リニア騒動の真相17「破砕帯」に向き合う

山岳トンネル掘削は非常に難しい?

 「(静岡県側に)湧水全量戻すことが約束だ。JR東海がやることはそれに尽きる」。川勝平太静岡県知事は10日の記者会見で厳しい口調で述べた。

 リニア中央新幹線南アルプストンネル(静岡工区)を巡る大井川の水環境問題でJR東海は工事期間中の最大10カ月間は、山梨、長野県側に湧水が流出することはやむを得ないとするが、静岡県は「全く受け入れらない」と突っぱねている。JR東海の説明では、畑薙山断層の「破砕帯」に当たったとき、突発の大量湧水が出現する可能性があり、静岡県側から掘削すれば作業員の安全が確保できないから、としている。

 トンネルを掘るとはどういうことか?

 ナトム(NATM)工法に代表されるように山岳トンネルの掘削技術は過去とは比べものにならないほど大幅に進歩、地質工学、岩盤工学、土質工学などによる科学的な知見で多くのことが解明され、日本の先端的なトンネル技術は世界中から高い評価を受けている。

関電トンネルに残るケミカルトンネル跡で掘削機作業を再現したリアルな人形

 しかし、それでも山岳トンネルの工事は掘ってみなければ、特に複雑な地層が絡み合う南アルプスの特殊地山では一体、何があるのか、何が起こるのか予測できないとされる。それが、地上のトンネル工事と大きく違うようだ。JR東海との会議に、トンネル工事の専門家を招請して意見を聞く予定と、静岡県の難波喬司副知事が明らかにしたが、本当にそれで今回の山岳トンネル工事の危険性などすべてが分かるのだろうか?

 そんな疑問を抱きながら、フォッサマグナ(大地溝帯)地域に当たる、北アルプスの赤沢岳(2678m)山腹にトンネルを貫通させる苦闘を描いた映画「黒部の太陽」の現場を訪ねた。

映画「黒部の太陽」が描いた「破砕帯」

 「フォッサマグナに沿っているんだぜ」「な?なんだって、フォッサ…」「糸魚川ー静岡構造線です」「なんだい、そりゃ」「本来ならボーリングして、破砕帯を調査してから工事にかかるんですが、そのボーリング自体が不可能なところなもんですから」

 この会話は、巨額の資金を拠出して製作に当たった石原裕次郎、三船敏郎という当時の2大スターが初めて顔を合わせる重要なシーンで交わされる。黒部ダム建設で建設資材を輸送するための大町トンネル(関電トンネル)建設工事をゼネコンの熊谷組が引き受けたのに対して、”トンネル屋”と呼ばれた下請けの岩岡組二代目が疑問を呈している。京都大学工学部出身で、専門知識を有する二代目役を石原が演じた。三船は「ボーリング自体が不可能」と話す関電の技術責任者を演じている。

赤沢岳中腹にトンネルを掘った

 会話はさらに熱を帯びてくる。石原は「糸魚川ー静岡構造線のごく近く、ほぼ平行している黒部川流域地帯には、どんな大きな断層や破砕帯がひそんでいるかわからないんですよ」「その1つが何十メートル、何百メートル続いているかわかりゃしない。まともに破砕帯にぶっつかたら、1日1メートルはおろか、1センチだって掘れやしない。落盤、出水……どうするんですか」「いまなら断れる」と、昔気質の父親で岩岡組社長(辰巳柳太郎)に強い口調で言う。

 このシーンを見ていて、まるで、今回議論になっているリニア南アルプストンネル工事と非常に似ているのではないか、と思われるだろう。同じフォッサマグナ、糸魚川ー静岡構造線の地域であり、地質構造では大いに似通ったところがあったのだろう。

「破砕帯」は観光トンネルの目玉

 「黒部ダムの秘密にせまる 黒部ダム河床(旧日電歩道)ハイキングと関電トンネル工事跡見学ツアー」に参加した。黒部ダムへの出発地は長野県大町市にある関電トンネル電気バスの発着点、標高1433mにある扇沢駅。

扇沢駅の改札口は大混雑だ

 「関電トンネルは長野県大町市から16キロ、岩小屋沢に、その東坑口が設けられる」。映画のナレーションで説明された場所である。ことしから、トロリーバスに代わり電気バスが導入された。観光客らで大賑わいの扇沢駅は立山黒部アルペンルートの出発地点でもあり、電気バス、ケーブルカー、ロープウェイ、トロリーバスで標高2450mの室堂まで結んでいる。まずは、6・1キロ(トンネル部分5・4キロ)の道のりを電気バスで富山県立山町の黒部ダム駅へ。

ブルー照明の続く約80メートルの破砕帯

 電気バスの中で説明ナレーションが入り、作業員が何度も出水で流されてしまうことになる「破砕帯」(ブルーの照明が印象的だ)を通る。映画撮影では、420トンもの大量の水が10秒足らずで放出された。その出水シーンで三船、石原らも必死で逃げ、「破砕帯」の恐ろしさが描かれた。安全なシーン撮影のはずだったが、石原をはじめスタッフ約50人が病院に搬送された。この撮影事故で親指骨折、全身打撲などを負った石原は「気を失い、逃げる間もなかった」と一瞬、死ぬことまで覚悟したと回想している。

