ニュースの真相

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静岡市民は”レプリカ”でいいのか?

「静岡市歴史博物館」の目玉がレプリカの理由  静岡市歴史博物館に展示される”目玉”はレプリカである。静岡市民はレプリカ展示の博物館だと承知しているのだろうか?  昨年11月の記者会見で川勝平太静岡県知事が、静岡市が計画を進めている歴史博物館建設について「一時、棚上げすべき」という意見を述べた。その意見を受けて、本サイトでは「川勝VS田辺 静岡市歴史博物館建設は棚上げを!」という記事をUPした。川勝知事の意見に賛成するとともに、展示の目玉が家康所蔵の歯朶具足(国重要文化財、久能山東照宮)及び紅糸威腹巻(県指定文化財、静岡浅間神社)のレプリカであったからだ。  静岡市担当課はレプリカではなく、「復元模造」と呼んでいるが、要するに本物ではなく「複製品」。約7千万円も掛ける、本物みたいなレプリカだという。しかし、事業費約60億円もの博物館建設でレプリカがその目玉では、市民すべての賛同は得られない。  調べていくと、静岡市は10年ほど前に歴史博物館基本構想の策定とともに、展示品についてさまざまな検討を始めていた。その結果、鉄舟寺に伝わる国宝・久能寺経を博物館の”目玉”の1つにするために交渉していた。  家康を祀る東照宮のある久能山は、平安時代、久能寺として繁栄、大小7百もの塔頭が築かれた。繁栄の歴史を語るのが厳島神社に伝わる平家納経(国宝)と並ぶ、華やか装飾経として知られる久能寺経。久能寺は東照宮建立後、現在の鉄舟寺の場所に移され、久能寺経も守られてきたが、国宝を保存管理するために東京国立博物館に預託された。現在17巻が鉄舟寺所蔵。温度、湿度管理などの最先端設備を有する静岡市博物館開設とともに、久能寺経は本来の場所に里帰りすれば、博物館建設に大いに意義があるのだろう。  ところが、目玉になるはずだった久能寺経は静岡市へ戻ってこない。 静岡市歴史博物館は文化庁ルールに対応できない  いくら久能寺経所有が静岡市の鉄舟寺であっても、国指定文化財となると文化庁がルールを決めて、移動を含めた保存管理まで細かく指導している。国宝、重要文化財の移動(現状変更)は文化庁の許可が必要となる。通常、国宝、重要文化財のダメージを配慮して年間60日のみ展示が許可される。展覧会の会期中に国宝、重要文化財の展示替えをするのは、文化庁の”60日間ルール”を守るためである。  久能寺経と並行して、新たな目玉の文化財も探したはずだ。しかし、そのやり方に問題があった。  2021年秋頃と静岡市博物館のオープン予定は決められているが、実際にはどのように運営していくのか、その中身は全く決まっていない。本来ならば館長、学芸員などの運営スタッフを決めて、その収蔵品をどのように展示、保存管理するのかなど早い段階で準備を進める。それがいまだ白紙に近い状態では、文化庁は久能寺経だけでなく、どんな指定文化財であっても静岡市歴史博物館への現状変更を許可するはずもない。  これでは、国宝、重要文化財を所蔵できないから、歯朶具足、紅糸腹巻のレプリカ展示でお茶を濁したと批判されても仕方ない。担当課長は「『駿府と家康、今川氏と東海道のつながり』をストーリーにして目玉にするしかない」と述べた。この発言の背景は10年近くさまざまな検討、交渉をしてきたが実を結んでいないからだが、レプリカならば、文化庁許可など全くなく自由にやることはできる。  それでは一体、そのストーリーはどのようなものであり、どんな展示をするのか。ところが、レプリカをどのように使うのか、肝心なところが全く見えてこない。 「家康朱印状」レプリカの意義  レプリカであっても感動を与えることは数多い。著名な例は、戦後すぐの貧しい時代、評論家小林秀雄が東京近代美術館を訪れ、ゴッホの「烏の群れと麦畑」複製画を見て感動したことをきっかけに、「ゴッホの手紙」という長編評論を出版したことだ。小林の随筆によって、多くの読者がゴッホ作品に親しみを持ち、理解を深めることができた。感動するのに、本物である必要はないかもしれない。それだけでなく、レプリカをつくる意義が重要な場合もある。  久能山東照宮では家康没後4百年記念事業で朱印状レプリカを作製した。1613年英国初の使節団が駿府城を訪れ、家康はオランダに続き、英国との通商を許可、その記念に英国王ジェームズ一世へ甲冑などを贈るとともに、朱印状をサーリス大使に手渡している。  家康の渡した朱印状は英国オックスフォード大学ボドリアン図書館日本研究図書館に現存する。関税の免除、日本国内の港への往来など7項目の通商許可が記され、その朱印状は4百年前以上に交わされた初の日英通商条約の証拠と言える。  当時はスペイン、ポルトガルが日本でキリスト教布教を熱心に進めていたが、その背景には植民地化して日本をカトリック国にしようという意図が隠されていた。家康はプロテスタント国のオランダ、英国との交流を優先して、カトリック国と決別することを決め、1614年キリスト教禁令を発布した。その転換点となったのが英国使節団の駿府城来訪であり、オックスフォードに残る朱印状は日本をめぐる国際情勢を物語る重要な証拠である。  東照宮からの依頼に、日本研究図書館のイズミ・タイラー館長は実物データを無償で貸与した。川勝知事がオックスフォード大学留学当時、イズミ館長との交流があったことで、その交渉がスムーズに進んだ。  朱印状に使われていた大高檀紙(岡山県)は廃業してなくなっていたが、その和紙に近い、土佐手漉き和紙を使い、静岡県内では唯一の大型校正機による印刷で本物に近いレプリカが出来上がった。2013年久能山東照宮では「日英交流4百年特別展」を開催、朱印状レプリカを展示した。最終的には、朱印状レプリカは2013年11月ティム・ヒッチンズ英国大使(当時)に寄贈、大使公邸の玄関に展示され、新たな交流が生まれている。  ストーリーとはいまにつながることであり、静岡市がどのようなストーリーを考えているのか、残念ながら大きな期待はできないかもしれない。 川勝知事の力を借りたほうがいい!  ことし3月、静岡県は経営管理部長名で「静岡市歴史文化施設の建築計画に関する意見」を静岡市に手渡した。「歴史博物館を整備すること自体を否定しないが、現行の計画をいったん棚上げ、駿府城公園内の発掘調査を踏まえ、利活用を再考すべき」などとしている。さらに、「本物の遺構と近距離にある博物館の建設は二重投資になるリスクがある」とも強調した。  田辺市長は「着々と整備を進める」として、予定通りに歴史博物館建設を進めることを明言した。再度、静岡県の意見に耳を貸さなかった。  実際の静岡市歴史博物館の進捗状況(窮状)を、田辺市長は承知しているのだろうか?この際、川勝知事の意見に耳を傾けたほうがいい。知事は単に批判的な意見を述べるだけにとどまらないはずだ。歴史博物館の窮状をちゃんと承知して、手を貸す準備をしているだろう。知事の人脈を使えば、歴史博物館にふさわしい人材を探してくれるかもしれない。博物館の目玉も考えてくれるかもしれない。英国最大の観光スポット・ロンドン塔に展示される家康がジェームズ一世に贈った「元茶糸威胴丸具足」(英国王立武器博物館蔵)を長期貸与させてもらうなどいくつもの方法が考えられる。  「拙速に施設の建設に着手すべきでない」。知事の批判はその通りであり、静岡県、静岡市の両者が手を携えるきっかけにしたほうがいい。  建物は著名な建築事務所によって、その概容は決まった(タイトル写真)。しかし、肝心なのはその中身である。いましばらく開館が遅れたとしても、市民だけでなく、静岡県民すべてが納得できる”目玉”を用意した歴史博物館を期待したい。

