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ニュースの真相

リニア騒動の真相6 ヤマトイワナを救え!

生物多様性を守るエコパーク   「ヤマトイワナを絶滅の危機から救え!」  大井川の漁協、魚類研究者、釣り人、南アルプスを愛する人々の切実な声が聞こえる。タイトル写真は「ヤマトイワナとニッコウイワナ」(静岡県内水面漁協の川嶋尚正専務理事提供)。大井川最上流域にレッドデータブック絶滅危惧種のヤマトイワナが生息する。リニア南アルプストンネルがヤマトイワナに深刻な影響を与えるのは避けられない、と魚類研究者は指摘する。   2014年6月、南アルプスはユネスコエコパークに登録。このエコパークは「南アルプス生物圏保存地域」が正式名称。その理念を基に、大切な自然環境を守る「核心地域」、環境教育や観光などで利用する「緩衝地域」、人々が暮らしを営む「移行地域」の3つの地域に区分。地域区分を決める最大の目的は「生物多様性の保全」と「持続可能な利活用の調和」。  「生物多様性の保全」を掲げる南アルプスのシンボルが「ライチョウ」ならば、大井川のシンボルは「ヤマトイワナ」だ。この2つの貴重な種を守れなければ、エコパークの看板を外したほうがいい。  「ヤマトイワナを救え」。待ったなしの緊急課題にどう対応するのか。 発電所と「維持流量」の関係  JR東海のリニア南アルプストンネル計画地を流れる西俣川と大井川本流(合流地点までを「東俣川」と呼ぶ)の合流地点に、1995年中部電力は二軒小屋発電所を設置。同発電所の最大使用量毎秒11トン、発電出力2万6千キロワットで、西俣えん堤(高さ15メートル以下のダムが「堰堤(えんてい)」)と東俣えん堤から取水して、ポンプを使って発電所まで結んでいる。  JR東海はリニアトンネル建設によって、大井川の表流水が毎秒2トン減少するとして、西俣川から導水路トンネル11・4キロを設置、椹島とつなぐ計画を示している。この結果、西俣川、東俣川の表流水は、椹島までの区間、大幅に減水するのは確実である。  水力発電は、河川の「維持流量」を上回った水量のみ使用できる。表流水が減少すれば、当然、発電量は減ることになる。大井川の表流水減少で、もろに影響を受けるのは、二軒小屋発電所、その直下にある田代ダムを水源とする東京電力の田代川発電所。2つの電力会社はJR東海と発電への影響について話し合いを始めているかもしれない。   発電所の「維持流量」は水利権更新ごとに決められ、電力会社が示す維持流量を国土交通省は判断して許可する。「大きな環境変化」がない限り、前回の維持流量が継続されるのが大半だ。  「大きな環境変化」。地球温暖化などによる気候変動が激しい現代で「環境変化」とはどんな状況を指すのか? 県自然環境保護条例の協定目指すJR東海  西俣川の維持流量は毎秒0・12トン、東俣川は0・11トン。もし、通常、この程度の水量しかないとすれば、そこに生息する魚類、水生昆虫などは最低限の生活環境しか与えられない。  現在懸念されるのは、リニア南アルプストンネル建設によって、予測できない水量の減少が起きることだ。長年ヤマトイワナの研究に取り組んできた川嶋専務は「川勝知事の心配するように地下の湧水が山梨県に流れてしまえば、底が抜ける現象が起きて西俣川、東俣川上流は涸れてしまう可能性がある」と指摘。もし、そのような状況であれば、ヤマトイワナは確実に絶滅する。  その危機感を共有して、JR東海は静岡県自然環境保全条例に基づいて、県と協定を結ぶ調整を進めている。JR東海が湧水全量を戻すと表明したのは中下流域への利水の影響を考慮してのこと。減水区間についての対応は県自然環境保全条例にどれだけ寄り添うことができるかに掛かる。利水者という目に見える人々ではないだけに、非常に難しい問題でもある。 20年前の維持流量は本当に適正か?  いまから13年前、2005年夏、田代川第2発電所の水利権更新を機に田代ダムの河川水量回復を目指して、大井川下流域の住民たちが「水を返せ」の大きな声を挙げた。話し合いは難航したが、ついに東京電力は地元の強い姿勢を受け、「維持流量」の放流と大井川への流水還元を行った。  そう、来年3月、二軒小屋発電所が水利権更新を迎える。中部電力が水利権更新を国交省静岡河川事務所に申請した際、静岡県の意見を聞くことになる。いまのところ、担当課の静岡県河川企画課は何ら意見を予定していない、という。  当然、「環境変化」がない限り、中部電力は20年前と同じ維持流量を提示するだろう。維持流量に必要な要素の中にイワナの生息環境も含まれるが、国交省は同じ維持流量で問題ないと判断する可能性は高い。  中部電力、国交省ともリニア南アルプストンネル建設での水生生物への影響は考慮の対象外である。今後、静岡県の環境保全連絡会議では水生生物への影響がテーマになるはずだが、その議論の行方は来年3月末の水利権更新に反映されないだろう。 静岡県、静岡市の連携が必要  静岡県、静岡市は早急に意見交換を行い、相互に連携して維持流量の改善を中部電力に求めるべきではないか。ヤマトイワナにとって、毎秒0・1トン程度の維持流量が適正か?他の水生生物はどうか?リニア南アルプストンネルの影響は?エコパークにかかわる人々の意見を広く聞くべきだ。  20年前の維持流量は現在も適正か?そこが問題の出発点だ。  維持流量の考え方は、河川の適正な利用や河川の正常な機能を維持するため必要な流量として、1988年国交省(当時は建設省、通産省)がガイドラインを決めた。その当時、環境に対する配慮は含まれていなかった。  91年環境庁が初のレッドデータブックを発刊。その後、97年国交省はようやく河川法を改正して地域環境への配慮を盛り込んでいる。環境アセス法が成立したのも同じ、97年である。  二軒小屋発電所は95年7月に運転を開始している。当時は、「生物多様性の保全」に対する姿勢は希薄だった。97年にアセス法が施行されたが、生物環境をめぐる事後調査を行ってはいない。このような社会情勢の変化も「環境変化」ととらえるべきではないか。 いちばん困るのはJR東海  県、市は最近の資料を集め、国交省へ意見を提出すべきだ。ことし3月、静岡市の調査報告でヤマトイワナの生息を確認した。ところが、JR東海のアセス調査ではヤマトイワナは文献のみで、生息を確認していない。  今回のタイトル写真を再掲する。魚体に斑点があるのが移植されたニッコウイワナ。昨年の日本魚類学会で川嶋専務は「斑点のあるのが通常ニッコウイワナだが、斑点のあるヤマトイワナを遺伝子レベルで発見している」と発表。大井川ではニッコウイワナ、ヤマトイワナの混雑種も当然現れているが、純粋のヤマトイワナは西俣川、東俣川上流に確実に生息する、と静岡市の調査員が証言してくれた。  現在作成中の改訂レッドデータブックで大井川のヤマトイワナは、さらに危険度の高い「絶滅危惧1A類(ごく近い将来に絶滅する)」に分類される。ヤマトイワナの生息範囲はますます狭まっている。差し迫った「絶滅の危機」も「環境変化」ではないか。  魚類研究者らは「今回のリニアトンネル建設を機に中電からもっと水を出してもらわなければ、ヤマトイワナは確実に絶滅する」と訴える。  中部電力の「維持流量」がそのままに水利権更新され、ごく近い将来の「ヤマトイワナの絶滅」にゴーサインをだしたとき、いちばん困るのは「ヤマトイワナ」は生息していないとアセス報告を出したJR東海ではないか。リニアトンネルの影響という新たな「環境変化」に対応できるの唯一の方法は「維持流量」の改善しかないと考えるが、違うのだろうか?

