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お金の学校

お金と仕事と健康とー作家橋本治さん

棺の仏様を見ると「羨ましい」  『他人の葬式に行って、棺の中に横たわっている仏様を見ていつも思う。「ああ、もう頑張らなくていいんだなァ」と。「死ぬとゆっくりと出来る」と私は思っているから、安らかに眠っている仏様を見ると「羨ましいな」と思う。』(橋本治著「いつまでも若いと思うなよ」新潮新書、2015年10月)  橋本治さんは1月29日71歳になる2カ月前、「羨ましい」と思っていた仏様になり、天国に旅立った。2017年の日本人平均寿命は男性約81・1歳、女性約87・3歳。平均から比べれば、71歳は死ぬには早すぎる。新聞等には「肺炎」のために亡くなったとある。  橋本さんはアルコールを口にしない。大量の喫煙、長時間の机仕事、運動不足だったが、長い間、病院と無縁の生活を送っていた。62歳のとき、脚が赤い斑点だらけになり、ふくら脛の付け根が締め付けられるように痛くなり、大学病院を受診。そこから、いままでのツケを支払わされる。  さまざまな検査が行われ、肺がスカスカの状態で慢性閉塞性肺疾患を疑われたが、肺がんの兆候はなかった。心臓の動悸が異様に速く、動脈硬化が進んでいた。痛みの原因となった赤い斑点症状は、毛細血管が炎症を起こしてただれる「顕微鏡的多発血管炎」という難病だとわかる。自己免疫異常が背景にあるが、原因不明。  入院中に微熱が続いたことで「カリニ肺炎」(本人の申告だが、以前はカリニ肺炎と呼ばれていたニューシモチス肺炎のことで免疫低下時に起こる日和見感染症でエイズの末期症状。実際は他の肺炎ではないか?)と診断され、肺炎は約3週間で収まった。当初から心臓の状態が悪いことがわかっていて、検査で冠動脈2本が詰まっている心筋梗塞と判明。心臓カテーテル手術を受け、血管炎、肺炎、心臓病で約4カ月間の入院生活を送ることになった。体重は約20キロ減り、別人のように痩せてしまう。長年の不摂生で体はボロボロの状態だとはっきりした。  退院したあと、「大腿骨の先が折れてギザギザになったのが、虫歯みたいになった股関節にグサッと突き刺さるみたいな痛み」(橋本さん)で脊柱管狭窄症と診断され、歩行困難となり、杖なしで歩けない状態にもなる。当然、病院通いが続き、医者から処方された薬を毎日20錠以上服用。脊柱管狭窄症の激しい痛みは収まったが、しびれは続き、脚の筋肉と末梢神経に受けたダメージに苦しみ、慢性貧血状態が続いていた。  ところが、足がしびれて歩行困難で貧血状態であろうとも仕事はどんどん引き受けていた。否、仕事をせざるを得なかったのだ。 借金5億円のための作家生活  『平成30年の間に、俺は5億円以上の金を銀行に払ったぞ。70までローン返すのに躍起になっていた人間だ』(「九十八歳になった私」講談社、2018年1月)  68歳のときに書いた、30年後も作家を続けている自分をモデルにした小説。70歳まで30年間、借金を支払っていたのは事実のようだ。だから、どんなに体がボロボロでも、机仕事に向かわなければならなかった。  「本を書く、原稿を書くのは今時儲かる職業ではない。そういうところに属していながら、私は結構な借金を背負っています。その返済をしながら、生活を成り立たせるのは楽じゃありません」(「乱世を生きる市場原理は嘘かもしれない」2005年11月、集英社新書)。  本書のまえがきには「この本のテーマがなんなのかは、今のところよく分からない。この三部作(『「わからない」という方法』『上司は思いつきでものを言う』)のテーマも分からない」。これでは読者も著者が何を言おうとしているのかはっきりと分からなくなってしまう。当時の橋本さんの仕事を見れば、さまざまな出版社から発行された大量の著作物が並んでいる。  なぜ、そんな借金生活を送らなければならなかったのか?  1億8千万円の買い物をする  『新潮社の駆け出し編集者として初めてお目にかかって以来、事務所のテーブルをはさんで話をうかがうことが、原稿をいただくに等しい喜びだった』(朝日新聞2月1日朝刊、「橋本治さんを悼む」松家仁之氏)  そのころ、橋本さんは新宿の都庁近くにあったマンションの一部屋を賃貸していた。松家氏はそこで橋本さんの原稿をもらい、おしゃべりを楽しんだようだ。その事務所が借金の原因になるとは思いもしなかっただろうが。  バブル経済に浮かれていた時代、家主から事務所の部屋(30坪)を坪単価6百万円、計1億8千万円で「買わないか」と持ち掛けられた。銀行に相談すると、1億6千万円分を70歳までの30年間、毎月約百万円ずつ、残りの2千万円を毎月50万円4年間で返済するプランを提示され、その計画を受け入れたのだという。1988年40歳のとき、借金生活がスタートした。  いま考えるとあまりに無謀な話だが、橋本さんによると、その前に1億円以上の額を稼いでいたから、そのくらいの返済ならば大丈夫だと考えたのだろう。多額の借金と連動した団体信用生命保険に強制加入させられ、こちらは毎月20万円の支払いがあった、という。  銀行の返済プラン百万円に生命保険20万円が含まれていたのかどうかわからないが、毎月百万円を30年間払い続けると、3億6千万円。62歳で”病気のデパート状態”となった頃には、百万円から『半額近い60万円超の支払い』と書いているから、小説「九十八歳になった私」の『5億円以上支払った』はちょっと大げさなのかもしれない。  ただ、マンションを購入すれば、区分所有者として管理組合に加入、管理費、修繕積立金を毎月支払わなければならない。それがいくらだったのか分からないが、そのようなマンション支出を含めれば、30年間で5億円も満更大げさではないかもしれない。  いくら仕事をしても、稼ぎは借金でなくなってしまう。こんな自転車操業の状態が続けば、健康に悪影響が及ぶのは間違いない。 原因不明の上顎洞がん  亡くなる7カ月前、昨年6月26日ころ、上顎洞がんステージⅣと診断される。鼻の横のへっ込んだ部分の上顎洞にできる原因不明の癌。慢性腎不全で抗がん剤は使えず、外科手術を受けている。『左の髪の生え際から横に一直線、眼の下を切って、そこから鼻に沿って切り下げます。その直角部分をベロンと開いて中の肉を取り出します』。約16時間もの手術だった。  『「闘病」とは、医者が病に対してするもので、患者はおとなしく言うことを聞いていればいいのです。「気を失う」は究極の言いなりで、だから私はその通りになっていましたが、面倒なのはその後です。十六時間かけて切り刻まれたものを前のように復旧させるのが私の仕事』(いずれも「遠い地平、低い視点」筑摩書房ウェブページから)。「前のように復旧させる」のは簡単な仕事ではなかった。12月26日退院したが、再び入院、1月29日に「肺炎」で亡くなった。喪主は母親だった。  『七十歳と言えば「古稀」の年で、「人生七十、古来稀れ」なんだから、人間の寿命が七十であってもいいんじゃないかという気がする』(「いつまでも若いと思うなよ」)。40歳から多額の借金に追われ、自己破産を選択せず、昨年30年間を無事に迎えたから、すべて返し終えたはずだ。そのことをちゃんと書いてほしかった。  『「この人生は仕事だけということにして、死んで生まれ変わったら遊んでいるということにしよう」と思った』(「いつまでも若いと思うなよ」)。多分、仕事がいちばん好きだったのだろう。

