リニア騒動の真相33リニア「空気感」が冷たい理由

「無期限に補償」表明は水泡に帰す

 街を歩いていて、突然、リニアに対する「空気感」がこれほどまでに冷えている理由が分かった。

静岡新聞2月8日付の写真

 2月7日、JR東海の宇野護副社長が静岡県議会の最大会派、自民改革会議の県議団に地下水への影響について「無期限に補償する」と表明した。大井川流域市町の不安解消に一歩踏み込んだJR東海の”譲歩”策だったが、「補償より影響回避」と流域の市町は強く反発している。「無期限の補償」表明は、リニア南アルプストンネル建設の早期着工に向けた打開策にならないことがはっきりとした。

 「無期限に補償」表明をした宇野副社長は、その趣旨を「(下流域の地下水に)影響が出ることはまずないが、(地元の)懸念が強いということだったのではっきりと申し上げた」と述べたが、あいまいな物言いだったために、「1年を超える補償申請期限」なのか「30年間を超える補償期間」なのかを巡り、国交省へ呼ばれた。

 そもそもは静岡県が「中間意見書」で、JR東海に「地下水の影響」について補償等の見解を求めた。「地下水への影響はない」とするJR東海が補償等に言及すること自体変な話である。それでも、「中間意見書」にこたえ、「無期限に補償」を表明するほうが、地元の理解が得られると方針転換したのだろう。

 20日の記者会見で、金子慎社長が30年間を超える補償期間の可能性に言及したが、時すでに遅しだ。何だかわからない物言いだけが地元に伝わり、公共工事の基準を超えて30年を超える補償は文書にまとめられるだけになり、流域市町への説明はなくなった。地元は補償の話など聞きたくないと避けたからだ。

 なぜ、リニアに対する「空気感」はこれほどまでに冷え切っているのか?きょう、静岡人になじみ深い歴史の場所に立った。「ああ、そうだ、そういうことだったのだ」と気づいた。

「交渉」とは何かー駿府の山岡、西郷会談

漫画展示だけで、歴史事実を知るには難しい

 静岡市の江川町交差点近く、伝馬町に1つの大きな石碑が建立されている。いまから152年前、1868年3月9日、東征軍参謀の西郷隆盛と幕府方の山岡鉄太郎との会談が行われた松崎屋伝兵衛宅跡である。

 幕末、駿府(静岡市)は歴史の舞台となった。3月6日大総督有栖川宮の東征軍がここに駐留して軍議を開き、3月15日をもって江戸城総攻撃を行う、と決定した。当時、江戸では東征軍の進撃を抑えられず、徳川慶喜から、身辺警護を務める山岡は「朝敵の命が下り、もはやとても生命をまっとうできまい。いかなることも朝命に背かない。二つとない赤心。伝えてくれ」と”(慶喜)助命”の使者役を任された。

 それを聞いた勝海舟は、いくら山岡が剣術の達人とはいえ、たった一人で官軍の真っただ中に乗り込めば、即座に殺されるか、捕らえられるに違いない、駿府にたどりつけず、死地に向かうのが関の山だろうと思案していると、そこに山岡とは旧知の薩摩藩士、益満休之助が顔を出した。山岡、益満ともに尊王攘夷の集団「虎尾の会」で、横浜外国人居留地の焼き討ちなどに生命を賭け、「休之助」「鉄太郎さん」と呼び合う同志だった。

 益満は難解な薩摩弁を駆使できるから、西郷に会うためにはなくてはならない役回りと勝は判断、益満もそれを受け入れ、山岡に同行することを承知した。不思議な巡り合わせが歴史を変えたのだ。

 勝は「無偏無党、王道堂々たり」で始まる有名な書簡を山岡に託した。東征軍が江戸城総攻撃を決めた6日、山岡らは江戸を出発、勝の予想通り、官軍だらけの東海道で鉄砲隊などと遭遇した。身長188㌢という山岡の偉丈夫ぶりと益満の「薩州藩、使いである」の名乗りで死地をくぐり抜けた。