現場へ行く

「文化力の拠点」は”スタンフォード式”で

「文化力の拠点」施設とは何か?  川勝平太・静岡県知事は記者会見で、計画策定中の「文化力の拠点」施設についていまのところ、県立中央図書館移転以外の具体的な中身が決まっていないことを明らかにした。  静岡県の資料によると、JR東静岡駅南口県有地約2・43ヘクタールに静岡県の高い文化力を発信する施設を整備、全館移転の県立中央図書館を中心に、民間活力を最大限に生かしたにぎわいや交流の場所にするとある。図書館以外には、多目的情報発信スペース、大学コンソーシアムの拠点、駐車場、食・茶・花の魅力発信施設。そして「拠点の価値向上に資する民間提案機能」と書かれている。  「静岡県の高い文化力を国内外に発信し人々を引き付ける拠点」。キャッチフレーズからは、はっきりとしたイメージは浮かばない。早速、現地に行ってみた。当然、何もない。駅前からよく見えてくる大きな建物は宇宙船をイメージした建物だ。何も言わなければ、外国人観光客もその不思議な建物に入っていくだろう。これが「日本の文化」パチンコだと、店内に入って驚くだろう。  そこに「文化力の拠点」を持ってくるのだ。「国内外に発信する」にはよほどの「文化力」を持たなければならない。「文化力」とは何か? 県立美術館「ロダン館」はがらがらだ  先日、無料情報誌の広告を見て、静岡県立美術館の「ロダンウィーク2018」に出掛けた。ロダン館は4日間のみ入場無料だ。久しぶりにロダン館へ入ってみた。午後1時ころだったが、監視員の女性が椅子に座っているだけで入館者は1人もいなかった。  正面にある「地獄の門」をたっぷりと堪能した。しかし、心の片隅で入場無料なのに、なぜ、だれも鑑賞にこないのか、そればかり気になった。  ロダンウィークにちなんだ特別音楽が流れていた。わたし以外に誰もいないのだから、ちょっと音楽はやめてもらえるよう監視員に話した。監視員が学芸員に連絡する。答えは30分過ぎれば、音楽は止まるので我慢してほしい、という。配布パンフレットには「オマージュ・ア・ロダン」という創作音楽とある。ただ、その音楽の流れている30分間わたし以外だれもいないかった。  ロダンを「オマージュ(讃える)」?ばかにもったいぶった名前はついていたが、わたしにはとても気に障る雑音だった。こんな音楽を好む人たちのために流すならば、なぜ、多くの音楽ファンが訪れないのか不思議だった。 アメリカの美術館との違い  ことしアメリカにある2つの美術館で、ロダン彫刻を数多く見る機会があった。ニューヨークのブルックリン美術館とシリコンバレーのスタンフォード大学。  ブルックリンでは、知り合いになったブラジルの陽気な女性とグアテマラの若い男性と一緒だった。ロダン彫刻の横でポーズを取ったり、顔の表情をまねたり、すぐ横で大笑いをしながらそれぞれの個性的な彫刻と一緒に写真を撮りながら、所狭しと並べられた彫刻を楽しんだ。固い音楽ではなく、笑い声によるセッションがさまざまな表情のロダン彫刻に似合う。日本のように監視員が「静かにするよう」注意することもなかった。  スタンフォード大学は特別の場所だ。さまざまな国の人たちが訪れていた。特に中国人が目立った。「カレーの市民」は中庭にあり、建物とマッチしていた。県立美術館ロダン館とほぼ同じ規模のコレクションを誇っている。美術館内にある「考える人」は上から鑑賞するという趣向で、初めて「考える人」の頭頂部(脳の部分)を見ることができた。「考える人」の周囲に長椅子が置かれ、そこで「考える」ことを勧めているようだった。  ロダン彫刻は世界中の人たちに愛されている。ロダンと言って、知らない人はだれもない。静岡県が標榜する「高い文化力」とはまさに、ロダン彫刻を指すのかもしれない。  それなのに、県立美術館ロダン館はひっそりとして、だれもいなかった。静岡県を訪れる外国人観光客には見向きもされない。だれも聞かない音楽をなぜ、流しているのか?スタンフォードでも「考える」場所に音楽はなかった。そこにアメリカの美術館との違いが見えてくる。 25周年「ロダン館」の使命とは?  1991年県立美術館は開館3周年を記念して、「カレーの市民」6体を初めて購入した。そして、スタンフォード大学に続き、世界で6番目の鋳造となる「地獄の門」を目玉にロダン館が94年4月にオープンした。来年は開館25周年を迎える。  約30年前、東京・上野の国立西洋美術館前庭に置かれたロダン彫刻が酸性雨の影響で緑青汚染が大きな問題になっていた。そのため、県立美術館ロダン館は風雨の影響を受けることがないように、ラグビーボール状半楕円形屋根の建物内に展示された。開館あいさつで当時の知事は「国際的なロダン研究の拠点となる」と胸を張った。新聞等は「東洋一のロダン館」の賛辞を寄せた。  そして、25年間が経過した。ロダン研究の使命は果たされてきたのか?「東洋一のロダン館」の賛辞を受けたあと、アジアからの観光客は訪れたのか?今回のロダンウィーク企画を見れば、そんなことを考えた学芸員はいないのだろう。 「ロダン館」を一新すべきだ  スタンフォード大学では「地獄の門」も「カレーの市民」も屋外に展示されている。環境への意識の高いカリフォルニアでは、酸性雨の影響を受けることなく、鋳造された当時のブロンズの輝きを保ち、多くの観光客に親しまれていた。  それに比べて、県立美術館「ロダン館」彫刻はあまりにももったいない。「考える人」は隅に置かれてスタンフォードのような”主役”を張っていない。単に置いてあるにすぎない。  そもそも25年前、ロダン研究を託されたオープン時の学芸員は県立美術館には一人もいない。川勝知事が就任して、最初の「事業仕分け」で県立美術館も仕分けの対象となった。その仕分けを傍聴したが、その当時の学芸部長、学芸員さえいない。過去のコンセプトを覚えている人はだれもいなくなった。だからこそ、そろそろ「ロダン館」をもっと魅力あるものに変えていいはずだ。  開館25年を契機に、「ロダン館」を一新すべきだ。 スタンフォード式授業の場所に  「文化力の拠点」機能に「大学コンソーシアムの拠点」とある。それならば、スタンフォード大学との連携を図ればいい。日本だけでなく、中国、韓国をはじめアジアの学生たちもスタンフォードへの留学は大きな希望だ。東静岡駅にスタンフォードと連携した「大学コンソーシアム」が開設されれば、県内の学生だけでなく、多くの留学生はここを訪れるはずだ。  昨年9月に出版された「ライフデザイン スタンフォード式最高の人生設計」(ビル・バーネット&デイブ・エヴァンス著、早川書房)では、2人の教授による、デザイン思考で人生を変える画期的な方法を学ぶ人気授業を紹介している。スタンフォードと同様に「自分の好きな仕事、愛せる仕事を見つけたい」「豊かな暮らしを送るキャリアを築きたい」高校生、大学生、社会人らに、「文化力の拠点」施設でスタンフォード式授業を受けてもらおう。  そして、デザイン思考の孤高の天才、「考える人」はスタンフォード同様に「文化力の拠点」にふさわしいシンボルになるだろう。スタンフォード式授業のために、「考える人」は何よりも必要だ。いくつかのユニークなロダン作品も一緒に展示していい。そうすれば、「東洋一のロダン館」へも行き、「地獄の門」を見る人ばかりになる。当然、無料だ。  芳賀徹・前県立美術館館長は「文化の拠点」施設と県立美術館をロープウエーで結ぶ構想を提案した。これこそ「デザイン思考」の提案だが、まずはあまりお金を掛けないようスタンフォード式授業と結びつく「考える人」などの展示を行うくらいでどうか。「考える人」の展示で「文化力の拠点」施設が、スタンフォード式授業を実践する場所になる。これならば、国内外に発信できる施設になるはずだ。  「拠点の価値向上に資する提案」にぜひ、採用してもらいたい。

ニュースの真相

三島市長選の真相 「品格」を見抜く責任は?