ニュースの真相

リニア騒動の真相7 「不確実性」のバトル

JR東海「”不確実性”解消できない」  リニア南アルプストンネルにかかわる静岡県とJR東海との連絡会議が1月30日に県庁で開かれた。JR東海の澤田尚夫・環境保全統括部長は「前回の会議(25日)でアセス(環境影響評価)のやり直し、あるいはアセスの追加措置を求められた。南アルプスは厳しい地形にある難所で、どんなアセスをやっても”不確実性”を解消できない。いまの段階でアセスの追加措置などを求められるのは心外であり、アセス法の趣旨にそぐわないのでは」と述べたあと、「これではいつまでたっても工事着手ができない。湧水の全量を戻すことで中下流域の利水者の不安は取り除かれたのでは」と強調した。  これに対して、会議を主宰する難波喬司副知事は「会議でアセスの不備について委員の意見は出たことは事実だが、アセスのやり直しや追加を求めた発言はしていない」と、逆に澤田部長の表明が誤解に基づいていることを厳しく追及した。  JR東海は「2027年までの工期に間に合わせる」ために、一日でも早い着工を望んでいる。そのために、現地で試掘してデータを取りながら、再度計算し直して、”不確実性”を取り除いていくのが最善と考えている。  これに対して、静岡県はJR東海と協定を結び、着工を容認してしまえば、あとはJR東海にすべて一任する危険性を承知している。このため、大井川水系の水資源確保、南アルプスの自然環境保全の2つの専門部会による”不確実性”解消に取り組む議論を重視する姿勢を貫いている。  どちらの主張が正しいのだろうか。 ”不確実性”こそ議論の対象にすべき  先日、健康寿命延伸のための「社会健康医学」大学院大学設置推進委員会の会合を取材。静岡県の健康寿命は男性72・15歳、女性75・43歳と全国ベスト3の健康寿命だが、男性約9年間、女性約12年間、健康上の問題で日常生活が制限される。その期間を縮めることが設置目的という。  それで、担当者に「健康寿命」とは何かを問いただしたが、的確な回答をもらえなかった。  英国ニューカッスル大学のコホート(年齢や地域を同じくする集団)研究で、1991年から2011年の20年間に、65歳時点の高齢者の平均余命が男性4・7年、女性4・1年増加したが、同増加分の期間で「自立」は男性36・3%、女性に至ってはわずか4・8%であり、残りは介護を必要とする状態だった。医学・医療が進歩すれば平均寿命は延びる。しかし、その結果、介護を必要とする期間も延びていくという疫学調査の成果である。(「ランセット」2017年8月24日)  1990年、米国で「科学的根拠に基づく医療」(EBM)は医療の”不確実性”を解消するための概念として提唱された。30年を経て、エビデンスということばが医療現場でふつうに聞かれるようになった。  いくらEBMが普及しても、認知症に関して言えば、高血圧や糖尿病を防ぐという時間のかかる、しかも”不確実性”をぬぐえない予防法しかないことを医療者は承知している。高血圧、糖尿病は認知症リスクを高めるが、高血圧症や糖尿病患者すべてが認知症になるわけではないからだ。  認知症を完全に予防することはできない。認知症ひとつ取っても、「健康寿命の延伸」とは一体、何なのか全く見えてこない。  認知症の最大の原因は加齢である以上、さらに高齢化が進む日本で認知症が増えることは避けられない。究極を言えば、「健康寿命の延伸」とは「平均寿命を下げる」ことしか方法はないのだ。それを本当に目的とするのか?  2つの議論を聞いていて、リニア環境問題では”不確実性”を問題にしていることで相互の姿勢が理解できた。しかし、一方の大学院大学推進委員会という最も”不確実性”を問題にしなければならない会合で、”不確実性”を無視した議論を進めることは、果たして、この施策が県民のために大きな効果をもたらすのかという疑問が見えてくる。つまり、大学院大学設置の目的をごまかしていることがはっきりする。 ”確実”に静岡県は衰退する  もう一度、リニア環境問題に戻る。この”不確実性”の問題は相互の入り口が違うことをJR東海が自覚せず、目先の方法論のみに終始していることで解決を遅らせている。結局、相互の入り口が違う”不確実性”を問題にする以上、それを取り除くための議論は続いていくしかない。  川勝平太知事はリニア中央新幹線南アルプストンネル建設は「県民の生死に関わる」影響をもたらし、「静岡県の6人に1人が塗炭の苦しみを味わうことになる」と述べ、「ルートを変えることを考えたほうがいい」とまで提案した。この議論は「静岡県民62万人の生命の問題」から始まっている。  62万人には高齢者もいれば、子供たちもいる。リニア新幹線の南アルプス通過によってそのだれもが恩恵を被らない。逆に、貴重な南アルプスの自然環境は開発の危機にさらされ、JR東海が湧水の全量を戻すと表明した水環境問題でも実際には工事に取り掛かってみなければそのリスクははっきりとしない。川勝知事の言うように「62万人の生命」が危機にさらされる可能性がないとは言い切れない。  この地域はお茶を中心とした農水産業に適した温暖な気候、東名阪に連なる太平洋ベルト地帯の一角にあり、観光産業、企業立地も活気があった。食べ物がおいしく、所得水準もまあまあだった。しかし、ほとんどすべての産業は衰退傾向にあり、人口流出が続く。過去の栄光の歴史を振り返っても仕方はないのだ。2000年を境に、静岡県は大型公共事業を積極的に展開してきたが、将来の展望は明るいとは言えない。  JR東海との関連で言えば、毎日百本以上の「新幹線のぞみ号」が素通りしていく。静岡空港の真下に新幹線新駅の計画をもくろんだが、JR東海は「東海道新幹線に新駅などまったくあり得ない」と一蹴した。  リニア中央新幹線はまさに、静岡県の衰退を推進する国家プロジェクトとなる可能性が高い。JR東海は川勝知事の「静岡県民62万人の生命の問題」の背景に思いを馳せることで、ようやく相互の対話が始まるのだ。JR東海がちゃんと理解しなければ、この”不確実性”の議論は続き、再び「いつまでたっても工事着手できない」(澤田部長)との不満をもらしかねない。

ニュースの真相

静岡県「社会健康医学大学院大学」のなぞ2

県民はマグロを大好きだが…  静岡県HPを見ていて、2016年から2018年の3年間連続でマグロ購入量、支出額とも全国1位、それも2位、3位を引き離し、全国平均の2倍以上を上回るダントツの日本一であると自慢していた。冷凍マグロ、冷凍ビンナガマグロなど全国約90%の輸入量を誇り、こちらも当然、圧倒的な全国1位だ。この数字を見れば、”日本一のマグロ自慢”はしばらく続くだろう。さらにHPで「マグロは生で食べても、調理して食べてもおいしく栄養満点で、頭に良いと言われるDHA(ドコサヘキサエン酸)を多く含む健康食品」と説明している。  それで納得した。静岡県の子供たちは、頭脳明晰になるためにおいしいマグロを食べるのが大好きなのだ。  ところで、冷や水を差すようで悪いが、マグロを多く食べる地域の人たちは、タイやヒラメなどをよく食べる関西や九州の人たちに比べて体内の水銀量がぐんと高くなっていることをご存じだろうか?  和歌山県太地町のイルカ追い込み漁を批判的に描いたアカデミー賞映画「コーヴ(入り江)」(2009年)でもイルカ肉の水銀値が非常に高いことを問題にしていた(こちらのニュースは「IWC脱退 食と文化の未来」でご覧ください)。  熊本県の水俣病の原因物質はメチル水銀だった。たんぱく質と相性がよく、メチル水銀は生物の体内に取り込まれやすい。海水から栄養素を吸収するプランクトンがメチル水銀をため込み、プランクトンを餌にする小さな魚へ、小さな魚を餌にする大きな魚へ取りこまれていく。食物連鎖の上位にあるイルカやマグロなど大型で寿命の長い生物ほど体内の水銀濃度は高くなる。水俣湾では、多くの魚が弱って浮かび、それを食べた人間、猫、カラスなどが水銀中毒になった。  水銀含有量の多い魚はマグロだけでなく、キンメダイ、メカジキなども含まれる。よりによって、静岡県民はキンメダイもメカジキも大好物だ。  本当に、そんなに危険な魚をたくさん食べて大丈夫なのか? メチル化水銀の健康被害は?  水銀に敏感な人には神経症状が出現するとして、WHO(世界保健機構)は人体含有量50ppmを危険域の下限値として定めている。水俣病では手足のしびれや震え、熱さなどを感じにくくなる感覚障害、思うように身体が動かない運動失調、見える範囲が狭くなる視野狭窄などの神経症状を訴える人が相次いで見つかり、その後激しい痙攣や錯乱状態に襲われるなどの重篤な症状で亡くなった人も出ている。50ppm超の人に水俣病の初期症状が出るのだろう。  メチル水銀は妊娠中の場合、胎盤を通して胎児に吸収され、脳性小児マヒに似た症状を引き起こすとされる。精神発達の遅れ、筋肉の異常な緊張、言語障害などとして出現する。  本当にマグロをたくさん食べて大丈夫なのか?実際にはマグロを食べても、メチル水銀は健康への影響はないのかもしれない。だから、静岡県はHPで自慢しているのか?次から次へと疑問が浮かんでいく。当然、こんな重大な問題を静岡県が放っておくはずがない。  マグロをよく食べる人たちの水銀含有量は毛髪によって調べることができる。静岡県民の場合、どうなっているのだろうか? 「健康寿命」とマグロの関係  先日「大学院大学」設置推進委員会で、設置目的を「県民の健康寿命延伸」であると何度も聞いた。そのために、県内約2万2千人の高齢者の生活実態調査を行ったそうだ。全国で、どこよりもマグロ好きな県民が感覚障害や運動失調などの神経症状を訴えるようなことはなかったのか。当然、マグロと「健康寿命」には深い関係があるはずだ。生活実態調査でも、明らかにされているかもしれない。  県は「緑茶を多く飲むと死亡率が低下する」から5年間も掛けて2百人に緑茶パウダーを飲ませて血圧、血管、心機能改善効果の研究を行う、と発表。エビデンスのはっきりしない「緑茶効果」について「その科学的な要因分析」を大学院大学で行う必要性が高いのだ、と基本構想に書いている。マグロは緑茶という嗜好品ではなく、子供から大人まで食べる静岡県民の大好物であり、産業にも大きくかかわっている。そうか、マグロについてはすでに研究は尽くされているのかもしれない。  早速、県民の毛髪水銀調査とマグロの健康影響について、静岡県健康福祉部の社会健康医学推進担当に聞いてみた。残念ながら、担当者は、良質なたんぱく源であるマグロと水銀の関係などいままで考えたこともなかったようで、「これから考えていきたい」と回答した。  なぜこんな緊急性の高いテーマに取り組まないのか。不思議な話だ。 「セレン化水銀」研究の重要性  ところで、わたしの知り合いに毎日マグロばかり食べる人がいる。しかし、その人は手足のしびれや震えを訴えてはいない。そもそもマグロは水銀値が高いのに、なぜ、あんなに元気に泳ぎ回ることができるのだろうか?  いろいろ探していて、そんな疑問に答える最新の論文を見つけた。国立水俣病研究センター(熊本県)の疫学研究部長らが、水銀値の高い歯クジラの健康状態にメチル水銀がどのような影響をもたらしているのか調べた。2015年11月国際的な専門誌に発表。その結論は次の通りだ。  「歯クジラ筋肉中に含まれる高濃度の水銀は、一定濃度(3~8ppm)のメチル水銀と残りは無機化された毒性がないセレン化水銀であることが明らかになった」  メチル水銀は低い濃度で体内に残り、筋肉組織にある高濃度のセレン(肉や植物に含まれる必須栄養素)が毒物の防御システムとして働き、残りのメチル水銀と1対1で結合するため、ほとんどのメチル水銀は無害化されているという説だ。無害化された水銀を「セレン化水銀」と呼び、人間がセレン化水銀を大量に含むマグロやイルカをどんなに食べても水俣病のような症状を引き起こさないというわけだ。  残念ながら、この研究成果が魚類の水銀含有量との関係にパラダイムシフト(その分野で支配的だった考え方に対する劇的な変化)をもたらしてはいない。厚労省HPを見ると、マグロ、キンメダイ、メカジキなどは1回80gとして週1回限りで食べることを推奨しているからだ。厚労省HPはセレン化水銀について言及していない。多分、定説にはなっていないのだろう。  だからこそ、この研究でのさらなる取り組みが必要となる。  静岡県は水銀含有量の多いマグロを食べても安全なのかどうかを早く調べて県民に知らせるべきだ。本当に「社会健康医学」大学院大学の設置が緊急性、優先度の高い施策なのか疑問は大きい。 ※グラフ、マグロ市場、刺身写真とも静岡県HPの写真です。