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静岡県立病院に「老年センター」設置を

「健康寿命」87歳が死傷事故起こす  「健康寿命」延伸を目的に、静岡県は「社会医学健康」研究のための大学院大学開設を進めている。「ふじのくに型人生区分」を提唱、76歳までを「壮年」とし、社会で元気に活躍する世代と位置づけている。従来の区分では高齢者に含まれる「壮年熟期(66~76歳)」を「健康寿命」現役世代として活躍してもらい、「支えられる」側から「支える」側へ転換する機運を盛り上げるというのだ。  先日東京・池袋で、東大卒の元通産省キャリア官僚がアクセル操作を誤り、百キロ以上のスピードで暴走、31歳の母親、3歳の女児の自転車に衝突、2人を死亡させ、8人に大けがをさせる痛ましい事故を起こした。アクセルとブレーキペダルの踏み間違えではなく、ブレーキペダルのことは全く語られていない。彼は87歳だった。高齢ドライバーが重大な事故を起こすリスクは若いドライバーの3倍を越える。いまや高齢者は道路で最も危険な存在だ。  「ふじのくに型人生区分」では、老年は77歳からであり、87歳を「中老」と呼ぶ。87歳ドライバーは自分自身をまさに「健康寿命」世代と過信して、ハンドルを握っていた。アクセルとブレーキペダルの踏み間違え、逆走など「健康寿命」高齢者の事故が毎日のように報道される。「健康寿命」高齢者が「老化」を免れていない証拠だ。そこをちゃんと把握して、県は施策を進めるべきである。「健康寿命」とは何かの定義をあいまいにして、莫大な事業費を投じることは県民にとってあまりに不幸だ。 「老化」には勝てない  高齢者の脳は萎縮する。30歳で脳は1・4キロあり、頭蓋骨にぎりぎり収まるぐらいの大きさである。40歳ころから灰白質(脳の表面の神経細胞の集まるところ)が喪失しはじめ、70歳になると、脳と頭蓋骨の間には2センチ以上の隙間ができてしまうほど灰白質は失われている。頭蓋骨の中で脳がゴロゴロと回ってしまうから、頭部への衝撃で、高齢者が脳出血を起こしやすい大きな原因となる。  最初に萎縮を起こす脳の部分は一般的には前頭葉である。前頭葉は判断と計画を司るところ。次が記憶を整理する海馬だ。高齢になると、作業記憶が失われる。いくら若いときに優秀だったとしても、悲惨な死亡事故を起こした87歳男性ドライバーの脳は昔のようには働いてはいない。彼は「アクセルが戻らない」と事故後に訴えたが、アクセル機能には何ら問題はなく、実際は前頭葉、海馬の機能に大きな問題があったことがうかがわれる。  87歳男性は足の関節を痛め、1年ほど前から病院へ通院していたという。老化の問題はパーツごとに起きる。骨や歯が軟化するのに合わせて、血管や関節、筋肉、心臓だけでなく、肺までもカルシウムが蓄積して柔軟さを失っている。40歳ごろから筋肉量と筋力が低下しはじめ、80歳になると筋肉の重量は若いときのほぼ半分に減ってしまう。  手足の関節は変形関節炎による破壊を受けて、関節の表面はガタガタになり、すり切れた状態になっている。「アクセルが戻らなくなった」という主張こそ、自分自身に起きている老化による運動神経の喪失結果(当然、脳にも及んでいる)を自覚できていなかった証拠だ。右足の不調というサインが出ていたが、「健康寿命」を過信して車を運転した。  この87歳男性のように「健康寿命」を過信した高齢者ドライバーが増えた場合、いくらテクノロジーが進歩しても、今回のような悲惨な事故が繰り返される結果を招くだろう。「健康寿命」が「老化」に勝てるはずもないのに、いつまでも若いという幻想だけを想起させることになる。 老年科医の役割こそ重要だ  衰えはすべての人の運命である。  わたしの母は80歳を過ぎてから、睡眠不足、食欲不振、ふらつきなどを訴えた。クリニックへ行っても、自律神経失調症と診断され、さまざまな薬を投与されるだけだった。このため、母の不調は改善されず、静岡県立総合病院をはじめ多くの病院を渡り歩いた。母の状態は一向によくならなかった。  浜松で開業する「老人」を専門にする医師を受診した。日本では珍しい老年科部門のクリニックである。  「今日はどうされましたか」。医師は彼女にちゃんとあいさつをしたあと、優しく質問していった。お互いの会話はにこやかに続き、母の顔には医師を信頼している表情が浮かんだ。血圧を調べたら、正常範囲。目と耳を調べ、開口させ、聴診器を出して心音と呼吸音を聴診した。母からすべての事情を聴いた。医師は、母に投与されていた5種類以上の処方薬をやめるよう指示した。それぞれが有用なことは間違いないが、有用性よりもふらつきの副作用を生じさせる原因だった。健康によいからと低カロリー・低コレステロールと銘打った健康食品を食べていたが、きょうからは高カロリーの食事をするよう勧められた。  医師はたっぷりと時間を取って話をするとともに、何と丁寧に母の耳垢を掃除してくれ、母が靴下を脱ぎ、爪を切り、そのあと、片足ずつどのように靴を履くのかなどを注意深く見た。医療の目的は特定の個別の問題-認知症、がん、高血圧、膝関節症、糖尿病など、それぞれに対して何かをすることは得意だが、老人の基本的な生活機能障害についてケアしていないのだ、と医師は話してくれた。  薬をシンプルにして、もし関節炎があるならばそれが収まっているのかどうか、足爪が切られているのか、耳垢をちゃんと掃除しているのか、どのような食事をして、食べる量が体力を維持するのに適しているのかなどをチェックする。老年科医の役割は患者が生活機能障害に陥らないように目配りすることのようだ。  人は余分な腎臓、余分な肺、余分な生殖腺、余分な歯を持ち、細胞はたびたびダメージを受けても修復を繰り返す。しかし、時間がたつにつれて、どんな優秀な修復システムでも全体を止めてしまうときが来る。老年科医の役割はそれをいくらか遅らせることである。  調べてみると、日本では老年科医の数は非常に少ない。もし、まじめに老年科医の使命を果たそうとすれば、病院のもうけはなくなるからだ。高血圧の薬をやめさせ、さまざまな処方をしなければ診療報酬を得られず、病院経営が成り立たないからだ。 「老年科医」の育成ならば理解できるが…  静岡県立総合病院に必要なのは「社会健康医学」研究のための大学院大学ではなく、高齢者にちゃんと対応する「老年センター」である。  「社会健康医学」研究の大学院大学有識者委員会委員長は、2018年ノーベル医学・生理学賞受賞者の本庶佑氏(77)。がんの免疫治療薬「オプジーボ」開発のきっかけとなるタンパク質を発見した。現在、小野薬品工業と「オプジーボ」の特許対価が低すぎるとして厳しく争っている。いくら有名人であっても、「老化」問題の専門家というわけではない。本庶氏自身が「老化」についてどのように考えているのか聞いてみたい。  大学院大学は疫学、医療統計学、環境科学などの教育を行い、県内の病院で働く医師、看護師らに社会健康医学修士を授与するというのだが、これで県民の「健康長寿」に役立つのか全く不明である。また、本庶氏は記者会見で「大学院大学は大きな投資であるが、将来静岡県の医師不足の解決につながる」と話した。本庶氏自身が静岡県の施策に疑問を抱いていることは確かだ。優先すべきは社会健康医学修士を育てることではなく、早急に医師確保をしていくための施策をすべきだと分かっているようだ。  静岡県立総合病院にはさまざまな診療科があるが、残念ながら老年科はない。最も多い患者は高齢者であるが、老年科の専門医が患者を診ていないのは、経営の点からというよりも、老年科医の役割が知られていないからだろう。  タイトル写真は、静岡市内でアクセルとブレーキを踏み間違えてコンビニに突っ込んでしまった高齢女性による事故直後の様子だ。今後、「健康寿命」高齢者が増加すれば、このような事故は増えていくのだろう。「健康寿命」と「老化」は、全く別のものであることをちゃんと説明できる老年科医こそが必要である。  静岡県立総合病院に必要なのは「大学院大学」ではなく、老年科医の育成も目指す「老年センター」であることを「壮年熟期」の川勝知事は理解すべきなのだろう。