高さ変更「歓迎」の記事  「中止をするなら私を殺して」。7月23日、三島市役所で三島駅前再開発事業に反対する市民団体を前に豊岡武士市長が突如、靴を脱いで、部屋の壁を前にして座り込み、「はい、どうぞ殺してください」と目をつむり、両手を合わせて首を下げた。打ち首を待つようなパフォーマンスは全国ニュースに流れ、大きな話題を提供した。市長はその後の記者会見で「再開発事業に対して不退転の決意を示した」と述べた。  4日の知事会見で、読売新聞記者が「三島市長は知事の考えを踏まえて高層タワーマンションの高さを下げると表明した。これについての知事の受け止め方は?」と質問。川勝平太知事は「歓迎する。一方、コンペで負けたグループの計画は勝ったグループより高さは低かった。そちらとの調整をしなければならないのでは」と疑問を呈した。  5日付中日新聞朝刊は『三島再開発 高さ変更「歓迎」』の見出しで知事会見を記事にした。その記事によると、事業計画では、高さ99・5メートル、24階建ての高層マンション建設に対して、知事は「三島駅の玄関口にふさわしくない」と反対、豊岡市長は11月22日の記者会見で「高さを下げる必要がある」と表明し、知事や計画に反対する一部住民に配慮する姿勢を見せた、という。  もし、知事発言のように高さを下げるならば、コンペで負けたグループは黙っていないだろう。本当に大丈夫なのか? 「高さ下げる」表明は記者の誤解?  三島市を取材すると、担当者は「市長は高さを下げるとは表明していない」と驚くような発言をした。もし不審があるならば当日の記者会見資料がHPにあるので読んでくれ、という。  豊岡市長の発言は「高さを下げる必要があると感じておりますので、準備組合や事業協力者に相談するよう、職員に指示をしております」とある。担当者に聞くと、市長は単に「必要を感じている」だけにすぎず、これは”検討する”というたぐいの話らしい。いまだ、市長の指示に従って、高さをどうするかという話し合いは持たれていない。通常、行政の”検討”とは”やらない”に等しい。「高さを下げると表明」は記者たちが誤解しているというのだ。地権者、事業協力者と”検討”して、三島市はマンション計画を変えない可能性がはっきりした。当然、高さは99・5メートルのままだ。  何かおかしい。 選挙の争点から外す戦略  8日三島市に出掛けた。9日告示、16日投票という市長選の掲示板がいたるところにあった。  そうか、選挙前だったのか。7月の”首切り”パフォーマンスに続く、豊岡市長の「不退転の決意」を示す、したたかな選挙戦略だと分かった。知事らに配慮して「高さを下げる必要があると感じている」と”リップサービス”をすれば、選挙の争点から「高層マンションの高さ」は外れてしまう。新聞、テレビが市長発言を誤解してくれれば、まさに市長の思うツボである。  選挙選が終わり、しばらくたってから、3者協議したが、相手側の了承が得られないので、高さは計画通りにすると再表明すればいい。豊岡市長は最後まで「高さを下げる必要」を感じていたが、結果、そうならなかったとしても、市長の責任ではない。当初の計画通りに進めることが3者にとって都合がいいだろう。ただ、選挙前、高さに反対していた市民は「下げる」ものと誤解して、現職候補を支持するかもしれない。  市民(選挙民)はマスコミ報道を信じる。なぜ、記者たちは市長発言を誤解したのか? 「知事の品格」が問われた選挙戦略  2001年7月の静岡県知事選挙。当時、2006年開港予定の静岡空港へ即時中止を求める動きが活発だった。新聞、テレビがむだな大規模公共事業の典型として静岡空港特集がしばしば組まれ、厳しい批判が寄せられていた。その動きの中で、現職知事への対立候補として、元西武百貨店社長が出馬表明、石原慎太郎東京都知事、田中康夫長野県知事、石原軍団と呼ばれる芸能人ら多数が支持を表明、激しい選挙戦が予想されていた。  ところが、空港推進を訴えた3期目の現職が圧勝した。選挙のほぼ2カ月前、現職は空港反対勢力が求める住民投票条例案に賛成して、空港建設は「住民投票の結果に従う」と表明、住民投票案を採決する議会は知事選後に行われることになった。それで、「空港建設の是非」は選挙戦の争点からかき消されてしまった。  現職知事の当選だけで空港建設推進という結論を持つ者はいなかった。空港反対の県民だけでなく、一般の多くの県民が初の住民投票を望み、空港建設の是非を問うことに期待した。予定通りだったのか、過半数を占める自民党県議らが条例案を否決した。住民投票案に賛成した知事が、空港建設が県民をいかに幸せにするのか問いたいと、議会に強く訴えることもなかった。  住民投票条例案賛成は単に姑息な選挙戦略だった。政治家としての器の小ささにがっかりした者が多かった。2009年3月、4期目の知事は空港開港前に建設地の立ち木問題の責任を取り、失職した。県知事選当時、空港利用者150~160万人という予測は半分以下に下回り、毎年赤字を出し続けている。「知事の品格」を見抜けなかった選挙民の責任かもしれない。 ”ミスリード”は現職に有利  三島市の豊岡市長は巧妙な発言を行っていた。記者会見でどの程度低くするかの問いに「技術、経済効果、採算性など多角的に事業者が最終判断する」(静岡新聞)と、高さを下げることを前提にした答弁をした。そのような答弁に記者たちは”検討”ではなく”実施”と誤解したのだろう。  29日の市議会で、三枝邦昭計画まちづくり部長は「知事の考えを踏まえ、高さを下げる」と答弁したと静岡新聞が報道。三島市に確認すると、あくまで市長発言を繰り返しただけで「高さを下げる」とまで明言していない、という。ほぼすべての記者が頭から市長発言を誤解しているようだ。  マスメディアの”ミスリード”は市長選で現職に大いに有利に働くのだろう。「市長の品格」を見抜けないツケはどんなかたちで回ってくるだろうか?

