リニア騒動の真相72岩波書店「世界」の間違いは?

川勝知事『62万人の生命の水』の意味は?

世界1月号

 岩波書店の月刊誌「世界」は、1946年1月号創刊であり、ことし1月号で75年目を迎えたそうだ。1月号の編集後記で「いま日本では批判的にものを考えて生きることが奨励されない。本当に批判的に考えて、考え抜くという立場をつらぬいている雑誌は『世界』だけになった。(中略)『世界』は75年かけて読者と執筆者の協力で批判性をみがきあげてきた。われわれ市民知識人の雑誌である」という和田春樹氏(歴史学者、東大名誉教授)の推薦のことばを編集長が紹介していた。また、「一号たりとも手を抜いて編むことはできない、との思いを強くします」と編集長が決意のことばを書いていた。

 40年以上前、「世界」は学生たちにとって権威ある雑誌だったが、長い間、手に取ることはなかった。今回、12月号の『「オール静岡」が問うリニア建設』を読んでみて、暗澹たる思いにさせられた。「市民知識人の雑誌」としてはあまりにずさんだったからである。本質的な問題『毎秒2トン減る』は、12月号の57ページ小見出しに使われていた。その57ページを読んでいて、不思議な数字がたくさん出てきて違和感を覚えた。調べてみると、多くの数字が間違いだった。

 最初に違和感を覚えた、「世界」の明らかな数字の間違いを指摘したい。2013年9月、JR東海は環境影響評価準備書の中で、リニアトンネル工事完了後に大井川の流量が、環境対策を取らなければ、「毎秒2㎥減る」と予測した。「世界」では『これ(毎秒2㎥減少)は、生活用水や農工業用水を大井川に頼る中下流の八市二町(島田市、焼津市、掛川市、藤枝市、袋井市、御前崎市、菊川市、牧之原市、吉田町、川根本町)の六二万人の水利権量に匹敵する膨大な量だ。』と大井川流域に与える問題の大きさを紹介していた。この一文の中にある間違いは、大井川流域に住む人ならば、注意して読めば、すぐに気がつくだろう。

 大井川流域に住んでいなくても、こんなことは、ネットで調べれば、簡単にわかる。ことし1月1日現在の「8市2町」の合計人口は、62万人よりも10万人以上多い72万9444人である。いくら何でも数字の違いが大きすぎる。著者は何の確認もしなかったのだろう。リニア静岡問題をずっと追ってきたから、わたしはすぐに気がついたが、「世界」読者は、全く違う地域に住んでいるから、何の疑問も持たないだろう。編集者たちは、手を抜いてしまったのか?

 『62万人の生命の水』とは川勝平太知事がよく使うフレーズだから、著者はそれに引きずられて、思い込んでしまったのか。2017年1月当時、大井川広域水道を利用する島田、焼津、掛川、藤枝、御前崎、菊川、牧之原の7市人口は合計62万879人で、7市は「毎秒2㎥」の水利権を持っている。多分、知事はその数字を使ったのだろう。

 もし、大井川広域水道を念頭にしたならば、現在では人口減が続き、7市の合計は約60万7千人としなければならない。農工業用水まで含めると、8市1町であり、これも8市2町ではない。その場合の人口でも、72万人を超えてしまう。これでは、著者が「水利権」「8市2町」の意味をよく分かっていないことが明らかである。

 こんな簡単な間違いを見れば、リニア静岡問題の実情を踏まえていないことは明らかだ。いくら批判的であってもリニア建設反対という立場だけで、リニア静岡問題を論じるのはあまりに危険である。

「毎秒2㎥減る」が大問題だった!