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「成年後見制度」のなぞ1 家裁の役割とは

親族後見人は不正を働く?  朝日新聞19日付1面トップ記事に『成年後見「親族望ましい」』『選任対象 最高裁、家裁に通知』『専門職不評利用伸びず』という3本見出しの長い記事が掲載された。その記事は、ことし1月、最高裁が全国の各家裁に送った通知を基に書かれた。その通知「制度の利用促進を図るため、できる限り親族等身近な支援者を後見人に選任することが望ましい」を最高裁で確認した。使い込み不正のため、親族後見人は毎年右肩下がり、2018年では子供などの親族による後見人が23%にすぎない状況を改善する狙い。  朝日記事によると『後見人の選任は各裁判官が個々の事案ごとに判断するため「あくまで一つの参考資料」』(最高裁家庭局)の見解も示している。これでは、利用促進策の趣旨を反映させるのは難しい。それだけ難しい事案が多いのだろうか。  後見人等による不正報告件数は2013年662件、ピークの2014年は831件、約56億7千万円。その不正のほとんどが親族によるもので90%を超えていた。ああ、そうだったのか、最初に会った静岡家裁書記官(女性)のわたしに対する不審に満ちた視線の意味をようやく納得できた。 静岡家裁から突然の「照会書」  2013年7月10日、突然、静岡家庭裁判所から封書が届いた。返信用封筒と「平成25年(家)第✖✖✖号 後見開始の審判申立事件」と記され、姉が母の後見開始の審判を求める申し立てについて、審理の参考にするため、以下の4点についてアンケート記入して返送を求める「照会書」が入っていた。  1、あなたは、今回の申立を知っていますか。  2、ご本人に後見等開始の手続きをすることについて、どう思われますか。  3、ご本人の後見人に、裁判所が選んだ第三者(弁護士、司法書士、社会福祉士等)を選任することについて、どのように考えますか。  4、その他、ご意見等があればお書きください。  ここで言う「ご本人」とは母のことだ。たったこれだけのアンケートでも簡単に理解するのが難しい。とにかく詳しい説明を受けようと、家庭裁判所に出向いた。そこで、担当する女性書記官に会ったのだ。  ところで、「照会書」アンケートには最後まで、何も記入しなかった。 成年後見人は母の希望?  静岡家裁で事件番号✖✖✖号の「後見開始申立書」をじっくりと閲覧、指示したページをすべてコピー(有料)してもらった。  とにかく難しい用語が多い。「後見・保佐・補助」のうち、「保佐」は「補助」とどう違うのか分からない。「後見」に手書きで〇印が入れてあった。島田市の弁護士が申立代理人だった。当時、母(当時87歳)は実家(島田市)から介護付き有料老人ホーム(静岡市)に入所して、2カ月もたっていなかった。  びっくりしたのは、弁護士が書いたと思われる「申立ての理由及び事件の実情」の(特記事項)だった。 「現在、本人(母)の預貯金、保険等の金融資産はすべて長男(わたし、申立人の弟)が管理中であり、申立人は無論のこと、本人は一部を除きその内容を全く把握していない。本人の希望としては、自らの財産を長男にすべて開示してもらった上で、実子のいずれかではなく、弁護士等の専門職(第三者)に管理を委ねたいと思っている」とあった。  これでは、母の財産をわたしがすべて恣意的に独占して、場合によっては使い込む可能性があり、姉は成年後見制度に「正義」を求めたとしか思えないだろう。  本人(母)が希望?その日も、自宅近くの施設へ出向き、母に会っていたが、こんな話は出なかった。母が何も言わないはずがない。  家裁から送られた「照会書」を見てすぐに、やって来たのは後ろめたさのためであり、わたしに向けられた書記官の視線は「いまさら何を言っても遅いですよ」と冷ややかに諭しているように見えた。 医師と弁護士の相対立する主張  その約1年前に父が亡くなり、母、姉との遺産分割協議書をわたしが作成した。そのときも姉は弁護士を立たが、今回の弁護士は全く別人だった。なぜ、弁護士を変えたのだろうか?  申立書に添付された診断書(成年後見用)をじっくりと読んだ。母に付き添い何度も面会した、島田市の脳神経外科医が担当していた。それですべてがようやくわかった。認知症の長谷川式検査19点、その検査日付は5月13日となっていた。  その2か月前、自宅から静岡市の有料介護施設へ母はお試し入所した。体験入所(1週間)を経て、1週間ほど自宅に戻り、姉が母を正式に施設へ連れてきた。その1週間で脳神経外科医院、その近くにある弁護士事務所へ連れて行ったのだ。  診断書の「本人の能力に関する事項」で「制度や申立ての意味を理解して意見を述べることは不可能である」にチェック、さらに「言葉・筆談等で周囲の者と意思疎通ができないか、できるようにみえても意味が通じない、または通じないことが多い」にレ点が入れてあった。  まてよ、これでは弁護士の(特記事項)と矛盾するではないか。そこで、わたしは「『本人の希望として、弁護士等の専門職(第三者)に管理を委ねたいと思っている』と(特記事項)に書いてあるが、医師の診断書では『制度や申立ての意味を理解して意見を述べることは不可能』としてある。診断書は、母を心神喪失の状態としているのに、弁護士は『希望する』などの会話ができるなど全く正常な識別能力があると書いている。これは全く信用できない申立書ではないか」と書記官に疑問を述べた。  わたしの意見に、書記官は何も応じず「もし、この申立書に何か意見があるようでしたら、別の文書で提出してください」などと話した。裁判所書記官は何らかの判断をしてはいけないのかもしれない。  しかし、こんな矛盾した申立書をおかしいと裁判所が判断できないようではムダな時間と費用が掛かるだけになる。 死ぬまでにお金を使い果たす  2カ月前、母が入所した施設の個室には現金、通帳等を置かないことが規則。近所のファミレス、食堂や移動販売のパン屋、雑貨、衣類など購入も施設がすべて立て替えてくれ、月末に母の口座から引き落とす仕組み。施設の美容室、鍼灸マッサージなど希望で何度も受けられ、週1回の主治医往診などもすべて口座払いだったから、現金は全く不要だった。  当然、わたしが通帳類を管理していた。また、銀行の本人確認は年々厳しくなり、わたしが勝手に現金を引き落とすことなどとうてい無理だった。  10年以上前の両親との会話を思い出した。父から財産管理の相談を受けた際、「生命保険」など不要だからやめるようアドバイスした。  経営コンサルタント、大前研一さんは「日本人は死ぬ瞬間が一番金持ち、イタリア人は生きている間に使い果たす」と言っていた。「貯めたお金はなるべく自分たちの人生のために使い切ったほうがいい」とアドバイス。両親たちの貧しい苦労した時代をよく知っているだけに、生命保険などすべて解約して、それでどこかに旅行するよう話した。  2人は厚生年金で十分すぎるほど生活できていた。田舎暮らしであまり使わないから、預貯金は増える一方だった。父は車を乗り換えるのが趣味だったが、突然、亡くなってしまい大切な財産を使い果たすなどできなかった。 家裁調査官を派遣してほしい!  当時、母は大声でないと聞こえず、その上、補聴器を嫌うから、他人との会話はスムーズにできなかった。加齢による物忘れもしばしばあった。ただ、長年経理の仕事をしてきただけに数字には強く、特に財産管理について正常な判断ができた。父が亡くなったあと、介護保険認定を受け、介護度1に認定された。「後見」対象となる「判断能力が全くない」認知症であろうはずもなかった。(詳しくはニュースの真相「認知症のなぞ1 家庭裁判所の『診断書』」をご覧ください)  後見開始申立書に本人以外の申立の場合、申立付票1、2が付いていた。そこに「家庭裁判所調査官が本人のところへ面接調査へ行く場合がありますが、留意点(訪問可能な時間帯、訪問する際の本人の精神面への注意等)があれば記載してください」とあった。  何だ、簡単だ、家裁調査官に母の施設へ行ってもらい、母の状態を確認すればはっきりとするだろう。そうすれば、母が成年後見を望んでいないことがはっきりする。成年後見がどのような制度か母には理解できていないだけだろう。母はたとえ弁護士でも赤の他人が自分の財産を管理することなど望んでもいない。調査官が大きな声で、わかりやすく言ってもらえれば、母にも十分理解できる。そうすれば、ムダな時間と費用を使わなくて済むだろう。  「まず、調査官の派遣をお願いします」。書記官にそう言ったのだが、やはり、先ほどと同じで「申立書に何か意見があるならば、別に文書で提出してください」と言った。当時は全く知らなかったが、国の方針で制度の利用促進が重要だったから、書記官はその方針に従っていたのかもしれない。  成年後見制度って一体何なのだ?裁判所が話をわざわざ難しくしているのではないか?もし、申立が増えたら、本当に対応できるのだろうか?  次回は事件の当事者としてではなく、静岡家裁で取材してみた成年後見制度とは何かを紹介していきたい。