ニュースの真相

リニア騒動の真相5 「富士山」情報戦スタート

製紙工場の煙突が世界遺産を妨害?  熾烈な企業買収の世界を描き、NHKドラマ化され人気を呼ぶ、経済小説の第一人者、真山仁著「ハゲタカ」シリーズ。最新作「シンドローム」(講談社、2018年8月)は、東日本大震災後の東京電力(小説では「首都電力」)買収をテーマに政府、電力会社、投資会社の抗争を描いている。その中で、主人公鷲津政彦が保守党最高顧問の政治家、東海林莞爾に策を弄して近づく場面が登場する。  山梨選出の東海林の悲願は富士山の世界遺産登録だった。「富士山こそ日本の魂と主張する東海林はあらゆる手を尽くして、世界遺産登録を画策していたが、静岡側の麓にある大量の製紙工場の存在が禍して、成果を出せずにいた」。その情報を得た鷲津はユネスコの承認を得るためにコネを使った。  ”富士山の世界遺産登録に静岡側の製紙工場が禍(わざわい)?”  その印象的な一節が頭の片隅に残ってしまった。小説とは言え、なぜ、真山氏はそんなありもしない事実を持ってきたのか? 真山仁氏の「誤解」と「事実」の境  その直後、真山氏の最新作「アディオス!ジャパン」(毎日新聞出版、2018年10月)を読んで、はっきりとした。こちらは小説ではなく、「外からの視点でニッポンを見つめる」をテーマにしたノンフィクション。エピソード4「ビバ!富士山」で初の富士登山体験を記し、世界遺産登録の意義などを語っている。  『地元はもともと世界自然遺産での登録を狙っていた。日本の象徴的な山である。ある意味当然の申請だったが、自然遺産登録では「絶対に無理だろう」というのが、世界遺産の詳しい人たちの共通意見だった。  絶対と断言するのは、パルプ工場が静岡側の裾野に広がっているからだ。製紙業は、「公害型産業」などと言われる悪名高き産業である。1970年代には、富士山のお膝元の景勝地である田子の浦で、ヘドロ公害が問題になった。(略)東海道新幹線の車窓から富士山を眺める時に、無数の製紙工場が建ち並んでいて興ざめするのはまぎれもない事実だ』  多くのビジネスマンらが手にする週刊ダイヤモンドで「ハゲタカ」シリーズ、「アディオス!ジャパン」は週刊エコノミスト連載だった。今回のカルロス・ゴーン逮捕のあと、真山氏はNHKスペシャルをはじめ、数多くのテレビ、新聞に登場したオピニオン・リーダーでもある。「真山組」と呼ばれるスタッフを抱えて、小説でも東日本大震災など事実に基づいた情報を集め、分析している。当然、富士山の世界遺産登録でもしっかりと情報を集めさせたはずである。  ところが、真山氏は富士山世界遺産登録を書いた短い文章で少なくとも3つの誤解をしている。危険なのは、真山氏の「誤解」がいつの間にか「事実」として喧伝されていくことだ。もしかしたら、そうなることを意図して書いたのか?  ”東海道新幹線の車窓から富士山を眺める時に、無数の製紙工場が建ち並んでいて興ざめするのはまぎれもない事実だ”。この事実を伝えるために、富士山の世界遺産登録を持ってきたのかもしれない。  そうか、すでに「富士山」とリニア中央新幹線をめぐる情報戦がスタートしていたのだ。 富士山と新幹線は切り離せなかった  2015年9月、静岡県主催の富士山と世界遺産のシンポジウムが開かれた。日本美術史を専門にするロンドン大学のタイモン・スクリーチ教授が「富士山について、どんなイメージを持つのか」という問いに、即興的に簡単な絵を描いた。それは「新幹線と富士山」だった。タイモン教授は「日本を紹介するとき、富士山を写したあと、その手前をあっという間に新幹線が通り過ぎる映像をよく見る。ほとんどの外国人は富士山と言えば、新幹線と一緒の映像を頭に浮かべる」と説明した。  大阪万博を記念した切手をはじめ、さまざまな映画、テレビなどでおなじみの場面だ。いままでは、富士山と言えば、東海道新幹線が欠かせなかった。  しかし、リニア新幹線の登場によって、それががらりと変わるのだ。静岡駅構内にJR東海によるリニア説明パネルには、2027年からおなじみになるだろう、印象的なリニアと富士山の写真を展示してある。(タイトル画像)。いずれ、このような写真が世界中で使われるだろう。  リニアと富士山は切っても切り離せない存在となる? 真山仁氏の3つの誤解  真山氏の3つの誤解を説明する。1つ目は「世界遺産登録が絶対無理だったのは、静岡側の大量の製紙工場群」。2つ目は「地元はもともと自然遺産での登録を狙っていた」。2つは密接に関係している。  2013年、文化庁の本中真・主任調査官が月刊文化財「特集 世界遺産富士山」で「20年に及ぶ世界遺産登録記載への道のり」を書いている。  ちょうどその20年前だ、1993年から3年間余、わたしは富士山を世界遺産に登録する最初の運動に取り組んだ。そのきっかけは、過剰利用からIUCN(国際自然保護連合)総会で最も危機に瀕する国立公園と指摘されたからだ。大挙して訪れる観光客によるごみ、し尿問題、富士スバルライン、富士山スカイラインと直結した観光施設群、手入れされない森林の崩壊、オフロード車の横行などさまざまな問題に直面していた。世界遺産と富士山を結びつけることで環境問題解決の糸口を見つけようとした。  世界遺産は国内法での保全措置が求められる。富士山の場合、文化庁の文化財保護法、環境庁(当時)の自然公園法によって保護されているはずだった。ところが、どちらの法律も「ザル法」で、富士山の保全には全く機能していなかった。  「100万人」署名運動をスタート、全国から246万人もの署名が集まり、いくつもの段ボール箱に入った署名を国会に持ち込み、世界遺産登録に向けて国会請願を行った。大量の署名にびっくりした環境庁、文化庁とも「本当に富士山を世界遺産にしたいならば、『文化的景観』という新たなジャンルで文化遺産登録を目指すように」と親切に指導してくれた。 「文化的景観」とは何か   自然遺産の場合、世界で一番高い、広い、大きいとか、その地域に唯一の貴重な動植物とか他との比較が重要だった。保全管理でも文化遺産に比べて、厳しい規制が求められた。富士山のようなコニーデ型火山は世界中に数多くあり、また動植物の存在を含めて、自然遺産にふさわしい特別の存在ではなかった。  世界自然遺産と富士市の製紙工場群は全く無関係であり、また、地元のわたしたちは最初から、文化遺産を念頭に世界遺産登録へアプローチした。   「文化的景観」という新しい基準の取材のために、ニュージーランドのトンガリロ、オーストラリアのウルル(日本では「エアーズロック」と呼んでいた)を訪れた。トンガリロは先住民族マオリ族の神が住む山々、ウルルはオーストラリアの原住民族アボリジニの聖地だった。すでに自然遺産だったが、新たに「文化的景観」として文化遺産にも指定されたのだ。  「文化的景観」とは、自然景観がそこに住む人々の信仰、文化と強い結びつきを持つことが重要だった。「文化的景観」だけで文化遺産に指定された例はなかった。マオリ、アボリジニとも入植したヨーロッパ人たちから長い間、過酷な扱いを受けてきた。「文化的景観」という考えに先住民族の信仰、文化を尊重することで、彼らとの関係を改善しようという意図がはっきりしていた。世界遺産が西洋のヒューマニズムという価値観で生まれたものであることを再認識した。「日本の象徴」「日本の魂」とは違っていた。 富士山・世界遺産と観光振興  約20年前、世界遺産運動に取り組んだ最大の成果は、富士山地域では「ザル法」だった規制を大きく変え、保護・保全地区と利用地区を区別して、特に保護すべき地域には厳しい規制を敷くことができたことだ。それによって、富士山の保護・保全は大きく前進した。  3つめの真山氏の勘違いは「日本は権威に弱い。逆に言えば、世界遺産という金看板があれば、観光客はわんさかやってくると信じている」と書いたことである。本中調査官は「いまでも過剰利用の富士山だが、世界遺産登録をきっかけに、しっかりとした規制が始まるから期待してほしい」と登録の意義を話した。過剰利用で傷つく富士山の環境を守ることが世界遺産登録の最大の目的だった。  それでも、世界遺産登録によって、山梨側が観光産業振興に大きな期待を寄せたことを否定しない。  戦後になって交通の便がよくなるまで、山梨の人々は富士山を「疫病神」「貧乏山」と呼んでいた。南側の静岡は太陽をいっぱい浴びて、海では魚がとれ、作物も樹木も豊かだ。それに比べて北側は土地はやせ、水も不便で、日陰で寒くてかなわない。貧乏なのはあの山のせいだなどと山梨の人々がぼやいていたことをよく知っている。だから、観光地・山梨県の富士山への依存度が静岡県に比べて非常に大きいのは当然だ。  タイモン教授が言うように、富士山と言えば、新幹線がイメージされてきた。そのために、山梨側には、富士山は静岡のものという強い危機意識があった。リニアの登場によって、そのイメージが変わる。山梨側にとっては絶好のチャンス到来だ。 「情報戦」とは何か?  山梨側に残念なことは、リニア車窓から富士山を眺望することはできそうにないことだ。騒音対策のために地上走行区間をコンクリート製防音フードですっぱりと覆うからだ。車窓から富士山を見ることはできないが、それに代わる映像が流されるだろう。ただし、リニア利用による山梨側を入口とした富士山観光客は大幅に増えるだろう。  ところで、正確な情報の価値、事実を重んじる真山氏がなぜ、3つもの「誤解」をしてしまったのか?  「富士山の世界遺産登録」から「東海道新幹線の車窓から無数の製紙工場が建ち並んでいて興ざめする」と結論づけられれば、なるほどと誰もが思うだろう。「真山組」に、間違った情報を吹き込んだ者がいるはずだ。そして間違った情報は次々と拡散していく。それを食い止めなければ、”富士山の世界遺産登録に静岡側の製紙工場が禍(わざわい)していた”が事実としてまかり通ってしまう。  リニア南アルプストンネルをめぐる問題について、静岡県とJR東海はようやく、議論の緒についたばかりだ。議論を聞いていて、間違った情報と客観的な事実を混在させることで、正確な真相を見抜くことを難しくさせる危険な場面に出会う。  リニア南アルプストンネル問題でも「情報戦」が仕掛けられていると見たほうがいい。「情報戦」とは単純な勘違いや偽装(思い込み)と正確な事実を混ざ合わせ、自分たちにとって都合のよい結論を導き出すことだ。  「富士山」情報戦では過去の経験を踏まえ、正確な事実を伝えることができた。「リニア南アルプス」情報戦はさらに複雑怪奇なものになるだろう。「情報戦」が始まっていることを肝に銘じなければならない。