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「健康長寿」の実践者ジャック・ラレーン

96歳で亡くなったジャック  8年前のきょう1月24日(米国時間の1月23日)、Jack LaLanne(ジャック・ラレーン)がカリフォルニアの小さな観光地モロベイ(Morro Bay)の自宅で亡くなった。行年96歳。モロベイは伊豆半島と似た温暖な地域であり、西伊豆海岸の観光地によく似ていて、小さな島が近くに点在する美しいビーチとヨットハーバーが有名な街だ。  ジャックは1週間前から調子が悪いことを気づいていたが、同居する家族が勧める医者の往診も近くの病院へ行くことも拒否した。死ぬ前日まで、日課にしていたエクササイズ(運動)を通常と変わらぬようにやり、翌日、家族が起きてみると、ジャックは永遠の眠りについていた。  ジャックは健康についてこんな風に言っている。「エクササイズ自体が好きだったことは一度もない。だが、健康に必要なのは頭で考えることではなく、いつまで体が自分の思うように動くかだ」  ジャックは寿命が尽きるその日まで心身ともに「健康ライフ」を全うした。 エクササイズ推進者になるまで  ジャックは1914年9月、カリフォルニア州の大都市サンフランシスコにフランス移民の両親のもとに生まれ、父の都合でカリフォルニアの街を転々とした。小さな頃はお菓子とジャンクフードが大好きで、いつしか砂糖中毒に冒されていた。過食症で丸ぽちゃのジャックはときどき頭痛に悩まされ、怒りにまかせて斧で弟を殺しかけたこともあった。14歳のとき、父親が54歳で亡くなった。そのころ自分自身が醜い姿であることにようやく気づいた。  健康食品の提唱者であり、ボディビルダーのポール・バラッグ(1895~1976)の「肉と砂糖」の弊害についての話を聞いた日に、ジャックはモーセのごとく啓示を受けたのだ。その日を境にすべてが変わっていく。自分の体の潜在能力を解き放そうと、まずは肉体を完全に変えることで自分自身の世界を変えようと決意した。  いつしかジャックの口癖は「果物と野菜を食べろ、何よりも必要なのはエクササイズだ」。 「健康長寿」とは幸せに生き続けること  90分のウェイトリフティング、30分のランニング、20分で1千回以上の腕立て伏せをするなどをするうちにジャック独自のエクササイズを開発していく。  1936年ジャックが発明したのが、大腿四頭筋を鍛えるレッグエクステンション・マシーンだ。筋肉を鍛えることがいかに大切かをジャック自身の隆起した腿や腕、細くしまったウエストが教えていた。  地元サンフランシスコの健康食品店がローカル番組のスポンサーとなり、ジャックを世の中に売り出した。ダイエットの効能やあらゆる筋肉のためのトレーニングの設計を伝授すると、視聴者はテレビの前でジャックをまねするようになった。6年後、ジャックのショーは全国番組となり、米国中がジャックの「ジャンピング・ジャック」「スクワットスラスト」「レッグリフト」に夢中になり、それらは米語の語彙として使われた。  そのころの彼のことば。「微笑むことは喜びを動力として筋肉の全組織を使うことだ」。アメリカ中の女性視聴者たちはこぞって滑稽までに口を大きく開けたり、閉じたりして微笑むことを彼に学んだ。  「問題があれば幸せと思えるほうがいいんじゃないか。それで惨めになるよりも」。ベトナム戦争に敗れ、ニクソンに不名誉な退陣が用意され、アメリカが自信を失いかけていた時代、アメリカの男たちはジャックの言うことに素直に耳を傾けた。彼の無限のエネルギーが大好きであり、目を落とすと自分の腹が見えることにうんざりしていたからだ。頭でっかちで怠惰になりすぎた肉体は座ったまま飲食におかされた。しかも、そうなることを自分で許してしまった。いつか何もできず寝たきりになってしまうことも知っていた。ジャックのショーを見て一念発起する者も数多く、その後、彼らはジャック同様に幸せとは何かを実感した。  寿命が尽きるその日まで健康でいるためには、ジャックにならってエクササイズをし続けなければならない。「健康長寿」とはそういうことだ。 サンフランシスコ訪問の目的  昨年夏、サンフランシスコを訪れ、ジャックが挑戦した両手に手錠をされ、両足を拘束、450キロのボートを腰にくくりつけて泳いだ現場に立った。1955年の41歳のとき、凶悪犯を収容したアルカトラズ島からサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジ近くを目指して泳いだ。  19年後、ジャックは59歳(あと5日で60歳)で再び同じ挑戦をした。手かせ足かせされ、ボートを引いて水温10度の海流に逆らって3キロ以上の距離を、みずからが編み出したバタフライの変形水法で水中を突き進んだ。潮の流れに逆らって、ひと搔きひと搔きする筋肉は疲れ知らずだった。やがてジャックが波間から現れて歩き出す。手かせ足かせが解かれ、ボートを引いていた腰の縄が引き抜かれた。ジャックは妻のエレン(元水中バレエ選手、ジャックと会う前はチェーンスモーカーでドーナツばかり食べていた)を軽々と抱き上げた。  ウォーターフロントの群衆は熱狂し、感動に打ち震えた。人間業ではないことを成し遂げた偉大な男を絶賛するしかない。特に子供たちはジャックをスーパーマンのようにあがめ、その奇跡を見たその日から水泳教室に入った者が多かった。わたしがホームステイしたシアトルの英語教師ギャレットもその一人だった。「子供のときには彼がスーパーマンに見えた。大人になって、彼がただのふつうの男だと知ってうれしかった。だから、いまも毎日水泳と自転車をやっている」と話した。アメリカンドリームとはいまや金持ちではなく、健康長寿なのかもしれない。 緑茶多飲で「健康長寿」という国  昨日(23日)健康寿命延伸のための「社会健康医学」大学院大学設置のための委員会を傍聴した。「社会健康医学」大学院大学への疑問は「ニュースの真相 社会健康医学大学院大学のなぞ」に書いた。すでに出来上がった当局のシナリオを実現していくための儀式のような委員会だった。大学院大学設置の必要性について「緑茶を多く飲むと死亡率が低下する等の統計的な結果について、科学的な視点から要因分析」を挙げていたが、本庶佑委員長は「さすがに緑茶のために大学院大学を設置するのではまずい」などと訂正を求めた。まさに真相を承知していたかのようだ。  「健康寿命の延伸」が緑茶を多飲すれば実現するものではないことぐらい県民すべてが承知しているだろう。緑茶のカフェイン(アルカロイド)成分を問題にする医者も多い。緑茶ではなく、ミネラルを多量に含んだ水を多飲することを奨める研究者が多い。「健康長寿」の定義さえはっきりと決めないで、それを目的とした大学院大学を設置しても、その目的を果たせるとは思えない。  「最後になってお金の話をしても(……)ここまできてお金がないというのはおかしい。川勝知事はそのような手当てをしてほしい」(本庶委員長)。一般の県民はまず、お金の算段をしたあと、いろいろな買い物をする。全くそれがなくて大学院大学設置ができるとは、静岡県財政はあり余っていることに驚いてしまった。  「健康寿命の延伸」に行政が手を差し伸ばす日本と、ジャックらを指導者として個々人が取り組むアメリカとの違いは何か。何よりも静岡県は大学院大学の目的をちゃんと正直に話した上で事業を進めなければ、将来に禍根を残すことは間違いない。 ※タイトル写真はジャック・ラレーンではありません。ジャックはジャックでも作家のジャック・ロンドンです。サンフランシスコの対岸の街、オークランドにあるロンドンスクエアにある像。残念ながら、サンフランシスコでジャック・ラレーン像を発見できませんでした。  「晩夏の墜落」(BEFORE THE FALL、早川書房)のジャック・ラレーンの記述を参考にいたしました。

