きに決まっていた。茂吉も蒲焼き以外は食べなかった。福岡の「鰻のせいろ蒸し」、京都の「鰻雑炊」などもあるが、やはり日本人は茂吉同様にうな丼かうな重で決まりだ。

 江戸時代初めに、香りのよい醤油が生まれ、美酒かみりんに鰻を浸し、醤油の中に突っ込んだ。徳川家康はウナギの天国のような湿地帯だった江戸を切り開いた。江戸城に入り、山を崩し、川を埋め、用水路を掘ったため、住民が増え、江戸は大都会になったが、天然ウナギの宝庫で、うなぎ蒲焼きは日本人の生活に欠かせないものになった。

 ウナギ養殖が家康に関係の深い浜松で始まり、江戸だけでなく日本全国で鰻料理が食べられるようになった。戦後、「浜名湖うなぎ」はウナギの一大ブランドに成長した。1961年「うなぎパイ」が誕生したのも、浜松がうなぎ産地だったことと大きく関係している。「うなぎパイ」はウナギ由来の「うなぎエキスパウダー」が含まれ、「夜のお菓子」と呼ばれている。

 20年前「浜名湖うなぎ」ブランドにあやかって、愛知、鹿児島、宮崎などのうなぎがいつの間にか「浜名湖うなぎ」に化けて店頭に並ぶこともしばしばだった。ところが、今回調べてみると、「浜名湖うなぎ」を売り物にしているうなぎ店はめっきり少なくなった。浜名湖うなぎに代わり、愛知、宮崎、鹿児島産などのうなぎ蒲焼きがそのまま店頭に並び、中国産に比べ高値で売られている。

 駿河湾では、サクラエビ不漁が大きな問題になっている。浜名湖でもアサリ不漁が伝えられる。いずれも駿河湾、遠州灘、浜名湖の環境変化に原因があるのだろうが、これまでの乱獲がその大きな理由であるのは間違いない。

 すべては「異変」ではなく、これが自然の本来の姿である。静岡県水産試験場浜名湖分場は50年以上もシラスウナギの謎を追い掛けてきたが、その成果を得られることはできなかった。浜名湖(浜松市西区舞阪)のウナギ養殖池はほとんど埋め立てられ、浜名湖うなぎは風前の灯火だ。いくら科学が進歩しても、自然を人間の力で何とかしようとすることに限界はある。鰻という日本人が大好きで、いくら高くても購入する商品であっても、ブランドを守ることなく、手をこまねいていれば、その運命はおのずと決まる。

 約百年間続いた「浜名湖うなぎ」ブランドの消える日はもうすぐである。

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