取材ノート

「タトゥー」と「ワイン」と静岡市

日本文化の特異性を問うゴーン事件  「日産に来てから、平時は一度もありませんでした。危機を乗り切り、胸をなで下ろそうとするたびに、まるで隕石のように新たな危機が発生する。その繰り返しです。計画通りにいくことなど、ありません。人生と同じですね。だからこそリーダーが必要なのです。」(2013年11月出版「カルロス・ゴーン リーダーシップ論」日経BP社)  2兆5千億円以上の連結有利子負債を削減させ、奇跡的に業績をV字回復させ、英雄ともてはやされた外国人が一夜にして、メディア報道では強欲な犯罪人に落とされてしまった。ゴーン氏の犯罪への関与とともに、海外から日本という国への関心が高まっている。ゴーン氏が「いまそこにある危機」を乗り越えるために全力で戦う過程を通して、司法手続きを含めてすべてが違う欧米と日本文化の違いを認識させられるはずである。  特異な日本文化の真価が問われる事件なのだろう。 「タトゥー」禁止で判断分かれる  週2度ほど近くにある「ラペック」(静岡市北部勤労者福祉センター)のフィットネスジムを利用、そこには大きな浴槽、小さなサウナ室、個別のシャワー室を備えている。「タトゥー(入れ墨、刺青)の利用者を容認しているのか?」という利用者からの問いに、施設は「明らかに暴力団構成員と認められる場合を除き、禁止措置を講じていない」と回答していた。  ところが、静岡市内にある民間施設は、すべて「タトゥー禁止」だ。  静岡市総務課に問い合わせたところ、市の統一見解はなく、担当課の判断に任せている、と回答。担当する商業労政課は「公平公正の観点から利用を断ることはできない」と答えた。  民間施設の「タトゥー」禁止判断は間違っているのか? 入れ墨とタトゥーの違い  日本では1890年から戦後の1948年まで「入れ墨」は警察処分令(軽犯罪法の前身)で処罰されていた。入れ墨を背にして威嚇、周囲に恐怖を与えていたことが理由だった。  静岡市公衆浴場法施行条例ではタトゥーへの規定はないが、民間施設が「タトゥー禁止」なのは、やはり周囲に与える威嚇、恐怖感などだろう。入れ墨に対する恐怖は日本人に植え付けられてきたものだ。  静岡県は観光庁からの通知を基に、増加するインバウンド(訪日観光客)への配慮から、手のひらサイズならば威圧感はなく問題はない、また、大きなものならばシールで隠すなどして対応してもらえるよう施設にお願いしている。  欧米での流行を受けて、日本でも若い人たちの間でタトゥーに抵抗感を持つ人は少なくなっているのかもしれない。  ことし5月アメリカ・シアトルの家族を訪問した。その家族の26歳長女が腕から肩に掛けて、映画のシーンを再現した見事なタトゥーをしていた。後で両親に聞くと、若いときはファッションとして良くても年取って深刻な問題になることを心配していた。大人の人格が備わってからの判断であり、両親にひと言の相談もなかったそうだ。  日本の場合、入れ墨をすれば親不孝だと考えた。 日本固有のお風呂の”裸文化”  日本と西洋の違いではっきりとしているのは、温泉や銭湯などで大勢の人たちが裸で付き合うことだ。お風呂の裸文化は日本固有のものではないか。  日本人はお風呂が大好きだ。お風呂にのんびりとつかる。大きな浴場で水着などはつけず、何も隠さないで平気で歩き回り、体を洗い、さまざまな種類の浴槽を楽しむ。そして、裸のつきあいをする。ところが、西洋人たちはお風呂につかわず、ほとんどシャワーで済ませている。みんな裸でお風呂を楽しむ習慣は西洋文化にはない。だからこそ、みんな素っ裸になってお風呂を楽しむ日本文化では、入れ墨のような怖い人がいないことを求める。  ラペックの表示にある「明らかに暴力団構成員」とは、入れ墨を施している者を指すのか?どのように見分けるのか、教えてほしい。もし、体中に入れ墨をしていたら、「あなたは暴力団構成員ですか?」と誰が聞くのか? 公共施設主催のワイン講座  ラペックでは11月30日に「ワイン基礎講座 秋の夜長を楽しむワイン」を開催する。会費は2時間3千円。街中の飲食店では飲み放題3千円コースがあるくらいだから、安くておいしくてワインがたくさん提供されるのだろう。  公共施設主催の酒(アルコール)を楽しむ会というのは初めて聞くので、担当課になぜ、このようなイベントを開催するのか聞いた。「勤労者に楽しんでもらう」という回答だった。  30年前ならばいざ知らず、いまやワインは簡単に手に入るアルコールであり、当然飲みすぎれば体に良いはずはない。3年前からは自転車の飲酒運転も禁止されている。「ワインの魅力を学ぶ」とチラシにあったが、ワインの次はウイスキー、次は日本酒、焼酎の魅力を学ぶ講座をラペックで開催するのか聞いたが、回答はなかった。ワインだけが別格のようだ。 なぜ、ワインだけが別格なのか  アルコール依存症は約4百万人とも言われ、ギャンブル依存症との相関関係が深いことがわかっている。飲酒による交通事故も後を絶たない。飲酒運転者に民間の飲食店がアルコールを提供した場合、厳しく責任を問われる。  なぜ、ワインだけは別格なのか。フランスやイタリア、アメリカのワインを飲めば、お気軽に西洋文化に触れられるつもりでいるのかもしれない。  「タトゥー」と「ワイン」。似て非なるものだが、静岡市の対応はどこか共通点がある。  「タトゥー」は「入れ墨」であり、「ワイン」は単に「酒」であるが、静岡市では違うらしい。タトゥーであれ入れ墨であれ、場合によっては大いに恐怖を感じるし、どんなワインでも飲めば酔うだろう。  日本文化の特異性は、明らかに「西洋文化(圧力)に弱い」ことだ。カタカナ英語ではなく、日本語で考えて判断した場合、答えは違うかもしれない。

静岡の未来

2019年「平野富山×平櫛田中」展開催を!

国立劇場ロビーの「鏡獅子」彩色作者は?  先日、東京国立劇場で歌舞伎を見る機会があった。客席入場口前のロビーに2メートルもある大迫力の「鏡獅子」が展示され、外国人はじめ多くの人が足を止めて見入っていた。木彫家、平櫛田中(ひらぐしでんちゅう、1872~1979)と解説版にある。当時の大俳優6代目尾上菊五郎をモデルに戦中、20年間のブランクを経て1958年完成させた。80年以上のキャリアを誇り、さまざまな作品を残した田中が「他のすべての作品が滅してもこの作品だけは残る」と言った傑作中の傑作である。  この傑作には、ほとんどの人が知らない事実がある。  それは、「鏡獅子」の彩色を手掛けたのが、彩色木彫家、平野富山(ひらのふざん、1911~89)だったことだ。その事実を思い出すとともに、15年も間、胸の奥底にわだかまっていた苦い記憶がよみがえった。富山が亡くなって、来年6月でまる30年を迎える。  富山コレクションはどうなってしまったのか? 富山美術館を約束した旧清水市長  富山は旧清水市生まれ。15歳で地元の指物師に弟子入り、17歳で上京、池野哲仙に師事して彩色木彫を習った。田中が60歳ころから107歳で亡くなるまでの40年以上の間、富山が田中作品の彩色を手掛けている。田中作品に富山はなくてはならない存在だった。  15年前、東京・荒川区で富山の跡を継いだ長男、千里(せんり)氏(70)を取材した。千里氏によると、故郷を愛した富山の遺志に従い、自身の作品70点と生涯かけて収集したコレクション450点を旧清水市に寄贈した。当時の市長は「羽衣の松の近くに美術館を建設する」と約束した、という。しかし、いつになってもその約束は守られず、千里氏は何度も清水市へ足を運んだ。市長は変わり、清水市そのものが合併してなくなり、静岡市になってしまった。作品調査もしないまま、富山コレクションは旧清水市文化会館に収蔵されたまま、日の目を見ない状態が続いていた。 マリナートに展示コーナー開設  15年ぶりに千里氏に電話した。JR清水駅東口すぐ近くにできた新しい文化会館マリナートに富山作品の展示コーナーが開設され、現在、静岡市が新たに収蔵した富山若き日の作品、稚児雛人形が展示されているのだという。早速、清水のマリナートに足を運んだ。  「平野富山常設展示コーナー」として1階通路に開設されていた。雛人形のほか、寄贈された富山の作品2点(彩色木彫「神猿」、FRP「おもがえり」)が大きな陳列ガラスケースに並べられていた。小さな稚児雛は、ガラスのケース越しで何だか遠い存在のように感じた。雛人形は手に取ってみるくらいの距離がちょうどいいのだ。そんな違和感もあって、田中の作品はどうなっているのかを調べた。 田中に2つの美術館、富山コレクションは死蔵  何と、田中美術館は2つもあった。東京都小平市平櫛田中美術館、岡山県井原市田中美術館。小平市は田中が亡くなった場所、井原市は故郷である。さらに、10歳で養子に入った広島県福山市でも名誉市民、JR福山駅前には田中が製作したブロンズの大きな「五浦(いずら)釣人」像が建立されている。井原市の美術館にはガラスケースはなく、その代わりに「手を触れないでください」という注意書きがある、という。人形は触れることができなくても、すぐそばの距離で見るのがちょうどいいのだ。  2つも美術館が建設された田中、日本画軸物などの貴重なコレクションを始め、自身の作品も死蔵されたままの富山。2人の違いはどこにあるのか? 百歳時代を先取りした田中  「60、70はなたれ小僧、男盛りは百から百から」、「いまやらねばだれがやる わしがやらねばだれがやる」など、田中の名言録が知られている。田中の書も人気だ。特に、百歳を超える長命の田中だったからこそ「60、70はなたれ小僧、男盛りは百から百から」は説得力があった。いまや、「70、80はなたれ小僧」と呼んでもいいくらい、百歳が活躍する時代となった。「男盛り(女盛り?)……」の名言は百歳時代の象徴だ。  田中、富山とも刀剣、甲冑、陶芸などと同じ日本の伝統的な職人技に優れ、職人世界の「名人」と呼ばれた。しかし、田中の場合、伝統的、写実的な作風を重んじながら、岡倉天心に師事、横山大観らと同様に革新的な芸術精神を学んでいる。そこに違いがあるのだろうか。 富山没後30周年企画展を  そうか。たった2つの陳列ガラスケースコーナーで、お茶を濁してしまったのが間違っている。富山作品の全貌を見ていないから正確なことは言えないのだ。もっとたくさんの富山作品を見なければならない。ちょうど、来年は没後30年だ。富山の全貌を見せる没後30年記念展を静岡市美術館は企画すべきだ。どうせなら、東京国立博物館から「鏡獅子」を借りてきたほうがいい。小平市、井原市にある「鏡獅子」も並べ、富山独自の「鏡獅子」と競演させれば大迫力だ。「富山×田中」展に大きな期待が高まることは間違いない。  千里氏に話すと、大乗り気で、もし実現するならば「全面的に協力したい」と話してくれた。静岡市は「世界に存在感を示す」など大きな構想を口にしているのだから、「富山×田中」展くらいやらなければ、静岡市美術館の存在感はない。「いまやらねば だれがやる」。  「百歳時代」のいまこそ、絶好の企画だ。