ニュースの真相

静岡県「社会健康医学系大学院大学」のなぞ1

「健康寿命の延伸」が目的?  静岡県が計画を進める「社会健康医学系大学院大学(仮称)」設置について県の説明を聞いたが、信じられないほど不可解だった。「社会健康医学系」と言えば、京都大学大学院にある同じ名前の専攻を想定し、その責任者をはじめとする京大関係者が静岡県の基本計画策定委員に委嘱されている。京大の同専攻は遺伝子カウンセラー、臨床統計家、ゲノム情報処理者をはじめ最先端の専門家養成が目的である。  静岡県の「社会健康医学系」は名前だけは同じだが、そのような専門家を養成するのか全く未定であり、目的も違う。そのまま、数十億円もの費用を掛けて「大学院大学」を設置すれば、県民の混乱を招くだけでなく、厳しい批判を呼ぶだろう。  静岡県は、同大学院大学設置を「県民の健康寿命のさらなる延伸を図る」のが目的と説明。「健康寿命を延伸」とは、静岡県の男性72・15歳、女性75・43歳の健康寿命について、さらに約10年長い平均寿命の差を縮めたいのだ、という。担当者は、県民の「健康寿命」を延ばすことだから、静岡県が率先して取り組むべきテーマにふさわしいと胸を張った。  「健康寿命」と言えば、静岡県立大学が古くから、健康長寿社会の実現に向けた最先端研究と人材育成に取り組んでいる。同大学院HPに「疾病があったとしてもその進行を食い止め、寿命に至るまで生活の質を維持する『健康寿命』をいかに実現するかが重要課題」とある。まさに、静岡県が胸を張った目的「健康寿命の延伸」について長年、研究を行い、論文発表等の蓄積がある。県立大学だけでなく、県内の各自治体もさまざまな取り組みを行っている。  県の目的が「健康寿命の延伸」ならば静岡県立大学などに任せればいいのではないか。多額の費用を掛けて「大学院大学」設置の必要はない。 京大の目的には「健康寿命の延伸」はない  「健康寿命」の定義も難しい。歯科分野では古くから、「8020」運動を唱え、80歳で20本の丈夫な歯を持つことが「健康寿命」につながると訴えてきた。その他、脳科学者、大腸カテーテルの第一人者、運動療法士らが「健康寿命」延伸についてさまざまな知見を発表している。  不思議なのは、京大HPを調べても「社会健康医学」研究に「健康寿命の延伸」は登場しないことだ。  2000年「社会健康医学」専攻は京都大学に誕生した。米国ジョンホプキンス大学などで古くからある「Public Health」(日本語では当然、「公衆衛生」と訳す)講座だが、アジア地域では欧米流の学問領域が遅れていた。臨床や基礎研究に「疫学」「臨床統計」「遺伝子」「ゲノム」などの研究成果を踏まえて、論文発表をすることで内容の幅を広げるなど価値を高めるのが狙い。静岡県の目的「健康増進」との関係は非常に薄い。  また、京大では遺伝子治療診療科、ゲノム医学センターなどとの連携が密接だ。学生の発表はすべて英語論文を想定している(入試試験もTOEFL、TOEIC得点が必要)。ビッグデータを駆使した臨床統計家、疫学研究者養成などを目指している。静岡県の言う「健康寿命」延伸はどこを探しても見つからない。大学院卒業者の就職先が厚労省や東大、京大などの大学教員が多いことを見れば、県の説明にある現在の職場で働きながら取得できるほどそれぞれが簡単な資格ではない。 緑茶パウダー疫学調査への疑問  「社会健康医学」研究として、2月から島田俊夫県立総合病院臨床研究部長が5年間にわたって川根本町で緑茶パウダーを使った健康効果の疫学調査を行う。同様の調査はすでに県立大学が何度も行い、川根本町だけでなく全県にわたって調査、緑茶の効能についての成果を発表している。  2002年7月の県民公開講座で小國伊太郎教授(当時)は「がんやピロリ菌に対する緑茶効果」について、静岡県のがん死亡分布図を作成、緑茶生産地区と非生産地区を調査、緑茶生産地区の男女の胃がん発生率が著しく低いことを突き止め、川根三町の疫学調査を実施した成果などを説明した。  三井農林食品総合研究所(藤枝市)は茶カテキンの生理活性機能を研究、茶カテキンから抽出したポリフェノンEを発見、主成分として開発した新薬が米国FDAで認可された。さらに、肺や前立腺がんなどの予防薬・治療薬開発を米国がん研究所(NCI)と共同で臨床研究を行っている。当然、使用されるカテキン(渋味成分)はアミノ酸が多く渋味の少ない静岡茶ではなく、アフリカやベトナムなどの緑茶抽出物を使用しているようだ。  島田部長の調査は、どこの緑茶を使うのかなど不明であり、その他の嗜好品、運動やストレスなどの要因を考慮に入れるかなど研究内容が見えていないが、過去の知見を超えるものが期待できるのか疑問は多い 先端医療棟に「大学院大学」設置の意向  「大学院大学」とは、学部を伴わない大学院。医療系の大学院大学は滋慶医療科学大学院大学が大阪市にあり、そこは看護師、理学療法士など全国的な医療・福祉系専門学校が基盤。静岡県が計画する大学院大学の中核組織は何か。浜松医科大学の公衆衛生学講座をランクアップするならば、大学院専攻科をつくるだけだが、そうではないらしい。  静岡県は県立総合病院先端医療棟5階の「リサーチサポーセンター」に大学院大学を設置する意向だ。同センターは2017年9月に開設されたばかりで実績はほとんどない。「社会健康医学」の指導組織としての実態もない。宮地良樹センター長は「京大の大学院レベルをつくるのではない、あくまでも、静岡県の健康寿命延伸が目的だ。臨床医の研究をバックアップするためのもの」と話した。  基本構想委員会の委員長、本庶佑氏は「県内の中核病院で研修したいという若い医師が増え、中長期的に長年の課題である医師不足解消につながる」と述べた。なぜ、そうなるのか不思議だったが、宮地センター長の話で納得した。  県立総合病院は主に京大医局からの派遣病院であり、もし、そのような研究施設があれば、若手医師らがぜひ、県立総合へ赴任したいというインセンティブにはなるのだろう。しかし、若手医師らは2、3年で変わり、研究成果が蓄積されるのかどうか疑問は多い。  医師不足の根本的な理由は医科大学が県内に一つしかないことだ。隣接の愛知、神奈川県とも4医科大学、人口規模が5分の1に満たない山梨県と医大の数は同じであり、本当に大学院大学設置が医師不足につながるのか疑問は大きい。  1、目的が「健康寿命」延伸であるならば、静岡県立大学の研究成果を生かすことで十分。本来の「社会健康医学」研究の目的は地域の「健康寿命」延伸にはない。  2、京都大学「社会健康医学」専攻のような先進的な研究環境を静岡県立総合病院は持っていない。  3、喫緊かつ、長年の課題は医師確保であり、社会健康医学大学院大学はその使命を果たすのか疑問が大きい。  以上の3点から、県立総合病院に「社会健康医学」大学院大学ありきではなく、もう一度、目的を含めて県民に説明できるようにしたほうがいいだろう。「健康寿命の延伸」ではなく、目的が「医師確保」であれば、川勝知事の公約だった「医科大学」設立をもう一度正々堂々と取り組むべきだ。リニア環境問題で県民の生命を問題にした気概と覚悟があれば、国の方針を変えることもできるのではないか。 ※タイトル写真は静岡県立総合病院先端医療棟。県は5階に「社会健康医学」大学院大学を設置する方針だ