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川勝VS田辺3 静岡市長選での戦い方

77歳天野氏の出馬、70歳川勝知事が称賛  静岡市長選(4月7日投票)に難波喬司副知事(62)擁立に動いた天野進吾県議(77)が立候補表明、田辺信宏市長(57)と戦うことになった。びっくりしたのは、何よりも20歳も違う年齢差だ。昔、77歳は喜寿と呼ばれる長寿を祝う年齢だった(いまもそうかもしれないがー)。  江戸270年の平和時代の礎を築き、75歳(数え年、満73歳)の長寿を全うした家康公が「目は霞(かすみ)耳は蝉鳴りは歯は落ちて雪をいただく年の暮れかな」(「校合雑記」四)という狂歌をつくり、晩年の感慨を読んだのは遠い昔か。ベストセラー小説「終わった人」(64歳の男性が主人公)につづく、「すぐ死ぬんだから」(いずれも内館牧子著)は元気いっぱいの78歳女性が主人公だ。  「よく決断された」。川勝平太静岡県知事(70)は、30年前に旧静岡市長だった天野氏の出馬を絶賛した。知事が天野氏を支援する構図がはっきり見える。  川勝知事が肝入りする「健康寿命の延伸」を目的とした「社会健康医学大学院大学構想」の人生区分では、77歳を「初老」、知事の70歳を「働き盛り」としているから、天野氏出馬は、まさに静岡県の「健康寿命」モデルにぴったりと考えたのだろう。ことし1月1日現在で、静岡市の天野氏と同じ77歳人口は9085人、田辺氏の57歳人口は8593人でこちらも天野氏が圧倒。静岡市には寝たきりの77歳はいないだろう(多分?)。  もし、天野氏が市長就任すれば、県庁所在地市長の最高齢(現在は佐賀市長の76歳)となり、全国から大注目を集めるのは間違いない。  「60、70鼻たれ小僧おとこ盛りは百から百から」(平櫛田中)。年齢ではとうていかなわない田辺氏はどのように巻き返すことができるか。 静岡市の課題は若い女性の流出  当然、選挙戦はそれぞれの年齢や健康を競うものではない。静岡市の未来を決める政策を競い、その政策実現に期待、投票するのが選挙である。  昨年9月、日本銀行の黒田東彦総裁(74歳)が静岡市を訪れ、「人口が全国に比べて高い率で減少し、特に若者や女性が首都圏に流出している」と分析、まさにその若い女性の人口減少が静岡市の最大の課題である。  「静岡市、推計人口70万割れ 政令市で初か」(2017年4月7日日経新聞)。各紙一斉に静岡市の人口が70万を割り69万9421人と大々的に伝えた。全国に20ある政令指定都市で70万人を切ったのは静岡市だけだから、一大事、市民に衝撃を与えた。静岡市は東京・有楽町に移住相談窓口をつくり、学生の新幹線助成を行うが、残念ながら、人口減少を止められない。  静岡市人口は30歳を境に、男女の違いがはっきりとする。30歳超はほぼ平均して男女の人数は同じだが、30歳以下の若い世代になると、各年齢の女性数が男性よりも2百人から4百人も少ないのだ。つまり、黒田総裁の分析通り、若い女性が首都圏などに流出してしまっている。  静岡市は、若い女性たちが住みたい街になっていない? 解決策は「女性活躍」と「コンパクトシティ」  黒田総裁の課題分析に対して、当然、日銀は処方箋を考えているはずだ。日銀静岡支店を訪れ、竹内淳支店長に聞いた。竹内氏は人口減少を止める対策として、「女性活躍」と「コンパクトシティの重要性」の2つのキーワードで対処することを奨めた。  昨年3月、竹内氏は前任の甲府支店から身延線に揺られて静岡へ赴任した。身延線の山並みの景色から、富士市から静岡市へと入ると「光あふれて都会を感じた」という。自転車で静岡市内を回ると、「非常ににぎわっていて活気ある街並み」と評価は高い。駅前から呉服町通りの歩行者天国は歩きやすく、週末ごとのイベントに若い家族連れなども詰め掛ける様子も魅力的。それならば、若い女性にも気に入られるはずだが?  何かが足りないのだろう。  「にぎわいのあるエリアとその影響を受けているエリアのギャップの問題」と分析。たとえば、空き店舗や空き家がそのままになっているエリアが中心部にも広く分布し、その所有者らと街づくりのデベロッパーなどと橋渡しし、開発の妨げになる規制緩和を含めて手助けする役割を行政が担い、コンパクトシティ創設につなげるのが解決策に近づくようだ。  にぎわっている中心繁華街をどのように拡大していくか。そこに交通弱者となる高齢者や若い女性の生活する場所をもたらすことができるのかなど、田辺市政も推進してきたが、なかなか効果は見られない。  竹内氏提供の資料に、平均賃金の男女格差を示す統計調査で静岡市は全国ワースト2位だ。「給料の高い女性向きのビジネスが地域の好循環を生んでいく」というが、東京並みの女性の給料を支払う企業を増やすにはどうするか。  いずれにしても、静岡市長はどのような政策を示すことができるかだ。 人口70万超を死守できるか  人口70万の政令市というブランドは極めて重要だ。2017年4月に70万割れと大騒ぎしたが、人口を知る統計数字は推計人口だけでなく、住民基本台帳(世帯ごとに住民票を基に作成した台帳)がある。  こちらの数字では「70万1937人」(2月1日現在)。かろうじて70万を維持している。住民基本台帳は1月1日住所で個人住民税の課税対象や選挙人名簿となるから、個々人には重要な届けである。ただ、住民票を家族の元に置いたまま、東京の学校に進学していたり、あるいは逆に東京から単身で静岡に赴任、住民票はそのまま東京に置いてあったり、個々人の事情で住民票の移動なしで転出入している場合も多いから、住民基本台帳の数字が正確に人口に反映されていないのは確かだ。  人口について議論するとき、国勢調査による推計人口と住民基本台帳人口の2つがあり、両方とも決して間違った数字ではない。国勢調査による数字は各戸を調査員が回って確認するから、信頼性が高いと言われるが、外国人や夜間に働く人たちなど国勢調査員を避ける場合も多々ある。  国会での統計不正にかかわる審議を見ていて、統計数字はひとつの重要な指標だが、正確性を欠くのはやむを得ない場合もある。  静岡市人口は現在「70万1937人」。この数字は70万を割っていないから非常に響きがよい。ただし、何もしなければ今年中に70万を割るのは確実だ。 70万割ったら、政令市返上を!  静岡市のピーク人口は1990年の73万9300人(人口推計)。当時の旧静岡市長を天野氏が務めている。静岡県の人生区分では、平均寿命を超える88歳以上を「長老」としているが、さすが静岡市でもその年齢になるとぐっと少なくなる。亡くなる人も多く、それが減少の一番の理由だ。  ところで、静岡市は、高齢の家康が過ごした”隠居の場所”で、若者ではなくお年寄りの街のイメージが強い。それは大間違いである。  家康は将軍職を2代秀忠に譲ったあと、駿府(静岡市)に移り、オランダ、英国との通商条約を締結する外交、金座・銀座など金融財政の実権を握り、江戸と二元政治を行った。家康は駿府に隠居したわけではない。当時の江戸人口15万人、駿府は10万人超、現在発掘が行われている駿府城天守閣は江戸城の規模を上回り、駿府は江戸、京都、大坂と並ぶ日本の大都市だった。  政令市の指定要件は法律上では「50万以上」と書かれているが、実際は「大都市性の面において大阪、横浜など既存の指定都市とそん色がないこと」を求められている。「70万を割るようなことがあれば、政令市を返上する」。両候補には、そんな覚悟を示す政策を示してほしい。70歳知事が支援する77歳天野氏は、全国から若い女性を呼び込み「77万都市」となる奇抜な公約を打ち出すに違いない。それに対して現職の田辺氏は守りではなく、びっくりするくらいの積極策で対抗してほしい。駿府城の家康公も若い女性が大好きだったという記録があるから、たくさんの若い女性が定住したい街づくりを2人の公約としてほしい。 ※タイトル写真は、田辺氏の七間町に設けた後援会事務所。1987年に天野氏が市長に就任しているから、「起点としての80年代」展も何か意味深である。

ニュースの真相

新聞記者「正義」の話をしよう

朝日記者の「書かずに死ねるか」  朝日新聞政治部記者野上祐氏の「書かずに死ねるか 難治がんの記者がそれでも伝えたいこと」(朝日新聞出版)にはうんざりするほど「記者」あるいは「政治記者」の表記が登場する。亡くなるまで「記者」であり続けようとする筆者の思いなのだろう。だからか、「記者」としての過去の業績も自慢げに語っている。  『世のありように「ひっかき傷」をつけることができたと今も誇りに思う「調査報道」が沼津時代に二つある』。野上氏は20年前の支局時代の”手柄”をそう書いた。  『一つは、ある市長選の取材を通じて、改正公職選挙法の「抜け穴」に迫ったものだ。候補者の中に、ほかの選挙で陣営から違反者を出した男性がいた。市長選への立候補は合法だが、グレーな印象はぬぐえない。なぜこうした立候補を許す抜け穴ができたのか。法改正に関わった総務省や当時の担当閣僚の証言を積み重ねると、こうした候補者が現れるのを誰も想定していなかった実態が明らかになった。  男性の当選を受け、自民党の森喜朗幹事長(当時、後に首相)、民主党の羽田孜幹事長(元首相)がともに「釈然としない」と述べた。抜け穴対策は一時、国政の課題と位置づけられた。  この件で恐ろしいのは、過去に同じような立候補例が1件あったことだ。だが、その地元の記者が反応せず、それきりに。すべては「おかしい」と素朴に感じる目玉の働きだ』  ずいぶんあいまいで具体性に欠ける説明である。これでは何のことか、読者には理解できないだろう。  1999年12月に行われた三島市長選挙の資料を引っ張りだしてきた。 20年前、三島市長選は全国ニュースに  野上氏が書く「抜け穴」とは、改正公職選挙法で拡大連座制(対象が秘書や運動員などに拡大)の適用を受けた候補の制裁が限定していることを指す。連座制の制裁範囲は「立候補禁止の期間は連座に関わった対象の選挙に限定している」  98年4月から三島市では特別養護老人ホーム開設にからむ汚職事件で逮捕者が続き、関与の疑いの濃かった市長が病気入院、辞職した。これに伴う市長選に、96年の衆院選に出馬、落選した寺院住職、小池正臣氏が立候補した。県議から国政選挙に打って出たが、伊豆半島の郡部での運動員が買収で逮捕、小池氏は拡大連座制適用となり、5年間衆院静岡7区への出馬を禁止された。  小池氏の三島市長選へ立候補を「抜け穴」として、「法の精神に反する」と野上氏は厳しく批判した。地方版で何度も報道した記事を全国版にリライトして、夕刊1面トップ記事に仕立て上げたときにはびっくりした。この報道に対する反響は大きく、翌日には読売が追い掛け、朝日、毎日は社説でも「立法の精神に違反する」など批判、極めつけは写真週刊誌「フォーカス」が朝日の夕刊を持って取材に訪れ、「連座制失格でも市長選に出馬する坊主の厚顔」という記事を掲載、地方の市長選挙が一躍、全国レベルの話題になった。批判の渦の中で”連座制失格”候補は、大差で敗れるだろうとだれもが予測した。  反小池候補の最有力としてO県議が出馬すると、朝日は「連座制適用の小池氏を選ぶ良識を疑う」という記事を連日のように載せ、O氏支持を鮮明にした。前市長の後任と目された元市幹部、共産党女性候補による4人の激しい選挙戦が展開された。汚職の逮捕者が続いた街の再生ではなく、”連座制失格”候補への批判が選挙戦のテーマになった。  朝日の推すO氏優勢のまま終盤戦を迎えたが、候補者アンケートが地方紙に掲載されると形勢は一挙に逆転した。中心街のビル跡地活用について、O氏は「跡地活用は考えていない」と素っ気なく回答。圧倒的にO氏優勢が伝えられていたが、あまりの無責任さに市民の怒りを招いた。奇跡的な大逆転で、小池氏が3候補を大差で破り見事当選を果たした。  野上氏は翌日朝刊で『三島市長選「連座」元県議当選』(1面)、『連座再出馬 批判は埋没 制度の改善図る時期』(社会面)と全国版で報道、街の再生ではなく「連座制再出馬」批判をつらぬいた。  野上氏が著書に書いたように、総務省(当時は自治省)は本当に「このような候補を想定していなかった」のか? 朝日の「良識」と社会「常識」の違い  95年愛媛県議選で拡大連座制を適用され失職した元県議が98年4月に市議選に出馬して当選した。野上氏が「地元の記者は反応せず、それきりに。」と書いた過去の事例である。  当時の自治省選挙課を取材すると、「本人の罪と違い、拡大連座制による制裁を限定的にして、連座制を免れる方法を設けているのは憲法違反に問われないためにも必要」と説明した。最高裁の判断を含めて自治省の見解は合理的だったが、なぜか、朝日は「このような候補を想定していなかった」と書いた。  「抜け穴対策は国政の課題」(野上氏)だったはずだが、2003年民主党の都築譲代議士は連座制を適用され失職、その3年後、愛知県一色町長選に当選したのをはじめ、同じような立候補は数多く続いた。なぜか、朝日は2006年の都築氏出馬を含めて”抜け穴”立候補について、大々的な報道は行わなかった。  三島市長選での大騒ぎはマスコミによる地方選挙戦への介入に見えた。そんな逆風の中、なぜ、小池氏が当選したのか野上氏は取材しなかった。 「圧力感じたようだ」記事の裏側  「圧力を感じたようだ」。3段見出しの大きな記事が2000年3月3日朝日新聞地方版に掲載された。  三島市長選の翌年、1999年11月、場外舟券売り場建設計画にからみ伊豆長岡町長が百万円収賄の疑いで逮捕された。町長は一貫して否認、町には「町長を支援する会」が設立され、町民の7割を超える1万人以上の署名が集まり、議会の町長不信任案は大差で否決されるなど異常な事態が起きていた。  2月の初公判で町長は「全く身に覚えがない」と争う姿勢を見せ、拘留は3カ月に及んでいた。読売新聞によると、3月2日の第2回公判で贈賄側の会社役員の妻が出廷して、検察側の尋問で「(町長逮捕後に)『証言を変えろ。変えないと損害賠償請求する』というようなことを言われたことはないか」と質問。妻は「証言を変えろとまでは言われていないが」と否定した上で、✖✖(わたし)から「電話で『(町長の妻が経営する)旅館が暮れのかき入れ時なのに客が減り、損害が出ている。賠償請求すると言っている』と言われた」など証言した。  この公判後、野上氏は妻ではなく、代理人弁護士を取材、「証人威迫にあたるほどではないが、圧力は感じたようだ」と証言を得た。それで、最初に書いた「圧力感じたようだ」という大見出しが出来上がった。  当然、野上氏は知らなかっただろうが、贈賄側会社役員と逮捕の1年以上前から交流があり、わたしは何度も妻やその息子(町職員)とも会っていた。「お父ちゃんは町長に現金など渡していない」と最初に言ったのは、米屋を営む、その妻だった。伊豆長岡町の旅館が得意先であり、わたしよりも旅館の内情に通じていた。5月には町長夫妻が仲人で、息子の結婚式も予定されていた。  極めつけは、贈賄側が町長の旅館を訪れ、現金百万円を渡したという警察、検察の特定した日にちについて、数年前の手帳を探してきて、「お父ちゃんはその日は京都のお寺の会合に行っていた。寺の坊さんに確認してくれれば分かる」とその妻が教えてくれた。わたしは京都にあるその寺に出向き、同じ証言を得た。  「このまま、お父ちゃんが出てこないと、3千万円の仕事がダメになる。ごめんなさい」。それが妻からの最後の電話だった。否認すれば拘留が続くのは、カルロス・ゴーン氏の場合でおなじみだ。”自白”さえすれば、保釈され、なおかつ、贈賄事件の被告人は執行猶予付きの”微罪”判決を得る。第2回公判直前に会社役員は保釈された。  その後、現金授受の日に会社役員と一緒にいたと証言した京都の住職、同じ会合にいた他の僧侶らも証言を簡単に変えてしまった。会社役員の妻同様に彼らの都合で証言を変えたことをわたしが批判する術はない。  考えてもみてほしい。なぜ、検察側はその妻に「証言を変えろと言われたことはないか」などという不思議な質問をわざわざ法廷でしたのか?わたしが京都へ行ったことを検察官は妻から聞いていたはずだ。多くのことを知っているわたしを排除しなければあとあと面倒になると考えたのだろう。わたしは地方新聞社のサラリーマン記者であり、裁判に名前が出たことで汚職取材を一切禁じられ、直後の3月異動で本社内勤となった。その後町長は自ら辞職、町の支援ムードも一気に潮を引くように消えていった。  元町長は最高裁まで争ったが、贈賄側の証言を覆すことはできなかった。最高裁で有罪判決を受けたあと、元町長から送られてきた裁判の全記録に、唯一の頼みが、京都の寺院住職らの証言だったと書かれていた。野上氏の『すべては「おかしい」と素朴に感じる目玉の働き』では事実を見通せたはずもない。 「できる記者」とは?  「書かずに死ねるか」は、「できる記者っていうのはね」ということばから始まる。社内の交流人事で営業から記者になった入社4、5年目のことだという。「大事な話を聞いても、目が動かない」のが「できる記者」と書く。  今回、「書かずに死ねるか」を読んでいて、野上氏にとって「できる記者」であることが最優先だったことがわかる。もし、たった百万円の贈収賄事件の真実がどこにあるのか野上氏が突き止めたとき、「書かずに死ねるか」どうかは知らないし、書いたとしても元町長の有罪がひっくり返るどうかもわらかない。ただわかるのは、政治家を含めてすべての取材先が求めているのは、都合のよい「媒体(新聞紙面)」であり、「できる記者」かどうかは関係ない。贈賄側の会社役員、その妻、京都の僧侶たちなど個々の都合で「事実」は変わっていく。野上氏が属していた政治部記者の世界も都合によって「事実」そのものが変わるだろう。歴史にさまざまな見方があるように、「事実」はひとつではない。  「書かずに死ねるか」を読んで、新聞記者の「正義」とは何かをあらためて考えるきっかけになった。  野上氏は2016年1月ステージⅣのすい臓がんが見つかり、2018年12月28日に亡くなった。行年46歳だった。心からご冥福をお祈りする。