ニュースの真相

リニア騒動の真相4 川勝知事の「飲水思源」

中国・成都郊外の「飲水思源」碑  「飲水思源」。約2千年前、長江の支流に築かれた都江堰は中国最古、当時最大の灌漑施設だった。その立地、構造に優れた都江堰があったからこそ、成都平原はうるおい、四川省の都・成都が長い間、栄えたのである。「水を飲む者は、その源を思え」。都に住む者たちにとって忘れてはならない大切なことばだった。水は生命の源であり、その水を生み出す遠い、遠い源流の地に思いを馳せよ。成都郊外の都江堰にいまも「飲水思源」碑が建っている。 会議は「ガス抜き」と考えるJR東海  21日に静岡県庁で「静岡県中央新幹線環境保全連絡会議」の議論を聞いていて、川勝平太知事が唱える「飲水思源」の思想はJR東海出席者の耳には届いていないことだけがわかった。多分、この議論を何度繰り返しても、知事の思想をJR東海に理解させることは非常に難しいだろう。  「昨年9月に合意協定寸前まで行ったのに、いまになってなぜ、知事がごねているのか、その理由がわからない」と会議後にJR東海社員の一人が正直に話した。会議は「ガス抜き」と考えているのだ。それは、澤田尚夫JR東海環境保全統括担当部長が会議後、記者の囲み取材で述べたことばではっきりとしている。  「きょう発表した資料に新しいものはひとつもない」。そう言い切ったのである。  これは真っ赤な嘘である。JR東海が当日配布した資料「水収支解析で使用した地質調査」で、鉛直ボーリングを実施したのは計画路線上の3カ所しか記されていない。このため、専門委員が「二軒小屋付近でも鉛直ボーリングを行うべきではないか」とただした。これに対して、待っていましたとばかり、澤田部長は新たなスライドを見せて、二軒小屋付近でも3カ所の鉛直ボーリングを過去に実施した、と説明した。  「澤田部長が使ったスライドは新しい資料ではないか」とわたしが聞くと、「専門委員から鉛直ボーリングをやれ、と言われたから、既にやっていると答えただけだ」と答えた。しかし、そのスライドが「新しい資料」であることをあっさりと認めた。  なぜ、そのスライドが配布資料に含まれていないのか、本当に鉛直ボーリングを行い、どのような結果が出たのかなど肝心な答えはなかった。何か尋ねれば、新しいものが次々と出てくる可能性だけは否定できなくなった。しかし、JR東海はそのような質問自体が瑣末なことで本質的な議論とは別である、と考えている。だから、「きょうの資料に新しいものはない」とまで言い切っているのだ。 「入口」が全く違う静岡県とJR東海  静岡県の河川法の許可権限を背景にした、知事の強硬な発言にこたえ、10月末になって、ようやくJR東海は「原則的に全量を戻す」と表明した。これで問題はすべて解決したと見ている。「大井川の中下流の水資源利用に影響はない」とJR東海は主張し、川勝知事の「静岡県民62万人の生命の問題」という発言に首をかしげている。知事の「飲水思源」という思想がそもそも理解できないのだ。  JR東海は南アルプスリニアトンネルの影響が及ぶ範囲を椹島周辺と考え、知事は大井川の水を利用する中下流域まで影響すると見ている。双方の議論の入口が全く違うのだから、いつまでも平行線で議論は交わらないだろう。  そもそもリニア中央新幹線南アルプスルートを採用したときに、南アルプス地域の影響は議論の対象となったが、静岡県中下流域への影響などだれも頭に浮かべなかった。関係者すべてが、静岡県など取るに足りない存在と見たのだ。  そして、いまJR東海を何とか、その議論の入り口まで引っ張り出した。 リニアは静岡県の経済的な停滞状況をつくる  2005年国交省交通政策審議会新幹線小委員会で南アルプスルート、伊那谷ルートを比較した資料を見ると、東京ー大阪間がリニアで結ばれた場合とリニアが存在しない場合の利用客数を予測していた。  リニアがない場合、東海道新幹線東京ー大阪間の利用客は936万人(70%)、その他30%は航空や車を使うことになる。リニアが開通した場合、1151万人がリニア(70%)、東海道新幹線は226万人(14%)、残りはその他になる。リニアによって、6百億円以上の地域経済に効果があり、山梨、長野の世帯当たり所得が大幅に伸びると説明している。  それでは静岡県はどうなるのか?  JR東海にリニア開通後、東海道新幹線利用客が大幅に減ってしまう静岡県のメリットは何かあるのか、教えてくれるよう何度もたずねた。回答はJR静岡駅構内のリニア説明パネルにある「ひかり、こだま号が増え、便利になる」というものだけだった。他にはいまのところ回答できるものはないらしい。つまり、静岡県の産業、経済は山梨、長野などに比べて、深刻な”停滞”状況に入ると言うことだ。 リニアによって大打撃の静岡県  2010年10月、新幹線小委員会は、南アルプスルートが伊那谷ルートに比べて費用、経済効果とも大幅に上回ると上申した。環境的な理由を含めて、多くの経済的なメリットを挙げた。年間約9百億円もJR東海の利益は上回ると見積もった。当然、その利益の一部を、リニアによって極端に利用客減少が見込まれる東海道新幹線振興策へ回すという議論などなかった。  当時の資料に、伊那谷ルートに53の代表的な湧水があるが、南アルプスルートはゼロであり、湧水をひとつも破壊することのない南アルプスルートが環境的優位性に勝るとしていた。南アルプスエリアのみを近視眼的に見ただけで、中下流域の影響など考慮する資料はひとつもなかった。当時の小委員会メンバーに河川工学や地質工学の専門家は含まれていなかった。  21日の会議で、静岡県中央新幹線対策本部長の難波喬司副知事が「協議方針」の資料を配布した。そこに「リスク(危険度)」と「ハザード(危険の源)」の説明があった。リニア南アルプストンネルが「ハザード」であり、静岡県民の生命が「リスク」である。知事の「飲水思源」の思想であり、JR東海には無縁のことなのだろう。知事、副知事は、リニアトンネル建設だけでなく、リニア開通後の「リスク」も議論されるべきだ、と見ているのではないか。副知事の協議方針に「リスクコミュニケーション」とあった。お互いの「リスク」を理解した上で、互いに歩み寄れば、成果が生まれる。だから、コミュニケーションを求めている。JR東海はリニア開通によって、さまざまな便益を得る予測をしているが、静岡県は水環境を含めてさまざまな損失をこうむる。そのアンバランスをたださなければならないのだ。 人口減少に歯止めがかからなくなる  知事も副知事も「河川法の許可権限」を取引材料にしないと重ねて明言した。これはその通りである。しかし、リニア開通後に最も大きな痛手をこうむるのは、島田、掛川、焼津、藤枝などの地域である。静岡市だけでなく、この地域の人口減少に歯止めが掛からなくなるだろう。そのとき、政治が何をできるのか。そこに知事、副知事の戦略がほの見えてくる。  リニアトンネル建設とともにJR東海にとって東海道新幹線の振興策は大命題だ。JR東海は、静岡県とともに、この問題に汗をかくと表明すればいいのだ。静岡駅構内の説明パネルの「ひかり、こだま号が増え、便利になる」。そんな木で鼻を括ったような回答では、この問題はいつまでも解決しないだろう。 「水の源流を妨げる者たちは、水を生命とする者たちに思いを馳せよ!」

お金の学校

「金のなる木」はどこにある?