 57ページの数字の間違いはこれだけではなく、5カ所もあった。『たとえば、2018年度には147日間もの節水期間が設定された』と書いているが、調べれば、2018年度の節水期間は95日間しかない。2019年度の52日間を入れて147日間だが、これでは節水期間を誇張したことになる。「世界」編集部は、すべての間違いをもう一度、調べて確認すべきだ。「世界」編集長宛に手紙を送るつもりだが、読者の信頼にこたえるよう、ちゃんと対応することを望みたい。

 「世界」12月号を読んだことで、『毎秒2トン減る』とは一体、何だったのかをもう一度、考えてみるきっかけとなった。「毎秒2㎥減る」は本質的な大問題だからである。

 『毎秒2トン減る』は、「世界」でも、最初、小見出しをつけたように最も大きな問題と考えていた。57ページでは「毎秒2㎥」を「全量戻し」の意味で使っていたが、途中から何の説明もなく「全量戻し」の意味を変えてしまう。これでは、読者には何もわからないだろう。「世界」の記事は、リニア静岡問題を反リニアの立場から都合よい情報に変えて提供しているだけで、和田氏の言う物事を考え抜く姿勢には欠けている。

 JR東海が2013年9月、アセス準備書で大井川の表流水が「毎秒2㎥減少」することを初めて明らかにしたことで、川勝知事は2014年3月、大井川の河川流量の確保について『毎秒2㎥減少するメカニズムを関係者に分かりやすく説明するとともに、環境保全措置の実施に当たっては、鉄道施設(山岳トンネル、非常口(山岳部))への技術的に可能な最大限の漏水防止対策と同施設内の湧水を大井川へ戻す対策をとることを求める』などの意見書を送った。

静岡県作成のトンネル工事の影響図

 これに対して、JR東海は「毎秒2㎥減少」のうち、導水路トンネル設置で「毎秒1・3㎥」、残りの「0・7㎥」は必要に応じてポンプアップで戻す、という対策を公表した。知事意見書には『トンネル湧水をポンプにより排水して川へ戻す場合は、温室効果ガスを抑制する方法を採用すること』となっていたため、豊水期にはポンプアップしなくても大井川表流水は十分に水量が満たされているとして、「0・7㎥は必要に応じて戻す」とJR東海は考えたようだ。

 しかし、この「0・7㎥」が問題になった。「世界」では次のように指摘した。

 『2018年10月、JR東海は、県に送った「大井川中下流域の水資源の利用の保全に関する基本協定(案)」のなかで、それまでの「必要に応じて」との努力目標ではなく、「トンネル湧水の全量を大井川に流す措置を実施する」という「全量戻し」を約束した』

 ここでは「全量戻し」とは「毎秒2㎥減少」と書いている。導水路からの「1・3㎥」だけでなく、ポンプアップの「0・7㎥」を加えて、常時、毎秒2㎥を大井川に戻すことを県が求め、JR東海はそれを約束した。川勝知事の「62万人の生命の水」はまさに、「毎秒2㎥減少」を問題にしていた。

 ところが、「毎秒2㎥」が「全量戻し」ではなくなってしまうのだ。

8月20日会議で「全量戻し」の意味が変わった

 「世界」の記事も突然、「全量戻し」を「毎秒2㎥」から変えてしまう。以下の記事である。

 『ところが、わずか4日後の10月4日、事態は急変した。JR東海は連絡会議の委員である有識者との意見交換会の場で、「トンネル湧水の一部は流出する。だが、大井川の流量は減らない。むしろ、湧水を大井川に戻すので流量は増える」と表明したのだ。

 静岡工区は両隣の山梨工区と長野工区よりも標高が高い。JR東海の発言は、工事中に両県に流出するトンネル湧水があると説明したものだが、「全量戻し」を反故にする発言にその場が「え!」とざわつき、学識者のひとりは「水が減らない。どういうことか?」とかみつき、難波副知事は「すべての議論を振り出しに戻すとは」と驚きを隠さなかった』

 JR東海は、毎秒2㎥の全量戻すことを反故にしたわけではない。県が「全量戻し」の意味を『工事中に両県に流出するトンネル湧水をすべて戻せ』にしたのは事実だが、「世界」が書いているように10月4日の会議の席ではない。だから、学識者も副知事もそんな反応をしていない。

 事実を振り返ってみる。2019年6月6日、県は大井川水系の水資源の確保などに関する意見書をJR東海に送った。その中で、「既に着手している山梨工区と長野工区のトンネル工事で、静岡県内の水が県境を越えて流出する可能性があるので、対策を示せ」と書いている。これまで、この問題は県環境保全連絡会議で議論されていたから、県は他県への流出を想定して、その対策を示せと書いていたのだ。