 9日駿府に到着するやいなや、山岡は西郷に面会、勝の書簡を渡し、「慶喜恭順」の意が伝えられた。西郷は有栖川宮らに諮り、翌日(10日)江戸城明け渡しなどの「降伏7条件」を山岡に示した。これに従えば、慶喜の命を救い、家名存続を許すというのだ。官軍から7条件を引き出した山岡は大手柄だが、交渉役ではなく、単に勝の使いだった。7条件をそのまま持ち帰るべきところが、山岡は「1つの条件だけは承服できない」と突っぱねた。

 それが「慶喜の備前藩お預け」だった。山岡はもし、慶喜ひとりを備前に謹慎させることになれば、徳川恩顧の者たちは江戸城とともに討ち死にする、絶対に承服できないと食い下がった。西郷は「朝命に背く」と大きく首を横に振った。山岡は主君を差し出して、そのままでは済まされないと見えを切った。益満の口添えとともに、西郷は山岡の潔い男ぶりに惚れた。このとき、西郷40歳、山岡33歳、益満28歳である。

 「虎穴に入りて虎児を得る」。山岡は降伏7条件を胸に、急ぎ江戸にたどり着く。東征軍も江戸に入り、13日勝、西郷の江戸城無血開城の会談が薩摩藩下屋敷で行われた。山岡、西郷の談判がなかったならば、東征軍はそのまま江戸城へ総攻撃を掛けていたはずだ。慶喜の命も保証されなかっただろう。そのくらい緊迫した中で山岡の「交渉」が行われた。幕末、駿府はそんな歴史の舞台だった。

 現在、その同じ舞台に立って、静岡県、JR東海の歴史的な「対話」が行われている。2027年品川ー名古屋間リニア開業が至上命題と言っている割には、JR東海側に「覚悟」や「熱気」が欠けている。歴史をつくる気概がない。

 だから、リニアに対する「空気感」に地元は冷たくなっている。

3度の失敗をどう生かすか?

 「無期限の補償」表明で、JR東海の地元対策への失敗は3度目となった。

静岡市道閑蔵線、非常に狭い

 1度目の失敗はJR東海の静岡市との交渉だった。JR東海は「市道閑蔵線」トンネル建設は工事用ルートに必要と説明、トンネル新設費用百億円の半分「50億円」を負担するので、残りの「50億円」は静岡市が負担するよう要請した。地元の厳しい反対を受けて、結局、県道トンネル「140億円」建設で決着する。(※詳しいは経緯は、雑誌静岡人vol4に掲載)

 最初から、100億円負担するので「市道閑蔵線」トンネル建設を申し出れば、地元は歓迎しただろう。リニア南アルプストンネル建設には、県道トンネルよりも「市道閑蔵線」トンネルのほうが大きな効果があることくらい誰にでもわかる。「リニアを一日でも早く開業させたい」意気込みに欠けていたとしか思えない。

 2度目の失敗は、「湧水の全量戻し」表明だった。2018年10月、JR東海は「原則的に県外に流出する湧水全量を戻す」と表明したから、大井川の水環境問題は一気に解決の方向に向かうと見られた。ところが、1年近くたってから、「工事中は作業員の安全確保などで湧水は他県に流出する」と明らかにした。金子社長は問題を解決させたいための「方策」とまで述べたから、地元は強く反発した。その後、「湧水全量戻し」は議論の中心テーマとなった。

 そして、3度目が「無期限の補償」表明。そもそも、初めから30年間を超える「無期限の補償」と分かりやすく表明していれば、地元の好感度は上がっただろう。とにかく、あいまいな説明が続いた。JR東海の”譲歩”は単に、社内手続きであり、地元には何ら関係ない。何か勘違いしているようだ。

 リニア中央新幹線が日本の明るい未来を切り開くものだと地元にダイレクトにわかれば、「空気感」は変わる。しかし、それもできないでいる。

「空気感」を変えるために何をすべきか?