「金のなる木」のご利益は  「『金のなる木』」はどこにあるのか?」そう電話が掛かってきた。2010年に出版した雑誌「静岡人 久能山東照宮」を最近、読んだ男性から静岡旅行記者協会事務所へ問い合わせがあった。雑誌では、家康の大きなお墓のすぐ近くにある「大杉」を「金のなる木」として紹介した。ああ、そうか3年前の10月に伐採されたため、雑誌の大杉を探したが、見つけられなかったようだ。現在は、斜め後ろの大楠を「金のなる木」2代目としているが、初代の大杉に比べて地味な存在でわからなかったのかもしれない。  さて、家康の「金のなる木」にご利益があるのだろうか? 時価1兆円の遺産を残した家康  家康は「お金の神様」だった。「金・銀・銅の日本史」(岩波新書)の著者村上隆氏は、家康の遺産を94万両(金換算で2百万両)とし、「まさに人類史上、まれに見る資産家だった」と驚嘆した。40年前、歴史家樋口清之氏は2百万両を時価5千億円と推定。いまならば時価1兆円になっているだろう。そんな莫大なお金をどのように貯め、家康は何に使ったのか?  家康の「歯朶具足」(重要文化財)のレプリカについて取り上げ、このレプリカが”目玉”では観光客の誘致は期待できないと指摘した。さらに「『甲冑の値段』から考える幸せ」(「お金の学校」)で本物とレプリカの価値について取り上げた。本当はレプリカでも構わない。レプリカでも価値の高いものは多い。しかし、歯朶具足は大黒頭巾形の兜に、黒漆塗の地、黒糸威の胴丸、全身が真っ黒で、あまりに地味なイメージで、家康の質素、倹約、吝嗇の象徴とも言える。前立の金の大きな弦月がトレードマークの伊達政宗、大河ドラマで一躍有名となった「愛」の字を模した直江兼続ら戦場に向かう武将たちの派手で個性的な甲冑に比べ、歯朶具足は実用一点張りで、あまりに地味だ。  さらに、悪いことに、歯朶具足を「腹黒具足」と呼んだのは、アンチ家康、太閤秀吉贔屓や淀君、秀頼母子を守る真田幸村、猿飛佐助、霧隠才蔵ファンである。大坂の陣で、豊臣一族を滅ぼしたことを「家康の人生最大の失敗」と評価する歴史学者が多く、大坂の陣に着用したとされる歯朶具足は家康の「腹黒」の象徴であり、「狸おやじ」などと家康が呼ばれる、大きな理由になっているようだ。そんなレプリカが本当に”目玉”になるのか。 「億男」と「1億円のさようなら」  幕末の尊王討幕家、尾高藍香は「家康は金1両とする定位貨幣をつくり、貨幣制度を確立したことが最大の功績だ」と高く評価した。幕府が通貨の一元的な発行権を握り、財政の安定を図るために家康には莫大な金銀が必要だった。家康の遺産によって260年の平和は続いたが、幕末の動乱で開国したあと、金が大量に国外に流出したことで貨幣制度そのものが崩壊、狂乱物価を招く原因となり、大パニックに陥り、江戸幕府は破滅した。  最近、お金と幸せを考える2つの小説が発刊された。「億男」(川村元気)は映画化に伴って、文庫化された。もう1冊は「1億円のさようなら」(白石一文)。3億円の宝くじで当たった男、もう一方は妻に34億円の遺産があることを長年知らされなかった男がそれぞれ主人公で、多額のお金で人生の幸せが得られるのか、回答を探し求めていくストーリー。お金に悩んでいる万人に推薦できる2冊だ。  「1億円以上の宝くじの当せん者は年間5百人、この10年間で5千人以上だから、特別なことではない」(「億男」)。宝くじの当せん確率1千万分の1の世界は、特別な世界だから、宝くじを買い続けている、ほとんどの人が一生の間に当せんする確率はない。34億円の遺産を妻がもらう確率はさらに低い。遺産1兆円の世界となれば、全くありえない話だ。しかし、面白いことに、家康は駿府城で75歳で亡くなり、遺産1兆円を残してしまった。これは紛れもない事実だ。 ビスカイノの真の目的は金銀発見  家康の時代、日本ではゴールドラッシュが続いていた。伊豆金山、安倍金山が発見され、佐渡金山、岩見銀山、黒川金山など各地で金銀の産出量が急激に伸びていた。金山奉行大久保長安が豪勢な屋敷を駿府に構え、日本中すべての金銀山を支配下に置き、駿府城金庫へ金銀を運んだのだ。  ちょうど、その頃駿府にやって来たのはスペイン初の大使セバスチャン・ビスカイノ。ビスカイノは駿府城で家康に面会、偉大な国王フェリペ2世の愛用した西洋時計を海難救助のお礼として家康に贈った。この時計が久能山東照宮に現存しているが、表向きの答礼使ではなく、秘密の勅命をビスカイノは帯びていた。  その密命が日本の島にある莫大な金銀発見だった。スペイン宮廷は日本近海の北緯29度に金富島、35度に銀富島が実在するという極秘情報と探検命令をビスカイノに与えた。西洋世界は日本こそジパング(黄金の島)であると固く信じていた。そのように信じられるくらい金銀が豊富だったのだ。 駿府城跡発掘で金銀発見の夢  伏見城から運んだ金銀で駿府城の床が落ちたという記録が残っている。1608年駿府城焼失後に焼け焦がれた金銀を一度、久能城に運んだ記録や亡くなった後の「久能御蔵金銀受取帳」には家康の遺産2百万両が記される。駿府城は金銀の宝庫だったから、現在行われている駿府城の天守台跡発掘で金銀が発見される可能性をまったくゼロとは言いきれない。  なぜ、そんな観点から歴史博物館を考えられないのだろうか?  みんな自分自身が大金持ちになる夢を見る。家康はそんな夢をみんなに見せてくれる存在だ。多額のお金があれば幸せになれるかどうかは小説の世界に回答を求め、お金の夢を見ることの幸せは現実の世界であり、とても楽しい時間となる。そんな夢を見せてくれる歴史博物館は素晴らしいのではないか。  「金のなる木」のご利益は、みなに夢を見せることだ。家康の縁起のいい初夢「一富士、二鷹、三茄子」にならって、駿府城跡地から金銀が発掘される夢を見て、それが博物館の”目玉”になる可能性を期待してはいかがか。

お金の学校

「甲冑の値段」から考える幸せとは?