静岡の未来

IWC脱退 「食と文化」の未来

イルカを食べる静岡人  静岡駅構内の魚店に、この時季になると、たくさんの「イルカ」肉が店頭に並べられる。値段はクジラに比べると、非常に安く、赤身の部分は100g189円、脂肪と皮の部分は100g89円。しばらく見ていたが、赤黒いイルカ肉に手を出す若い人たちはだれもいなかった。  ゴボウ、人参、生姜、ネギを入れて作るイルカの味噌煮込みや「タレ」と呼ばれる切り身のみりん干しを好む人が過去には数多くいた。イルカ肉を食べる習慣は伊豆半島から静岡市周辺であり、いまも続いている。しかし、飲食店などで提供するところはなく、すべて家庭料理であり、県外の人たちにはほとんど知られていない。  伊豆半島で盛んだったイルカ追い込み漁は、公式には「鯨類追込網漁」(イルカは小型鯨類に分類される)。2004年を最後に、静岡ではイルカ追い込み漁は行われていない。店頭に並べられたイルカ肉は岩手県のものだった。   ところが、昨年9月伊東漁協は10月からのイルカ捕獲を申請、静岡県知事が許可。漁期は2月まで、漁獲枠は80頭。さあ、再び、静岡県でもイルカ捕獲を行うのか? 世界ジオパーク見送りの理由は?  静岡県知事の許可は出されたが、伊東でイルカ漁を行う様子は見えない。  県水産資源課に聞くと、伊東漁協の申請要件が整っていれば、許可を出すことになっているという。伊東漁協は伝統的なイルカ追い込み漁を次世代につないでいきたい意向を持っているようだが、それは簡単なことではない。  イルカ追い込み漁を行うのは静岡県と和歌山県のみ。和歌山県太地町のイルカ追い込み漁は海外の環境団体からの厳しい批判を浴びてきた。2010年アカデミー賞映画「コーヴ(入り江)」は、入り江を真っ赤に染める残酷なイルカ漁をスパイ映画もどきで暴露し、イルカ漁批判は大きなうねりとなった。  もし、伊東でイルカ漁が再開されれば、太地同様に世界中の環境保護団体が妨害のために伊東に集結するかもしれない。だから伊東漁協は申請はしているが、太地同様の軋轢を望んではいないのだろう。  2015年伊豆半島の世界ジオパークをユネスコに申請した際、イルカ漁を伊豆半島で行っていたことを理由に認可を見送られた。当時の伊東市長は2004年以来イルカ漁を行っていないし、ユネスコの意向に沿う発言をした。3年を経て、昨年4月ユネスコはようやく伊豆半島を世界ジオパークに認定。当然、ジオパークを売り込む最新の観光ガイドブックにイルカ料理は入っていない。  そんなこともあって、ますますイルカ漁には手が出せなくなっている。10年ひと昔というが、15年を経過、さらにイルカ漁は遠い昔になっていくだろう。 「海豚」は本当の豚ほどおいしくない  「鯨の竜田揚げ」。商業捕鯨が禁止される1987年以前に学校給食に登場した。わたしたちには貴重な肉だったが、いまの子どもたちは固くておいしくないと言うだろう。イルカのほうは「海豚」と漢字で書くが、給食で鯨のように使われたことはないし、鯨に比べて値段が非常に安いのは、くせのある臭いのせいなのだろう。海豚は本当の豚のようにおいしくはない。  映画「コーヴ」を見たあと、太地を訪ねたところ、鯨の街として宣伝していたが、イルカ料理は見なかった。そのときもらった「くじらのお店」というチラシには「1位 くじらは刺身」「2位 ミンクくじらの鮮烈な赤色は食欲そそる」「3位 懐かしの味、竜田揚げ」となっていた。厳しい批判にさらされてもイルカ追い込み漁を続けているのだから、なぜ、イルカ料理専門店がないのか不思議に感じた。  食文化というが、もしかしたら、イルカ料理は「和食」の一つではないのかもしれない。美食家だった北大路魯山人の全著作を読み返しても鯨、海豚料理はひとつとして出てこない。  イルカは日本人の「食文化」ではないのかもしれない。 食料危機時代のたんぱく源だった  クジラの持続的利用を訴えていた政府の漁業交渉官だった小松正之氏の「クジラは食べていい!」(宝島新書、2000年4月)をもう一度読み返した。序章「日本の市場から魚が消えてしまう!」(クジラ過剰保護が生んだ漁業者の嘆き)、第1章「食料危機を救えるのはクジラだ」(このままでは魚がいなくなる!、「捕鯨禁止」が生態系を破壊する!)。読んでいてわかったのはクジラ、イルカをおいしいとは書いていない。戦後の飢えた子供たちに鯨は必要であり、縄文時代から伊豆半島のたんぱく源だったイルカ、それぞれは「食料危機の時代」に活躍する食料であり、飽食の現代では不要になっている。  映画「コーヴ」では、魚が市場からいなくなった原因は「日本人が捕り過ぎであり、クジラの責任ではない」と批判した。和食ブームで寿司や刺身を好む西洋人が多くなっているから、ますます漁業資源は少なくなっているのだろう。また、海豚が本当においしいならば、グルメな西洋人たちはマグロ同様に食べるに決まっている。 IWC脱退は国際協調の表れ  日本はことし6月までにIWC(国際捕鯨委員会)を脱退、商業捕鯨を再開する。新聞各紙の論調は国際協調を重視しない日本の姿勢を厳しく批判し、共同通信社は「得るものは少なく、失うものが多い拙速な決定」として「今回の決定は、ガダルカナル島の戦闘で大敗し、余儀なくされた撤退を『転進』と呼んだ旧日本軍を思い起こさせる」と論評した。  ところが、調査捕鯨に対して調査船に対して、体当たりなどさまざまな攻撃を加えてきたシーシェパードなど国際的な環境団体は南極海の捕鯨が禁止され「大歓迎」と絶賛。今後はシーシェパードの危険な攻撃に日本の調査船がさらされないという1点を取っても、IWC脱退を評価したほうがいい。国際協調と言うならば、欧米人主体の環境団体による「大歓迎」の賛辞を素直に受け取るべきだ。  今回の商業捕鯨再開は、97年の「アイルランド提案」と内容は同じだ。「捕鯨推進国の200カイリ内での捕鯨を認め、南氷洋を含む公海での捕鯨を認めない」。当時、日本は反対していたが、20年を経て、反捕鯨国の1つ、アイルランド提案を受け入れることになった。それだけ追い詰められ、国際協調に転じたという見方をしたほうがいいのだろう。 海亀、鶴、雷鳥も食べていた  調査捕鯨で南氷洋のミンククジラなどを太地などの旧捕鯨地に送っていた。商業捕鯨再開で太地、宮城県鮎川などでは沿岸漁業としてミンククジラを捕獲することになる。それであれば、「鯨の街」として太地を売るのには絶好の機会であり、過去にあった新鮮でおいしい鯨の尾の身が飲食店で提供されるかもしれない。  ただ、捕鯨の歴史のない静岡では関係のない話である。  静岡ではつい最近までアカウミガメ(肉と卵)を食べてきたが、いまでは食べる対象として考えていない。駿府の徳川家康は正月の食卓に鶴を出して、客人に振舞っていた。沼津で亡くなった若山牧水は雷鳥を食べたと書いている。日本人はいまや鶴も雷鳥も海亀も食べることはない。  縄文時代から静岡人は海豚としてイルカを食べてきたが、近い将来、イルカ食も歴史の中でしか語られないものになるだろう。  映画「コーヴ」への反論映画を制作したニューヨーク在住の佐々木芽生さんの著作「おクジラさま ふたつの正義の物語」(集英社)で、給食当番が「いただきます」と元気よく言うと、子供たち全員で手を合わせて「いただきます」と唱和、食べ物への感謝の気持ちは日本人の自然観の表れだと書いた。日本では当たり前の食文化の風景を欧米人に理解してもらうことが、さらなる日本の魅力につながり、訪日外国人観光客が増えることにつながるのだろう。   ※タイトル写真は小笠原諸島近海のザトウクジラウオッチングでの写真です。商業捕鯨再開でもザトウクジラの捕獲はできない。