ニュースの真相

川勝VS田辺2「劇場型選挙」は不発に

難波副知事の市長選撤退  4日県庁で、難波喬司副知事が静岡市長選に「出馬しない」ことを宣言した。また川勝平太知事に辞表願を提出したが、知事は受け取らず、引き続き、難波氏は副知事として県政にあたることも明らかにした。当初の予想通り、会見内容は「市長選不出馬」と「副知事職の継続」の2点のみだったが、テレビ、新聞の取材陣は驚くほどに多く、また、翌日の新聞報道でも中日新聞の1面準トップ、社会面トップ、中面トップの破格の扱いをはじめ各社とも大きな紙面をさいて、このニュースを伝えた。  記者会見前に「予想に反して、副知事が出馬宣言すれば大きなニュースなる」と記者の一人が冗談めかして言った。1月25日中日新聞は朝刊準トップで「難波氏 事実上の出馬表明」と顔写真入りで大きく伝えた。前回の市長選でも、田辺氏の対立候補が川勝知事の出席した出版記念会の翌日、出馬表明している。自著の出版記念会後に難波氏は「近いうちに出るか出ないか決める」と述べただけだったが、発言や会の盛り上がりなどから中日記者は「出馬の意向」と受け止めた。その報道は支援団体らの期待を膨らませた。  どう考えても、情勢を正しく分析すれば、難波氏の出馬がいかに困難か予想できた。出馬を望む川勝知事、市民団体らの声がどんなに大きくても、ほとんどの政財界メンバーは田辺氏を推薦する側に回っていた。  選挙に不可欠な3要素をたとえた「3バン」の「ジバン(地盤=支援組織など)」「カンバン(看板=容姿、知名度など)」「カバン(鞄=選挙資金など)」を見ても、地元出身、小中高時代からの友人も多く、難波氏よりも5歳年下で見た目も若い田辺氏に軍配が上がる。すぐれた政策や資質ではなく、選挙では3バンが重要であり、何よりも現職の後援会組織は大きな強みである。 「静岡県型県都構想」が争点  「信条の『共創』で、みんなと課題解決することを訴える選挙戦にできるのであれば、立候補したいと思っていたが、劇場型の選挙に出馬するのは公務員としての私の信条に合わない」。また、「相手方を徹底的にたたく」劇場型選挙は「望ましくない」と述べた。すべての新聞が「劇場型選挙を望まない」と報道している。  「劇場型選挙」とは、2005年小泉純一郎首相が「郵政民営化」の賛成か反対かという単純明快なキャッチフレーズで国民の信を問うた衆院選挙で使われた。「小泉劇場」「刺客」などが新語、流行語となり、小泉氏率いる自民党圧勝の選挙戦略となった。  2014年の大阪府知事・市長選では「大阪都構想」、また東京都知事選で「原発反対か賛成か」で同じような「劇場型選挙」が戦略として使われている。  多分、難波氏はわかっていて「劇場型選挙」を使ったのだろうが、もし、難波氏が立候補していれば、川勝知事が繰り返し述べていた「静岡型県都構想」が選挙の争点になっていたのではないか。法律的には「県都構想」は難しいが、川勝知事の意向を受けて静岡県、静岡市が連携して相互に補完し取り組む新しい行政スタイルを「静岡型県都構想」として訴え、冷え切った静岡県との良好な関係を築くかどうかが選挙の争点になったはずだ。そうなれば、多くの市民は「静岡型県都構想」に期待しただろう。  ただ、いまのままでは単に「川勝VS田辺」は一種のけんかにしか見えない。何度か「川勝VS田辺」の応酬があったが、表面的に仲の悪いことは見えても、その応酬の中身がどちらが正しいのか、また、自分たちにどんな利益があるのか市民には見えないからだ。「静岡型県都構想」で、事業整理や行革などが進み、法人、個人の住民税、国保税、水道料金などが大幅に減少できるところまで提案しなければ、市民には「劇場型選挙」同様にちんぷんかんぷんで争点にはならないだろう。 虎視眈々と知事選狙う細野豪志氏  「知事と副知事はともに静岡市政批判を口にしてきた」(毎日)、「一連の騒動で知事と田辺氏の確執は修復しようがなくなった」(読売)など今回の出馬騒動で、県と静岡市との関係は完全に冷え切ったとの見方が大勢を占める。  また、難波副知事の慰留について「知事が自らの批判を回避したとの見方がある」(静岡)、「田辺氏の対抗馬を擁立できない上に『右腕』を失うことになり、自身の求心力の低下を招きかねない事態」(読売)と見られ、さらに「市長選で『不戦敗』になった後、過剰に市政批判を重ねれば県政に対する民意は離れかねない」(毎日)と厳しい指摘もあった。  そこで登場するのが細野豪志代議士である。自民二階派の特別会員となり、党入りを目指す動きが連日伝えられる。当然、自民県連、5区支部とも入党拒否要請を本部に申請しているが、細野氏の狙いは2021年7月の知事選だとすれば、全く問題ない。京都府出身の細野氏が静岡に降り立ち、三島地域を選んだのは、全国をマーケティングして「ここならば勝てる」と踏んだからであり、生まれたばかりの赤ちゃんともども選挙区を回り、20代だった細野氏は大学生ら若者を味方につけ、圧勝。その後の活躍はご存じの通りである。  いまは風見鶏として厳しい批判を受けているが、2021年10月の衆院選ではなく7月の知事選となれば、5区支部も関係なく、川勝知事の対抗馬に悩む県連も受け入れ、田辺氏は応援に回るだろう。そこまで計算して、細野氏は自民党入りを目指している可能性が高い。川勝知事が4選に出馬すれば、今回の騒動は大きな失点となるかもしれない。  「知事と市長ではうまくいかない県との間の懸案が難波さんのおかげでうまく解決できてきた。とどまってよかった」(朝日)と市幹部の談話を紹介、副知事が県と市との接点の役割を果たしている。「実務家公務員の技術力」(発売元・静岡新聞社、1800円+税)に「60代は、実務家公務員として積み上げた技術力が社会問題の解決のための重要資源となる」と書かれている。「リニア環境問題」など静岡県の将来に向けて最善の方向で解決する「技術力」を60代の難波副知事が発揮してくれることを大いに期待したい。 ※タイトル写真は中日新聞4日朝刊1面準トップです。