「歯朶具足」のお値段は?  今回のタイトル画像は、2011年9月13日に放映されたテレビ東京の人気番組「開運!なんでも鑑定団 諸国鑑定巡りIN久能山東照宮」で、家康所用の「歯朶具足」(重要文化財)を澤田平さんが鑑定した後、値段が発表される最後のドキドキする場面である。  果たして、澤田さんはいくらと値段をつけたのだろうか?  このサイトの最新ニュース「川勝VS田辺 ”歴史博物館”建設は棚上げを!」で静岡市が発注した甲冑レプリカの値段7千万円が高いのではないか、と指摘した。  担当者は「時代考証をした本物に近いものだ」と胸を張っていた。 歴代将軍18領の「歯朶具足」写形  「甲冑の値段」と言っても、ガソリンやビールなどの日常とはかけ離れた世界だから全くわからないものの一つだろう。レプリカでも7千万円と言えば、「ああ、そうか」と納得してしまうかもしれない。静岡市は臨済寺所蔵の今川義元彩色木像のレプリカを合わせて3点で約1億円を支払うのである。約1億円のレプリカを鑑賞するために歴史博物館を訪れる観光客はどのくらいの人数になるのか?それが評価の基準だ。  1869年駿府城主だった徳川家達(徳川宗家16代)は静岡潘知事となり、その13年後に江戸城紅葉山武器庫から徳川家に安置されていた甲冑類を久能山東照宮に寄進している。現在、63領もの甲冑が久能山東照宮博物館に所蔵されている。その中でも「歯朶具足」は徳川将軍家の守護神と呼ばれ、歴代将軍は御写形具足を製作、久能山には18領の「御写形具足」が伝わっている。残念ながら、この18領のほとんどがぼろぼろで修理をしなけければ、展示できない状態だ。久能山の甲冑はすべて江戸時代の幕府御用達甲冑師岩井与左衛門が製作した逸品である。久能山東照宮では2012年から「将軍の甲冑」調査プロジェクトがスタートした。  当時、静岡市博物館構想を聞いて、御写形具足の調査、修理、保存、展示での支援を求め、落合偉洲宮司が提案書を静岡市に持参した。修理した甲冑は静岡市に「無償貸与」し、歴史博物館に展示すれば”目玉”になるのではないか、と提案した。しかし、静岡市の回答は「ノー」だった。それだけに、歴史博物館の”目玉”は何になるのか、高い関心を呼んでいた。 七代家継の写形具足を修理  2014年10月に開催された「国宝・久能山東照宮展」では、歴代将軍のうち、6歳9カ月で亡くなった七代家継の遺品は唯一、ぼろぼろの御写形具足しかなく、実行委員会の民放テレビ局から受け取る作品貸出料を修理費用にあてることを考えていた。  この甲冑修理を請け負ってくれたのは、東京在住の甲冑師三浦公法、弟子のアメリカ人アンドリュー・マカンベリの両氏。2012年5月、両氏が久能山を訪れ、二代秀忠(箱書き)、七代家継、九代家重の甲冑を調査した。そのあと、三浦氏から届いた修理見積書では、1領「4百万円」だった。1年間に1領ずつ行い、3領を修理してもらえれば1200万円。しかし、久能山は50年に一度の社殿大修理で多額の借り入れを行っており、結局、展覧会の貸出料をあて、修理できるのは1領のみだった。2015年4月、七代家継の御写形具足は修理を終えて、久能山に運ばれた。数多くのメディアの前で、三浦氏の自信作を披露した。なぜ、久能山は、三浦氏に徳川家の重宝である御写形具足を依頼したのか? ロンドン塔の家康甲冑を修理  1613年初代英国大使サーリスは駿府城の家康を訪ね、初の日英通商条約を結び、家康はその友好を示すため英国王ジェームス1世に2領の甲冑を贈っている。3百年以上を経て、ロンドン塔に保管されていた2領の甲冑のうち、1領はぼろぼろの状態だった。1975年、英国王立武器博物館は甲冑修理を三浦氏に依頼した。さまざまな資料を丹念に調べた上で、1年半を掛けて三浦氏は見事に修理を成し遂げた。  現在もロンドン塔に展示され、数多くの観光客の目を楽しませている。案内板には家康からジェームズ1世に贈られ、日英の交流を示す重要な証拠だと説明されている。この甲冑も家康お抱えの甲冑師岩井与左衛門の作であり、リーズ市にある英国王立博物館に家康寄贈の別の甲冑も常設展示、現存している。三浦氏は「青森県櫛引八幡宮の国宝、赤糸威・白糸威の大鎧をはじめ名品甲冑レプリカ30領以上を製作しているが、江戸名人の息遣いを伝える将軍甲冑の修理はさらに重要で大きな仕事である」と話してくれたのだ。現代の名人である三浦氏の製作した30領のレプリカはすべて値段がついて、売却されている。 「本物」と「レプリカ」の違いは?   「レプリカ」7千万円に比べると、「修理」4百万円は桁が違うのであるが、その価値は値段通りの違いではない。  テレビ鑑定団で、澤田さんは「歯朶具足」の値段をつけるのに、しばらく思案した末、「鑑定不能」としてしまった。その理由を「1億円でも2億円でも買うことのできない貴重なお宝」と説明した。3百年以上を経て、「歯朶具足」は昭和の時代に、三浦氏の師匠森田朝二郎氏が修理を行っている。いくら修理されていたとしても「本物」の価値は全く変わらない。お金には換えられないのだ。  三浦氏が「4百万円」で修理してくれた七代家継の御写形具足が一体いくらなのか、澤田氏に聞いてみたい。市民、観光客はレプリカを見たいのか、本物を見たいのか、静岡市は調査すべきだ。  さて、あなたは博物館に入館して、レプリカと本物を見て、どちらに幸せを感じますか?質問は簡単明瞭だ。

ニュースの真相

川勝VS田辺1 ”歴史博物館”建設は棚上げを!

駿府城跡地が博物館機能を有する  川勝平太静岡県知事は6日の記者会見で、2021年秋以降にオープン予定の静岡市歴史文化施設建設を「いったん棚上げすべき」という意見を述べた。「駿府城跡地自体が博物館機能を有し、旧青葉小学校跡地に博物館を建設すれば二重投資になる」という理由書を静岡市に送っている。それに対して、7日、田辺信宏市長は来年4月の市長選出馬表明とともに、「歴史文化施設建設の見直しはしない」と明言した。  今回の川勝知事と田辺市長との論争では、軍配は知事に上げるべきだ。 「世界の笑い物」になる可能性  知事の「駿府城自体が歴史博物館である」という認識は正鵠を射ている。本サイトでも「大御所石垣公開プロジェクトを目指せ」(https://shizuokakeizaishimbun.com/2018/11/11/oogosho/)という記事をUPしている。それだけではない。この博物館計画を調べていくと、あまりにずさんな内容が明らかとなった。「世界に輝く静岡」5大構想の1つとしているが、このままでは50億円から60億円という多額の事業費が無駄になることは想像に難くない。「世界に存在感を示す」を掲げているが、「世界の笑い物」になる可能性さえある。  将来に禍根を残してはいけない。田辺市長には「説明責任」が生じている。いったん、この大型プロジェクトを中止すべきだ。 展示目玉は本物ではなく「レプリカ」  何よりも、歴史博物館をなぜ、つくるのか、その理由を説明しなければならない。コンセプトが最も重要である。静岡市と静岡県が共同で取り組んだ「日本平夢テラス」は「日本一の富士山眺望」を訪れる観光客に楽しんでもらうコンセプトがあった。本サイトでは「日本平夢テラス ”稼ぐ”ことを意識せよ」という記事をUPした。(https://shizuokakeizaishimbun.com/2018/10/31/n/)  翻って歴史博物館の展示内容を見ればコンセプトが明らかになる。静岡市の説明によると、目玉展示は久能山東照宮所蔵の家康所用「歯朶具足」(国重要文化財、右の写真)、静岡浅間神社所蔵の伝家康着用「紅糸威腹巻」のレプリカだという。この2つのレプリカ制作費用が7千万円という金額にも驚いたが、目玉展示がレプリカで、そのために50億円以上の施設事業費を掛けるのは異常である。これで観光客を博物館に呼び込めるはずもない。 本物展示でも来館者は少ない  久能山東照宮博物館は家康所用の3つの甲冑(歯朶具足、金陀美具足、白檀具足)など国宝、重要文化財78種185点、歴代将軍の63領もの甲冑など2千点もの将軍コレクションを所蔵している。しかし、観光客の多くは14棟の国宝社殿や重要文化財の楼門、神楽殿、家康神廟(墓)などを参拝していくが、博物館への来館者は非常に少ない。もっと悲惨なのは、「紅糸威腹巻」を展示する静岡市文化財資料館(静岡浅間神社内)にふだん、ほとんど来館者の姿がないことだ。たとえ本物を展示していても、博物館を訪れる観光客は少ないということをまず、認識すべきだ。  そのために、久能山東照宮ではスペイン国王から家康に贈られた西洋時計(重要文化財)のレプリカを制作、本物の隣に並べて来館者を増やす努力をしている。大英博物館キュレーターから絶賛された西洋時計は摩耗を防ぐため保存展示して、その代わりに、内部の状態を見せる精巧なレプリカを動態展示している。ロンドンの古時計保存管理士による制作費用は約1千万円。日本を代表する複数の甲冑師に聞いたが、7千万円という甲冑レプリカ費用に首をかしげ、その値段に見合う来館者はないと断言した。 「徳川家康ミュージアム」の失敗  静岡市によると、歴史博物館ではビジュアルに家康の生涯を見ることができることも「売り」だと説明した。  2006年11月にオープンした「徳川家康ミュージアム」(静岡市駿河区古宿)をご存じだろうか?歯朶具足(レプリカ)着用の関ヶ原合戦に向かう馬上の家康をはじめ、家康の生涯をビジュアルに紹介、さまざまに展示の工夫が施された。目玉の一つとして家康の眼鏡、日本最古の鉛筆、コンパスなど精巧なレプリカを展示。さらに、施設隣に久能山東照宮の分社まで設置した。ところが、訪れる観光客はほとんどなく、現在、閉鎖状態である。  歴史博物館は、徳川家康と今川義元をメーンテーマに「観光施設」として多くの観光客が足を運ぶような博物館を目指しているというが、現状や過去の事例などを見れば、オープン前から将来の悲惨な姿が予測できる。  ここは、川勝知事の「いったんガラガラポンにすべき」という意見に従うべきだ。「日本一の天守台跡発見」などによって、駿府城跡地の利活用は今後議論されていくのだから、いったん中止にする理由は十分ではないか。施設設計費などの違約金を支払うのも仕方ないだろう。  わたしは地下に「大御所石垣公開施設」をつくり、地上には来館者が数多く訪れる博物館のアイデアを次回の「ニュースの真相 川勝VS田辺2」で提案したい。