ニュースの真相

認知症のなぞ2 効かない”薬”を処方する医師

薬で認知症は治らない  「認知症は薬で治らないの?」「治らない。認知症を治す薬は世界中、どこをさがしたってない」(「老乱」久坂部羊著、朝日新聞出版、2016年11月)  阪大医学部出身の久坂部氏は高齢者を対象とした在宅訪問診療などに従事するとともに、「廃用身」「破裂」など事実に基づく医療情報を踏まえて小説を発表。「老乱」でも、登場人物の認知症専門クリニック医師が認知症は病名ではなく、状態を指すことばであり、原因となる病気は70ほどある、さらに、記憶障害、見当識障害、判断障害などの「中核症状」を一般に認知症と呼んでいると説明する。  「認知症を薬で治すのは今のところはむずかしい状況です。脳の活性化とか刺激療法など、いずれも有効と言い難いのが実情です」  本サイト「認知症のなぞ1」で記したように、母の主治医は母を「アルツハイマー型認知症」と診断した。判断能力が著しく失われ、成年後見を受けなければならないほどの心神喪失状態という診断書を静岡家庭裁判所に提出、母は静岡市内の神経内科医から別の診断書をもらって争っていた。  当時、高齢(87歳)の母は時々、物忘れ症状を見せた。加齢に伴う物忘れは誰にでもあることで、それを認知症と区別するのは非常に難しい。母は介護度認定を受けておらず、介護保険用の主治医意見書を必要としていたため、主治医が処方する睡眠導入剤とともに、最も軽い認知症治療薬アリセプトに不満を述べなかった。主治医は母にアリセプト(塩酸ドネペジル)3mgを処方していた。 専門医はアリセプトを使わない  10年前、認知症を専門にした富士山麓にある御殿場高原病院を取材した。1979年4月に開院しているから、ことし40年目を迎える。当時、30年間の治療効果について、清水允煕(のぶひろ)院長が語ってくれた。「認知症の進行を抑えるとされるアリセプトを使うことがあっても、症状が改善されることはまずありません。わたしの経験では数百例のうちで、効果が認められたのは1例程度に過ぎません」と、清水院長はアリセプトがはっきりと効果の期待できない薬だと断言した。医師が薬の効能がない、と言うのだ。本当にびっくりした。それではどうするのか?  「老化に伴う高血圧、高脂血症、痛風などの症状に合わせた薬は別として、ここでは認知症の薬をなるべく使わず治療する方針を貫いています。それで症状が改善でき、経過が良い場合は退院させることも多いのです」その言葉にさらに驚いた。そんなことが可能なのか?  清水院長は具体的な治療法について、「75歳女性、夫の過去の浮気が許せない」「『嫁がお金を盗った』という77歳女性」「自分の家に居るのに『帰る』という74歳女性」「外出(徘徊)を止めようとすると暴力を振るう77歳男性」などそれぞれのケースに沿って説明してくれた。治療、看護、介護について、家族を含めて周囲がどのように対応するかが重要なのだ、という。  「老乱」でも、日付とか前の晩のおかずとか幼稚園の子供に聞くような質問をすることが高齢者の精神状態を悪化させる、尊厳のある一個人として認めることが重要であり、逆にほめたり、感謝することで認知症の人は自分が周囲からどう受け止められているのか敏感に感じ取って、厄介者ではなく、存在を大切にされているといい気分だけが残る、と書かれていた。  御殿場高原病院はまさに、その方法を実践し、「尊敬と感謝」を注ぐことで症状を改善させていると説明した。もし、母を認知症と診断したならば、主治医はどうして、そのような治療法を選択できないのか? グラマリールという危険な薬  「①お年はいくつですか? ②きょうは何年、何月、何日、何曜日ですか? ③わたしたちがいまいるのはどこですか?」など、長谷川式知能評価スケールを母に受けてもらったが、それさえ、母の尊厳を傷つけていたのかもしれない。静岡県立こころの医療センターでもう一度、同じことをやるのを断った母の気持ちを一番理解したのは同センターの担当医だったかもしれない。  ところで、母の場合、アリセプト3mgだけでなく、グラマリール25mgを処方されていたため、わたしはグラマリールをやめてもらえるよう話した。調べると、グラマリールは脳梗塞後遺症の攻撃的行為や精神興奮を抑える薬だとわかったからだ。そもそも脳梗塞を発症していないのに、その後遺症のための薬を処方する理由は何だったのか。その時点で、主治医に対する信頼は失われていた。 医者をしっかりと選ぶべきだ  その後母は心不全と診断されて、2週間ほど入院した。それから3カ月後、静岡家庭裁判所は姉の成年後見開始申立を却下した。理由を見ると、「難聴があるため意思疎通困難であるが、大声でしゃべれば通じる。自己の財産を単独で管理・処分することができる」というわたしと一緒に受診した医師の診断書が大きな意味を持っていることが分かった。  「この診断はK医師の行った診断であり、他の医師が検査等を行って別の診断をされることは当然ありうる」というのが、主治医の弁護士による回答だったが、もし、いい加減なK医師のみの診断書しかなかったならば、母は認知症とされ、成年後見制度の適用となっていたはずである。  もう一度、主治医宛に「どのような問診を行ったのか」など質問した。やはり、同じ弁護士事務所から、「前回の回答通り」との回答を受け取った。今後、母の主治医がこのようないい加減な診断書を出さないように自重してくれればいいのだが、逆に言えば、患者及び家族は医者をしっかりと選ぶべきなのだろう。  難聴と認知症の関係を考えるべきだった。難聴を放置すると、認知症の発症率は高くなるだろうし、医師は難聴なのに認知症と診断するかもしれない。母は何度も補聴器を試したが、すぐに手放してしまっていた。  「難聴で音の入力が少なくなると、脳の中で音をつかさどる部分の萎縮が進んでしまい、思考や記憶の働きにも影響してくる」。眼鏡と違い、聴力に合った快適な補聴器をどう探すのか、静岡市内の認定補聴器専門店を取材してみた。デジタル補聴器は必要な音だけを瞬間的に区別できるようになっていて、補聴器の改善は急速に進んでいるとのこと。いずれにしても、自分自身で試してみるしかない。  最後に、タイトル写真に使った「プラセプラス」。皮肉のような話だが、”危険な医師”からの”危険な薬”ではなく、本物のプラセボ(偽薬)として安心して患者に奨められる。最初から薬効成分を含まないのだから、副作用もない。当然、プラセボ効果(薬を飲んでいるという自覚で精神的な安心感を得る)は期待でき、自己免疫作用で病気を治す場合がある。  「自分も認知症になると思う? はい75% いいえ25%」(朝日新聞2016年1月16日付)。物忘れなのか、認知症なのか、はたまた医師を受診して認知症治療薬を処方されても、その効果を期待してはいけない。変な話である。

ニュースの真相

「嘘つきは、戦争の始まり。」の嘘

宝島社のメッセージ広告  1月7日(月曜日)付朝日新聞朝刊の中面を見て、本当にびっくりした。16、17面の2面にわたる全ページ。強烈なインパクトを持つ紙面だった。「嘘つきは、戦争の始まり。」。大きな白抜きの見出し、左ページの中央に油まみれの鳥の大きな写真があった。見出しに比べてあまりに小さな白抜き文字の記事を読んだ。 「イラクが油田の油を海に流した」 その証拠とされ、湾岸戦争本格化のきっかけとなった一枚の写真。 しかしその真偽はいまだ定かではない。ポーランド侵攻もトンキン湾事件も、嘘から始まったと言われている。 陰謀も隠蔽も暗殺も、つまりは、嘘。 そして今、多くの指導者たちが平然と嘘をついている。 この負の連鎖はきっと私たちをとんでもない場所へ連れてゆく。 今、人類が戦うべき相手は、原発よりウィルスより温暖化より、嘘である。 嘘に慣れるな、嘘を止めろ、今年、嘘をやっつけろ。  大きな紙面の右下隅に「宝島社」。これが広告だとわかった。なぜ、広告なのに自社の広告ではなく、印象的なメッセージを読者に投げ掛けるのか。  「嘘に慣れるな、嘘を止めろ、今年、嘘をやっつけろ。」そのために何をどうすればいいのか?まず、この紙面を疑うことから始めよう。「嘘つきは戦争の始まり。」は本当なのか? 「イラクが油田の油を海に流した」の真偽 「イラクが油田の油を海に流した」 その証拠とされ、湾岸戦争本格化のきっかけとなった一枚の写真。 しかしその真偽はいまだ定かではない。  いままでそんな疑惑があったことを知らなかった。もしそうならば、「嘘つき」は誰なのか?米軍を中心とした多国籍軍か?それとも本格的な湾岸戦争を望んだ別の誰かなのか?  1990年8月2日イラクはオイル利権をめぐる意見の衝突をきっかけにクウェートに侵攻、全土を占領して併合してしまう。世界中の非難が続く中、イラクはクウェート国内の日本人を含む外国人を監禁、「人間の盾」という非人道的な行為を続けるなど国際社会のさらなる反発を呼んだ。1991年1月17日国際連合が米軍を中心とした多国籍軍を派遣、イラクへの空爆で湾岸戦争が始まった。「砂漠の嵐」作戦などさまざまな戦いが繰り広げられた結果、3月には「クウェートへの賠償」「大量破壊兵器の廃棄」などをイラクが受け入れ、停戦協定が結ばれた。  湾岸戦争の原油汚染はイラク軍がクウェートからの撤退に際して、アメリカ海兵部隊の沿岸上陸を阻むためにクウェート停泊中のタンカー3隻、原油ターミナルを破壊したことで6百万バーレル以上の原油がアラビア湾に流出した、とされる。多国籍軍によるイラクのタンカー攻撃でも数十万バーレルの原油がアラビア湾に流れ出たことも知られている。  イラク軍、多国籍軍が戦争のさなかに原油をアラビア湾に流出させた事実に疑問があるのだろうか? 28年前の「アラビア湾岸環境復元調査団」  湾岸戦争直後の1991年3月日本政府の調査団がサウジアラビアを訪れ、湾岸戦争の原油汚染を調査した。翌月の4月21日から、静岡大学教授を団長とした「アラビア湾岸環境復元調査団」に同行した。朝日、読売、共同通信社、NHKの記者も一緒だった。WWF(世界自然保護基金)による情報で、原油流出で約2万羽の野鳥が被害に遭い、野生生物レスキューセンターに搬送された野鳥のうち、約3百羽が救済された、と聞いていた。  当時のスクラップ記事を取り出してきた。特集記事「自然からの警告 進む地球汚染」を断続的に連載した。サウジアラビアで撮影した油まみれのペルシャウの印象的な写真から始まった。クウェート国境のカフジまでセスナ機で訪れ、アラビア湾の汚染を確認している。野生生物レスキューセンターでは環境庁のレンジャー、ボランティアの獣医師ら3人が2カ月間の予定で油まみれの野鳥を洗い、治療などを行っていた。記者たちの関心はそれぞれに違い、NHK記者は大気汚染の深刻さを追い、共同通信記者は入国困難だったクウェートへひそかに入り、取材を続けたようだ。  当時、多くの読者からの反響をいただいた。「フセイン大統領のやったことが許せません」(13歳女性)、「美しい自然環境を残すには戦争は絶対にしてはならない」(55歳女性)、「戦争に反対し、平和であればよいとかの議論は過ぎ去り、地球をどう救済するかが問われている」(60歳男性)などの率直な怒りの声をそのままに、紙面に掲載した。当時、そこに嘘があることなど誰も疑っていなかった。 「メディアの主張」が大げさなのか?  サウジ気象環境保護庁副長官らによる論文「1991年湾岸戦争による油流出時の国際協力」の中で「破局的な事象を未来の破滅として取り上げたメディアの主張が大げさだと判明した。戦時のプロパガンダの一環として環境破壊が誇張された」と記されている。続いて、「その結果、一般の関心は急速に薄れ、アラビア湾は破壊された環境を取り戻すための重要な味方を失った」とも書いている。  そこに「嘘つき」の正体が示唆されていた。「メディアの大げさな主張」こそが、油まみれの野鳥をつくりあげたのではないか。  朝日新聞の全国版一段広告約326万円×30段で、約9800万円。カラー料金は1段135万円×30段=405万円。それにデザイン、コピーなどの値段も入る。ふつうに計算すれば、ゆうに1億円を超える。いまの時代、大幅な値引きは当然だとしても、半端な額ではない。  同じ日に読売新聞にも30段広告を掲載している。2社の広告料だけで約2億円。「敵は、嘘。」言わんとしていることは同じだろうが、「嘘つきは、戦争の始まり。」と違い、こちらは単なるメッセージであり、アラビア湾の油まみれの野鳥は登場していない。「メディアの大げさな主張」に読者がまどわされなければいいが、「大げさな紙面」を見て、歴史事実を誤る恐れは大きい。  昨年12月19日「リニア騒動の真相 ヤマトイワナを救え」を本サイトにUPした。リニア南アルプストンネルは高速鉄道プロジェクトの開発であるとともに、自然環境の破壊につながることは間違いない。開発による環境破壊をどこまで許容できるか。ことし1月25日第9回静岡県中央新幹線環境保全会議が開かれる。静岡県、JR東海のそれぞれが科学的な根拠に基づき主張しても、事実関係は対立する場合がある。  果たして、どちらが真実なのか、記者たちはどこまで判断できるのか。「嘘つき」が誰かを見極めることではなく、どちらの立場に立って主張するかだが、渦中にいるときは判断に苦しむことが多い。28年前のことを振り返って真偽をただすのさえ非常に難しいのだから、いま現在の「ヤマトイワナを救え」という記者の主張は正しいのか、会議の行方に注目しなければならない。