マラソンコースに設置された五輪マークだが

 なぜ、「空気感」が変わらないのか?2020東京オリンピックと1964東京オリンピックを比較すれば、明らかだろう。約50年前の貧しい日本人すべてがオリンピックの成功に大きな期待を寄せた。

 3兆円を使う大イベント、2020オリンピックだが、1964オリンピックのような躍動感もワクワク感も起きていない。新国立競技場の設計変更、マラソン会場の変更、そして新型コロナウイルスだ。是が非でも成功をという意識に欠ける。1964オリンピックのように全国民の悲願とは言えないからか。

 リニアも同じだ。9兆円のうち、3兆円もの財政投融資を使う国家的事業なのに、静岡県の「反対」ばかりが目立つ。県民のほとんどは川勝知事の「闘い」を支持する。リニア開業後の未来に明るさは何も見えてこないからだ。

 JR東海は対話も情報公開も苦手である。県民にわかりやすく理解してもらう「戦略」に欠けるからだ。3度の失敗を経て、何をすべきかわからなければ、次の失敗は致命的なものになる。

来年度は28回の「対話」を予定?

 20日静岡県議会2月定例会が開会した。27日の代表質問から、一般質問と続き、3月18日の閉会日まで予算審議が続く。

 リニア関連予算案を調べると、一般会計1兆2792億円の中で、たった2千万円弱と非常に少ない。それでも、本年度に比べて、約2倍の予算を計上した。内訳は、毎回、新聞、テレビが大きく報道する県環境保全連絡会議(全体会)、生物多様性専門部会、地質構造・水源専門部会の開催・運営と現地調査費など。来年度は28回の会議、現地調査40回を想定した。

2月10日の静岡県有識者会議

 議会冒頭、川勝平太知事は来年度予算案に関する説明を行った。リニア建設に伴う大井川水系の水資源及び南アルプスの自然環境の保全について、直近の今月10日開催された県地質構造・水資源専門部会を踏まえ「JR東海の見解は本質的に従来と変わっておらず、新たな提案等もなかった。今後も対話を継続して、県民の不安払しょくに全力で取り組む」と述べている。(※タイトル写真)

 川勝知事は「対話の継続」を見込み、28回ものリニア会議予算を立てた。4月から毎月2~3回も、JR東海との「対話」会議が開催されることになる。このままでは簡単に着工への道は開けないことをJR東海は理解しなければならない。さて、どうするか?

3月の1か月間で何をすべきか? 

 県議会2月定例会は3月18日の閉会まで、2月25、26日、3月6、13、16、17日が休会日となる。ここにJR東海表明の「補償」議論、「新有識者会議」設置に向けて国との「事前協議」が入るのだろう。事実上、リニア問題についての「対話」は3月18日まで完全に休止状態であり、3月いっぱい休みの可能性は高い。

 新型コロナウイルスでさまざまなイベント中止の動きが続いているが、リニア問題の「対話」も3月中は休止で、4月の新年度から仕切り直しに入る。3月の1カ月間で何をすべきか?

「降伏7条件」で西郷隆盛の会談に所用したとされる勝海舟の赤鞘の短刀(久能山東照宮蔵)

 152年前の3月9、10の両日、駿府で行われた山岡鉄舟の「交渉術」を学ぶよい機会だ。久能山東照宮には勝海舟が西郷隆盛との会談に臨んだ際、帯刀したとされる赤鞘の短刀も現存する。2014年正月、新潟市で家康4百年事業記念の久能山東照宮展を開催した折、勝の短刀も出品して、大きな話題を呼んだ。ぜひ東照宮に足を運んでほしい。

 3月20日からは静岡東宝会館で、映画「三島由紀夫vs東大全共闘」が封切られる。50年前の伝説的な討論会が「対話」のヒントになる。身一つで敵地に乗り込んだ「気魄」を三島由紀夫に学ぶべきである。

 2月16日付『リニア騒動32川勝知事「戦略」の”源”は?』をきっちりと読んだほうがいい。いずれにしても歴史に学ぶことは多い。JR東海は対話「戦略」をちゃんと構築しなければ、来年度1年間も無駄にするだろう。まずは、リニア議論の「空気感」を変えることができるかだ。川勝知事への「闘い」に向かうにはそれしかない。

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