 JR東海は7月12日、中間意見書に対する回答案の中で「工事期間中、作業員の安全を配慮をした上り勾配での工事を行うため、薬液等で対策しなければ、山梨県側に最大毎秒0・31㎥、長野県側に毎秒0・01㎥が一定期間流出すると想定する。地下水への影響をできる限り低減したい」と従来通りの答えを述べている。

 県が「全量戻し」を「毎秒2㎥」から「水一滴」に変えてしまったのは、10月4日ではなく、8月20日の会議である。その会議については、『リニア騒動の真相13「水一滴」も流出させない』(8月26日)に詳しく書いてある。

2019年8月21日中日新聞

 当日は、JR東海と県地質構造・水資源専門部会の森下祐一部会長との意見交換の場だった。森下氏と工事中の地下水への影響について議論している最中、オブザーバーとして出席していた難波喬司副知事が「全量戻せないと言ったが、認めるわけにはいかない。看過できない」などと発言、厳しく反発したのだ。会議後の囲み取材で、難波副知事は「JR東海は全量戻しの約束を反故にした」などと述べ、メディアは難波発言を一斉に報じた。この「全量戻せない」が、工事中の他県への流出だった。

 3日後の定例会見で、川勝知事も「湧水全量戻すことが技術的に解決しなければ掘ることはできない。全量戻すことがJR東海との約束だ」など追い打ちを掛けた。メディアは知事発言もそのままに取り上げた。この時から、「全量戻し」が「毎秒2㎥」から、「水一滴」となったのだ。

 2019年8月23日の『リニア騒動の真相13「水一滴」も流出させない』には、「血の一滴も流してはならぬ」とする「ヴェニスの商人」の物語にたとえ、これは単なる詭弁であるとわたしは書いた。メディアは県の主張をそのままに書いたから、「全量戻し」の意味が変わったのだ。

 そして、「水の一滴も流出させてはならぬ」を10月4日の会議で、県はあらためて求めた。

県が求めるのは「血の一滴」と同じだ!

 静岡経済新聞は、10月4日の会議について、『リニア騒動の真相19「急がば回れ」の意味は?』(10月7日)で紹介した。その内容は「世界」の記事とは全く違う。

2019年10月4日の会議

 この日の県地質構造・水資源専門部会では、森下部会長が「JR東海が上り勾配でのトンネル工法を選択する理由について科学的に議論することに限る」と冒頭、議題を述べた。そのために、トンネル工法の専門家委員も出席していた。ところが、会議をぶち壊したのは、県だった。突然、「トンネル湧水の処理等における静岡県等の疑問・懸念事項」と題した1枚の文書を配布したのだ。この日の議題ではないから、この文書について議論はされなかった。

 会議中にいくら読んでも分かりにくい長い文書だったが、その最後の一文だけは何を言いたいのか理解できた。

 『9月13日の意見交換会において、JR東海がトンネル工事中の表流水は減少しないといった内容の説明をしていましたが、私たちが問題にしているのは、トンネル近傍河川の表流水だけでなく、地下水を含めた大井川水系全体の水量です。JR東海が、そういう認識を共有しているのかも懸念されるところです』

 つまり、「全量戻し」は「毎秒2㎥」ではないことをあらためて、県は10月4日、文書で表明したのだ。「地下水を含めた大井川水系全体の水量」であり、山梨、長野両県に流出する「水一滴」も含むのだ。「ヴェニスの商人」の「血の一滴」同様に、こんなことが可能であるはずもなく、静岡県の権限(権力)の恐ろしさを感じた一瞬だった。ただ、JR東海も全く、静岡県への「誠意」を見せることなく、単に科学的な議論の場に臨んでいたから、この問題は既に政治決着を図る段階にあったのだ。これ以上、議論しても結論は出ないと県は言いたかったのかもしれない。

 2019年の夏から秋に掛けて、『リニア騒動の真相』を読み返して、その時々の疑問や不信な点を思い出した。それはすべてそのまま現在につながっている。

 ※「世界」12月号は、リニア工事差止訴訟原告団の立場で原稿を書いたことが分かる。タイトル写真は、提訴後の記者会見

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