ニュースの真相

認知症のなぞ1 家庭裁判所の「診断書」

成年後見開始のための「診断書」  26日朝、NHKニュースで2025年認知症患者が約7百万人になるのを受けて、地域でどのように患者に対応していくかを紹介していた。「7百万人」は厚労省の推計だが、その数字は果たして、正しいのか?  認知症と認定するのはだれか?医者なのか、それとも家庭裁判所なのか。難聴の高齢者を認知症患者にしてしまったわたしの母の事例を紹介する。  3年前、母は90歳で亡くなった。そのほぼ2年前、静岡家庭裁判所から「後見開始申立書」を受け取った。5歳離れた姉の代理人弁護士が、母の成年後見を開始する審判を家庭裁判所に求めたのだ。申し立て理由は「認知症」にチェックがしてあった。「本人の希望として、自らの財産を弁護士等の専門職に管理を委ねたい」と特記事項に書かれていた。  何よりも驚いたのは、母の主治医(脳神経外科医、睡眠導入剤の処方で何度も付き添った)が母を「認知症」と診断していることだった。申立書添付の家庭裁判所「診断書」(成年後見用)には「アルツハイマー型認知症」とあった。所見では「物忘れ症状、会話が成立しない症状あり当院受診となり加療を行っている」。  判断能力判定について「自己の財産を管理・処分することができない」(後見相当)とされ、判定の根拠として(1)見当識 日時は(回答できない)、場所は(回答できる)、近親者の識別は(できない) (2)意思疎通(できないときが多い) (3)社会的手続きや公共施設の利用(銀行取引など)は(できないときが多い) (4)記憶力(問題が顕著) (5)計算力(計算は全くできない) (6)理解力(理解力、判断力が極めて障害されている) (各種検査)HDS-R(19点)  さらに、「制度や申し立ての意味を理解して意見を述べることは不可能」にチェックが入っていた。「成年後見」という響きはいいが、実際には母を旧民法の禁治産者、心神喪失者と考えたのだ。それがどれだけひどいことか姉は承知していたのか?  わたしの意思を伝える「照会書」はたった1枚紙。「ご本人に代わって財産の管理や契約等の法律行為を行う援助者(これを後見人と言います)を選任することによってご本人を法律的に支援する制度」などと書いてあった。必要、不要のどちらかにチェックするようになっていて、もし、「不要」にチェックする場合、その理由を記せ、とある。しかし、たった1行分のスペースしかないことを見れば、ほとんどは「必要」にチェックを入れるのだろう。すぐに家庭裁判所に出掛けた。 「診断書」が重要な判断資料  書記官に面会、審判を始めるならば、「成年後見制度の手引き」に書かれている裁判所の調査員を派遣して、母に面会して状態を調査すべきだと伝えた。母には十分な判断力があり、「認知症」に当てはまらないことを調査員が確認すれば、この申立書の根拠は失われる、と説明。しかし、書記官は「不要」の理由を別紙に記述して提出するように言うだけで、調査員の派遣などの説明はなかった。  「自分自身で財産管理をしたい」。母の意思を確認した上で、自筆の財産管理を望むと希望する書面、それを母が書いている写真、車いすの生活で、重度の難聴のため本当に大きな声を出せば意思疎通に問題はないが、もし、母の状況を知らずに会話しようとすれば会話が成立しない理由、また母がふだん新聞や雑誌の購読を楽しみにしていることなどを写真とともにまとめて記した。  その書面、写真などを裁判所に持参した。担当書記官は不在だったが、別の書記官が親切に書面等を見てくれたうえで、「別の医師の診断書を提出したほうがいい」とアドバイスした。医師という専門家の診断書は、母の自筆文書よりも評価価値が高いようだ。そのときもらった最高裁判所の「成年後見制度における診断書作成の手引き」に、「診断書を判断資料とすることが原則」と記されている。つまり、主治医の診断書に対抗できるのは、認知症専門医の診断書しかないというわけだ。 全く逆転した「診断書」  知り合いの医師に「認知症の専門医」を紹介してもらい、静岡市内の神経内科医を訪れた。この医師に記入してもらった家庭裁判所の「診断書」には「物忘れ症状に対して神経クリニックでアルツハイマー型認知症の診断を受けた。難聴があるため意思疎通困難があるが、大声でしゃべれば通じる」という所見が記された。   判断能力判定について「自己の財産を単独で管理・処分できる」。判定の根拠として、(1)見当識 日時(回答できる) 場所(回答できる) 近親者の識別(できる) (2)意思疎通(できないときもある) (4)社会的手続きや公共施設の利用(銀行取引など) (できないときもある)(3)記憶力(問題はあるが程度は軽い) (5)計算力(可能) (6)理解力(ある) (7)各種検査 HDS-R(25点) (9)その他特記事項 本人は財産管理可能としている。再度能力の鑑定を要す  全く逆転した「診断書」が出来上がった。主治医のHDS-Rの点数は19点、神経内科医は25点。これは一体どういうことか? 認知症の診断は難しい  認知症とは何か?かかりつけ医・非専門医などの医者を対象とした「事例で解決!もう迷わない認知症診断」(愛知県認知症疾患医療センター長、川畑信也著、南山堂、2013年7月発刊)を購入。この本によると、認知症を専門にしない医者たちは「自分には認知症を診断する自信がない」「不安を感じる」などと考えている場合が多いらしい。それだけ認知症診断は難しいと書かれている。  その中でHDS-Rは、改訂長谷川式簡易知能評価スケールのことで、患者の経時的な変化を評価する際に信頼の高い検査方法とされる。30点満点で20点以下は認知症が疑われるが、総得点のみで認知症の有無を判断してはならない、軽度の認知症の段階で21点以上を獲得する患者も多いからだという。  母の場合、主治医の脳神経外科医が19点、神経内科医が25点だった。これをどのように評価するのか? 母の状態を確認しない裁判所  HDS-R検査はどんなものか。  ①お年はいくつですか? ②きょうは何年、何月、何日、何曜日ですか? ③わたしたちがいまいるのはどこですか? ④これから言う3つの言葉を言ってみてください。あとでまた聞きますのでよく覚えておいてください。(例 桜、猫、電車、梅など) ⑤100から7を順番に引いてください。(100引く7は?それからまた7を引くと?) ⑥わたしがこれから言う数字を逆に言ってください。(6‐8‐2、3⁻5‐2‐9など) ⑦先ほど覚えてもらった言葉(桜、猫など)をもう一度言ってください。 ⑧これから5つの品物を見せます。それを隠しますので何があったのか言ってください。(鍵、ペン、硬貨、時計など) ⑨知っている野菜の名前をできるだけ多く言ってください(約10秒間待っても出ない場合はそこで打ち切る)  さあ、あなたは何点を獲得でき、認知症の疑いを払拭できましたか?物忘れがときどきある母が「25点」である。どう考えても認知症を疑うことがおかしいだろう。再び、家庭裁判所へ神経内科医の「診断書」を含めて1件書類を持参した。担当書記官が母の元を訪れて、自分自身の目で確認すれば、母が「認知症」でないことがはっきりとするはずだ。 無責任な主治医の診断  しばらくしてから、書記官から電話をもらった。書記官や調査官が母の元を訪問するのではなく、より高度な神経心理検査、脳画像検査が必要であり、静岡県立こころの医療センターを受診してほしいというのだ。その年の夏は猛暑で、母はなるべく外出を避けて施設でゆっくりと過ごしていた。同センターの担当医師から連絡をもらい、その旨を母に話すと、「同じ検査に行くのはもういやだ」と首を横に振った。それはその通りだろう。何かの治療ではなく、「重度の認知症」かどうかを診断するためだけの検査である。担当医師に話すと、母の心情をよく理解してくれて、そのまま家庭裁判所に連絡してくれた。  わたしは、母の主治医に内容証明郵便で「別の医師の診断とは全く違う。母を心神喪失状態とした診断の医学的根拠を回答ください」という手紙を送った。10日後に4人の弁護士名を連記した回答が送られてきた。その回答には「心神喪失状態などとは診断していない」、さらに「この診断はK医師の行った診断であり、他の医師が検査等を行って別の診断をされることは当然ありうる」と書かれていた。  あまりに無責任な回答である。「アルツハイマー型認知症」と診断されることで、母の名声、信用その他、人格的価値について社会的評価が失墜する可能性が非常に高いのだ。  もう一度、後見申立開始書の主治医「診断書」を見ていて、別紙に「鑑定に関する事項」があった。そこには、「今後、家庭裁判所から精神鑑定の依頼があった場合(鑑定医は精神科医師でなくても結構です)の問いに「鑑定を担当できる」にチェックが入れられ、鑑定費用(5万円程度でお願いしています)には自筆で「10万円で引き受ける」とあった。  認知症の診断にはくれぐれもご注意を!医者の裁量で「認知症」患者がつくられる。主治医のさじ加減ひとつで、母は立派な「認知症」患者となってしまう。果たして、家庭裁判所は2つの診断書を見て、母を「アルツハイマー型認知症」と認定できたのか、どうか。 (審判申立事件の結果等は「認知症のなぞ2」で紹介します)