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リニア騒動の真相7 「不確実性」のバトル

JR東海「”不確実性”解消できない」  リニア南アルプストンネルにかかわる静岡県とJR東海との連絡会議が1月30日に県庁で開かれた。JR東海の澤田尚夫・環境保全統括部長は「前回の会議(25日)でアセス(環境影響評価)のやり直し、あるいはアセスの追加措置を求められた。南アルプスは厳しい地形にある難所で、どんなアセスをやっても”不確実性”を解消できない。いまの段階でアセスの追加措置などを求められるのは心外であり、アセス法の趣旨にそぐわないのでは」と述べたあと、「これではいつまでたっても工事着手ができない。湧水の全量を戻すことで中下流域の利水者の不安は取り除かれたのでは」と強調した。  これに対して、会議を主宰する難波喬司副知事は「会議でアセスの不備について委員の意見は出たことは事実だが、アセスのやり直しや追加を求めた発言はしていない」と、逆に澤田部長の表明が誤解に基づいていることを厳しく追及した。  JR東海は「2027年までの工期に間に合わせる」ために、一日でも早い着工を望んでいる。そのために、現地で試掘してデータを取りながら、再度計算し直して、”不確実性”を取り除いていくのが最善と考えている。  これに対して、静岡県はJR東海と協定を結び、着工を容認してしまえば、あとはJR東海にすべて一任する危険性を承知している。このため、大井川水系の水資源確保、南アルプスの自然環境保全の2つの専門部会による”不確実性”解消に取り組む議論を重視する姿勢を貫いている。  どちらの主張が正しいのだろうか。 ”不確実性”こそ議論の対象にすべき  先日、健康寿命延伸のための「社会健康医学」大学院大学設置推進委員会の会合を取材。静岡県の健康寿命は男性72・15歳、女性75・43歳と全国ベスト3の健康寿命だが、男性約9年間、女性約12年間、健康上の問題で日常生活が制限される。その期間を縮めることが設置目的という。  それで、担当者に「健康寿命」とは何かを問いただしたが、的確な回答をもらえなかった。  英国ニューカッスル大学のコホート(年齢や地域を同じくする集団)研究で、1991年から2011年の20年間に、65歳時点の高齢者の平均余命が男性4・7年、女性4・1年増加したが、同増加分の期間で「自立」は男性36・3%、女性に至ってはわずか4・8%であり、残りは介護を必要とする状態だった。医学・医療が進歩すれば平均寿命は延びる。しかし、その結果、介護を必要とする期間も延びていくという疫学調査の成果である。(「ランセット」2017年8月24日)  1990年、米国で「科学的根拠に基づく医療」(EBM)は医療の”不確実性”を解消するための概念として提唱された。30年を経て、エビデンスということばが医療現場でふつうに聞かれるようになった。  いくらEBMが普及しても、認知症に関して言えば、高血圧や糖尿病を防ぐという時間のかかる、しかも”不確実性”をぬぐえない予防法しかないことを医療者は承知している。高血圧、糖尿病は認知症リスクを高めるが、高血圧症や糖尿病患者すべてが認知症になるわけではないからだ。  認知症を完全に予防することはできない。認知症ひとつ取っても、「健康寿命の延伸」とは一体、何なのか全く見えてこない。  認知症の最大の原因は加齢である以上、さらに高齢化が進む日本で認知症が増えることは避けられない。究極を言えば、「健康寿命の延伸」とは「平均寿命を下げる」ことしか方法はないのだ。それを本当に目的とするのか?  2つの議論を聞いていて、リニア環境問題では”不確実性”を問題にしていることで相互の姿勢が理解できた。しかし、一方の大学院大学推進委員会という最も”不確実性”を問題にしなければならない会合で、”不確実性”を無視した議論を進めることは、果たして、この施策が県民のために大きな効果をもたらすのかという疑問が見えてくる。つまり、大学院大学設置の目的をごまかしていることがはっきりする。 ”確実”に静岡県は衰退する  もう一度、リニア環境問題に戻る。この”不確実性”の問題は相互の入り口が違うことをJR東海が自覚せず、目先の方法論のみに終始していることで解決を遅らせている。結局、相互の入り口が違う”不確実性”を問題にする以上、それを取り除くための議論は続いていくしかない。  川勝平太知事はリニア中央新幹線南アルプストンネル建設は「県民の生死に関わる」影響をもたらし、「静岡県の6人に1人が塗炭の苦しみを味わうことになる」と述べ、「ルートを変えることを考えたほうがいい」とまで提案した。この議論は「静岡県民62万人の生命の問題」から始まっている。  62万人には高齢者もいれば、子供たちもいる。リニア新幹線の南アルプス通過によってそのだれもが恩恵を被らない。逆に、貴重な南アルプスの自然環境は開発の危機にさらされ、JR東海が湧水の全量を戻すと表明した水環境問題でも実際には工事に取り掛かってみなければそのリスクははっきりとしない。川勝知事の言うように「62万人の生命」が危機にさらされる可能性がないとは言い切れない。  この地域はお茶を中心とした農水産業に適した温暖な気候、東名阪に連なる太平洋ベルト地帯の一角にあり、観光産業、企業立地も活気があった。食べ物がおいしく、所得水準もまあまあだった。しかし、ほとんどすべての産業は衰退傾向にあり、人口流出が続く。過去の栄光の歴史を振り返っても仕方はないのだ。2000年を境に、静岡県は大型公共事業を積極的に展開してきたが、将来の展望は明るいとは言えない。  JR東海との関連で言えば、毎日百本以上の「新幹線のぞみ号」が素通りしていく。静岡空港の真下に新幹線新駅の計画をもくろんだが、JR東海は「東海道新幹線に新駅などまったくあり得ない」と一蹴した。  リニア中央新幹線はまさに、静岡県の衰退を推進する国家プロジェクトとなる可能性が高い。JR東海は川勝知事の「静岡県民62万人の生命の問題」の背景に思いを馳せることで、ようやく相互の対話が始まるのだ。JR東海がちゃんと理解しなければ、この”不確実性”の議論は続き、再び「いつまでたっても工事着手できない」(澤田部長)との不満をもらしかねない。