 まさに、石原らの迫真の演技で、不可能とされた「破砕帯」を克服するシーンは大感動を呼び、最初の1年で観客動員数733万人という日本映画史上空前の大ヒット作となった。映画「黒部の太陽」によって、多くの日本人は「破砕帯」がどんなにひどいものか目の当たりにした。

171人の犠牲者を悼む慰霊像

 映画撮影では辛くも逃げることができたが、実際の工事では、多くの作業員が犠牲になった。黒部ダム建設では171人が亡くなっている。黒部ダム湖のほとりに「六体の働く人物像」が殉職者慰霊碑として建立されている。雨のように水が沸き、予想もしない鉄砲水のような水圧で水が流出する「破砕帯」工事で何人が亡くなったのかバスの説明はなかった。同乗した若い人たちが、果たして「破砕帯」の意味をどれだけ理解できたか、お節介にもちょっと不安にもなった。

毎秒10~15トンの「観光放水」

男性陣が厳しい掘削作業再現に感動の様子だった

 黒部駅到着後、その先にある関電トンネル開通当初の工事跡(ケミカルトンネルと呼ばれる、薬品注入のためのトンネル)を見学した。そこで黒部ダム建設当時の記録映画を見た。トンネル周囲に残る掘削跡などに触れ、当時の工事の様子が残り、いかに厳しい工事だったかが実感できる。年間100万人以上の観光客が黒部ダムを訪れているが、この工事跡へは特別なツアー以外は入ることができないらしい。

 ツアー参加した高齢の男性は「ここに来るとトンネルを掘ることの怖さがわかる」と感想を漏らした。削岩機の跡を含めて、まさに「暗く怖い」の表現がぴったりだった。

 黒部ダム建設以前からあった旧日電歩道の急坂を降りて、河床部から黒部ダムの放水を見学した。中年の男性ガイドが「毎秒10~15トンの観光放水をするのが義務。発電ではないから、関電はいやがっているが、観光のための条件だから仕方ない」と話してくれた。

約1500m直下の黒部川へダムの放流

 関電の関係者に真相を聞いた。6月26日から10月15日まで放水を行っている。実際は観光放水ではなく、黒部ダム建設当時、渇水期に地元と取り決めた黒部川への放水だという。もし、発電量に換算したら、年間約10億円になるとのこと。発電に当たっては、土地改良区とは表面の水を取水するなど取水温度等についても詳しく取り決めをしているらしい。

太田垣士郎関電社長の奔走と決断

太田垣士郎(中央写真)などの業績を紹介するパネル(黒部川電気記念館)

 小説「黒部の太陽」(木本正次著、講談社)では、映画とは違い、当時の太田垣士郎・関電社長について詳しく紹介していた。関電関係者によれば、太田垣が最も苦労したのは資金集めに奔走したことらしい。世界銀行から400億円の融資を受けて黒部ダム建設はスタートしたが、冬期の積雪など恐ろしい自然との闘い、特に破砕帯征服に最新のシールド工法を新たに採用したこともあって、最終的には530億円(現在の約1兆円に相当)まで工事費用は膨れ上がってしまった。

 最も興味深かったのは、フランスのマルパッセダム決壊事故による世界銀行からの勧告だった。マルパッセダムは1952年に工事がスタート、54年に完成したが、5年後の12月、強烈な風雨がその地域を襲い、ダム決壊事故で、ふもとにある街が水没、421人が亡くなっている。

日本一の堤高から迫力あるダム放水

 映画「黒部の太陽」に描かれた難所の関電トンネルは1958年5月に全面開通し、黒部ダム本体の工事が急ピッチで進められていた。1959年12月マルパッセダム決壊事故が起きると、その事故を重く見た世界銀行担当者が関電本社を訪れ、当初180mとダム高さを計画していたが、決壊事故を踏まえ、強度不足に不安を抱き、30m低くするよう勧告した。黒部ダム両岸の岩盤がもろいことがわかっていたため、関電でも180mの高さに耐えるよう強度を高めるさらなる処置を施す工法を検討していた。30m減の高さ150mでは発電量は半減、収入が大幅に落ち込むことを避けたかった。

 最終的に、太田垣はダム直下の岩盤への衝撃を少なくするために、水を霧状に放流できる最新のバルブを採用した。マルパッセダムは1年間で満水にして事故を起こしたのに対して、ダム湖を満水にするのに9年間も掛けている。

 ダム建設の記録映画は、「くろよんは今日も息づいている」というナレーションで終えた。長野、富山の県境という不便な場所に関わらず、100万人以上が訪れる一大観光地にもなった。太田垣は12歳のとき、誤って2本脚の金属鋲を飲み込んでしまう。鋲が入って6年目の18歳のとき、せき込んで、ぽろりと鋲が飛び出したのだという。戦争中には2人の子供を失っている。「いまの自分は何を失っても惜しくない、いくら金が掛かってもこのダムを完成させたい、日本の国に必要な電力のためだから」。太田垣の執念が見事に実ったのだ。日本一の堤高186mを誇る黒部ダムの放水は詰め掛ける観光客らの歓声とともに、いまも息づいているようだ。

 さて、南アルプスではどのように「破砕帯」に向かうのか?JR東海のリニアトンネル工事は後世の人たちに大感動を与えることができるだろうか。

※タイトル写真は、映画「黒部の太陽」のトンネルセットレプリカ(北海道小樽市の石原裕次郎記念館から移設)展示会場の「破砕帯」説明パネル

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