お金の学校

保険2 保険に加入しないが「基本」だ!

2050年年金はもらえない  静岡グランシップで開かれた講演会「お金について考えてみよう タイゾーの金融経済超入門」(金融庁、日本銀行、静岡県などの主催)の中で、元政治家、タレント杉村太蔵(39歳)は「2050年に70歳になるが、わたしは年金をもらえない」と嘆いた。その前段で、60年前に制定された国民皆年金法の制度設計が間違っていたことも指摘。つまり、いまから30年後、国のミスもあって年金を受け取ることができないひどい時代が到来する、それが「タイゾーの金融経済超入門」の趣旨だった。「歴史的にいま、わたしたちは大転換点の時代にいる」と自虐的なギャグを交え、会場の若い人たちをステージに呼んだりして「大転換点の時代」を説明。軽妙なおしゃべりは詰め掛けた多くの人の笑いを誘っていたが、30年後?に年金受給者入りする若い人たちが、「2050年の未来」をしっかりと実感できたのかどうか。  2009年厚生労働省は「2031年に厚生年金積立金が枯渇し、年金制度が破綻する」と試算、さらに2050年までに厚生年金だけでなく、国民年金も積立金が枯渇すると予測した。2050年は65歳以上の年金受給者1人当たりを現役世代(20~64歳)1・2人で負担する人口割合となる。年金積立金が枯渇、現役世代が支払う年金保険料を65歳以上に回すこともできず、年金財源を新たに確保しなければ、70歳のタイゾーは年金を受け取ることはできないわけだ。  そんなに暗い時代が到来する話なのにエンタテインメントに徹した「タイゾー」ショーは大笑いが続いた。年金制度の破綻など誰も信じていない? 「年金」保険に入れば、将来安泰か?  先週知人の独身女性A子さん(53歳)から6通もの保険証券を預かって中身を吟味してほしい、と依頼された。保険はすべて日本社のみで、義理がらみで頼まれ加入したものばかり。リストラで会社を移り、年収がほぼ半減したため無駄な出費を減らしたい、できれば、整理したいのだが、自分では理解できていないという。計算すると、年間約60万円も保険料を支払っている。これでは整理したい気持ちはよくわかる。  6通のうち、「年金」保険は3通もあった。1通目が「個人年金保険10年確定」。1990年24歳のときに加入、60歳まで36年間、毎年8万8千円支払い、60歳から10年間80万円ずつ合計8百万円を受け取る。掛け金の合計317万円だから、約2・5倍の保険金を受け取る。最後の受け取りは69歳だが、この保険を”お宝保険”と他社の営業社員が言ったとのこと。いまの時代から見れば、確かにそうなのだろう。  2通目は「年金払い積立傷害保険」。1996年30歳のとき加入、60歳まで毎月1万円(年12万円)支払う。30年間合計360万円、60歳から64歳まで5年間、毎年約110万円ずつ合計550万円を受け取る。傷害保障が約1千万円あるため、その分年金額が少なくなる仕組みだ。  3通目は豪ドル建て無配当個人年金保険。2年前、51歳で加入、65歳まで毎月1万5千円総額252万円を支払う。契約時積立利率2・5%とあるが、小さな字でいくつもの(注)がつき、肝心の70歳から10年間受け取る年金額は会社の定める方法で計算する金額とあるだけ。金融庁が外貨建保険への監督強化を打ち出したニュースが流れたばかり。本サイト「保険1 積立利率3%のなぞ」で指摘したように為替手数料、為替リスクなど考慮した上で加入すべきだが、保険証券には何ら記されていない。なぜ、最近になってこんな危ない保険に加入したのか? 保険に入っても大損する  2001年8月号の「文藝春秋」に『生保破綻で大損した筆者が教える「賢い保険術」』を書いた。当時、千代田生命加入当時5・5%の予定利率の生命保険を「転換」するように勧められたのを機会に、千代田と交渉した記録を紹介した。1997年の日産を皮切りに、東邦、第百、大正、千代田、協栄、東京の7つもの生保が破綻したことなど懐かしい記憶である。  わたしの場合、千代田破綻後の保険金は6割カット、予定利率も1・5%に引き下げられた。魑魅魍魎のうごめく保険会社を回り、保険の基礎知識を得ることができたのは貴重な財産になった。現在も保険会社の体質は変わっていない。20年が過ぎて、A子さんの”お宝保険”のように過去の予定利率の高い保険はお荷物だろう。最近の保険は1・5%に遠く及ばないのだから、大損する仕組みははっきりしている。  はっきり言えるのは、「保険はできるだけ入らない」がすべての基本だ。保険会社が儲かる仕組みの保険ばかりで、加入者にとって得になる保険など皆無。やはり相談を受けた自営業者のB子さんを年金保険に加入させたのは、税制上の利益(年間8万円の保険料で4万円の所得税控除)を受けられるからだ。10年間支払い、元金が戻ってくるのは15年も先のことだが、それでも税制上のメリットは大きい。  生命保険が必要なのは子育て期間中のみで、年間10万円以内(年8万円で4万円所得税控除)×20年間程度の死亡保障が高い定期保険がお薦め。がん保険も医療保険も不要である。 「金を稼ぐ」パワーが必要  さて、タイゾーの講演会で厚生年金、国民年金もひどいことがわかった。こちらも「保険はできるだけ入らない」を実践できるのか。会社に勤めていれば、いやでも給料天引きで厚生年金保険料が引かれる。まるで税金である。ほとんどのサラリーマンの場合、「年金保険料=税金」のようだ。  厚生年金、国民年金が保険である理由は、将来の生活保障(タイゾーの説明通り当てにならない)とともに、病気やけがなどの障害認定を受けたときに受給できる障害基礎年金や被保険者の遺族に支払われる遺族年金の役割を有しているからだ。それを考えるとますます、民間の保険に加入する必要がなくなってしまう。  講演会で、タイゾーは「元本保証」で利率20%、30%という投資詐欺が横行しているので注意をするよう呼び掛けていた。日本人の好きな「元本保証」につけこんでいる、という。くれぐれも厚生年金、国民年金が「元本」割れにならないことを祈るが、タイゾーは大丈夫なようだ。   タイゾーは「悲惨な世代」に向けて政府広報のスピーカーを務め、全国津々浦々に出掛けて2百回以上を超える「タイゾーの金融超入門」講演会でギャラを稼いでいる。年金が破綻しようが、「金を稼ぐ」パワーがありさえすれば全く問題ないことを訴えていた。会場に詰め掛けた若い人たちは、タイゾーの年金に頼らず生きる「パワー」に共感していたが、本当に大丈夫か。保険会社破綻や旧社会保険庁のずさんな年金をめぐるさまざまな事件を見てきただけに、将来、年金制度に何が起きるのかわたしにははっきりと見える。  ところで、静岡県金融広報委員会が取材に訪れたわたしに「注意」することがあると言って会場の外につまみ出された。結局、何らの「注意」もなかった。それが一体何だったのかぜひ、知りたいものだ。書いてはならないことを書くな、ということもかもしれない。それは何だろうか?