ニュースの真相

静岡県「社会健康医学大学院大学」のなぞ2

県民はマグロを大好きだが…  静岡県HPを見ていて、2016年から2018年の3年間連続でマグロ購入量、支出額とも全国1位、それも2位、3位を引き離し、全国平均の2倍以上を上回るダントツの日本一であると自慢していた。冷凍マグロ、冷凍ビンナガマグロなど全国約90%の輸入量を誇り、こちらも当然、圧倒的な全国1位だ。この数字を見れば、”日本一のマグロ自慢”はしばらく続くだろう。さらにHPで「マグロは生で食べても、調理して食べてもおいしく栄養満点で、頭に良いと言われるDHA(ドコサヘキサエン酸)を多く含む健康食品」と説明している。  それで納得した。静岡県の子供たちは、頭脳明晰になるためにおいしいマグロを食べるのが大好きなのだ。  ところで、冷や水を差すようで悪いが、マグロを多く食べる地域の人たちは、タイやヒラメなどをよく食べる関西や九州の人たちに比べて体内の水銀量がぐんと高くなっていることをご存じだろうか?  和歌山県太地町のイルカ追い込み漁を批判的に描いたアカデミー賞映画「コーヴ(入り江)」(2009年)でもイルカ肉の水銀値が非常に高いことを問題にしていた(こちらのニュースは「IWC脱退 食と文化の未来」でご覧ください)。  熊本県の水俣病の原因物質はメチル水銀だった。たんぱく質と相性がよく、メチル水銀は生物の体内に取り込まれやすい。海水から栄養素を吸収するプランクトンがメチル水銀をため込み、プランクトンを餌にする小さな魚へ、小さな魚を餌にする大きな魚へ取りこまれていく。食物連鎖の上位にあるイルカやマグロなど大型で寿命の長い生物ほど体内の水銀濃度は高くなる。水俣湾では、多くの魚が弱って浮かび、それを食べた人間、猫、カラスなどが水銀中毒になった。  水銀含有量の多い魚はマグロだけでなく、キンメダイ、メカジキなども含まれる。よりによって、静岡県民はキンメダイもメカジキも大好物だ。  本当に、そんなに危険な魚をたくさん食べて大丈夫なのか? メチル化水銀の健康被害は?  水銀に敏感な人には神経症状が出現するとして、WHO(世界保健機構)は人体含有量50ppmを危険域の下限値として定めている。水俣病では手足のしびれや震え、熱さなどを感じにくくなる感覚障害、思うように身体が動かない運動失調、見える範囲が狭くなる視野狭窄などの神経症状を訴える人が相次いで見つかり、その後激しい痙攣や錯乱状態に襲われるなどの重篤な症状で亡くなった人も出ている。50ppm超の人に水俣病の初期症状が出るのだろう。  メチル水銀は妊娠中の場合、胎盤を通して胎児に吸収され、脳性小児マヒに似た症状を引き起こすとされる。精神発達の遅れ、筋肉の異常な緊張、言語障害などとして出現する。  本当にマグロをたくさん食べて大丈夫なのか?実際にはマグロを食べても、メチル水銀は健康への影響はないのかもしれない。だから、静岡県はHPで自慢しているのか?次から次へと疑問が浮かんでいく。当然、こんな重大な問題を静岡県が放っておくはずがない。  マグロをよく食べる人たちの水銀含有量は毛髪によって調べることができる。静岡県民の場合、どうなっているのだろうか? 「健康寿命」とマグロの関係  先日「大学院大学」設置推進委員会で、設置目的を「県民の健康寿命延伸」であると何度も聞いた。そのために、県内約2万2千人の高齢者の生活実態調査を行ったそうだ。全国で、どこよりもマグロ好きな県民が感覚障害や運動失調などの神経症状を訴えるようなことはなかったのか。当然、マグロと「健康寿命」には深い関係があるはずだ。生活実態調査でも、明らかにされているかもしれない。  県は「緑茶を多く飲むと死亡率が低下する」から5年間も掛けて2百人に緑茶パウダーを飲ませて血圧、血管、心機能改善効果の研究を行う、と発表。エビデンスのはっきりしない「緑茶効果」について「その科学的な要因分析」を大学院大学で行う必要性が高いのだ、と基本構想に書いている。マグロは緑茶という嗜好品ではなく、子供から大人まで食べる静岡県民の大好物であり、産業にも大きくかかわっている。そうか、マグロについてはすでに研究は尽くされているのかもしれない。  早速、県民の毛髪水銀調査とマグロの健康影響について、静岡県健康福祉部の社会健康医学推進担当に聞いてみた。残念ながら、担当者は、良質なたんぱく源であるマグロと水銀の関係などいままで考えたこともなかったようで、「これから考えていきたい」と回答した。  なぜこんな緊急性の高いテーマに取り組まないのか。不思議な話だ。 「セレン化水銀」研究の重要性  ところで、わたしの知り合いに毎日マグロばかり食べる人がいる。しかし、その人は手足のしびれや震えを訴えてはいない。そもそもマグロは水銀値が高いのに、なぜ、あんなに元気に泳ぎ回ることができるのだろうか?  いろいろ探していて、そんな疑問に答える最新の論文を見つけた。国立水俣病研究センター(熊本県)の疫学研究部長らが、水銀値の高い歯クジラの健康状態にメチル水銀がどのような影響をもたらしているのか調べた。2015年11月国際的な専門誌に発表。その結論は次の通りだ。  「歯クジラ筋肉中に含まれる高濃度の水銀は、一定濃度(3~8ppm)のメチル水銀と残りは無機化された毒性がないセレン化水銀であることが明らかになった」  メチル水銀は低い濃度で体内に残り、筋肉組織にある高濃度のセレン(肉や植物に含まれる必須栄養素)が毒物の防御システムとして働き、残りのメチル水銀と1対1で結合するため、ほとんどのメチル水銀は無害化されているという説だ。無害化された水銀を「セレン化水銀」と呼び、人間がセレン化水銀を大量に含むマグロやイルカをどんなに食べても水俣病のような症状を引き起こさないというわけだ。  残念ながら、この研究成果が魚類の水銀含有量との関係にパラダイムシフト(その分野で支配的だった考え方に対する劇的な変化)をもたらしてはいない。厚労省HPを見ると、マグロ、キンメダイ、メカジキなどは1回80gとして週1回限りで食べることを推奨しているからだ。厚労省HPはセレン化水銀について言及していない。多分、定説にはなっていないのだろう。  だからこそ、この研究でのさらなる取り組みが必要となる。  静岡県は水銀含有量の多いマグロを食べても安全なのかどうかを早く調べて県民に知らせるべきだ。本当に「社会健康医学」大学院大学の設置が緊急性、優先度の高い施策なのか疑問は大きい。 ※グラフ、マグロ市場、刺身写真とも静岡県HPの写真です。

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静岡県「社会健康医学系大学院大学」のなぞ1

「健康寿命の延伸」が目的?  静岡県が計画を進める「社会健康医学系大学院大学(仮称)」設置について県の説明を聞いたが、信じられないほど不可解だった。「社会健康医学系」と言えば、京都大学大学院にある同じ名前の専攻を想定し、その責任者をはじめとする京大関係者が静岡県の基本計画策定委員に委嘱されている。京大の同専攻は遺伝子カウンセラー、臨床統計家、ゲノム情報処理者をはじめ最先端の専門家養成が目的である。  静岡県の「社会健康医学系」は名前だけは同じだが、そのような専門家を養成するのか全く未定であり、目的も違う。そのまま、数十億円もの費用を掛けて「大学院大学」を設置すれば、県民の混乱を招くだけでなく、厳しい批判を呼ぶだろう。  静岡県は、同大学院大学設置を「県民の健康寿命のさらなる延伸を図る」のが目的と説明。「健康寿命を延伸」とは、静岡県の男性72・15歳、女性75・43歳の健康寿命について、さらに約10年長い平均寿命の差を縮めたいのだ、という。担当者は、県民の「健康寿命」を延ばすことだから、静岡県が率先して取り組むべきテーマにふさわしいと胸を張った。  「健康寿命」と言えば、静岡県立大学が古くから、健康長寿社会の実現に向けた最先端研究と人材育成に取り組んでいる。同大学院HPに「疾病があったとしてもその進行を食い止め、寿命に至るまで生活の質を維持する『健康寿命』をいかに実現するかが重要課題」とある。まさに、静岡県が胸を張った目的「健康寿命の延伸」について長年、研究を行い、論文発表等の蓄積がある。県立大学だけでなく、県内の各自治体もさまざまな取り組みを行っている。  県の目的が「健康寿命の延伸」ならば静岡県立大学などに任せればいいのではないか。多額の費用を掛けて「大学院大学」設置の必要はない。 京大の目的には「健康寿命の延伸」はない  「健康寿命」の定義も難しい。歯科分野では古くから、「8020」運動を唱え、80歳で20本の丈夫な歯を持つことが「健康寿命」につながると訴えてきた。その他、脳科学者、大腸カテーテルの第一人者、運動療法士らが「健康寿命」延伸についてさまざまな知見を発表している。  不思議なのは、京大HPを調べても「社会健康医学」研究に「健康寿命の延伸」は登場しないことだ。  2000年「社会健康医学」専攻は京都大学に誕生した。米国ジョンホプキンス大学などで古くからある「Public Health」(日本語では当然、「公衆衛生」と訳す)講座だが、アジア地域では欧米流の学問領域が遅れていた。臨床や基礎研究に「疫学」「臨床統計」「遺伝子」「ゲノム」などの研究成果を踏まえて、論文発表をすることで内容の幅を広げるなど価値を高めるのが狙い。静岡県の目的「健康増進」との関係は非常に薄い。  また、京大では遺伝子治療診療科、ゲノム医学センターなどとの連携が密接だ。学生の発表はすべて英語論文を想定している(入試試験もTOEFL、TOEIC得点が必要)。ビッグデータを駆使した臨床統計家、疫学研究者養成などを目指している。静岡県の言う「健康寿命」延伸はどこを探しても見つからない。大学院卒業者の就職先が厚労省や東大、京大などの大学教員が多いことを見れば、県の説明にある現在の職場で働きながら取得できるほどそれぞれが簡単な資格ではない。 緑茶パウダー疫学調査への疑問  「社会健康医学」研究として、2月から島田俊夫県立総合病院臨床研究部長が5年間にわたって川根本町で緑茶パウダーを使った健康効果の疫学調査を行う。同様の調査はすでに県立大学が何度も行い、川根本町だけでなく全県にわたって調査、緑茶の効能についての成果を発表している。  2002年7月の県民公開講座で小國伊太郎教授(当時)は「がんやピロリ菌に対する緑茶効果」について、静岡県のがん死亡分布図を作成、緑茶生産地区と非生産地区を調査、緑茶生産地区の男女の胃がん発生率が著しく低いことを突き止め、川根三町の疫学調査を実施した成果などを説明した。  三井農林食品総合研究所(藤枝市)は茶カテキンの生理活性機能を研究、茶カテキンから抽出したポリフェノンEを発見、主成分として開発した新薬が米国FDAで認可された。さらに、肺や前立腺がんなどの予防薬・治療薬開発を米国がん研究所(NCI)と共同で臨床研究を行っている。当然、使用されるカテキン(渋味成分)はアミノ酸が多く渋味の少ない静岡茶ではなく、アフリカやベトナムなどの緑茶抽出物を使用しているようだ。  島田部長の調査は、どこの緑茶を使うのかなど不明であり、その他の嗜好品、運動やストレスなどの要因を考慮に入れるかなど研究内容が見えていないが、過去の知見を超えるものが期待できるのか疑問は多い 先端医療棟に「大学院大学」設置の意向  「大学院大学」とは、学部を伴わない大学院。医療系の大学院大学は滋慶医療科学大学院大学が大阪市にあり、そこは看護師、理学療法士など全国的な医療・福祉系専門学校が基盤。静岡県が計画する大学院大学の中核組織は何か。浜松医科大学の公衆衛生学講座をランクアップするならば、大学院専攻科をつくるだけだが、そうではないらしい。  静岡県は県立総合病院先端医療棟5階の「リサーチサポーセンター」に大学院大学を設置する意向だ。同センターは2017年9月に開設されたばかりで実績はほとんどない。「社会健康医学」の指導組織としての実態もない。宮地良樹センター長は「京大の大学院レベルをつくるのではない、あくまでも、静岡県の健康寿命延伸が目的だ。臨床医の研究をバックアップするためのもの」と話した。  基本構想委員会の委員長、本庶佑氏は「県内の中核病院で研修したいという若い医師が増え、中長期的に長年の課題である医師不足解消につながる」と述べた。なぜ、そうなるのか不思議だったが、宮地センター長の話で納得した。  県立総合病院は主に京大医局からの派遣病院であり、もし、そのような研究施設があれば、若手医師らがぜひ、県立総合へ赴任したいというインセンティブにはなるのだろう。しかし、若手医師らは2、3年で変わり、研究成果が蓄積されるのかどうか疑問は多い。  医師不足の根本的な理由は医科大学が県内に一つしかないことだ。隣接の愛知、神奈川県とも4医科大学、人口規模が5分の1に満たない山梨県と医大の数は同じであり、本当に大学院大学設置が医師不足につながるのか疑問は大きい。  1、目的が「健康寿命」延伸であるならば、静岡県立大学の研究成果を生かすことで十分。本来の「社会健康医学」研究の目的は地域の「健康寿命」延伸にはない。  2、京都大学「社会健康医学」専攻のような先進的な研究環境を静岡県立総合病院は持っていない。  3、喫緊かつ、長年の課題は医師確保であり、社会健康医学大学院大学はその使命を果たすのか疑問が大きい。  以上の3点から、県立総合病院に「社会健康医学」大学院大学ありきではなく、もう一度、目的を含めて県民に説明できるようにしたほうがいいだろう。「健康寿命の延伸」ではなく、目的が「医師確保」であれば、川勝知事の公約だった「医科大学」設立をもう一度正々堂々と取り組むべきだ。リニア環境問題で県民の生命を問題にした気概と覚悟があれば、国の方針を変えることもできるのではないか。 ※タイトル写真は静岡県立総合病院先端医療棟。県は5階に「社会健康医学」大学院大学を設置する方針だ

