リニア騒動の真相55「南アルプス」最大の危機は?

南アルプスは食べつくされた!

 JR東海は国交省の第4回有識者会議に資料を提出、環境アセスメントの水収支解析結果として、リニア南アルプストンネル周辺の地下水位が3百㍍以上低下する予測値を添付した。この3百㍍以上の地下水位低下に対して、静岡県の川勝平太知事は「生態系に大きな影響を与える」と問題視、県は8月13日、「地下水位の影響範囲は南アルプス国立公園の特別保護地区等に及び、景観や希少な野生動物に影響を与える懸念がある。この問題をどのように取り扱うか」などの質問書を環境省に送った。

 有識者会議の議論を見守ると回答した環境省だが、担当課は「JR東海がトンネル新設の許可申請を提出すれば、現地を見た上で、自然公園法の規定に基づいて厳正に審査をする」と話した。南アルプス国立公園は「多くの固有種・遺伝種がみられ、植物相が多様であり、樹林帯が垂直分布し、一体性のある地域」と高く評価されている。

 ところが、この数十年間にわたって、南アルプスの多様な植物相は深刻な被害を受け、生態系は大きく変わてしまった。

環境省のパンフレット。3枚組の南アルプスの写真が衝撃的だ

 「シカが日本の自然を食べつくす」。環境省パンフレットは、南アルプスで高山植物をニホンジカが食べつくしてしまった3枚組の写真を紹介した。1979年夏には見事なお花畑が広がっていたのが、同じ場所が2005年夏には草原となり、2010年夏にはとうとう草原も消え、石ころがむきだしの状態となってしまった。まさに、南アルプスは食べつくされた状態で、植物相の生態系にとって、まさにいま、最大の危機に直面しているのだ。南アルプスエコパーク保全を最優先する川勝知事が、どうして、何も言わないのか?

 南アルプスの地下約4百㍍に建設されるリニアトンネルの影響を環境省が現地を調査して、どのように審査するのか、全く分からない。「生態系に大きな影響を与える可能性」云々どころか、現地へ行けば、生態系への大きな被害がすでに明らかになっている。南アルプスは遠く離れた場所にあるため、一般の人たちは全く知らないのだ。JR東海の「全面公開」ばかり問題にする県は、なぜ、南アルプス最大の危機について、もっと声高に叫ばないのだろう。

 一体、何が起きているのか?

南アルプスのシカ増加は止められない

伊豆エリアのシカの群れ(静岡県提供)

 環境省の昨年11月発表によると、全国のニホンジカ推定数は244万頭だが、全日本鹿協会は、ニホンジカは2013年には北海道を除く、全国で304万頭と推定している。2023年には450万~500万頭に達する見込みだ。全国でシカの駆除は優先され、毎年50万頭のシカが殺されている。それでも毎年、シカは増加傾向にある。

 南アルプス地域にどのくらいのシカが生息するのか調査は行われていない。シカ対策として柵やネットを施しているが、駆除まで行われないから、増加傾向を止めることはできない。増えすぎたシカは、2千㍍を超える辺りまでやってきて、高山植物まで食べつくしてしまったから、現在は餌を求めて縄張りを拡大しているだろう。

 1980年代には、県内では野ウサギ、サル、ニホンカモシカの食害被害が増加していた。特に、ニホンカモシカは国内全体で一時期、3千頭余りの絶滅の危機に直面、1955年に国の特別天然記念物に指定されると、増加に転じ、数十万頭までに回復した。人工林の食害が出たことでカモシカの特例駆除が認められた。90年代に入ると、カモシカを上回る勢いで急増したのが、ニホンジカだった。シカ被害は限られた地域のみだったが、現在では全国各地で深刻な問題をもたらしている。

 なぜ、シカは駆除してもこれほどに増加していくのか?シカは反芻胃と呼ばれる4室の胃を持ち、複胃動物と呼ばれる。イノシシのような単胃動物が消化できない繊維や細胞壁なども分解してしまう強い胃を持っているのだ。有毒物質を含まない植物だったら何でも食べることができる。最初の胃は大変大きく、ここにはバクテリア、菌類など、いろいろな微生物が生息、十分にかまれて唾液と混じった植物をさらに分解し、2番目、3番目の胃に送り、もし、十分に分解されない食物は前の胃に戻る反芻を繰り返す。そして、最後の4番目の胃室に送り込まれ、そこで人間の胃と同じ機能を果たして小腸へ送り出す。

 シカは植物であれば、何でも食いつくすことができる。イノシシ、サル、クマは人間と同じ単胃動物だから、消化が容易な植物や動物しか食べることができない。イノシシなどは畑の作物を荒らす害獣だが、シカのように樹皮など植物すべてを食いつくすわけではない。南アルプスなど国立公園では駆除しないのだから、シカは増える一方なのだろう。

シカ増加も長い間の自然環境の変化?