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認知症のなぞ2 効かない”薬”を処方する医師

薬で認知症は治らない  「認知症は薬で治らないの?」「治らない。認知症を治す薬は世界中、どこをさがしたってない」(「老乱」久坂部羊著、朝日新聞出版、2016年11月)  阪大医学部出身の久坂部氏は高齢者を対象とした在宅訪問診療などに従事するとともに、「廃用身」「破裂」など事実に基づく医療情報を踏まえて小説を発表。「老乱」でも、登場人物の認知症専門クリニック医師が認知症は病名ではなく、状態を指すことばであり、原因となる病気は70ほどある、さらに、記憶障害、見当識障害、判断障害などの「中核症状」を一般に認知症と呼んでいると説明する。  「認知症を薬で治すのは今のところはむずかしい状況です。脳の活性化とか刺激療法など、いずれも有効と言い難いのが実情です」  本サイト「認知症のなぞ1」で記したように、母の主治医は母を「アルツハイマー型認知症」と診断した。判断能力が著しく失われ、成年後見を受けなければならないほどの心神喪失状態という診断書を静岡家庭裁判所に提出、母は静岡市内の神経内科医から別の診断書をもらって争っていた。  当時、高齢(87歳)の母は時々、物忘れ症状を見せた。加齢に伴う物忘れは誰にでもあることで、それを認知症と区別するのは非常に難しい。母は介護度認定を受けておらず、介護保険用の主治医意見書を必要としていたため、主治医が処方する睡眠導入剤とともに、最も軽い認知症治療薬アリセプトに不満を述べなかった。主治医は母にアリセプト(塩酸ドネペジル)3mgを処方していた。 専門医はアリセプトを使わない  10年前、認知症を専門にした富士山麓にある御殿場高原病院を取材した。1979年4月に開院しているから、ことし40年目を迎える。当時、30年間の治療効果について、清水允煕(のぶひろ)院長が語ってくれた。「認知症の進行を抑えるとされるアリセプトを使うことがあっても、症状が改善されることはまずありません。わたしの経験では数百例のうちで、効果が認められたのは1例程度に過ぎません」と、清水院長はアリセプトがはっきりと効果の期待できない薬だと断言した。医師が薬の効能がない、と言うのだ。本当にびっくりした。それではどうするのか?  「老化に伴う高血圧、高脂血症、痛風などの症状に合わせた薬は別として、ここでは認知症の薬をなるべく使わず治療する方針を貫いています。それで症状が改善でき、経過が良い場合は退院させることも多いのです」その言葉にさらに驚いた。そんなことが可能なのか?  清水院長は具体的な治療法について、「75歳女性、夫の過去の浮気が許せない」「『嫁がお金を盗った』という77歳女性」「自分の家に居るのに『帰る』という74歳女性」「外出(徘徊)を止めようとすると暴力を振るう77歳男性」などそれぞれのケースに沿って説明してくれた。治療、看護、介護について、家族を含めて周囲がどのように対応するかが重要なのだ、という。  「老乱」でも、日付とか前の晩のおかずとか幼稚園の子供に聞くような質問をすることが高齢者の精神状態を悪化させる、尊厳のある一個人として認めることが重要であり、逆にほめたり、感謝することで認知症の人は自分が周囲からどう受け止められているのか敏感に感じ取って、厄介者ではなく、存在を大切にされているといい気分だけが残る、と書かれていた。  御殿場高原病院はまさに、その方法を実践し、「尊敬と感謝」を注ぐことで症状を改善させていると説明した。もし、母を認知症と診断したならば、主治医はどうして、そのような治療法を選択できないのか? グラマリールという危険な薬  「①お年はいくつですか? ②きょうは何年、何月、何日、何曜日ですか? ③わたしたちがいまいるのはどこですか?」など、長谷川式知能評価スケールを母に受けてもらったが、それさえ、母の尊厳を傷つけていたのかもしれない。静岡県立こころの医療センターでもう一度、同じことをやるのを断った母の気持ちを一番理解したのは同センターの担当医だったかもしれない。  ところで、母の場合、アリセプト3mgだけでなく、グラマリール25mgを処方されていたため、わたしはグラマリールをやめてもらえるよう話した。調べると、グラマリールは脳梗塞後遺症の攻撃的行為や精神興奮を抑える薬だとわかったからだ。そもそも脳梗塞を発症していないのに、その後遺症のための薬を処方する理由は何だったのか。その時点で、主治医に対する信頼は失われていた。 医者をしっかりと選ぶべきだ  その後母は心不全と診断されて、2週間ほど入院した。それから3カ月後、静岡家庭裁判所は姉の成年後見開始申立を却下した。理由を見ると、「難聴があるため意思疎通困難であるが、大声でしゃべれば通じる。自己の財産を単独で管理・処分することができる」というわたしと一緒に受診した医師の診断書が大きな意味を持っていることが分かった。  「この診断はK医師の行った診断であり、他の医師が検査等を行って別の診断をされることは当然ありうる」というのが、主治医の弁護士による回答だったが、もし、いい加減なK医師のみの診断書しかなかったならば、母は認知症とされ、成年後見制度の適用となっていたはずである。  もう一度、主治医宛に「どのような問診を行ったのか」など質問した。やはり、同じ弁護士事務所から、「前回の回答通り」との回答を受け取った。今後、母の主治医がこのようないい加減な診断書を出さないように自重してくれればいいのだが、逆に言えば、患者及び家族は医者をしっかりと選ぶべきなのだろう。  難聴と認知症の関係を考えるべきだった。難聴を放置すると、認知症の発症率は高くなるだろうし、医師は難聴なのに認知症と診断するかもしれない。母は何度も補聴器を試したが、すぐに手放してしまっていた。  「難聴で音の入力が少なくなると、脳の中で音をつかさどる部分の萎縮が進んでしまい、思考や記憶の働きにも影響してくる」。眼鏡と違い、聴力に合った快適な補聴器をどう探すのか、静岡市内の認定補聴器専門店を取材してみた。デジタル補聴器は必要な音だけを瞬間的に区別できるようになっていて、補聴器の改善は急速に進んでいるとのこと。いずれにしても、自分自身で試してみるしかない。  最後に、タイトル写真に使った「プラセプラス」。皮肉のような話だが、”危険な医師”からの”危険な薬”ではなく、本物のプラセボ(偽薬)として安心して患者に奨められる。最初から薬効成分を含まないのだから、副作用もない。当然、プラセボ効果(薬を飲んでいるという自覚で精神的な安心感を得る)は期待でき、自己免疫作用で病気を治す場合がある。  「自分も認知症になると思う? はい75% いいえ25%」(朝日新聞2016年1月16日付)。物忘れなのか、認知症なのか、はたまた医師を受診して認知症治療薬を処方されても、その効果を期待してはいけない。変な話である。