 県がシカ被害の対策に重点を置いているのは、伊豆と富士山周辺エリア。同エリアでは、2016年の5万6千頭をピークに、毎年5万頭以上を駆除している。本年度は3億5千万円の予算を確保、7月までの4カ月間に3200頭を駆除した。特にメスジカ駆除を強化、毎年秋以降に「シカ殺し」が本格化する。

 県森林・林業研究センターによれば、伊豆エリアではスギ、ヒノキなどの樹皮、ワサビの葉、ミカンは果実だけでなく、葉や樹皮まで食べ、シイタケの原木となるクヌギの皮まで食べつくしてしまう。伊豆、富士山周辺エリアでの被害が大きいだけに、生活する人はほとんどいない南アルプスエリアのシカ対策にまで手が回らない。

 伊豆エリアなどのシイタケ、お茶、ワサビなどを食べるシカは憎い害獣であるかもしれないが、南アルプスの高山植物が被害に遭っても、県民生活には関係ない。南アルプスでお花畑が消えたとしても、登山者はがっかりするかもしれないが、誰も困らないのだ。長い間の自然環境の変化だと受け止めればいいのかもしれない。

 シカの増えた要因を環境省が説明する。1、人間が、シカを肉や毛皮として利用する機会が減り、シカの捕獲数が減ったため。2、ハンターの高齢化・減少によって、シカの捕獲数が減ったため。3、積雪が減り、シカが生息できる範囲が増え、冬を乗り越えられるようになった。4、放棄された農地が増え、雑草や低木がシカの餌資源として利用されたためなどとしている。

 これには首をかしげるだろう。

 南アルプスでシカが増えた要因を指摘していないからだ。交通不便な南アルプスの山岳地域まで行って、シカ猟をするハンターはいない。南アルプスのシカ増加は、環境省が挙げた4つの要因には当てはまらないだろう。

 実際には、シカの天敵だったニホンオオカミを絶滅させてしまい、2006年まで続いたメスジカの禁猟政策がシカ増加につながっている。だから、いま躍起になって、県でもメスジカ駆除を強化するのだ。ディズニー映画「バンビー」は、日本では「小鹿のバンビ」として親しまれているが、シカの駆除には「くくり罠」を使っているから、小鹿も犠牲になる。かわいい小鹿は禁猟という法律はない。

「人間の都合」で「生物多様性」が変わる

 環境省パンフレットには「シカは植物を食べる日本の在来種で、全国に分布を拡大し個体数が増加、シカが増えるのは良いことかと思うかもしれないが、全国で生態系や農林業に及ぼす被害が深刻な状況となっている」と説明、だから、「小鹿殺し」も善となる。ただ、「日本の在来種のシカが増えるのは良いことかと思うかもしれない」と自信なげな1行がある。

 日本では増えすぎた動物を徹底的に駆除したことで、絶滅に追いやった過去を持つ。毛皮のための乱獲や開発による生息地からの迫害でニホンカワウソが消えてしまい、水田、畑を荒らす害獣として全国各地で駆除したトキも絶滅した。国内では22種以上の動物が姿を消している。

県の外来種駆除のパンフレット

 いま、日本で徹底的な駆除の対象となっているのは外来種である。在来種をしのぐ高い環境適応力や繁殖力を持ち、在来種を駆逐するなど生態系のバランスを崩すとして、外来種の多くが駆除されている。ほとんどは、食用やペットなど「人間の都合」で持ち込まれたものである。

 「人間の都合」つまり、農業や林業の敵となるほど数が増えると、動物の駆逐が奨励される。ことばで言えば簡単だが、「生物多様性」とは何かを考えると、非常に難しい。生物多様性、生態系維持はいつでも「人間の都合」によって左右される。

 リニア工事によって3百㍍の地下水位低下の影響を議論する県生物多様性部会で大きな問題になるのは、県レッドデータブックに記載される在来種「ヤマトイワナ」である。

川嶋尚正さん提供

 県水産・海洋技術研究所によれば、ヤマトイワナの減少理由について、県内には生息していなかった繁殖力の強い、在来種のニッコウイワナを地元の漁協が頻繁に放流したからだと説明する。大井川源流部では、ヤマトイワナとニッコウイワナの混雑種が誕生するとともに、ヤマトイワナは減少傾向の一途をたどった。ただ、ヤマトイワナは、渓流釣り禁止の大井川原生自然保護地域をはじめ水系の別のところに生息する。源流部で減少してしまったヤマトイワナを、JR東海に是が非でも守れというのは不思議な話である。農業、林業ではないが、リニア開通を期待する沿線の住民は数多く、また、リニアがさまざまな雇用を生む。この場合も「人間の都合」を優先するかどうかだけの話ではないか。

 ふじのくに地球環境史ミュージアムを訪れると、「ふじのくに生物多様性」コーナーにはほ乳類や鳥類のはく製が置かれていた。増えすぎて困っているニホンジカはここにはたった1頭しか展示されていなかった。ニホンオオカミが絶滅、自然界での食物連鎖はすでに崩壊した。ニホンジカが”動物界の王様”となったことが分かる展示だった。(タイトル写真)

 お花畑と呼ばれる南アルプスのいくつかの自然生態系は消え、別のところから移植している。シカが増えすぎたのも、ヤマトイワナの減少もリニアが原因でも何でもない。ヤマトイワナの生息のためにニッコウイワナは”外敵”となるから、駆除するのか?JR東海にすべての「生物多様性」の責任を押し付けるわけにはいかない。川勝知事は県民に「生物多様性」とは何かを分かりやすいように説明しなければならない。「人間の都合」でころころ変わるのが「生物多様性」ならば、専門部会の議論に政治家やジャーナリストも呼ぶべきである。

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